年を重ねるごとに睡眠時間が少なくなってきました。5時間ぐらいでしょうか?ゆっくり寝たいと早めに寝ると3時ごろには目が覚めます。お医者さんから軽い薬を頂いて飲むこともありますが、あまり飲む気がしません。旅行まで後3日と言う時に喉の痛みが出てしまいました。疲れも出たのでしょう。今月は来客があったり、畑作業がいっぱいありましたから、気をつけていたのにも関わらずうーんと眉をひそめて悩む所です。家を空けるとなるとあれもこれもと目についてやることばかりです。昨日は庭木の選定をしました。モモもお手伝いとリードを離しました。安心していたら近所の幼児にモモが遊んで欲しいとまつわりついてしまいました。傍に行った時にわたしから離れないと安心していたら初めて道路を越えて広場で遊んでいます。リードを持って捕まえようとすると一定の距離を保ちながら逃げて捕まりません。夕方になって薄暗くいつもは夕食の時間なので腹の立つこと。中学生のマラソンの練習も解散になりわたしとモモの追いかけっこです。諦めて帰ろうと追いかけなかったら5メートルくらいで追いかけてきました。モモに足元を見られるようになって教えから教えられるようになったと痛感しました。その後は勿論お仕置きが待っています。そのせいで風邪を引いた気がします。今日は念のため病院に行ってきます。ブログは落ち着いてからと思っていますので暫くお休み致します。
いよいよ次男の招待旅行が近づいてきました。切符と衣類も揃えてスーツケースに入りました。新聞配達のお休みを頂くために、友達でもある社長夫人にお願いしましたら「そんな親孝行する息子はそうそういないよ。楽しんできてね。」と言われてその気になって喜びを実感しました。それまでは、迷惑かけるのでは?とか飛行機は大丈夫か?とか不安でしたが、彼女はいつもわたしの背中を押してくれます。それを聞いた別友は荷物確認のお世話にやって来ました。彼女は旅慣れていてアドバイスが的確なので安心です。リュックが小さいのではと夜「あげる」と言って持って来てくれました。本当に皆さんに支えられて生きているんだと考えさせられます。全部息子へおまかせコースとお願いコースです。頻繁の連絡もなしでどんな旅行になるのでしょうか?姑が亡くなって1年後に京都見物に招待旅行があり金閣寺、清水寺、俵屋さんに宿泊させてもらって大感激しました。今でも毎年俵屋さんから、暑中見舞いのはがきを頂き毎年感激しております。今回は屋久島、沖縄に連れて行ってもらいます。次男のの財布の心配をしましたが、あえて聞かず甘えようかと思います。低所得で子供達には最低ぎりぎりで育てましたから申し訳ない気持ちで一生終わりそうです。すみません。貧乏は肥やしだからの一押しでねじ伏せて前向きの生き方だけしか教えられませんでした。それだけの親でごめんなさい。旅行はよろしくお願いします。
この小さな町は自然いっぱいで空気も美味しい申し分のない所です。学生のマラソンや塾の合宿も都会からやって来ます。ある晩モモが吠えるので外に出て見たら若い学生が大きなバックを肩に掛けてうろうろしていました。モモに注意して防衛反応が邪魔してしまい、わたしは言葉をかけずに家の中に入りました。その後、じいさまと姉妹が蛍の探検散歩に行ったのでわたしは9時には布団の中に入りました。うとうとして気持ちの良い所を「おかあさんお客さん!」と呼ぶので下に降りて行きました。びっくり、さっきの学生!!。理由を聞いたら合宿の場所に電波が届かず連絡がとれなくなった、と言うことでした。1時間半も街路灯の下で右往左往、動けば犬が吠えるし聞くに聞けないで困っていたのでした。固定器の電話でやっと連絡がとれてすぐに迎えの車がやって来て一件落着です。それから7日くらい経った晩、モモが吠えてインターホーンがなりました。ドアを開けたらこの間の学生が左手が骨折したのか固定されています。