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ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

夢見:親なき子

2024年02月18日 | 浅き夢見し

「私」は4歳から19歳で家を出
るまで15年間暮らした横浜の
実家近くを浮遊しています。


夢日記をつけるうちに気づい
た自分の身長より1、2mほど
高いところから見ている独特
のポジショニング。さらにそ
のまま移動していくので、ま
るでドローンになったよう。


母校の小学校が見え、通学路
を抜け、見知った風景の中を
かなりのスピードで通過して
いきます。通常の夢の中での
移動より遥かに速く、それは
見えているものに興味がない
証拠でもありました。先を急
ぐあまり見過ごしているだけ


ただ心の中で「ここにはもう
来ない。ここには戻らない」
と繰り返し念じており、最後
のお勤めとばかりに何の感慨
もないまま通り抜けました。


=============


2月3日節分の日に母が91歳
で他界しました。日本に飛び
8日に葬儀を済ませ、NZに戻
ってから自宅で見た夢です。
母が亡くなりちょうど2週間


ドローンのように飛んでいた
のは「私」だったはずなのに
目覚めた瞬間にそれは「母」
だったと感じました。成仏す
る前の見納めだったのでは。


夢は幽体離脱体験だと夢日記
をつけるにつけ深く実感して
いますが、帰る肉体を失った
「母」が「私」の身体と思考
を借りて飛んでいたかのよう


最後のお勤めと感じたのも感
慨がなかったのも「母」とい
う客を乗せていたからで、た
またま「母」の視線と思考を
共有するところとなったのか
まるで夢の中のUberです。


=============


15年間暮らした横浜の実家と
ここに書き出してみて改めて


あれはたった15年だったのか
と愕然とするほど、子どもの
私には長く辛く苦しい日々。


不仲や仲たがいというにはあ
まりにも不公平な親子の関係


年端もいかない子どもにとり
我慢以外の選択肢はなく、私
は自分を守るために心のシャ
ッターを下ろしていました。


家を出ることで私は別の人生
を切り開くことができました
が、母の思考は堂々巡りで私
を疎む気持ちは年を追うごと
に強まっていったようです。


=============


「あれは母の視線と思考
と気がついた直後に、今度は


「私は子どもではなくなった」
という突拍子もない発想がど
こからともなく降ってきてな
んとも清々しく感じました。


子どもとしての義理は尽くす
というのが私の揺るぎない方
針だったので、疎まれても関
係を保ち葬式も出しました。

(※母の母のものと思われる
に包まれての旅立ちでした)


天井の低い家から外に飛び出
し青天井になったような気分


物心ついたときから閉まりっ
ぱなしだった心のシャッター
が初めて開いたのでしょう。


母の冥福を祈ります。


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夢見:離婚相談

2024年01月11日 | 浅き夢見し

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


超マイペースブログですが、
今年も続けていく所存です。


暮れのドタバタ以降すっかり
ご無沙汰していましたが、こ
こ最近また思い出せるような
夢を見るようになったので、
唐突ですが今朝の夢日記から


=============


「私」は自宅のキッチン兼ダ
イニングに潜んでいました。


別に隠れていた訳ではないの
ですが、他に身の置き場がな
かったのです。隣の寝室兼リ
ビング兼夫の仕事部屋の1室
には夫のクライアントがおり
先刻から話し込んでいます。


まるで学生の下宿のような家


「私は離婚の専門家ではない
のでこれ以上のことはよく調
べた方がいいと思いますが」
という夫の声が聞こえます。


男性は奥さんからいきなり三
下り半を突きつけられ、別れ
ざるをえなくなったようで、
まだ信じがたいのでしょう、


「突然ですよ。手書きの手紙
もらって。ビックリですよ」
と大きな明るい声で話すのが
「私」にも聞こえてきます。


部屋には2人の布団が敷きっ
ぱなしで足の踏み場もなく、
「これはマズい」と思ったも
のの夫も男性も気にする様子
はなく、男性は小さな椅子に
座り前屈みで話しています。


