昨日、今年初めてのマツタケを頂きました。すぐに食べられるように綺麗に切ってラップに包んでありました。話を聞いて見ますと、マツタケ採りの名人は、知人と兄弟の弟にあたりますが、去年の津波で流されて車中で亡くなってしまいました。「マツタケ御殿」と言われるくらいの名人だったようです。義母を心配して向かってしまったそうで、新築目前だったのです。山側に建てたので、家は心配ありません。残された家族は義母と妻と子供達ですが、自営業で工事関係のお店をしてましたから、必死になっても亡くなったご主人の職人が居なくなって、立ち往生ではと心が痛みました。新しい家に大黒柱はあっても、人の大黒柱を探しても見つかるすべもありません。マツタケ山の場所も多分教えてませんから、採りに行くこともできず、家族に重くのしかかっているかもしれません。夜明けを待って朝早く出かけること約1か月、採れる時は100本以上も採って、市場へ売った人です。本当に惜しい名人が亡くなってしまいました。家族はこの時期をどんな気持ちで過ごしているでしょうか、、、。温かいマツタケご飯を食べながら、どうすることもできない「津波」が恨めしく感じました。無念としか言いようがありません。思いを馳せて特別な味がしました。
この頃、じいさまに心の変化でもあったのか、単に老いただけなのかと思うようになりました。夜の6時過ぎに、モモの散歩へ行って帰ると、7時にお風呂に入り、8時前には自室に入ります。昨日は2階に上がり、リラックスしてテレビを見ているころに、震度4の自信がありました。じいさまは懐中電灯を持って血相を変えて階段を降りて来ました。おかしいのを我慢して、「外に出る?」と声を掛けますが、わたしのおなかが揺れ動いているのがわかります。そして、今晩もまた同じ行動をして、2階に上がった頃に地震がありました。震度3だけど慌てたのか、下着姿にこらえきれずに「ぶほほ、、」と笑ってしまいました。去年も「今日から2階に行く!」と言って、間もなく震度5でした。あの時とだぶってしまいます。同じことが3度も重なると、又本番に向いているのかなと不安になります。夕べは「早く部屋に行かない方がいいんじゃない?」と言ってしまいました。でもねー、いつまでも一緒だと呼吸困難になりそうだから、遠慮もしたいです。この御歳は、自分の時間1時間を確保すると、ベストな関係で居られる気がします。やはり、流れに任せることにしましょうか、、、。それにしてもタイミングの良さにぶほほ、、です。
今日、孫の運動会のDVDが送られてきました。早速昼食の時間に見ることにしました。去年と違って「並んでも、歌っても、走っても、踊っても、」見本になるくらい、真面目に一生懸命動いています。1年の成長に感動しました。先生方も一生懸命に先導していて、見ていても安心します。踊りの時は事前に本人の場所を教えてくれるほど、気を使ってくれています。親はその場所取りをして、近い所でカビデオメラで撮ることができます。孫はカメラ目線で、笑顔で踊っています。昔と比べたくありませんが、サービスは昔では考えられ無かったと思います。今は大サービスで至れり尽くせりで申し分がありません。孫も、親や祖父母、先生に報いたいと一生懸命に踊っていました。成長過程で大事な行事の一つで、周りの大人たちは見守りながら、導き方を考えさせられるようです。親も大変、子も大変、それを乗り越えて今があるのに気づかされます。向こうのおじいさん、おばあさんは足腰が弱くなり、折り畳みのイス持参でしたが、結構同じイスがありました。どの方たちも、孫の成長が一番の楽しみの一つと伝わって来ました。みなぎる若さに元気を頂いたことでしょう。運動会もお遊戯会も人を育てる大事な行事と、改めて感じることができました。
