Pieces of My Life♪ ニューヨーク近郊の暮らし

子育て専業主婦から脱出!ニューヨークで医療従事者しながらコロンビア大学大学院在籍。ニューヨークのお弁当も頻繁に更新中。

イスラエルとパレスチナ問題について 宗教と歴史①

2023-10-10 | 私の趣味&お楽しみ♪
明確にしないと気持ちが悪いので昨晩調べました。
実は、以前にも一度調べて纏めていたのがあったのですが(勝手に纏めるクセがある)、
普段特に気にもかけない国の歴史って、
忘れちゃうのよね…。

自分のために、ここにUPしておきます。

興味のある方だけ読んでいただけたらと思います。

これはNHKの分かりやすく説明してくれているサイトです。
こちらも併せて読んでいただけたら、よりよく分かるかと思います。

私のは宗教の歴史を含んでいるので、
私の方が詳しいです。
何回で書き終えるか分かりません。
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まず古代に遡ると、
肥沃な三日月地帯はBC7000年頃農耕文化が発達。
BC4000年にはナイル河、チグリス河、ユーフラテス河に

高度な文明が発達。
この地にユダヤ教とイスラム教、キリスト教が誕生します。

ウル(古代メソポタミア南部にあった都市) に住んでいたユダヤ人の祖先は、
BC1900年頃カナンの地(これが今のパレスチナ)を

神の約束の地と信じて、
アブラハム(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教 の父)は

一族を引き連れカナンに移住してきたが、
そのときすでにカナン人(パレスチナ人)が住んでいた。

このカナン人はすでにBC4000年頃には住んでいて、

アラビア半島の遊牧民だったらしい。

ユダヤ人はカナンの地(パレスチナ)は、

神が選民ユダヤ人に与えた土地と信じているが、
現代の国際法は聖書を根拠にしていない。

BC1700年頃、飢饉がおきてユダヤ人はエジプトに避難したが、
ファラオに奴隷のようにこき使われ、
モーセにより出エジプトの出来事があり

カナンの地(パレスチナ)に帰ったが、
ユダヤ人がエジプトに避難している間に、
カナンの地はカナン人と

ペリシテ人(パレスチナの由来)が専有していた。

と、ここまでみると、
歴史的に、あの土地はパレスチナ人に属することになる。


ユダヤ人は居住地を失い40年間砂漠を放浪し、
このとき神により十戒を与えられ、

またユダヤ人はこの期間に強固な宗教心と団結力を磨く。
その後サウル王によるイスラエル統一、
ダビデ王によるペリシテ人打倒、
ソロモンによる神殿建設、ダビデ王国の分裂、

バビロン捕囚などの歴史が続く。

話は飛んで、BC6年頃ローマ帝国の支配下にあったパレスチナに

イエス・キリストが誕生。
イエスはユダヤ人だが、誕生地からいうとパレスチナ人。
母マリアはユダヤ人。
(今でも母親がユダヤ人であれば、

その子供達はユダヤ人と言われる。)

当時のパレスチナはローマ帝国の支配下で、
多神教や偶像崇拝の強要に反発して、

ユダヤ人は2回も反乱を起こす(第一次と第二次のユダヤ戦争)、
ローマ帝国の鎮圧によりユダヤ人はパレスチナから追放され、
ヨーロッパや中東、アフリカに散っていくことになる。
これがユダヤ人のディアスポラ(離散)で、
1948年の建国まで迫害と流浪、

ホロコーストによる600万人の虐殺など、
歴史上例をみないような悲惨な2000年間が続いた。


当時のヨーロッパでは、「金貸し業」は忌み嫌われており、
誰もならなかった。
ユダヤ人たちが「金貸し」「闇金」業をすることになるが
ユダヤ人以外のライバルがいなかった。
この「金貸し業」がのちの「金融」「銀行」になっていく。

この2000年間の間も、

パレスチナの地にはパレスチナ人が住んでいる。

ユダヤ人はこの悲惨な歴史の中で
「自分たちが生きるには、自分たちの国を作るしかない」

と考えた。
パレスチナにユダヤ人国家を作ろうという

シオニズム運動が始まり、
19世紀ころからユダヤ人のパレスチナ入植がはじまり、
その入植地はユダヤ人財閥のロスチャイルドが購入した。


つづく
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今日はこの辺まで。

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