「彼は画家なんだ。確か版画
家だったんじゃないかな~」


男性が帰った後、夫は淡々と
言い、足元にまで迫った布団
には目もくれませんでした。


「じゃ、行ってくるね。」
「ああ、気をつけて。」


「私」には出かける用があり
家を出ました。出てみるとそ
こは50~60年代風の3、4階
建て低層アパートメントで、
エントランスを出ると階段が
あり、目の前はビーチです。


かなり大きな観光地のよう。

(※こんなイメージ)


いつの間にかクライアントの
男性がボードショーツに着替
え上半身は裸で、同年配の40
代ぐらいの男性と「私」の前
を歩き階段を下りています。


「観光地とかにも卸せば1000
枚ぐらいは行くと思うんだ」


という男性の声が聞こえ、版
画なら大量生産も可能なのか
と思いながら、真っすぐビー
チに向かう彼らを見送りつつ
「私」は右に向かいました。


=============


男性にモデルはなく、離婚の
経緯もわかりません。「私」
には男性の当事者意識のなさ
がただただ驚きで、彼の後を
歩きながら愕然としました。


まるで交通事故にでも巻き込
まれて困っているかのようで
奥さんがどんな気持ちで手紙
をしたためたのか、この人は
一生理解することがなく、そ
れこそが夫婦の最大の問題な
んだろうな、と感じました。


前日に女友だちたちと、哀し
みと癒しについて話していた
からこんな夢を見たのか


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夢見:ハワイの被災者

2023年08月18日 | 浅き夢見し

「私」と夫は空き家になって
いた2階部分を急に貸し出す
ことにしました。家は古い木
造の洋館で、板壁はペンキを
塗った方が良さそうですが、
急ぐのでそのまま貸すことに


すぐに家族連れがやって来て
一番大きい部屋に入り、次に
母親と子どもがやって来まし
た。一番小さい部屋に案内す
ると「ここでは小さすぎる」
と言われ、真ん中の大きさの
部屋に入ってもらいました。


「小さい子がいる母子家庭」
と聞いていましたが、小学生
の子どもが2人いて確かに小
さい部屋では狭すぎました。


私たちの会話は淡々としたも
ので、入居者は疲れた顔で部
屋に入りドアを閉めました。


「3家族目は何人だったっけ」
3部屋の一番小さい部屋しか
残っていないのが心配になり
この人数でバス・トイレ、台
所が1つなのも不憫でした。


最後の家族がやって来る前に
夢から覚めてしまいました。


=============


「2階ってこんなだったっけ」
久々に自宅の2階に上がった
時にそう感じたぐらい、その
家はNZの木造家屋とは違っ
て見えたものです。なぜなら
その家はハワイだったから


8月8日に発生したマウイ島の
山火事はハワイ王朝の古都ラ
ハイナを焼き尽くしました。

(※カメハメハ3世時代の首都)