被災して近所に引っ越しして来て、1年半になりました。借家住まいの方たちは、火災保険に強制加入になります。じいさまの役職が縁でお付き合いになりました。どういうお付き合いかと言うと、奥さんが畑の助っ人です。植え方から収穫まで、小まめに通って手伝ってくれます。御主人は遠慮なのか、畑には来てくれません。毎日ではありませんが、散歩の帰りに家に寄ってはモモへ手の平で、持参の餌を上げるのが日課です。畑にお誘いするも、やる気が起きませんでした。時間をかければ、、、とその日を待っておりました。昨日は真っ青な青空で、じいさまはモモを連れて、車に乗る所でしたので、無理を押してお勧めし乗せることに成功しました。2時間かけてサトイモを掘り起し、家まで運んでくれました。わたしは家で本職の仕事をしましたから、74,73歳の男2人の姿を思い描いては失笑しました。どんな会話をしていただろうと勝手の想像をしました。話を聞きましたら、友人夫婦もいて4人だったので、楽しかったようです。案ずるよりも、、、でしょ。お天気も手伝って、初めての作業は大成功でした。帰りに美味しいお店があるからとおすすめしても、帰ってしまいました。奥様のアルバイトから帰る頃を見計らって、電話をして4人で天ざるを食べてお礼を言いました。奥様曰く、「畑に連れ出してありがとうね」でした。生活には心配ありませんが、閉じこもる主人に、不安を抱いているので、お互いの助っ人となったようです。
7時半にコーラスの練習に行く時は、車に乗せられて行くようになりました。友人の、腰を悪くしたわたしへの思いやりです。その他、車に乗せられる人は2人です。友の計らいでみんなが助かっています。歩けば7分ですが痛めると、されど車です。暗い夜道を走り練習場のドアを開けると、発砲の箱に大きい花弁のダリアが差し込まれていました。黄色と紫の2種類です。「あなたにあげる!」と言われて、喜んで頂いてきました。彼女は70代ですが、清らかで天真爛漫で大好きな彼女です。9時半には帰りの車の中になるくらい、引きは早いです。別車の中で、「ダリアがあまり好きじゃない」「花言葉はなんだっけ」と彼女の優しさを知る由もありません。「見るだけじゃないの、痴呆のおばあさんへの脳刺激剤なのよ」と言い返しました。何でも使いようです。無料の教材だと思えば、彼女の優しさが生かされるのです。早速朝一番にやって来ました。「これね、Yさんからおばあさんへって!」。花の好きなおばあさんは「なんとー!、ありがたいこと」と喜んでいます。「電話番号書いたから電話してね」と渡します。帰るまで「誰だっけー、。」と何回も言います。そうかと思えば、しっかりしていて顔を出さないと、「履物はあるねー」と独り言です。何とも軽くは見られない痴呆ですが、1日何回もわたしの顔を見ては、安心するおばあさんがけな気で可愛いです。
お隣のK市に駒大苫小牧高校の吹奏楽曲「スペシャルコンサート」が行われました。チアガールとマウンテンマウスも一緒で、おおよそ60人がはるばる遠くから演奏会にやって来ました。昨年も来て演奏し、復興が落ち着く頃までボランテイアしたいとのことです。昨年この地区のボランテイアで知り合った若者たちの姿に、心打たれ賛同してか今年は、前日に寄って初めて演奏会を開いてくれました。久しぶりの大きい団体の演奏を聴きました。指揮者の先生は全国吹奏楽大会で拝見したような気がしました。演出と生徒への寛大さが、会場を和ませてくれました。友人から進められ、席は一番前の中心で聞きましたが、迫力があり最初から手拍子と、手合わせのおにぎりの歌でした。吹奏楽の音もぶれることもなく、姿勢もきびきびしていて、見ていて心地良かったです。チアガールはもっとハイテンションになりました。テレビで見るよりも抱きしめたくなるほど可愛くて、笑顔が元気を与えてくれました。わたしは「これだ!」と思いました。被災した友人は「ハグしてください!」と言い、心底エネルギーを頂いたようです。どれだけ元気を頂いたか知れません。一時でも現実から離れた時間は貴重なものです。心が重いときは、声をだす!。体を動かす!。これに限ると思いました。これからの日本は捨てたものじゃない、若いエネルギーを応援して行こうと思いました。久しぶりに声をだし、手の運動をして気持ちが明るくなりました。会場を出る時には、生徒さん達に見送って頂きました。生徒さん達は授業料以上の経験をしています。「素晴らしい学校に入って良かったね」と声をかけて、満足感を味わいながら帰って来ました。