「どうしたの?」と聞いたら、部活の野球があり東京へ戻り、スライデイングして親指の付け根が骨折したとのことで同情しました。勉強と野球と両立して頑張っている学生さんでした。母からと渡されたお礼の手紙とお菓子を頂き感激しました。最初に我が家から電話を掛けたところはお母さんでした。??と思っていましたが、初めての1人旅だったのか、余程心細かったのでしょう。母から教えられたのか、それから落ち着いて合宿に連絡をしていました。久々の中3とはフレッシュタイムを頂いたようで新鮮な会話で弾みました。彼にとっては大事な経験をここで体験して良かったなーと思いました。みんな前を向いて歩いているのです。経験から学んで頑張ってください。
じいさまと朝仕事に久々の畑作業に行きました。泊まり客が来て収穫するだけで精一杯でしたが、大根を蒔きたいと思いきや、草の丈がねぎを越えて可愛そうになり、鍬でとって一輪車で一定の場所まで運びました。10日も来ないと草が仇をとったように伸びていて作業がはかどりません。いつかテレビで観たことがあります。草の手入れをしないと草が地球を覆ってしまい、山の手入れをしないと竹で絶滅すると、恐ろしいと思ったことがありました。荒れるのは10日足らずです。3畝全部をやっと終えた所で家から半分に切ったスイカを食べようと車へ行ったらありません。「スイカは?」『食べないと思って捨てた、』「え!!?」スプーン入っていたでしょ?」『うん車にある』呆れてしまいました。ラップしてスプーンも入っていたら、、、、、。じいさまは空気が読めない。分かっていたことですが自作のスイカなのでがっかりです。じいさまは捨てた所のかぼちゃの葉をひっくり返して『ほら!!』。水は持ってこないし、おなかが空いていたので、ラップを取り外して包丁で1センチほど深く切ってそれを半分に切ってスプーンで食べました。植えてあるメロンをみたら熟していたので又切って食べました。自分で作った野菜はどれを食べてもいとおしく、美味しいです。お互い横向きになって無言でしたが、最後は美味しい!。と一緒に発して笑ってしまいました。のどかな朝仕事でした。
今日は16日でお仏さんのおかえりです。味つけきのこご飯とかぼちゃ煮となすの素揚げとオクラのおひたしの料理で送りました。お盆はおじいさん、おばあさんと一緒に暮らした頃が懐かしく、一緒にお茶を飲みたいとお盆が来ると思うのです。『一緒にお茶しようか」と声をかけます。いろんなしがらみを乗り越えて、一段一段クリヤして今日まで来たことに、家族にさせられて良かったと感謝しています。舅、姑になって、気がつき、一緒に暮らして学んだことを今度は他人から家族になった嫁さんにお手本とまでいかずとも、先頭にならなければいけないと思いますが、戸惑うこともありません。それなりにクリヤの気持ちでお互いに手を出し合って乗り切っています。その時に嫁の立場を経験して良かったと思いました。24時間いつも一緒でしたが、気ままにさせて頂き、その中から要領の工夫を覚えました。嫁の経験を上手く引継ぎできたらと思うときがあります。決して強制してはならないと自分を戒めて、なんでもありと気持ちを緩めています。嫁さんの気持ちが手に取るようにわかるので、嫁で経験してクリヤした人だけのご褒美だと思います。おじいさん、おばあさんは針一本の人生でした。今になってもとても追いつきそうにもありません。キャリアウーマンのベスト1でした。お仏になって7年、おじいさん、おばあさん本当にお世話になりました。
