実家の家は農家なので広い敷地です。建物は8軒もありますが、農機具などがあってただあるだけが実感です。100年越えてかやぶきの屋根でしたが、その上にトタンを張って40年も経っているし離れに暮らしている若夫婦と同居と言うことで立て替えることになりました。オール電化と聞いて地震になったらその後のリスクが大変だろうと心配しましたが、外にでた兄弟は見守るだけです。家族が一生懸命考えたことが一番正しいと思うからです。今日亡くなった母の着物を義姉に前から持って行くよう言われていましたが、用だてることがあったので行って来ました。前の間取りは8畳、10畳だったのですが、今風のデザインでリビングとキッチンが一緒で吹き抜けになっています。カギになっていて開きっぱなしの日本間で圧迫感がありません。寝室も10畳から8畳と変わりましたが、無駄な作りなしで、どこに行っても温度が変わりませんから、とっても過ごし易い感じで安心しました。父と母が来て出来上がりをみたら、なんと思うだろうと仏壇に手を合わせて問い掛けて聞きたかったのですが、ただただ立派に出来上がっているから安心してお守り下さいとお祈りして来ました。
わたしはお天気が良いと出かけたくなります。じいさまが葬儀のアルバイトを2時間で終えて11時に帰宅してきました。空と時間を見てから『天気が良いから海に行って食べない?「いいよ。」早速準備に取り掛かり、今晩は宿直だから炊飯器にスイッチを入れて、30分ほど走って三陸海岸の岸壁に行きました。駐車場が広いから自由に留められます。パンとお茶、コーヒーで海と釣り人を眺めながら昼食です。開放的でとっても気持ちがいいです。じいさまが釣り人に声をかけているのでわたしも行ってみました。釣り人は地震のあった栗駒から2時間もかけて釣りをしているのでした。釣りしたり、山のきのこを採ったりと、趣味もその他にもあるとのことで60代です。羨ましいですね。それだってお金と暇があればの話です。釣竿をお借りして餌もまいて貰いましたが、一匹もつれませんでした。おしゃべり好きなお二人でとっても楽しかったです。無口よりのおじさんは、バケツにちかが一杯釣れていましたがおしゃべりする人は少なく苦笑してしまいました。帰りに車から「ププーッツ。」としたら、釣竿を見ながら後姿で手を振ってくれました。今日の出会いは気分転換には最高です。家に到着したのは1時40分で2時間のお出かけでした。またお天気の良い日に外で食べようと思いました。
月曜日の行事は最後の報告を終えて一安心しました。手探りの料理もみなさんにヒントを与えたようで、道端で会えばお礼の言葉を何回か頂きました。感じたことは冬はどうしても寒いから室内ばかりの生活になっています。ご近所さんとはいえお茶のみ会でもしない限り、会うことはありません。馴染みの友を見つけ喜んでいるようです。健康体操は氷川さんの『ずんどこ節』とかホークダンスとかで無理のない運動で好評です。良かった良かった!!!。じいさまは葬儀のアルバイトも入って、一緒にいる時間が少なくて今夜もお泊りです。5日間も離れてみると風邪の通り道が出来て、空気が淀まず、今日あたりは気持ちがリラックスしているのを感じます。ルルルル、ルー、、、、、
今日は今期最後の行事で終われば終わりと腹を決めて出かけました。地区ではゴミの出し方の勉強会と言うことで沢山の参加者がありました。いよいよあと10分で始まるなと思ったとたんに、携帯が鳴ってマナーモードにしなかったと反省しました。誰から?と思ったらじいさまです。『今何処にいる?!』友達が迎えに寄られたので、今朝は入れ違いでしたが、書置きしませんでした。じいさまには昨日も言ってるし忙しくしているのに、めくれないんだから全く!!!!1人で食べてくれー!!。年を重ねるって本当に手がかかって大変です。携帯は切ってカバンの奥にしまいました。会の方はその後も、健康体操と食改のお食事会と濃縮サイズでやり終えました。帰って来て何事も無かったように、じいさまの仕事を手伝いました。それでも心のどこかで『全く?!!!』と思っている自分がありました。