今日、テレビでお墓の話を途中から聞きました。「主人と一緒のお墓に入りたくない」「先代のお墓に入りたくない、姑が入っているから」と、世の中の空気を伝えているのか、そこからしか聞いていませんが唖然としました。一人で生まれて、一人で死ぬのなら、立派!と言えますが、身につまされる思いで、わたしにはこの年も手伝って納得できませんでした。番組でおじいさんの夢を聞かれた時に「別の施設に入所しているおばあさんに会いたい」と言われました。「誠」の字が頭の前をよぎっていきました。いろんな人がいて、いろんな考えがあって世の中は成り立ち、収まる所に納まります。親しい友とのお茶飲み会でしたら、まだ許せますが公共のテレビですから言い切ってしまいますと「これでいいのか?自分本位過ぎる」と、久しぶりに心が揺れました。深く考えた事のない方は、きっと頷くのではと思いました。この言葉でしたら、昨日の話の行き違いの口喧嘩の流れと思っています。テレビで言われますと、明日は我が身に、、、と思い始め、時代の流れにショックとまでは行きませんが不安が残りました。わたしも同じ思いは理解できますが、今はおばあさんが夢に出てくる時は、笑顔です。「あら、おばあさん久しぶりねー、お茶しない?」と夢で声をかけて目が覚めます。懐かしくも思うものです。ですから今を今のことで答えを出さないことも言い含めて欲しかったです。誰でも今のことに振り回されることが多いのですが、「今日言いたいことは明日言いなさい」と言うこともあります。惑わされない自分でいようと思いました。
急に友人から、須川温泉へのお誘いがありました。このところ、じいさまが首の痛みが始まり、本気の老いにお互いが立たされている感じです。ひとつ返事で行くことになりました。もう欲張りたくても、欲張れない頂上にいると実感です。わたしの腰も圧迫骨折して10か月、ムチ打つ気持ちで半年を畑に通いました。本気で働いたのではありませんが、とうとう膝に連鎖して痛み始めました。「ケー!?」と驚くばかりです。足の甲の関節に水がたまり、電気で治まりつつありますが、今年はまとめて痛い所が噴出しました。今日は一生懸命動いたご褒美と決めつけて、7時半に4人とモモと一緒で出かけて来ました。山は紅葉の始まりで、緑、黄色、赤とはっきりして新鮮な秋を感じます。台風の後も手伝って、温泉は混んでいませんでした。霊泉の湯に入りましたが、綺麗なブルーの透明感です。お湯が20センチくらいのパイプから、とうとうとお湯が流れて熱めです。友人と2人だけの大きいお風呂が、勿体ないくらい贅沢です。気に入りました。何度来ても、大衆風呂みたいな所と露店風呂でしたが、誰もいないお風呂に「ごーきーげーん」です。こんなに満足したことは無かったです。だんだん遠出の運転も不安となれば、ここまで来るのが難しくなります。歩けるうちは来ようねと約束しました。そして、麓で須川大根を売っているおじいさんが可愛かったです。欲張らないで家族を守る姿に、わたしも優しい歳を重ねられるのが目標です。
夕方にアユとサンマを頂きました。小ぶりのアユは50匹以上はあったでしょうか。息子さんが釣って来たとか言ってます。午前中にその友人と牧場のお湯に入ってきたばかりです。本当は15夜なのですすきと萩を取りにいったのですが、見事に家の前でお風呂気分と、じいさまのお泊りの心配で忘れてしまいました。結局友人が畑に行って、白い萩とススキを届けてくれました。申し訳ない気持ちです。それからアユとサンマを成敗しなくてはなりません。頭と内臓を離して流しの中を見たら、沢山の目玉が恨めしそうに私を見ているようで塩梅が悪くなりました。プロの魚やさんは、どんなおまじないで作業をしているのかと聞きたくなりました。尾も「さよならー」と言わんばかりにあっち向きこっち向きと並んでいます。考えすぎと打消しますが、魚屋さんに嫁に行かなくて良かったと思いました。わたしの仕事は和服の仕立てで、一番きれいな仕事でしたから、感慨深いものがありました。甘露煮が出来上がった時には、達成感があり征服した感じです。夕食は一人のなので2時間遅れです。今まで1日台所に立つことが無かったなと思いました。時代の流れで今は気持ちに余裕が出来たようです。その気にさえなれば、長時間の台所も悪くない気がしまいました。何でも挑戦することを、忘れないようにしようと心に決めました。お月見も甘露煮も手を抜くことなくやり遂げました。