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医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

ポルノビデオの詐欺

2015-04-27 21:22:49 | 社会問題・生活
今朝の散歩出会った西田さん(仮名)が「やられたよ。ポルノの映像の「次へ」をクリックしたら。契約が成立しました。年間23万円の料金をお支払いください」と表示された。契約の解除はできません。以下の電話にご連絡ください、とあるので電話をしたら、相手が直ぐに出て、やはり契約は解除できないと言うんだ」
「放置すべきですね。相手にしないことです。一種の振り込め詐欺ですね」
「そうだね、巧妙だね」
「確かに、相手はあの手この手で金を振り込ませようとする。最近、毎日、ポルノ映像がパソコンに勝手に割り込んできますね」
パソコンでメールもやらない西田さんは奥さんに色々アドバイスを受けているそうだが、「サイバー犯罪だと思うので、県警に電話で相談しようかな」とも言っていた。
以前、「歯科衛生士ニュース」と検索したら、やはりポルノで、歯科医院内でのレイプの映像。
実像とも想われる迫真性のあるものであった。











アルコール依存症に痙性麻痺治療薬が効果

2015-04-27 21:12:52 | 社会問題・生活
「バクロフェン」で飲酒量が激減

日経メディカル 2015年4月27日 欧州肝臓学会取材班

 アルコール依存症患者にバクロフェンを1年にわたって投与したところ、アルコール消費量が大幅に減り、飲酒に関連するマーカーの値や肝機能などが改善した。フランスCentre Hospitalier Intercommunal CreteilのCamille Barrault氏らが、欧州肝臓学会(EASL2015、4月22~26日、ウィーン開催)で発表した。

 バクロフェンはγ-アミノ酪酸(GABA)の誘導体で、中枢性筋弛緩薬として日本では脳血管障害などによる痙性麻痺に使われている。これまで、バクロフェンにアルコール消費量を減らす作用があるとの報告が幾つかされている。そこでBarrault氏らは、アルコール依存症に対するバクロフェンの有効性と安全性を検討するため、単群、オープンラベルの前向き試験を行った。

 2010年6月~2013年9月にアルコール依存症の専門外来を受診した、連続した患者100人にバクロフェンを1年にわたって投与し、有効性と安全性を評価した。バクロフェンは15mg/日で開始し、アルコールへの依存症状がなくなるまで、週単位で漸増した。

 患者の平均年齢は53歳、男性が75%、Child-Pugh分類Aの肝硬変が65%、Bが20%、Cが15%で、16%が膵炎を合併していた。平均飲酒期間は15年だった。

 1年間のバクロフェンによる治療を完遂したのは83人。バクロフェンの投与量の中央値は40mg/日だった。追跡期間中の脱落が9人、死亡が4人、肝移植が1人、バクロフェン投与中止が3人あった。

 1年間の治療後、1日のアルコール消費量の中央値は、106gから18gに有意に減った(P<0.0001)。83人中77人が、1日のアルコール消費量が治療前の半分以下になった。その内訳は、禁酒が44人、アルコール消費量30g/日以下が20人、同30g/日超が13人だった。

 禁酒に成功した44人とアルコール消費量30g/日以下になった20人、計64人の解析では、飲酒に関連するマーカーの値や肝機能の改善が確認された。平均赤血球容積は治療前の100.6μm3から92.8μm3(P<0.001)、血小板数は17万1000/μLから19万3000/μL(P=0.032)に変化した。γGTP、ASTも有意に減少していた(ともにP<0.001)。

 プロトロンビン時間は69%から77%(P<0.001)、ビリルビンは34μmol/Lから19μmol/L(P=0.026)、アルブミンは34g/Lから37g/L(P=0.007)に変化した。

 Child-Pughスコアの改善も認められた。Child-Pugh分類Bの患者12人のうち、5人がAに、Child-Pugh分類Cの患者10人のうち3人がA、2人がBに改善していた。

 有害事象は20人で報告され、2人がバクロフェンを中止した。肝機能や腎機能の低下はなかった。

 1年間のバクロフェン投与により、アルコール消費量が減り、飲酒に関連するマーカーや肝機能の改善が確認された。「バクロフェンはアルコール消費量を劇的に減らすことができ、忍容性も十分だった」と、Barrault氏は結論付けた。