じいさまは朝帰りです。朝食はいつもより静かです。いつも無口がわたしには丁度良いです。1人より2人でいる方ががもっと素晴らしい人生であることは百も承知です。今対立ムードではありませんが、正しいこと、感じていることを話し合っても気が楽になるものでもない。諦め方が自己防衛のありさまかとうなずいてしまう。たいした出来事でもないからことさらそう思うのかと案じました。明日は今期最後の役員仕事がある。そちらに気をむけなくてはと、じいさまごときで立ち止まっているわけにはいかないのです。明日が正面場ですぞ。じいさま気に触る言葉は謹んでくれー!!!!。今夜は宿直で朝5分会う位だから、ま!いいか!!!。
じいさまは2日間の休日でした。新年会に参加できなかったお返しではないけど、ちょっと晩酌が進んでいました。結果愚痴が出て来るのを覚悟していましたが、折角寝せて安心したとたん!。『湯たんぽを孫にやらないと、』から始まりました。「小さい子は年寄りと違って、エアコンでも調節するからいらないよ」と言ったら運の分かれ目です。それから5分くらい1人舞台です。裾野がだんだんと広がるのがじいさまの癖です。酒も利いているから原因も行方不明な時もありますが、とうとう寝付けずわたしは起きてしまいました。次の朝に『寝る時は黙っててね』と言っても、まだ不愉快が抜けません。今日は反省したのか「出かけるか?」と言うのですが、気分が良い時は日帰り温泉なのですが安売りの店を歩いて会話から離れることにしました。それでも口をきかなくても夫婦。じいさまに半額になった防寒コートを買ってきました。本当に年を重ねると柔軟性にお互い欠けてくるから、つまずいて不愉快になります。じいさまは一瞬にして荷崩れが起きる状態です。昔言いましたっけ。「あほ、ばか、ちんどんや、おまえの母ちゃんでべそ!!」ビンタとりたいくらい不愉快です。おほほほ
じいさまは連絡員の新年会に浜の民宿へ、午後から出かけました。今晩は宿直なので、好きなお酒は飲めません。帰って来たのは、5時半で6時に出勤して行きました。家に着いたら、仲間はもう出来上がっています。『今日休め!!!』「仕事だから後で」『いいから休め!!」わたしが中に入って「わたしでもいいでしょ?」と言ったら帰って行きました。別にいいんだけ、どやっぱり!相手に向いてないらしい、、、、、、
ある時、町の知名度のある人から『何年連れ添ってもかあちゃんはうるさいな。なんでなんだ?』男が悪いと言いかねて、『ケンカしているうちが華よ。女はそう言う生き物だから、言わせておけばいいと思うよ」と紛らわしく言って、内心は優秀でも、やりてでも、人をまとめても、そこは人間、一瞬小さく見えた時があった。。それが普通の夫婦だと感じています。 今2次会に行った人たちも、きっと鬼妻が玄関とか、寝てふてくされているとか、諦められているとか、その光景を思い浮かべて、勝手に可笑しくなりました。じいさまが今のように騒いで来たら、わたしだったら?、、、不快で早く寝せることを考えるかな?
ある時、町の知名度のある人から『何年連れ添ってもかあちゃんはうるさいな。なんでなんだ?』男が悪いと言いかねて、『ケンカしているうちが華よ。女はそう言う生き物だから、言わせておけばいいと思うよ」と紛らわしく言って、内心は優秀でも、やりてでも、人をまとめても、そこは人間、一瞬小さく見えた時があった。。それが普通の夫婦だと感じています。 今2次会に行った人たちも、きっと鬼妻が玄関とか、寝てふてくされているとか、諦められているとか、その光景を思い浮かべて、勝手に可笑しくなりました。じいさまが今のように騒いで来たら、わたしだったら?、、、不快で早く寝せることを考えるかな?