執筆時現在の犠牲者は111人
ですが人口1万3,000人のラ
ハイナでいまだ1,300人の安
否が判らないと言われます。


ラハイナはコロナ前の2019年
に初めて訪れ、夫婦で大いに
気に入り、今年2月にも再訪
していました。何度も何度も
行くつもりだった町が焼失し

来る日も来る日もラハイナの
ことを考えているときの夢。


「募金するならぜひここに
という募金先(詳細はコチラ)
を見つけた夜の夢でした。



ハワイに家があり、空き部屋
に被災者を受け入れるという
まさに夢のような設定です。


心身ともに疲労困憊して言葉
も出ない人たちがリアルで、
「私」もまた言葉少なでした。


犠牲者のご冥福と町の復興を
心からお祈りいたします



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夢見:捨て子

2023年06月28日 | 浅き夢見し

すっかりサボり気味ですみま
せん。今週末からNZは冬休み
に入ることもありチャリティ
ーショップに寄付するアクセ
サリー作りに励んでいます。



1点平均500円でも10点なら
ば5000円の寄付になり、孫
のためにじいじばあばの財布
の紐が緩む学校休みは商機


子ども向けを意識しながら在
庫の積み上げに勤しみます。



とはいえ、印象深い夢を見た
ので記録に残しておきます。


=============


思い出せるは夢の途中から。


「私」は雨の中、知り合いの
不動産エージェントと道端で
立ち話をしていました。近く
で赤ちゃんの泣き声がして、


「捨て子かしら?」
と信じれない気持ちで言うと


「最近そういうのがよくある」
と不動産屋は冷淡に言い、雨
の中を小走りに行ってしまい
ました。彼とは最近リアルに
不快な思いをしたばかりで、
夢の中でも「こういう人だっ
たんだ」と失望しています。


赤ちゃんはすぐに見つかり、
生後1ヵ月ぐらいに見えまし
た。おくるみごと雨に濡れて
いましたが、大きな声で泣き
「助けられる
と直感し家に連れ帰ります。


家は2021年まで住んでいた旧
居で、夫と息子以外に40年来
の付き合いの、気心知れた日
本人の女友だちもいました。


「私」が連れ帰った赤ちゃん
をみんなでのぞき込みながら
「大丈夫、大丈夫
と彼女が力強く言い、慌てて
必要なものを買い揃え、唐突
に子育てが始まりました


赤ちゃんは数日で見る見る育
ち嬉しく思いつつ心の中では
「役所に届け出なきゃ」
と思っていました。なぜか警
察ではなく役所で、自分で育
てるつもりだったようです。


何日後かに猛烈に忙しい日が
ありました。息子が引っ越し
て行くらしく、1日中目まぐ
るしく動き回っていました。


夕方になり女友だちが仕事か
ら帰って来ました。彼女の顔
を見たとたん血が引く思いで
「きょう、赤ちゃんに1回も
ミルクあげてなかったわ。」
と言うと彼女はこともなげに
「大丈夫、大丈夫
と、出かけなくてはいけない
「私」の後を引き受けました。


「赤ちゃんって1日ミルクを
飲まなくても平気なもの?」
「でも1度も泣かなかったし」


外に出てからも混乱していま
したが、後は友人に託そうと
覚悟を決めました。そして、
「本当に役所に届け出なきゃ」
とそっちが気がかりでした。


=============


今の時点では意味不明な夢


以前、還暦を迎える友人が
ちゃんになって夢に登場
した
ことがありましたが、今回は
私の覚悟の方が焦点なのか


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夢見:無数の椅子

2023年06月03日 | 浅き夢見し

「また椅子


夢の中でさえそう思っていた
無数の椅子がこちらに向いて
びっしりと並んでいる光景。


確かタイ滞在中の夢で最初の
光景を見た気がします。スト
ーリーは何ひとつ思い出せま
せんが、黒光りした重厚なチ
ーク材の硬そうな椅子がこち
らに向かって並んでいます。


暑い南国にありがちなまった
くクッションのない椅子。汗
ばむ場所には適していますが
如何せん硬くて座りにくい💦


2回目か3回目は、素朴な木製
の椅子が教室のような部屋の
真ん中に寄せ集められ、これ
もまた無造作に、こちらに向
いてぎっしり並んでいます。


「私」は夢の中でさえ
「クライストチャーチみたい」
と思っていました。


白く塗られた185脚の椅子

それはクライストチャーチ地
震の犠牲者1人1人に捧げられ
メモリアルアートでした。
(※現在展示は終了しました)


しかし、夢の中の椅子は死者
を連想させるものではなく、
ただただこちらに向かって無
言で並んでいるばかりです。


=============


同じような光景を確か3回見
ました。どれも夢の内容は思
い出せません。ただ視界いっ
ぱいの椅子、座ることを迫っ
てくるような圧迫感、そして
どれにも座らなかった「私」
という点が共通しています。