「お父さんが居ない。どこに居るの?」

2015-04-27 12:44:48 | 社会問題・生活
知人の武田さん(仮名)の叔父さんが亡くなった。
痴呆が進んでいる妻には、夫の急死、葬儀の意味が分からない。
「お父さんが居ない。どこに居るの?」と姪に通夜の席で尋ねたそうだ。
取手市内に住む娘さは、この母親を引き取らざるを得ないであろう。
姪である知人の武田さんは、叔父の勧めで取手市に移住してきたのだ。
「競輪好きの叔父は競輪場があるからと、取手に家を建てたのよ」と武田さんは言っていた。
84歳で亡くなった知人の叔父さんを競輪場で見かけたのは10年くらい前であっただろうか。
競輪場でも常に微笑みを浮かべている温厚な人であった。

○ 通夜憐れ夫を探す痴呆妻









思わぬ遺言で相続争い

2015-04-27 11:52:29 | 社会問題・生活
「おふくろがそんなこと…」 
• 特集:認知症社会
朝日新聞デジタル 2015年4月26日 沼田千賀子、坂井浩和、佐藤実千秋

母の遺言をめぐるトラブル


 認知症の人が残した遺言をめぐり、親族間のトラブルが起きている。決着がつかず裁判で争う人もいる。父や母の「最後の意思」はどこにあったのか。

■ 「おふくろがそんなことするはずがない」
 2007年に亡くなった母の遺言を目にしたときのショックを、神奈川県の60代男性は忘れられない。息子である男性と妻、孫と長年暮らした家も、預貯金もすべて、母の妹(おば)に遺贈する内容だった。
 実母を早く亡くした男性は、子どもの頃から実母の姉に育てられた。授業参観や遠足にも来てくれた。「私にとっては実の母と同じ」。男性は12年前に、正式に養子となった。
 母とおばは親しく親類づきあいをしていた。とはいえ全財産を譲るのが母の真意とは――。男性はおばを相手取り、横浜地裁に訴訟を起こした。東京高裁は10年7月、母は認知症だったとして遺言を無効とした。

 判決などによると、遺言作成までの経緯はこうだ。
 男性は母と30年間同居し、妻が母を介護した。母は04年ごろから認知症が疑われる症状が進んだ。知り合いの顔がわからない。昼夜逆転し、深夜にテレビの音量を上げる。現金や通帳の管理が難しくなり、「お金がなくなった」と訴える。05年3月には認知症と診断されていた。
 男性が知らぬ間に遺言が作られたのは、母が数カ月間、施設に入っていた時。05年12月、当時87歳の母とおばは、司法書士と一緒に公証役場に行った。「不動産、預貯金その他一切の財産を○○(おばの名)に遺贈する」。遺言にはそう明記されている。
 だが判決は、母がはっきり述べた内容を遺言にしたからといって、息子たちが暮らす家までおばに渡すという重大性を理解して、遺言を残す能力があったとはいえないと結論づけた。母は遺言時、「(男性夫婦に)財産をやらない」ともおば側に語っていた。こうした発言も「被害妄想の一つの表れ」と判断した。
 男性は「判断能力が落ちた母が翻弄(ほんろう)された」と憤る。おば側が引き出した預貯金の返還を求めて別の裁判も起こした。昨年末、約2千万円の返還命令は出たが、おば側の経済事情から手元には戻っていない。

■作成時の症状、証拠集めに奔走
 遺言時に認知症だったのかどうか、どの程度の症状だったのか、死後に判断するのは容易ではない。
 東京都のケアマネジャーの女性(60代)は、90歳で亡くなった父の遺言の無効を求め、姉を相手に訴訟を起こした。遺言には不動産など数千万円相当の遺産をすべて姉に相続させるとあった。
 70歳まで会社勤めを続けた父。まじめを絵に描いたような人だった。だが女性によると、晩年は、突然意味不明なことをしゃべったり、街で徘徊(はいかい)して警察に保護されたりした。遺書を書いたときは有料老人ホームに入居していたという。
 父が遺言を書けたとは思えず、仕事の合間をぬって証拠集めに奔走した。まず確認したのは筆跡。父が書いた銀行の振込用紙などを見つけ、遺言は「本人の筆跡でない」との鑑定を得た。病院や介護施設にも文書で請求し、脳のMRI画像や介護記録なども手に入れた。資料は500枚以上に。筆跡や医師の鑑定に約100万円かかるなど、収入の多くを費やした。
 裁判で「遺言書の存在が不可解」などとする医師の鑑定書を提出すると、姉側の態度が一転。昨年12月、姉妹で折半する内容で和解した。父の死から4年半が過ぎていた。
 姉妹は絶縁状態のまま。「父が元気な間に相続について話しておけば、こんなことにならなかった」との思いが女性の胸に残る。
     ◇
 〈相続と遺言〉 民法の規定では、例えば配偶者と子が相続人の場合は、遺産の半分を配偶者、残り半分を子が受け継ぐ。遺言があると、その内容に基づく遺産分割が優先される。「自筆証書遺言」は全文と日付、氏名を自分で書き、押印する。死後、家裁で相続人らが立ち会って確認する「検認」手続きが必要。「公正証書遺言」は証人2人以上が立ち会い、遺言者の口述を公証人が文書にする。複数の遺言がある場合は、種類によらず新しい遺言が優先される。

