今年もあとわずかになりました。振り返ると「ありがとうございまいさした」しかありません。大地震の翌日には東京消防車70台と連日の自衛隊、パトカーに「ありがとうございます」しか言葉に出なかったです。どれだけの安心感を頂いたことでしょう。サイレンの音が聞こえると、幼子は泣くと聞いています。あの緊迫感は幼子でも伝わるのでしょう。隣の町から見ても夜空の彼方は、赤くなっていたことが忘れることができません。このことがあって「家族」「絆」「命」を初心に帰って改めて、どのみなさんも考えさせられたと思います。そして、情報を伝える新聞、テレビ報道関係者のみなさんに「ありがとう」です。どの人もどの関係者も一旦はどん底を目の当たりにしても、ほのぼの的な表現で癒されて、少しずつ立ち上がれたのだと思います。報道に惑わされた方もおられると思いますが、どの方も心を痛め、手を差し伸べて下さいました。本当にありがとうございます。今不安なことは,何年でも忘れることなく寄り添って欲しいと思うことです。甘えではありません。不安なだけです。どんな時代が来ようとも、一人より10人が寄り添うと安心ではと思ってしまいます。これから新たな「絆」と「団結」で進まなければ一人では不安で仕様がありません。テレビから震災関係が報道されないと、忘れられたのでは?、置き去りにされたのではと、一人ではトラウマになって心が折れそうになります。先導して頂くと安心してステップアップできます。本当に大変だったことを忘れないで下さい。この1年支えて下さったみなさん「ありがとうございました。この冬は乗り越えられそうです」。この災難が落ち着いて立ち上がるまで、何も起こらないことを祈ります。
じいさまが午後にカレンダーを見ながら、「20日かー、、、」と言うので、わたしはピン!ときました。「あっそうそう、宝くじ買ってきたら?」と言うと、そそくさと出かけて行きました。夜に弟から電話があり、じいさまのことをチクって笑いました。そうしたら弟は「あのCMはすごいぞ、よく聞いてみろよ,大金かかってんだがんなー」と言うので次の日から耳を傾けることにしました。西田敏行さんの通る声で「ねんまーつジャンーボ、ボンボン、ボーとしてたら買い忘れるぞー、ゾンゾン」」と歌っています。今まで聞き流して、歌唱力だけで頷いた自分が小さくなりました。宝くじに興味が無かったわたしは、何を伝えたいのか聞く気になりませんでした。よく聞いてみると秒単位の濃縮完璧大売出しと賞賛致しました。歌っている人も上手ですが、作詞作曲者の先生にも恐れ入りました。失礼ですがお顔を拝見したいと思う位に素晴らしかったです。乗せられて買うじいさまは平凡な人です。当たったらあれもこれもと思う反面、正直なじいさまはお金で首を絞めることにはならないだろうかと、当たる前から、夢が踊っています。ちなみにわたしの知っている人は、ちまちまと当たらない振りをして暮らしています。でも、何故か知っているわたしです。当たらず障らずが一番です。それにしても一度、1億円の重さを北海道の開拓銀行で持ったことがありますが、持ってみたいと思うこの頃です。母が「お金を取る人は使い方もしっているし、お金を取れない人は使い方も知らないんだ」と言ったことを思い出しました。お金で人生変わることも恐ろしく、気の小さいわたしは現実的にどこに収まるのでしょう。当たったらの話です。
師走ともなると、お世話になったお礼がてらの贈り物があります。わたしも自分なりに頑張った、身の丈の手作り野菜を送らして頂きました。友人の2人にも送りました。午前に電話を受けました。「母ちゃんみたいだ」と大喜びです。単品の箱ものは簡単で見栄えも良いですが、本心とは離れていて、平行線に思えるのです。自分で手を掛けた方が、お相手さんに伝わる気がします。かぼちゃも硬くて無理だろうと、切って冷蔵庫で保管し送る日を待ちます。白菜も、大根も綺麗さっぱりすると午前中終わってしまします。品を揃えて送ると1日終わります。それでも友人に「かあちゃん!!」と言われると、満足感があって今年のしめくくりを実感します。