何回も見て思うに「あの椅子
はタイの残像だった」という
こと。活気あふれるバンコク
はどこも人、クルマ、バイク
に広告、看板、さらにそれら
を取り巻いている高層ビル群
で視界が覆われていました。



思考を許さず、とっさの判断
が無限に求められる光景が無
数の椅子として登場し「私」
は座る場所が見つけられず、
居場所がなかったようです。


そこには焦燥感や疎外感とい
った感情は一切なく、夢の基
本形である傍観者として、眺
めて、消え去るだけでした。
旅行者もまた同様でしょう。


かつてはこよなく愛したタイ
でも今の私に居場所はなく、
「タイは若いうちに行け」
というタイ航空のコピーは格
言だった、と気づきました。



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夢見:飯田橋

2023年06月02日 | 浅き夢見し

思い出せるような夢は何ひと
つ見なかった、タイ旅行中



戻ったとたんに怒涛の夢見。


ところが今度は多すぎて長す
ぎて思い出せない(笑)ただ、
夢を見続けていたことだけは
しっかりと記憶にあります。


夢見は自分のベッドが最強


何本立てかで見たのですが、
思い出せるシーンを追うとー


=============


「私」はどうやら日本にいる
ようでした。どこかに行きた
く、グーグルマップで検索し
ようと、自分のスマホ(珍し
く携帯してた!)や、どこか
でもらったらしい不思議なノ
ートパソコンに地名を打ち込
みますが上手くいきません。


自分ではIidabashi(飯田橋)
と打っているつもりなのに、
スペルが勝手に大文字と小文
字のミックスになってしまい
なかなか検索ができません。


宣伝用にもらったらしいノー
トはリングファイルにペラペ
ラのモニターが数枚綴じてあ
り、1枚1枚に検索窓があり、
Iidabashiと打ち込むと稚拙
で怪しげなサイトに誘導され
ます。中には中国語サイトも
あり怖くなってやめました。


=============


飯田橋は学生時代3年間アル
バイトで通った場所です。し
かし、記憶に残る地名として
登場しただけで、場所そのも
のには意味がなさそうです。


これがまったく土地勘のない
地名だったら、覚えているこ
とはなかったことでしょう。
(※覚えていても意味ない?)


行きたいところに行けずに不
安なはずなのに、なんとなく
諦めてもいて、焦りはありま
せん。近くに人の気配もあり
どこか安心してさえいます。
それは長男だったようです。


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夢見:命の灯

2023年05月14日 | 浅き夢見し

「私」は死期迫る熟年男性と
知り合いになりました。年齢
からすれば高齢者なのでしょ
うが、そんな気配が微塵もな
い、洒脱で能弁な人でした。


闊達な雰囲気と裏腹にふとし
た動作が緩慢だったり、一呼
吸置かないと動けなかったり
して、男性の健康状態への配
慮が怠れませんでした。しか
し、それがなければ男性のこ
の世の日々が限られているな
どまったく感じられません。


ただ男性は痩せていました。


「私」は時間がないのを惜し
むように話し続け、「もっと
早く知り合えていれば」とさ
え思いましたが、男性はこち
らの急いた思いをくみつつ淡
淡と受け応えをしています。


