NHKの番組に、被災地に行って説法する寂聴さんが放送されました。年が重なって来ると、涙腺が緩くなってきて、震災関連のテレビは、すぐに反応します。それでも見たくなります。そしてまた、涙です。それだけ強い恐怖感と、喪失感は戦後生まれのわたしから下の人達は、今までにない強いショックを受けています。寂聴さんは、心を開かない被災者の方たちに、いろいろと声をかけて和んだ頃から説法が始まります。お互いに言いたいことがあっても、失礼するのではと、二の足を踏んでいますが、どっこに行っても凛と説法を施します。「泣きたい時は、我慢しないで泣きなさい」とか「今、どん底だから、これ以上の底はない、上がるだけですから」と元気づけておりました。「先生に抱き着きたい」と申し出ます。わたしも同じです。今、心強い方に声を掛けられただけでも、元気になります。ましてや、全財産が見ている前で流されましたから、当たり前のことです。寂聴さんは、優しく抱いて包んで上げていました。きっとその方は立ち直れて、希望を持ったと思います。誰でもできることではありません。寂聴さんにしかできない本物があるのだと思いました。今朝のテレビでは、「来年は家を建てたい」と抱負を語っています。被災地の方では、6畳間以上で、60坪から100坪を超えています。仮設はありがたいのですが、狭苦しいのでしょう。希望を持って!、前向きに、お願い!とテレビに手を合わせてしまいました。当たり前の時が一番幸せと言いますが、当たり前+勢いで乗り越えて欲しいと願いました。わが町の仮設を、出来上がった品物をお届けしながら通りました。日曜日でお天気もよく、お庭にはおじいさんグループ7人くらいが、椅子に座って談話しています。女性の方たちは、お部屋でコタツから離れられないのか、追い立てたかもと苦笑です。「とにもかくにもお元気で、」としか言えない気がしました。
昨日は地区の女性ふれあいセミナー移動研修に参加して来ました。「京津畑 やまあい工房」です。昔のおやつや伝承料理で、道の駅やスーパーにも売り出しています。閉校の小学校で、昔は学校に行くのに早起きして、提灯を持って登校したと聞いています。その分、学業は優秀で、御殿のような家が負けずと建っています。電気も県で一番遅く設置されたと聞きました。そのくらい過疎地ですが、60軒足らずで軒数が少ない分、まとまる確率が高いそうです。勤めるとなると、近辺以外は1時間や1時間半は、車で移動しないとありません。11人で切り盛りですから、忙しいのが直ぐに分かります。「家の仕事もあるから大変でしょう?」と聞きましたら、「腰の曲がったおばあさんが畑をするの、今朝も6時から来てやっているんです~。」と静かに笑っています。6時はまだ真っ暗です。家族の協力が無くては何もできません。核家族となると、「地物野菜」とはいかなくなります。この地に嫁いできたお母さんたちは、偉いなーと感心しました。それでも、みなさん生き生きしています。仕事があるとは、本当に輝くものと納得です。山奥ですから、スーパーや、道の駅までは1時間は近いほうです。漬物やぼたもちなどが商品となって立派なものです。昼食は「舞茸の味ごはん」のお弁当を御馳走になって来ましたが、とっても美味しかったです。宿泊施設もあって、ボランテイアの宿泊でも利用されました。施設の無駄とは一概に言えません。8畳間が2部屋あり、トイレやお風呂も備え付けられています。地区全体が身を粉にして働いています。今の時代は身をほろった人が勝ち組のような気がします。その次は「芦 東山記念館」で無刑禄を作った先人で、全国的に有名です。それから「菜種油」の工房見学です。若い社長は自信を持って、油しぼりの工程を一人で仕事をしていました。がっちりした体力で、若さ溢れる笑顔の対応に元気を頂きました。身近な所で、みなさんは自分流に一生懸命に頑張っていました。
今日は勤労感謝の日なので、自治会の花壇清掃と救急救命の講習会と感謝祭が
行われました。わたしは1時と1時半を勘違をいして、10分程遅刻しました。
みなさんは時間厳守なので、8割が片付いていました。この地区も同様で高齢化