わたしも別友人に「かあちゃん」と呼ぶことがあります。やはり温もりを感じる時に、誰もが思うことなんだなーと、親とだぶって思います。姉にも送ると弟に言ったら、大きな大根とじゃがいも、下仁田ねぎと負けずばかりの自信作です。わたしもねぎの自信作を比べるように一緒に送りました。姉は笑っています。ねぎは切って冷凍庫入れて保存するように言いました。白菜、大根が場所をとったので箱に入りきれなかった、くるみ、じゃがいも、サトイモ、長芋、りんごなどは玄関で、出番はぐれとなりました。気持ちは山盛りなのに伝えきれなかったと残念です。だんだん買い物難民になる兄弟、知人に玄関まで届いたら軽い箱ものより、嬉しいと思うのはわたしだけでしょうか?。軽い物は残ってしまいました。母がしたように子もするもんだと不甲斐無さを感じます。高価なものはなく本当の粗品でも「かあちゃん」と呼んで喜んで頂ける皆さんに感謝です。
今日は同級生の女2人で友達の家へ遊びに行きました。朝11時に行く約束なので、途中の駐車場で待ち合わせです。じいさまとモモに車で送って貰いました。支度をして降りてくると、モモはわたしの臭いをを嗅いで追いかけます。お出かけが分かるのでしょう。先回りで玄関でお座りをして待っています。もたもたしていると、「早くー」と言っているように声が聞こえます。友人と待ち合わせして、町の遠い彼女に何かの手土産にと迷います。「今お店に来ているけど何がいい?」と聞くと断ります。「急ぐから早く言って、イカがあるけど、、、」彼女は運転無しなのでお役に立ちたいと念を押して結局イカとなり、添え物を買って行きました。お昼前には帰るから心配しないでと言ったにも関わらず、クリごはんとお煮しめを作って待っていてくれました。小さななのでコジンマリとしてとっても静かです。彼女のご主人が入院して手が回らない時に、交代で草を刈ったりと結いの精神が育まれていました。羨ましい限りです。御主人も一緒に話の輪の中に入り、一緒の食事をして会話も弾み、楽しいひと時を過ごしました。今まで話題にならなかったボケや病気の話題が多くなり、やはり、1年増しとはこのことかと、少し夕暮れ族と古い言葉を思い出しました。でも、同級生とは何を言っても安心感から解放的で、尽きることはありません。御主人が今度3人で温泉に泊まりに行って来れば、、、と言って頂き、有難かったです。帰りは小まめな彼女の手作りを頂いて帰って来ました。わらびの塩漬け、山きのこの塩漬け、梅干しと綺麗に漬けてありました。今しか遠出できない時間を大切に過ごしたいと、改めて思いました。帰りは反対方向でしたが、我が家まで20分送っていただきました。やはり同級生は有難いです。
今年も早いもので、学校は来週頃から冬休みです。お正月には長男家族の5人がやって来ます。電話口で「何をしてあそぶ?」と聞いたら「おばあちゃんとおすもう!!」「絶対勝つからー!!」と黄色い声で言い、元気がいいです。ところが、わたしが勝つので複雑な気持ちです。年長さんですからわたしが負けて当然です。でもすぐに座るので勝ってしまうのです。勝たせてあげたいと思う反面、いやいやと勝負にでます。迷いますが勝負心も教えたいと、ふとんの上で向き合います。今度は座り相撲の方がいいかな?とか期待が膨らんでいます。泊まりにくれば必ず相撲です。じいさまは手加減するから、孫も手加減をして面白くないのだそうです。今度は一段と上達して来るかもしれません。一人ニンマリしていると、そこへお隣のおばあさんがやって来ました。「今日まだ、あんだの顔見てないから見せて」と入って来ました。そして相手をしてくれるから有難いと、「あんだ神様だ、拝むようだ」と手を2度合わせて、わたしを拝むのです。5分位他愛もない話をして帰って行きました。1日一回顔を見ないと安心しないのでしょう。毎日続いても今年もあとわずかになりました。帰ってからじいさまに、「わたしに神様だって、グレードアップしたかも」と、言ったら「お仏さんなんだ」と言いました。じいさま目線を笑うしかありません。勿体を付ける訳ではありませんが、神様が心地よさそうです。おばあさんんのことは、歩けるうちは元気な証拠と苦にならなくなりました。それにしても遊び相手の年の差は、80年と幅が広いのには自分でも驚いています。