「病気に同情してるのかい」
と時には厳しい質問も飛び、
「私」はできる限り真摯に誠
実に接しようとしています。


それが死と向き合う重圧に黙
って耐える男性に示せる、唯
一の誠意に感じられました。


男性が見せてくれたらしく、
私たちは肉体を失った魂が戻
っていく生命の川を見ます。


そこは仄暗い場所で、無数の
笹舟のような小舟が一定方向
を向いて浮かんでいます。そ
の一艘一艘にホタルのような
小さな灯りが灯っています。


灯こそが永遠の魂で、一定方
向を向いているのは生まれ変
わりを待っているからだと男
性に教えられた気がします。


命の灯を目にした「私」は肉
体は滅びても魂は滅びないこ
とをはっきりと自覚し、すで
に来世を目指す男性の前向き
さに畏敬の念を抱きました。


何度か会った別れ際、「私」
は初めて男性にハグをしまし
た。「これが最期かも」とい
う覚悟があった気がします。


白いシャツの中は骨格が一式
収まっているだけのように感
じられ、男性の肉体が消えて
いくのは疑いようがなく、切
なさで胸がいっぱいでした。


=============


「坂本龍一さんみたいな人」
というのが男性の第一印象で
したが、痩せた白髪の男性の
顔を見た記憶がありません。


夢は瞬間の印象が記憶に残る
かどうかの決め手なので、坂
本龍一さんらしい人は闘病の
末に御霊となっていく人のシ
ンボルとして登場したのか。


それが誰かに深い意味はなく
小さな灯を乗せた無数の笹舟
を見たことこそが核心です。


「ホタルの光みたいだ
と、はっきりと感じました。


目覚めた時さらに感じたのは
自分には笹舟がいらないこと


今生が終わったら、永久にふ
わふわと漂い続けるホタルの
でありたいと思います。


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夢見:日本人ボランティア

2023年04月17日 | 浅き夢見し

「私」は賑わう店の店頭にい
ました。そこは実際にボラン
ティアをしているチャリティ
ーショップで、店のレイアウ
トもレジも本物どおりです。


「私」は中東系と思しき3世
代家族を相手に、彼らの買い
物を手伝っていました。若い
娘風の人だけが片言の英語を
話し、大人数で和気あいあい
です。民族的な習慣なのか、
値切ることだけは忘れず(笑)
苦笑いしながら商談をまと
めいざ支払いとなりました。


マウスを操作しスクリーン上
の3ドルを押すと、ネットが
切れそうなのかクルクル回る
信号が出て画面が変わりませ
ん。それが何回か繰り返され
先に進めず、先程までレジを
打っていた人を呼びました。


「今朝からずっとそうですよ」
やってきた若い男性は日本語
でそう言いました。日本人男
性がボランティアとしていた
ことはなく、彼は架空の誰か
でしたが慣れた感じでした。


「それは大変だったでしょう」
「そうです。時間がかかるし」
と男性ははきはき言いつつも


「レジが合ってないかも、と
眠れない日もあるんですよ」

とさらりと言いました。ボラ
ンティアがそこまで悩む


驚いて返事に窮していると、
「でも池上さん(仮)に、そうい
うことはよくあるから気にす
るなって言われて、少し気持
ちが楽になったんですけど」


池上という知り合いの実名が
出てきて、私たちには共通の
知り合いがいるようでした。


=============


英語がほとんど話せない中東
系3世代の逞しさと、英語が
話せても過敏なほど繊細な日
本人男性の対比が鮮明な夢。


本人の責任感の強さもさるこ
とながら、間違いを許さない
減点主義社会から来た人が、
できることを認める加点主義
社会の中に忽然と現われた
のを目撃した気がしました。


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夢見:天国の隣人

2023年04月12日 | 浅き夢見し

初めて行ったオーストラリア
のタスマニアから戻って以降
2週間近く毎晩のようにタス
マニアの夢を見ていたよう。


目覚めた瞬間に現地と判る状
況が思い浮かんだり、会話の
中のタスマニアという言葉を
覚えていたりしたものです。
(※唯一覚えていたのがコレ)


