岩盤規制は、いたるところに
日本経済新聞 電子版 2015年3月4日 配信
安倍晋三首相はほぼ毎月、東京・渋谷の美容室に通っている。妻の昭恵さんから勧められたのがきっかけだ。カットの後のヘッドスパがお気に入り。ただ、美容師が首相の髪を切るのは「厳密に言うと法律違反の疑いがある」(厚生労働省幹部)。
■ほしい人雇えず
1978年、厚生省(当時)は局長通知で美容師が髪を切るのは女性客との法解釈を示した。男性客のカットができるのはパーマなど「美容行為の一環」の場合だけだ。
男性カットは多くの地域で黙認されるようになったが、今も高知市の美容室には時々、保健所が「メニューを見せてください」と抜き打ち検査に来る。男性カットがあれば是正を求める。規制対策で前髪だけパーマをかける店もある。
同市の保健所には以前、理容組合の幹部が「美容師の男性カットを放置するな」と抗議に来た。「おかしなルールでも法律は法律。違反があると言われれば指導せざるをえない」(保健所幹部)。境界線は他にもある。
「今回は理容師を雇えなくなりました」。格安カット大手「QBハウス」を展開するキュービーネットの採用担当者は、新店を出すたび、応募者におわびする。美容師の応募者が多ければ美容室として届け出るため、理容師は雇えないことが多い。美容師と理容師が同じ店で働くことは業法で禁止されているためだ。
「人手が足りないのに雇えない。応募者も働けない」(北野泰男社長)
理容室と美容室を分ける法律は終戦後の47年にできた。引き揚げ者らがハサミ一つで開業する「青空床屋」が続出し、店同士の争いが絶えなかった時代だ。その後、議員立法で細かい規制が入り、縄張りが固まった。
なぜ形骸化した規制を残すのか。所管する厚労省の答えは「議員立法は手をつけにくい」(幹部)。いったん導入した規制は、存在意義を失っても続いてしまう。
■試験は現実離れ
「燃やしてみましょう」。昨秋、福島県でクリーニング師の国家資格試験を受けた原田順一さん(48)は試験官からライターと灰皿を手渡され、戸惑った。燃え方の速さで繊維の種類の見分けがつくという。「お客さんの服を燃やせるわけないのに」(原田さん)
実技試験では半世紀前の電気アイロンが登場した。温度調整機能はなく、霧吹きをあてたときの「ジュッ」という音を頼りに温度を確かめる。勤め先のクリーニング会社で練習した原田さんは合格がかなわなかった。
なぜ実際に使う技能を問わないのか。試験問題をつくる福島県庁の担当者は「ベテランのクリーニング師が問題を変えることに反対する」という。
人手不足なのに新規参入を制限する理美容やクリーニング業の姿はサービス業全体の映し絵にも見える。日本のサービス業の労働生産性は米欧より低い。古い縄張りをなくし意欲ある人が参入すれば、需要を生む技術革新も加速するだろう。
3年目に入ったアベノミクス。岩盤規制を崩すには、法律の看板を直すだけでは足りない。細部に潜み旧態を維持するワナをあぶり出せるか。その成否は日本経済の構造改革の試金石となる。
日本経済新聞 電子版 2015年3月4日 配信
安倍晋三首相はほぼ毎月、東京・渋谷の美容室に通っている。妻の昭恵さんから勧められたのがきっかけだ。カットの後のヘッドスパがお気に入り。ただ、美容師が首相の髪を切るのは「厳密に言うと法律違反の疑いがある」(厚生労働省幹部)。
■ほしい人雇えず
1978年、厚生省(当時)は局長通知で美容師が髪を切るのは女性客との法解釈を示した。男性客のカットができるのはパーマなど「美容行為の一環」の場合だけだ。
男性カットは多くの地域で黙認されるようになったが、今も高知市の美容室には時々、保健所が「メニューを見せてください」と抜き打ち検査に来る。男性カットがあれば是正を求める。規制対策で前髪だけパーマをかける店もある。
同市の保健所には以前、理容組合の幹部が「美容師の男性カットを放置するな」と抗議に来た。「おかしなルールでも法律は法律。違反があると言われれば指導せざるをえない」(保健所幹部)。境界線は他にもある。
「今回は理容師を雇えなくなりました」。格安カット大手「QBハウス」を展開するキュービーネットの採用担当者は、新店を出すたび、応募者におわびする。美容師の応募者が多ければ美容室として届け出るため、理容師は雇えないことが多い。美容師と理容師が同じ店で働くことは業法で禁止されているためだ。
「人手が足りないのに雇えない。応募者も働けない」(北野泰男社長)
理容室と美容室を分ける法律は終戦後の47年にできた。引き揚げ者らがハサミ一つで開業する「青空床屋」が続出し、店同士の争いが絶えなかった時代だ。その後、議員立法で細かい規制が入り、縄張りが固まった。
なぜ形骸化した規制を残すのか。所管する厚労省の答えは「議員立法は手をつけにくい」(幹部)。いったん導入した規制は、存在意義を失っても続いてしまう。
■試験は現実離れ
「燃やしてみましょう」。昨秋、福島県でクリーニング師の国家資格試験を受けた原田順一さん(48)は試験官からライターと灰皿を手渡され、戸惑った。燃え方の速さで繊維の種類の見分けがつくという。「お客さんの服を燃やせるわけないのに」(原田さん)
実技試験では半世紀前の電気アイロンが登場した。温度調整機能はなく、霧吹きをあてたときの「ジュッ」という音を頼りに温度を確かめる。勤め先のクリーニング会社で練習した原田さんは合格がかなわなかった。
なぜ実際に使う技能を問わないのか。試験問題をつくる福島県庁の担当者は「ベテランのクリーニング師が問題を変えることに反対する」という。
人手不足なのに新規参入を制限する理美容やクリーニング業の姿はサービス業全体の映し絵にも見える。日本のサービス業の労働生産性は米欧より低い。古い縄張りをなくし意欲ある人が参入すれば、需要を生む技術革新も加速するだろう。
3年目に入ったアベノミクス。岩盤規制を崩すには、法律の看板を直すだけでは足りない。細部に潜み旧態を維持するワナをあぶり出せるか。その成否は日本経済の構造改革の試金石となる。