泊り客が9日に帰り元の生活になると思いきや、12日頃から通る人の半分以上の方に吠えるようになりました。今までは杖や傘を持った方々でしたが、子供から年寄りの誰にでもですから窓から静止しても回数が多いので疲れてしまいます。とうとう昨日から玄関に入れることにしました。廊下には上がりませんが、お客さんが来るたびに吠えるので、申し訳ない気が致します。赤ちゃん帰りになったのでしょうか?じいさまは優しくなだめますが、わたしはヒステリーの一歩手前にいきそうです。2日間の留守が恐怖感を与えたのでしょうか?困ったものです。又、手探り状態に戻りました。お盆なので倍は歩いているのは確かですが、町の雰囲気と違った人が分かるのでしょうか?美人さんにも吠えてモモの気持ちが分かりかねます。
ここ数日はニュースが満載しすぎて頭の整理が追いつきません。地震だったり、台風だったり、覚せい剤だったり、選挙だったりと軸がふらふらている気がします。下っ腹に気を入れて深呼吸して空気の入れ替えです。どんな落とし穴にはまろうとも、と思っていても不意の自然災害にはかないません。お盆行事に集中とばかりに難しく考えることは棚上げです。じいさまは高校野球の応援に必死です。時間の隙間があるとすぐテレビの前で応援です。盆棚は時間の空いている時にと2日も前にかけましたから余裕でテレビを見ています。余裕は気持ちをリラックスできるのでぶつかり合うと言うことは無いに等しいです。祖母が亡くなって一ヵ月後のことです。山も崩れるくらい大きな地震がありました。コタツで居眠りをしていたわたしは、立ちくらみが怖いので這って玄関に行きました。誰も外に出ていませんでしたが、後から隣のお母さんも出てきました。『お宅は若い人たちもいるから我が家を一緒に点検して欲しい」と2人で入って行きました。位牌の段飾りは位牌が倒れているだけ、台所は少しと神棚もすこしと寝室のテレビは落っこちていました。一ヶ月後ですからなんのお障りかと不安な気持ちになりました。落ち着いてから隣組の1人暮らしに声をかけて電話の応対をして2時間後にじいさまが心配して泊りから戻ってきました。老人はみんな大丈夫だと言いつつもびっくりしてベットの上に立っていた人もあったそうです。「今晩わたしを泊めて、明日早くかえるから」と頼んだら『職場に泊める馬鹿がいるか』と起こられてしゅんとなりました。間もなく反対隣のおばあさんが「我が家で寝なさい」と言われて泊めて頂く事になりました。ぐっすり眠れたことを覚えております。人は1人では心細いのです。隣組が大事と次世代に申し送りしたいです。
じいさまの姉妹と弟で6人が泊まりにきて無事7回忌も済ませました。久々の全員集合の上に孫まで揃いましたから賑やかでした。みんなで11人は同じ屋根の下で枕を並べわいわいがやがや。孫2人はヤッターマンの歌を披露し拍手喝采のおひねり付きです。息子はそれなりに時間のペースを崩さず孫のお世話をしていました。後に残った姉妹2人とわたしとじいさまの運転で県北にある龍泉洞と北山崎まで一泊どまりで行って来ました。モモのお世話は友人にお願いして行きましたが、夜は隣どころか、遠くまで夜鳴きが聞こえたそうです。帰ってくると信号からウインカを点灯したらなんと!お座りして尾を振って遠慮しながら鳴いているではありませんか。思わず抱きしめたくなりました。来るか来るかと流れる車を見ていたのでした。すぐオシッコタイムへ行きましたら、うんちを我慢していたようです。次の日、なんかうんち臭いと辺りを見ても見つかりません。じいさまが見つけてよく見たらうんちの上に平な幅広い石を乗せておりました。夜になってもゲージで寝ていると不思議に思い全部小屋の外に出して調べたら座布団にうんちがくっついてあり、座布団を離したら小屋に入ってお腹を上にして高枕で寝ています。茶の間には入れないことに決めましたから『ハウス』と言うと後ろ髪引かれながらも小屋に入りました。暑くて可愛そうと思い、玄関に入れて『待て!』をすると1時間も寝たり遊んだりして高さ20センチの廊下に上がって来ません。本当に利口なモモにめぐりあいました。友人に感謝です。