その後、タスマニアと無関係
の夢をはっきり見たので記録
しておこうと思います


=============


「私」はどこかの工場で働く
ために引っ越してきたところ
でした。2階建ての鉄筋の社
員寮があり、長い廊下の右側
にはドアが並んでいます


「私」は仲のいいリアルな友
人2人と引っ越してきていて
「私」の部屋を真ん中に、左
右が彼女たちの部屋でした。


部屋には大きな窓があり、右
隣の友人の部屋には引っ越し
荷物や段ボールが無造作に置
いてあり、「私」の部屋と同
様でしたが、荷物の隙間から
黒猫が出て来るのが見え
「片づけの邪魔をしてはダメ」
と思いつつ声を掛けました。


「没関係」
(メイグァンシ。大丈夫よ)
と中国人の彼女は笑顔満面で
中国語で言い、私たちは普段
どおり中国語で話しました。


「私」にももう1人の友人(誰
だか思い出せないものの)にも
黒猫がいて、慣れない場所で
3びきが廊下に出てキョトキ
ョトしているのを友人と見下
ろしつつ安堵していました。

(※これにもう1ぴきいる感じ)


「ここは2階だし同じ部屋が
たくさんあって、猫が外に行
ったら自分の部屋に帰れる?」
と思いながらも、なぜかあま
リ不安を感じませんでした。


=============


これはもう「天国の下見」で
しょう(笑)「死後の下見」
何回もやっているし、天国ら
しい場所で部屋が見つからな
、もしくは入らないという
状況も何度も夢に見ました。


今回は部屋こそあるものの、
自分がそこに入った記憶はな
く、隣の友人を訪ねるだけ。
まだまだ下見中のようです


仲良しが天国の隣人なのは心
強くても、あちらに行っても
工場で働かなきゃいけない私
たちって、一体なんなの(笑)


判ったのは天国はペット可
でも1人1ぴきだけみたい



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夢見:インカの人

2023年04月10日 | 浅き夢見し

1日経ってほとんど忘れてし
まいましたが、「私」は夫と
オーストラリアのタスマニア
にいました(先月行って来て
いまだタスマニアロス中です)

(※州都ホバート)


「私」は大勢の人たちと一緒
にいてタスマニアのあちこち
を周っています。まるで飛ん
でいるようにドローンぐらい
の高さから俯瞰しています。


大勢の人たちはタスマニアに
詳しく、「私」を導いてくれ
「インカから来た」
と言っていて、白人ではなく
アジア人でもありません。


「インカって、インカ帝国
と驚きつつも、NZのマオリも
南米に行っていたらしいので


「貿易風に乗れば、そんなに
遠い場所ではないのかな?」

と自分なりに納得しました。


ずっと話し続けていたので彼
らの褐色の顔は見えても、全
身は見えず、一緒に飛び続け
ていたのでしょうか。男女問
わず生成り木綿のゆったりと
した服を着ていたようです。


1度だけコロニアル風の白い
麻のスーツに身を包み、中折
れ帽を被った背の高い西洋人
男性を遠く(上空?)から見か
けました。彼だけは全身がは
っきり見え立っていました。


彼に関する説明もあったので
すが、思い出せなくて残念💦


夢の中のタスマニアは今のタ
スマニアではなく、男性の服
装が物語るような20世紀初頭
頃だったような気がします。


目が覚めるような青いペンキ
が塗られた、素朴なガーデン
テーブルが置いてある庭まで
来ました。テーブルは目印だ
ったらしく、どうやらそこで
地上に降りたようですが、降
りた記憶はなくテーブルの上
にも何も置かれていません。


インカとフォークロアな青が
印象に残り覚えていました。


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夢見:灰汁抜け

2023年03月20日 | 浅き夢見し

数日前に、天然石がたくさん
付いた長いネックレスをリメ
イクして、ネックレスとブレ
スレットに作り変えました。



写真を撮った夜に夢を見て、
ネックレスが出てきました。


「私」は誰かとネックレスを
挟んで話しており、天然石の
効用についてだったのか何か
に非常に納得していて、リア
リストのせいかロジカルな説
明に目から鱗の思いでした。