わたしがここに嫁いだことに偶然が多すぎます。実家に来ていた人が仲人をしたいと1年も通い詰めたのですが、その間になんと!!!。偶然なことに母の祖母の家の奥方が横取りしていました。嫁に来て初めて知り、本当に母とびっくりしてしまいました。「いい娘で農家には向かないと断っているから、挨拶に言った方が良いよ」と言われて、舅がわたしの写真も見ずに、朝1番の汽車で訪れて、直談判したのでした。それに惚れた父が、お大黒様に似た人だから間違いないと薦めてくれて、その息子と憧れて見たものの、程遠く、思わぬところに母性本能が現れて、OKを出したのでした。我が家と世話した人は親戚になっていました。これまたびっくりです。そして、男友達の奥さんは偶然にもわたしの実家と同じ集落出身者でした。父がそのお菓子やさんに偵察しに行って『人柄が良いから』と薦めてくれてまとまりました。結婚してから1年も経たないうちに父は、心配で夜こっそり玄関に来て様子を見に来たそうです。心配無用でした。実家は毎晩晩酌で、嫁いだ先は晩酌なしです。世の中こういう家もあるんだと驚いたことがはっきりと覚えています。ですから男友達の一言で今のわたしがあり、友情で結ばれた仲間でした。今夜も箱作りです。
今日は男友達のお菓子やさんの箱作りを急ぎで作りしました。単純な作業なのですが、100箱作るのは結構、要領があるのです。台が高くても肩が懲ります。正座しないと気が入らず時間だけ掛かります。じいさまは正座が出来ないし、台は会わないし、仕上がりがわたしと違って丁寧すぎて時間がかかります。そして性格通り、硬く見えます。急ぎでなければ手伝わないし、今日は舅との友達が亡くなり葬儀に出かけました。わたしは急ぎでなければ夜しかしません。箱作りのきっかけは、友達の奥様が病弱なので、我が家に来て、「ごはんの準備もかたずけもおれだ。箱も10個ぐらいしか出来ないんだ」それを聞いたじいさまが、家で協力するから持ってきてと声を掛けました。今ではわたしがやるのが当たり前だとじいさまは思っている。職人に惚れられて養子に来たのですが、苦労話をよく聞きます。舅同士が友達で我が家の舅が『我慢しろよ。後でいいことがあるんだから』の一言で婿を務めたのでした。今は2人暮らしですが、厚生労働大臣賞を頂くまでに努力した人です。本人は我が家の舅に恩があると、わたしらには大事にしてくれます。わたしらも大事にしたいと思っています。お蔭様を忘れたら、人間それだけの人になると思いました。
お正月息子の所に泊まって来た時の話です。2人の孫はわたしを待っていてくれて、自慢したいことがいっぱいあります。いろいろと見せてくれて、6歳の長男はお絵かきだったり、3歳の次男はパソコンでパズルを最後までやり遂げて得意気です。時間になっても親が『歯ブラシの時間だよ』と言ってもなかなかしそうにもありません。わたしが「歯ブラシした人にお小遣いあげようかな?」財布をだして『貯金箱は?」と言って100円を出して見せます。3歳はすぐ貯金箱を持ってきました。6歳は早く欲しいのか手を出しました。手を出した6歳に1円を出したら「あ!そうだ。ぼくにも貯金箱がある」と言って近くの小瓶を持ってきました。わたしは大笑いした後に、思い出したのか弟と同じ貯金箱を持って来ました。勿論100円を入れてあげました。とっさの判断を可愛そうだけれども、早く経験させてよかったなと思いました。これから何回と無く現れるとっさの判断にエールをあげたくなりました。歯ブラシをして、寝る時間になったら、なんと「おばあちゃんと寝る」と言うのです。5人並んで寝て、次男の背中を優しく撫でてあげたら、5分すぎたら寝てしまいました。今から歩む孫がとっても愛しく、健康をただただ祈るだけでした。