今日は高校のクラスメートだった3人組で、3年ぶりのおしゃべりを楽しみました。お天気も良く駐車場についても、降りずに思いの丈のおしゃべりです。広いスペースに箱の字に大型店が5軒あります。ゆっくりすることもなかったショッピングを十分に楽しみました。情報交換の場となり、お勉強会です。それからランチとなり、あの若かりし高校生の雰囲気が戻って来たようです。逢うとすぐにその時間に戻れるので、御年を忘れそうです。それから川の公園の車内で、また、おしゃべりです。ぜんぜん飽きることもなく、わが生活情報発信です。いくつになっても、どの家庭にも、悩みのない家はありませんでした。お相手さんは 80,70、60代と違いますが、「あー、顔見なくてもいー」と思う所は皆同じであるのには、笑ってしまいました。結局は保守的な考えの仲良し3人組の仲良しでした。束縛されている人は誰もおりませんが、本当にいない方が良いと思う人もおりません。気の向くままが、一番心地良いのではと思いました。それぞれに人並みの荒波をくぐり抜けてきて、自分の信念を持ち通した友人が、輝いて自信もあり、頼もしく見えました。「類は類を呼ぶ」でよく似た3人組で、自分の城をきちっと守っていることは、自慢でもあります。明日からまた、リフレッシュして現実に立ち向かうことは、確かなようです。
今日はスーパーの駐車場で、約10年ぶりに知人に会いました。呉服屋さんの店員さんで、我が家に仕立物を頼みに来ておりました。「お変わりありませんか?」「5年ほど前に主人を胃ガンで亡くしました」。清楚で礼儀正しく、理想の女性です。農家のお嫁さんでおじいさん、おばあさんと同居です。就職した息子さんを呼び戻して、祖父母に協力してくれています。が、5十代で独り身は、体験した人ではわからない経験をします。「もう1度結婚したら?」と笑わせます。「おじいさん、おばあさんを送らないとね」。情もあり、優しさもあり、家族が出来上がって、申し分ありません。ただ、広い農地の維持は、大変だろうと思いました。祖父母は病気ながらも、「息子の分」と、手伝ってくれて助かると笑っています。ところが彼女は介護で仕事を休み、復帰が出来なくなり無職になりました。この彼女の肩に世の中のすべてが、重くのしかかる姿に愛おしく思いました。「愚痴をこぼしてねー」と、どこまでも謙虚な気持ちです。小さな肩を抱いて「頑張ってね、たまには遊びに来てね」。が精いっぱいです。お店に居た頃は、どの人にも優しく接していて、店主は安泰な時期を過ごしたと思います。一生懸命生きている人に、神様から与えられるご褒美って何だろうと、考えてしまいます。彼女には、「幸せあれ」と祈らずにないられませんでした。
女と言うものは、言わなきゃ気が済まない所があります。わたしは今まで聞き役が多かったです。誰にも言えない悩みや、困りごとで、解決方法も素人では答えもでず、ただ聞くだけでした。人の事を軽く論ずるのは、人と場所を、わきまえて言わなければいけません。どれ程の傷を受けて、悩み苦しむでしょう。言う人は感謝の気持ちもありませんから、気が付かずに一生を過ごすのかもしれません。自分に降りかかっても、気が付くことは無いのかもしれません。それも一生、これも一生でしょうか。結局は健康で暮らしていければと諦めて、落ち着くのを待つしかありません。この間IKKOUさんの「全力授業」を途中から拝見しました。説得力があり、話に隙がなく、吸い込まれていくのを感じました。7時間も討論したと仰っておられましたが、軸の修正には時間もかかると思いました。「言わなければ、伝わらない」。衝撃でした。相手を重んずる余りに、優柔不断だったと我が身を反省しました。だからと言って、大抵のことは我慢してしまいます。立場が違うと考えも違うと口は硬くなります。弟から電話が来て「変わりないかー?」「口が痛い」「帰ったら歯みがけよー、」「あははは」と大笑いしました。信じ合うことは、何を言っても揉め事は無いようです。
ここ2,3日で白菜、大根の収穫を終えました。雪はちらつきましたが、積もることはありません。今年の畑は3軒でしたから、行けば誰かいる感じで楽しみでした。そろそろ終わりに近づいています。畑には成長過程の細い大根と、菜類とねぎが残っています。長芋はじいいさまの植え方が悪く、立派は数えるほどでした。被災した友人の優れた働きもありますが、じいさまの影が薄かったです。じいさまは楽な方を選んだのでしょうか。進めても進めてもと尻は重く、お年を感じました。その点、女はもう少し欲があるのでは?と、思いました。今日はお天気に恵まれて、最後の長いもを掘りました。午前はお客さんで、友人2人が掘りました。午後はあと1mに一人で挑戦です。掘れども掘れども、唸るくらい小さかったです。ケチ神様が植えるとこうなると、じいさまを恨みたくなり、ひとり笑ってしまいました。来年は絶対に頼まないと、決心です。何事も、「気」を入れないと、お粗末な仕上がりが待っています。これからは老いていくだけかと思うと残念です。もっと生きいきと元気で、畑で動いていたいものです。ふっと、秋の寂しさを感じてしまいました。70の坂はもっと強く感じるのでしょうか。なって見なければ、、、、、の坂でしょうか。
先日NHKの番組で被災地の番組を放送していました。被災した68歳と63歳のご婦人が針さしを作って、スイスへ商談に行って来たことでした。被災した68歳のお母さんは、当時ショックで用が無い時は寝てばかりいました。「おちょこ」の土台に針刺しを作った作品に出逢い、刺激を受けた彼女の成長記録です。途中から見ましたから、先生のお名前は忘れましたが、女性たちの小さな意欲を救い上げたのでした。小さい町の中で精いっぱい頑張っても、視野的には小さいにすぎません。世界に発信できるすべもなく、頼まれ仕事は当然でしょう。徐々に創意工夫も自立も出始めて、スイスまで売り込むことに成功したのでした。わたしは救い上げる人を熱望していましたが、やはり世の中です。確かにおりました!!。なんと素晴らしい巡り逢いでしょう。良き指導者に恵まれれば、確実に人は伸びると実感しました。手を差し伸べて、引き揚げて頂いた先生に感謝したいです。彼女たちはスイスで、憶もせず堂々と売り込みました。それによって自信もついて、帰って来たときの笑顔は、明るく輝いておりました。小さな仕事から、世界へと羽ばたくことができました。追加注文もありました。日本の文化も優れていますが、世界への発想に感動しました。今までの積み重ねと、「救い上げる師」に巡り合った彼女たちに、エールを送ります。これからの難問にも合うかと思いますが、希望を持ったことは確かでしょう。