「そうか、こういうことか


と思ったときに、歯磨き粉の
ように白とグレーがマーブル
になったクリーム状の天然石
がにゅ~っと出てきました。


どこから出てきたのかは不明
ながら、出てきた瞬間を見て


「膿が出た


とことの顛末を見届けたよう
な思いに感動していました。


その時点ではすべてが理路整
然としていて、納得した内容
も覚えていたのですが直後に
飼い猫の鳴き声に起こされて
すべて忘れてしまいました


天然石の教えは何だったのか


今年は初夢から天然石の夢で
半貴石のスイーツ


さらに別の夢も天然石の話で
天然石は一番下に


思い出せるだけでも3本目。


教えが思い出せなくても、膿
が出るのを目撃した灰汁抜け
感だけは心に残っています。


これもグリーンストーンの長
い長いラリエットをリメイク



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夢見:駅と電車

2023年03月16日 | 浅き夢見し

2晩続けて、似たような夢を
見たので記録しておきます。


=============


【1晩目】
「私」と夫はクルマを修理し
に行くところでした。実際に
あるオークランドのKロード
に似た場所の交差点まで来て


「2人で行かなくてもいいよ
ね。私は先に帰って荷物の整
理の続きをしてようかな~」


という話になり、クルマを降
りました。しかし、とたんに
家への帰り方が判らず、気持
ちを落ち着かせるために道の
端に座り込み、膝に顔をうず
めしばらく座っていました。


落ち着いたところで、あても
なく坂道を下っていくと、そ
こはどう見ても日本でした。


道路脇に若い易者がいたので
「駅はどこですか?」
と聞いてみると、
「どこに行くの?」
と聞かれ、引っ越したばかり
で住所が判らないのに気づき


「世、相?」
と思い出せた漢字を言うと、
「そりゃ、いい地名だ
と易者が言い、「手相」と聞
き違えたようでした。彼は後
の方に向き直って指を指し、


「小学生がアイスクリームを
食べながら降りて来てるだろ
う?あの先が駅なんだよ。」


見上げると、緩いカーブの螺
旋の坂道を揃いの制服を来た
小学生がアイスを食べながら
歩いて降りて来るところで、


易者は「担任が知り合いで」
と話し続けていましたが、ふ
と「お金って持ってたっけ」
と電車賃が気になり、「私」
の耳には彼の話は届かず、上
の空で駅を見上げています。



【2晩目】
「私」は夫とホテルに宿泊し
ていました。コーヒーが飲み
たくなり買ってくることに。


「ちょっと行って来るね。」
と軽い気持ちで外に出ると、
小学生の姿の息子たちが、移
住前の香港で住み込みで働い
てもらっていたフィリピン人
のお手伝いさんジーナと一緒
にいました。子どもたちは楽
しげに遊具で遊んでいます。


「私」は彼らに笑顔で手を振
っただけで言葉は交わさず、
コーヒーを買いに行きます。


しかし、どこで買っていいの
かわからないまま、行き先の
判らない電車に乗ったり、着
いた先で帰る電車が判らなく
なって歩いて帰ろうとして、
人も通れないほど狭い谷に愕
然としたり、夢にありがちな
混乱のうちに目が覚めます。


=============


長くなるので解説は改めて


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夢見:機上で見る飛行中の夢

2023年03月05日 | 浅き夢見し

数日ハワイに行っていました。


帰りの飛行機の中で、飛行機
に乗っている夢を見ました。



=============


それはジェット機ではなくセ
スナ機で、パイロットの後に
乗客2人がおり、操縦席と座
席の間は広く、その部分の床
が開閉式になっていました。


底がガラス張りの観光船のよ
うですがガラスではなく、開
けば本当に地上が見えます。


乗客の1人は「私」で、3人は
日本語で会話をしています。


パイロットが料理のレシピを
紹介すると、もう1人の女性客
が褒めちぎり、身を乗り出し
てパイロットに話しかけ、彼
が観光案内をする間も与えな
いほど彼女の独壇場でした。