今日は、新しくパソコンを買いましたから、年賀状の住所録を作りました。前のハードソフトには入っていますが、勉強がてら入力しました。新しいのですが、手探りでもなんとかやり遂げることができました。ソフトは素晴らしい進歩です。読解力のないわたしはぎこちないです。友人が来てお茶しても、だんだん慣れてきて流れもよくなりました。夕方、電話が来てじいさまが受け取ります。「はい、、、インタネットは使っておりませんから」と言って切ったのです。「あれ?!」と思い、用事を聞きました。「インターネット使っているか?って聞くから使ってないと言っただけだよ」と平常心です。わたしは毎晩パソコンに向かっているのを、何と感じているのかと不思議でした。呆れるやら,可笑しいやらと複雑です。完璧な「おじいさん」に、はまってしまったようです。むむむむ、、、。と思いつつ、心の内では大爆笑です。わたしよりも横文字には疎いし、騙されたくないバリアで気をを張っています。じいさまは、わたしの物忘れの酷さを「なーモモ、お母さん大変だなー、老人ホームだなー」」と揚げ足を取ります。わたしはじいさまの時は黙認しますが、じいさまは大騒ぎします。こうやって老い比べの坂を歩かないと、あの世へは簡単には行けそうにありません。気持ちだけでも迷惑掛けないようにと、自分に言い聞かせておきましょうか。じいさまより先に、あの世に行くわけにはいきません。絶対に!。ここは国道沿い、じいさまのみすぼらしい姿は見せたくありません。と言いつつ、じいさまより長生きしたいわたしです。
モモは毎朝、新聞配達に同伴するものだと、インプットされているようです。玄関前に置いてある新聞を入れると、入れ違いにトイレに出かけて行きます。帰って来ると小さな声で吠えます。中に入れると、折込をしている私の後ろのストーブの真ん前に、お座りして特等席です。席を譲ってわたしが下がる形です。折込が15分位かかりますが、モモはそれに合わせて直ぐ帰って来ますから感心です。20分の配達が終わって後1軒と言う時に、路地にいる何かに吠えて、噛もうとしています。リードを離さなくて良かったです。慌てて懐中電灯で照らしてみると、立派な「たぬき」でした。たぬきも必至ですから、猫が唸るようにして手を出して、猫のように泣いています。デブ猫より一回り大きい感じです。モモも負けてはいません。掛かろうとしていて勇ましく見えます。モモはどちらかと言うとお嬢様です。形の大きいものも、テーブルにあるのも食べません。勇ましさは初めて見るので頼もしく見えました。モモは雑種でも、獣医さんに管理されていますから、雑菌には及びません。「お仕事、お仕事!」と言って離れました。戻って見るとたぬきはいませんでした。野生化は凄んで、絶対目を離しません。モモは優しいから負けてあげたという感じです。国道ですが、路地から出て来るとはねー。本当に驚いた瞬間です。7時半にカーテンを開けたら、「コココー」と聞こえるので空を見上げたら、白鳥7羽が列を組んで飛んで行きました。生き物はみんな必死なんだなーと眺めて送りました。気仙沼方面から来ましたから、震災で比べものにならない位変わり果て、川には橋の付け替え工事がありますから、とても落ち着けません。隣町の田んぼに落ち着くのかなと思いました。悲しく泣いているように聞こえ、たぬきも白鳥も生き抜いて欲しいと願いました。