■健康なうちに協議を
 認知症であっても残した遺言がすべて無効になるわけではない。症状が軽い場合や症状に波がある場合などで遺言能力が認められることがある。遺言内容の複雑さや結果の重大さなどによっても判断は変わる。
 相続に詳しい弁護士らによると、トラブルを防ぐため、遺言時に心身の状態を医師に診察してもらう例もあるという。
 争いを避ける基本は、何より家族の事前の話し合いだ。「心身が健康なうちに、遺産分割について家族の間で共通認識をもつことが大事」と小堀球美子(くみこ)弁護士は言う。遺産の話は、受け取る側からはしにくい。「盆や正月など家族が集まる時に親から話をしてみては」と提案。家族の理解を得たうえで、生前に贈与する方法もある。(沼田千賀子、坂井浩和、佐藤実千秋)











愛知県よろず支援拠点

2015-04-24 07:05:44 | 社会問題・生活
中小企業・小規模事業者様のよろずのお悩みを解決する無料相談窓口ができました。
▼ 概要
対象は、愛知県内で事業を営む中小企業・小規模事業者の皆様で、個人事業主の方も含みます。
何度でも無料でご相談に応じます。
事業再編からチラシづくりのお悩みまで、なんでもご相談ください。

▼ 私たちのミッション

私たちの役割は、ワンストップサービスの実現。
拠点直属のコーディネーター・サブコーディネーターは全部で13名。
皆様のお話をじっくり伺い、最適な解決策を考えます。
そして、コンシェルジュのように様々な支援窓口や相談サービスをコーディネート。
解決策の実行まで、着実なフォローアップを行う伴走型支援をお約束します。

http://www.aibsc.jp/tabid/433/Default.aspx












フリーズするパソコンにはまいるばかり

2015-04-23 07:36:51 | 社会問題・生活
知人の武田さん(仮称)のおじさんが亡くなったと携帯メールがきた。
「あなたに、関係があるの!」と家人の声が厳しい。
つまり、香典を出したくないのだ。
預貯金はすべて家人が握っている。
家人はパートで月々収入がある。
当方は金を遣うばかり。
結局、「家族葬になった」と再度メールがきた。
「当然よ、他人に迷惑がかかる葬儀は時代遅れ」家人は切り捨てる。
当然、当方も家族葬を予定している。
つまり、ブログが更新されない日が、当方の死んだ日となるだろう。
ブログは、あくまで趣味の領域であり、個人の生活の証のようなもの。
それにしても、フリーズするパソコンにはまいるばかり。
1日、30カット~50カットくらいの写真をアップしないと、1000カット以上の写真はアップできないだろう。

ハナミズキが多いことを知る

2015-04-22 07:22:23 | 社会問題・生活
日曜日は藤井市長の出陣式を見て、帰る時に異常にお腹が痛みだし、モスバーガーの無料のポテトチップが1本も食べられなかった。
無論、モスバーガーも食べれず、次男にあげた。
明日は病院へ行くかと覚悟した。
家人は月曜日、火曜日と長野方面へバスで行く。
バスはミスターマックスマックス前から出発。
元校長先生夫妻はじめ家人の友人が参加の旅行である。
だが、月曜日に痛みがおさまったので、病院へは行かなかった。
酒は月曜日に7合も飲んでしまった。
酒でお腹の痛みを堪えたのだ。
写真はだいぶ溜まったが、パソコンは3枚単位でアップするが、フリーズするので時間がかかる。
全部で1000枚ほどであろうか。
今朝の散歩でハナミズキが多いことを知る。
昨年、京都市内にハナミズキがたくさん咲いていたが、紅色のハナミズキが鮮やかで印象的だった。
八重桜も満開だ。
さらに藤の花も咲き初めている。
タンポポも利根川土手に咲き彩りを添えている。