「私」は黙っていました。彼
女の止まらない追従を聞いて
いたわけではなく、パイロッ
トの説明を待っていました。


彼がマイク越しに何か言った
瞬間、いきなり床が開き、前
屈みだった女性が落ちそうに
なりました。「私」は彼女が
着ていたグレーのニットをグ
ッとつかみ、身体を元に戻し
ました。私たちは腰にだけシ
ートベルトをしていました。


ショックで言葉を失ったのか
女性は黙り、「私」はパイロ
ットに「危険なので床は開け
ないことにしましょう」と提
案し3人は飛び続けました。


=============


意味があるのかないのか、現
時点ではまったく不明の夢。


ハワイで何度か日本語を耳に
したので日本語の夢なのか


彼女が来ていた厚地のニット
の感触が掌に残るようです。


前回飛行機に乗ったときは、
滑走中に東海道線に乗ってい
る夢を見ましたが、今回は空
中で飛行中の夢を見ました。


飛行機は夢を見やすいのか、
夢を見るほどよく寝ているの
か。離陸前どころか機内安全
ビデオ以前から寝ていたり


次はテカポ旅行記に戻ります。


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夢見:東海道線

2023年02月18日 | 浅き夢見し

「私」は乗り物に乗ってうと
うとしていました。窓の外に
土手に茂った濃い緑が見え、


「東海道線だ
と思った瞬間にゾッとしてそ
のまま電車から消えるように
抜け出し、目が覚めました。


=============


たったこれだけの夢でした。


先週、首都ウェリントンに行
っており、離陸のために飛行
機が滑走し始めた時に見た夢


その速度や身体の揺れが電車
と同じぐらいだったので、こ
んな夢を見たのでしょうか。


今はどうかわかりませんが、
50年前の子どもの頃の東海道
線は大船駅を出ると、向かっ
て右側の緑が一段と濃くなり
家が少なく感じたものです。

(※仲通商店街は当時のまま)


その車窓からの眺めだけで、
東海道線だと判り、行き先が
伊豆であることも、家族旅行
であることも察し、「私」は
電車🚊から抜け出しました。


これは夢のいいところ。強制
終了ボタンが押せるのです。


長く退屈な夏休みの数少ない
ハイライトだった家族旅行も
両親と折り合えない私にとり
24時間息抜きのない辛い時間
でした。自分の部屋に1人で
いることもできない団体行動


「夢で過去を訪ね始めている」
自覚し始めたところですが
追体験したくないものもたく
さん出てきそうだ、と思わせ
る瞬間の夢の貴重な気づき


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夢見:結婚式の費用

2023年02月17日 | 浅き夢見し

「あれ~結婚式の費用が  
銀行口座に振り込まれてる」


夫が驚きの声を上げていて、
行ってみると1230の印字が


NZドルの1230ドルは10万円
ナゼか私たちはそれが自分た
ちの結婚費用であることを判
っていました。結婚してもう
すぐ32年にならんとするのに


ただ、誰が何のために振り込
んで来たのかはわからず、2
人で首をかしげていました。


「なぜだろう
「誰だろう

と言いながら、なんとなく祝
福されている感じがし心に小
さな灯がともるようでした。


=============


バレンタインデー当日の明け
方に見た短い夢でした。外は
今世紀最大のサイクロンで大
荒れの天気となり、丘陵地の
今の家で聞いたことがないよ
うな暴風が吹いていました。


そもそもリアルな私たちは、
結婚式というものをしません
でした。その分の費用を新婚
旅行に注ぎ込んで、ヨーロッ
パを2週間以上回りました。


派手に祝っても離婚しちゃう
かもしれないし。死ぬまで添
い遂げたらその時に祝福した
方がいいというリアリスト

その辺バッチリ考え方が一致


目が覚めても、どこからも振
込はなく(笑)、いまさらの
結婚式👰もなさそうです


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