です。60歳が一番若いのでした。ちょろっとお手伝いしてから、コミュニテーに
移動して勉強会です。消防士さんのお話が面白くて、吸い込まれるように聞く
ことができて、とっても楽しかったです。怪我をした時とか、骨折した時、お風呂
で具合が悪くなった時、運ぶ時のやり方、もちがつかえた時と、あっという間に時
間が過ぎていきました。その都度に友人と、ダジャレを言いあって面白かったです。
例えば、もちがつかえた時は、「見守る」、とか、「もう一個入れる」、「放って
おく」とかできもしないことを言って、話がつきません。とんでもない三人組は笑
いが止まりません。聞こえたのか「その時は、別な車が行きますからね」と、みん
なで爆笑です。初めから終わりまで、なかなか会うことのない友人と、沢山のお
しゃべりを楽しみました。感謝祭は豚汁を食べて、オードブルや飲み物などを御馳
走になって帰って来ました。飲める方はこれからが本番で、お互いに情報交換の場
になって、楽しい飲み会になっていることでしょう。
行われました。わたしは1時と1時半を勘違をいして、10分程遅刻しました。
みなさんは時間厳守なので、8割が片付いていました。この地区も同様で高齢化
です。60歳が一番若いのでした。ちょろっとお手伝いしてから、コミュニテーに
移動して勉強会です。消防士さんのお話が面白くて、吸い込まれるように聞く
ことができて、とっても楽しかったです。怪我をした時とか、骨折した時、お風呂
で具合が悪くなった時、運ぶ時のやり方、もちがつかえた時と、あっという間に時
間が過ぎていきました。その都度に友人と、ダジャレを言いあって面白かったです。
例えば、もちがつかえた時は、「見守る」、とか、「もう一個入れる」、「放って
おく」とかできもしないことを言って、話がつきません。とんでもない三人組は笑
いが止まりません。聞こえたのか「その時は、別な車が行きますからね」と、みん
なで爆笑です。初めから終わりまで、なかなか会うことのない友人と、沢山のお
しゃべりを楽しみました。感謝祭は豚汁を食べて、オードブルや飲み物などを御馳
走になって帰って来ました。飲める方はこれからが本番で、お互いに情報交換の場
になって、楽しい飲み会になっていることでしょう。
震災のお陰でいろんな出会いがあります。震災で日本全国、世界各国の方たちは親や、親戚、友人、知人など、思い当たる人達の安否確認に思いを馳せたことでしょう。そして、心配やら、不安に心痛めたと思います。どの人たちも、、、。被災者の方たちは、1人じゃない、とみんなで手を組みたかったに違いありません。だって、ひとりは怖いし、余りにも寂しいです。そして、今年もあと一ヶ月を目の前にして、まだどこかで、誰かと確認の交信していると思います。そして、お互いに生きていることへ安心をしたいのだと思います。わたしもアルゼンチンから、じいさまの友人の奥様から、災害見舞いのお手紙を頂いて、今はメル友になっています。新しい友の輪が広がりました。わたしの今日の友人もそのひとりです。こちらに住んで会うことの無かった友人が、30年ぶりに電話を掛けて来たのでした。「今、幸せなの?」と言って頂いて感激です。涙ながらに喜んで話してくれました。彼女は70歳の声が聞こえています。掛けて来た友人は80歳越えているそうで、姉的存在です。余りの嬉しさに涙を流し、慈しんでいます。何の災害も無いけれど、お見舞いの言葉はどれだけの力になるかです。環境や、友人が置かれている立場とか、生活のことなど、いっぱい心配したのでしょう。話は尽きなかったそうです。震災のお陰でどの方たちも、いろんな形での幸せを求めていると感じました。「今、幸せなの?」「はい」と頷いた友人の言葉が、心に響きました。