<川崎・中1殺害>ネット「犯人捜し」 

2015-04-22 01:50:01 | 社会問題・生活
情報拡散に責任意識を

毎日新聞  4月21日(火)  配信

<記者の目>川崎・中1殺害事件
石戸諭(デジタル報道センター)

 凶悪事件が発生するたび、インターネット上で「犯人捜し」が起きている。特に過熱するのは少年事件だ。真偽が不確かな関係者の名前、住所、顔写真が掲載されるのは当たり前。家族とされる人の写真までアップされる。「加害者を許せない」という正義感や処罰感情を背景に、ネット上で繰り広げられる無責任な「犯人捜し」はまさに「私刑」だ。安易な情報拡散で「私刑」に加担すると、名誉毀損(きそん)などで訴えられる法的リスクを負う。どれだけのネットユーザーがこのことを理解しているのだろうか。

 川崎市の中学1年、上村遼太さん(13)が殺害され、17~18歳の少年3人が殺人や傷害致死の非行内容で家裁送致された事件でも「私刑」が起きた。少年法は61条で、20歳未満の少年が関与した事件について、少年の特定が可能な報道を禁じている。そのため、新聞・テレビ各社は少年の実名などを明かしていない。週刊誌の対応は分かれたが、リーダー格の少年(18)の実名掲載に踏み切った「週刊新潮」も他の2少年は匿名だ。賛否はあれど、メディアとして一定の判断基準を持っている。

 ◇差別や暴力扇動 削除追いつかず

 しかし、ネット上ではそうしたことを意識している人はごくわずか。「無法状態」のネット空間では、関係者に対する差別的な表現や報復を扇動する文言が飛び交い、「(加害者を)殺せ」といった暴力的な言葉まで見かける。少年法を議論する以前の問題だ。

 川崎市の事件では、発生直後から「犯人グループ」として10人近い少年の実名や顔写真がアップされた。真偽に関係なく「疑い」の段階で書き込まれ、中には住所や家族関係などの情報もあった。誰かが掲載した情報が、事実かどうか確認されないまま次々と拡散されていった。

 動画配信サイトを使い、逮捕された少年の自宅前とされる場所から生中継したネットユーザーが現れたほか、ニュースアプリ「スマートニュース」が3少年の実名と顔写真とされる情報が載ったサイトを「記事」として転載する事態も起きた。運営会社は「利用規約に違反」「運用基準に抵触」として、サイト上で閲覧できないようにしたが、一度広がった情報は簡単に消えない。

 「無法状態」を止めるにはどうすればいいのか。検索大手ヤフーは「プライバシー保護」の要請が高い情報を検索結果から削除する際の基準を新たに示したが、「表現の自由」「知る権利」とのバランスなど課題は山積している。対策は、現実の後手に回っている。

 ◇仮に事実でも名誉毀損可能性

 そんな現状だが、私たちにできる対策もある。影響を自覚しないまま、「私刑」に加担する「加害者」を減らすことだ。そのためにはネット上で中傷に加担したら何が起きるかを知る必要がある。

 根拠の無い情報が原因で、ネット上で「殺人犯 死ねば」などの中傷を15年以上受け続けているお笑い芸人のスマイリーキクチさん(43)に先月、インタビューし、ニュースサイトで紹介した。事件の発生から間もない時期に、自身のブログで「自分の言葉と行動に『責任』を持とう」と呼びかけたキクチさんの発言は大きな反響を呼んだ。キクチさんが「責任」という言葉を使うのには理由がある。

 キクチさんを中傷し続けたネットユーザーの一部は警察の取り調べを受け、書類送検された。それでも彼らは一切、謝罪しなかった。「ネット情報にだまされた。だましたほうが悪い」「殺人犯がテレビに出ているのが許せなかった」。加害者意識のない言葉を繰り返したという。