友人がネットで毛糸を買いました。これで800円!と本人は大喜びです。「分けてあげるから編まない?」と言っています。畑も終わった頃から、3月頃までに1枚、それも簡単な編み方の手編みです。去年はかぎ針でベストと鎖網の帽子2枚編みました。夜だけの1時間で目も疲れるので、程ほどしか編みません。来年用になるのが直ぐ分ります。編み物を始めるきっかけも彼女のお蔭です。もう4年になりますが上達出来ずとも焦らないこと、で続けてます。20代の時に機械編みの教室に通い、手編みもレース編みも基本だけで挫折しています。この年になって、年寄りの手習いです。でも、今少しでも手に覚えさせないと、何もなくなった時の時間の過ごし方を考えてのことです。お年がもう目の前に表れてます。第三者から見たらもう来ているかもしれなし、気が付かないで過ごしているかと苦笑です。 過度のお茶のみをしなくてもよいように、修業に専念しています。意を決して本を買ったり、友人から聞いたりとベストまで編めるようになりました。今回は、「古毛糸には細い糸2本一緒に編むと丈夫だよ」と2種類も頂きました。大器で聡明な彼女にはただただ頭が下がります。早速編んで見ましたが、去年より上手になった気がします。今年の彼女はもう何枚も編んでプロ並みです。人とは比べない、をモットーに自分なりに頑張っています。いいぞいいぞー!うさぎよりカメで行こう!目が一番大事!。それにしても、これ以上の近眼も老眼も酷くならないように気を付けたい所です。
友人から美味しいお菓子が届けられました。東電に勤めていましたが、定年で退職して5年たっています。すっごい責任を感じて、個人で数人から沢山の衣類を集めて2回程、春用と夏用が送られてきました。今回はボランテイアに励んで頂いたお礼にと、ご丁寧に送って下さったのです。早速お礼にと電話をさし上げましたが、3回目でやっと連絡がとれました。電話口は彼女の明るい声が聞こえてきます。留守だった言い訳は、彼女ならではの人柄が表れています。「たっきーって知ってるでしょ?。旦那が北海道から出て来ると言うので、同級生に声を掛けてみんなで集まったのよー」4,5人はすぐ集まって、挙句に息子さんが栃木に居るので、会ってから帰ると言うので夫婦と友達で送って行きました。トン子は3日も家に泊まって行ったよーと笑っています。本人ならまだしも、友人の旦那さまにも熱い思いやりです。3日間も遊んだと笑っていました。会話もすっごく楽しくて、昼からお酒を飲んだと興奮冷めやらずです。本人はお酒は飲めないのに、付き合えるから立派です。電話に出られない理由が、よくわかりました。いつでもどこでも彼女の周りには友達が集まります。全員明るいいのですが、超明るい彼女は幸せを運んでいるようです。周りまで明るく出来るのは、東電の電気以上の明るさではと、わたしの気持ちまで明るくなる電話でした。電話を切り終わっても、明るい電話にしばし余韻があり、明るさに勝るものはありません。笑う門に福来たるです。
夕食を食べている時に鼻で笑いながら、昨日出勤した時の話をしました。ドアを開けた時に笑い声がありました。事務室3人で、今度結婚する時は誰と結婚するかで、盛り上がっていました。男性一人と女性2人です。話の流れは分かりませんが、多分盛り上がっていた時に入って行ったと思います。そして女2人は、じいさまを指名したと照れながらほくそ笑いです。私から見れば(ばーか、リップサービスだよ)と言いたい所です。しかしじいさまにも人格とプライドがあります。口が裂けても言えません。「理由は?」と聞いたら、小まめに気が付いて動くし、何事も嫌わず動くから」なそうです。は~?と疑ってしまいました。腰が軽いことは認めますが、[気が付く」で「?」が付きます。家では大体わたしが指令6割を占めます。後の4割ねー?。そこが職場で頑張っているんだと思いました。まとめると、女性の多くは、動いてくれる男性を求めているのだと思いました。確かに動いてくれますが、お金を稼ぐ人は、家にいることが少ないのではと感じました。じいさまは「あー」と言っただけなのに、もう足とうとしています。慣れたわたしは動く前に声が出る癖がついています。夫婦になって43年ともなれば、それなりの形に収まってくるのでしょう。ここに来て嘘でも1度の結婚指名を受けた経験は、この世に存在していた証のようで、相方としてはどこか気も悪くありません。じいさまに騙されておこうと、褒めてあげました。心の内はわたしは別人にしようかと迷っていることを、口にしないよう心では歌を歌っています。