我が家の前はバス停になっています。お隣のおばあさんは相変わらず、日に何回と雨風関係なくやって来ます。11時前に来て、指定のイスに腰掛けて、自宅や通りを見ています。「ありゃ、ありゃ、みろみろ!」とわたしを誘います。わたしは仕事をしているからといつも断っています。バスを待っている若い女の子のようです。「アリャ、タバコ吸ってる。ありゃ、足組んで吸ってる、」と言っています。バスに乗るまでの実況中継なのでした。結局誰かとお喋りしたいのだと思いました。「ばあちゃんがこの年には、挺身隊で東京で大きな機械の相手をしてたんだもんねー」と言ったら、喜んで得意になっています。「おら、女学校の人達と高等小学校と一緒に稼いでも、給料がうんと違うから自分の子には、絶対に学校に入れにゃばと思ったもんだ」と言います。息子さんはそのお陰で社長です。言霊とは本当のようです。それからまた、軍歌を歌って上機嫌になって帰って行きました。それから30分しないうちに又来て、「なんで来たかわがる?」「猫が家の前を通ったんでしょ?」「よ~ぐわがる」と、又イスに座ります。猫は妄想なので毎回言います。今度は人が通らないので四方山話で「あら、12時だ、何でたべっぺなー」と言いながら、様子伺いです。お隣のそば屋さんから取り寄せて、わたしと一緒に食べたいのですが、硬くお断りしました。毎日の事なので本気で聞いていられません。夕方6時過ぎに家族の目を盗んで、玄関の戸を開けます。「居たのー」と言って返事しなかったら直ぐ帰るのです。いつものことです。茶の間のテレビは話し相手にならないので、人が恋しくなるのでした。
午後までモモは、トイレに行く気配がありません。3時過ぎになって、わたしの座っている後ろに来て、仕事が終わるのを待っています。粘るわたしに待ちかねて、頭を腕に乗せてきました。切れの良い所で、立ち上がると尾を振って喜んでいます。じいさまはお泊りなので、お風呂上りです・なので、以心伝心でモモには分かるのでしょう。わたしから離れません。時にはモモだけ出す時もありますが、今日は玄関で待っています。態度が違うので歩くことにしました。要は甘えん坊なのです。夕食の準備を軽くこなして、モモの子分を連れて、リードなしで田畑のあぜ道を歩きます。途中に枯れた葉の隣に、「たんぽぽ」が2輪咲いていて、黄色の花はいつ見ても癒されます。出かけるごとに感動があります。モモは先になったり、後になったり、走ったりと喜んでいます。いつもの所で「よう」を足します。余程の我慢をしたのでしょう。時間が掛かっています。すっきりモモは、はるか先に歩いています。そして別道を歩いて行くので、呼び寄せました。癖になったらお散歩の時間が長くなるのです。じいさまは得意になって遠くまで行くので、帰ってからたしなめました。「大丈夫だ、臆病だし呼べば帰ってくるから」「ムムム、、、」そんな問題じゃない、今から雪の季節になると、老いたわたしらに負担が掛かってくるのです。モモはじいさまにお咎め(とがめ)したのも知らずに、安心したのか熟睡です。
日の出は6時頃となり、5時半の配達は真っ暗闇の出発時間です。モモはオシッコタイムに一足早く外に出て、わたしが出て来るのを待っています。口笛を吹くと広場の駐車場から、一気に走って来ます。リードと電灯を左に持って、新聞を配達します。今朝は新聞と広告がいつもよりあって、カバンが2つになり、両肩からぶら下げています。2つ目のカバンを見ると、配達順序が真逆になっていていました。「大丈夫、反対側から取れば」と覚悟しました。ところが、最後の3軒目と最後が間違って配達していまったのです。気が付かずに眠かったので、ひと寝したら電話がありました。「新聞が間違っていて日報が入っていますが、見ていいですか?」。自信があったので信じられません。「あ、----- 取り違いだ」と直ぐわかりました。最後の家に言って「間違いましたから、取り替えて貰らいたんんですけど、、、」「いやいや家は、読売でかまわないから大丈夫」とわたしに遠慮して換えてくれません。これにはわたしも説得しかねました。笑うしかありません。はてはてと困り果てて、結局新聞屋さんから買って配達しました。新聞屋さんはお金を受けませんでしたが、じいさまの責任の重さに負けて受け取って貰いました。結局わたしの気の緩みの錆びが、みんなに迷惑を掛けたことになります。じいさまは「いつものわたし、」と平常心です。弟にも心配させているようで、「今年のお歳暮だよ」と、鋲(びょう)の付いた長靴を買ってくれました。心配を掛けまいと思っていても、周りのみんなにガードされているようです。1人では何事も達成できない心細さを感じます。ま、いいか。356日中の1日だと、開き直るのも早いわたしなのでした。
今日は1日柿の皮剥きとなりました。2日前に2人の友人とピクニック気分で柿を収穫し,今日はその剥き方と決めました。朝食を終えると本家のお母さんが、はちや柿を1箱持って来てくれました。合わせると余りの多さにただただ驚くばかりです。干す所に困って迷った挙句に、後ろの空施設の玄関は、屋根が掛かっている所があるのでそこを選びました。そして布団を干すアルミの棒が丁度良いのでした。ウシシシ、、、と喜ぶも1日となると大変です。じいさまはお泊りなので、3時までです。あと1箱ありますが、手首が腱鞘炎になる感じがします。何をするっても自分には、大変な年になったもんだと困り者です。昨日は第一弾の干し柿を、じいさまの姉妹と子供達に送りました。女孫の幼稚園では、秋の味覚を持ち寄って、収穫したものを、みんなで味わうのだそうです。先生達も色々と考えて指導するもんだと感心しました。ただ大きく育てるのではなく、成長に合わせて取り組んで頂き,有難いことだと感心しました。人間一生周りの人たちのお陰で経験し、成長するのだと改めて感じました。1人一役、この干し柿も「ば~ば」の一役となりました。
今日畑に行って収穫の残物が、山になって重ねてある上を見ました。大根の葉のてっぺんに豆を抜き取ったまま重ねてありました。義弟が昨日畑に来ましたから、きっと義弟でしょう。勿体無い病のわたしは、陽の当たる所で「さや」をもぎ取りました。丁度種に出来る位あります。買えば手を掛けなくても良いのですが、「豆の命」を考えると無駄には出来ないと思いました。一粒の遺伝子が来年に綱いでくれると思うと捨てられません。20年位前に、あるおばあさんから「白菜などを植える時は、ぬかと豆の煮たのを3粒くらい入れると、白菜は病気にかかりがたいんだよ」と教えられて実践した所、葉に艶があってしっかりした白菜が出来ました。やはり年高様の話に無駄はありません。家にばかりいるおばあさんは、新築して間もなく通りすがりのわたしを、お茶に誘ってくれました。野菜のことを一杯教わり、事あるごとに懐かしく思い出されます。野菜作りを始めた頃ですから、新鮮に聞こえました。白に字を書くようなものです。それからは豆類は無駄にせず、次の年の為に使うと決めています。豆は人や動物に、そして畑にも大事な役目がありました。豆の根も畑に良いことがテレビで放映されていました。捨てる所は無さそうです。今年も枝豆は活躍しました。子供達や親戚や、被災見舞いのお返しにと足らない位でした。自給自足できる豆と畑に感謝です。
里芋は毎年植えていますが、今年は猛暑で水掛けをいつもの3倍しました。ビニールを掛けましたから、さぞかし大きくなってなっているだろうと期待して掘りおこしました。育て方の方法は半分頭で分かっていても、忙しく回りきれずに畑に頼みっぱなしです。子の茎は伸び放題なので、親の子分らしく茎が太くなっていて笑ってしまいました。やはり忙しくても、この茎は切っておけば良かったと、「毎年思うこと」が同じだと反省しました。ですから成長も発展もありません。ただただ、収穫が楽しみ、体を適度に動かせる、だけが一丁前なのでした。保存となると、その時思うだけでしまってしまうと、奥の方に置かれて気が付いた時は、干せているのです。去年から「里芋コロッケ」を作って、冷凍することにしました。親芋を前の日に皮をとって、水につけておきましたので支度は出来ています。午後から作り今晩のおかずとなりました。揚げたてはとっても美味しいです。友人からデミグラスソースの素を頂き、自分の味次第にと言われて、不安がありましたが大成功です。モモまで手でつんつんと押しておねだりです。50個程作りましたから、お隣や、友人にも分けてあげて喜ばれました。来年も里芋は絶対に植えると決心しました。コロッケの自家製は美味しい!!。です。