 キクチさんは「私も事件の犯人は憎い。一方で『凶悪事件の加害者だから何をやってもいい』という感覚もおかしいと思う。軽い気持ちで『私刑』に加担したあなたが新たな『加害者』になる。それで何か問題は解決しますか」と問いかける。

 ネット上の名誉毀損事件に詳しい深澤諭史弁護士は「事実であろうとなかろうと、過度のプライバシー暴露や差別表現は、名誉毀損が成立する可能性がある。訴えられた人は『そんなつもりはなかった』と話す人が多い」と、キクチさんと同じように当事者意識の低さを問題視する。

 たとえ善意で広めた情報でも、「加害者」になる法的リスクが発生する。発信者は特定され、その思いは一切関係ない。これが現実だ。誰でもネットを使い、多くの人に発信できるということは、誰もがリスクを背負う時代になったことを意味する。

 情報を拡散する前にもう一度、「本当に書いてもいいか」と自分に問うてみよう。キクチさんは言う。「インターネットで人生を棒に振ってはいけない」と。

ひたすら勝負勝負で生きた人生

2015-04-20 06:00:50 | 社会問題・生活
最後の無頼派作家の白川道さんが死去
「ひたすら勝負、勝負で生きた人」
麻雀や競輪などのギャンブルに明け暮れ
作家・白川道さん“生みの親”が思い出語る
2015.04.18
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 8年半にわたり、「俺ひとり」を連載していた作家の白川道さんが16日、急逝した。

69歳だった。先週(11日)の当欄に掲載した原稿が遺稿となってしまった。

 麻雀や競輪などのギャンブルに明け暮れ、バブル期には経済事件で収監されるなど波乱の人生を生きた白川さん。30年来の付き合いで、作家デビューのきっかけを作った作家の石川好(よしみ)氏(68)が、思い出を語ってくれた。

 白川さんと石川氏が出会ったのは1970年代後半、白川さんが旅行代理店の社員だったころという。その後も白川さんは職を転々とし、投資顧問会社を設立。91年に前述の事件で実刑判決を受け、収監された経験が、作家デビューのきっかけになった。

「刑期が終わってすぐに会うと『ほとんど頭の中にできあがっているものがある』と言って、2週間で100枚ぐらいのものを持ってきた。目の前で1時間くらいかけて読んだが、これが相当なレベル。『編集者に読ませても耐えられる』と伝えたら、彼はうれしそうな顔をしていたね。翌々日には新潮社の編集者に読ませたんです」

 こうして完成した『流星たちの宴』は、バブル時代の株の世界を描いた作品。94年、49歳のときに出版し、その後も話題作を次々と書き上げた。

 本名は西川徹。白川道というペンネームにも“秘話”がある。平凡社の元編集者で、中国文学者の故久米旺生(さかお)さんが名付け親という。


本人がいうとおり「純なアウトロー」若い人たちに向け、40年の長きにわたり競輪を愛し続けてきた
作家・白川道氏が人生観の起点となり、共に人生を紡いできた

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150418/dms1504181700010-n2.htm
「競輪」の真の魅力を解き明かす。
無頼派の白川さんが競輪を通して人生を語るテレビ・エッセイ
とも云うべき「白川道の競輪考」。
聞き手となるベテラン・樋口忠正アナを相手に今回は
「競輪とのなれそめ」「競輪競技の魅力」「競輪とのつきあい方」
などについて語った。




昭和九年会

2015-04-17 11:30:23 | 社会問題・生活
昭和九年会は、昭和9年(1934年)生まれの芸能人の集まりによる親睦団体。

この年に生まれ、大活躍した芸能人が多かったことから、1976年に愛川欽也と長門裕之が中心になり結成された。

毎月9日には藤村俊二の経営するワインバー「O'hyoi's」(おひょいず)で例会が開かれ、毎年9月9日には、東京都中央区の三越日本橋本店内にある「三越劇場」でイベントを行っている。
毎月9日には藤村俊二の経営するワインバー「O'hyoi's」(おひょいず)で例会が開かれ、毎年9月9日には、東京都中央区の三越日本橋本店内にある「三越劇場」でイベントを行っている。

9にちなみ、救急車を東京消防庁日本橋消防署に寄贈している。また昭和9年は戌年のためチャリティ・イベントなどの収益を盲導犬協会に寄付したこともある。
存命人物[編集]
大橋巨泉
財津一郎
8代目橘家圓蔵
藤村俊二
松平直樹
森岡賢一郎
前田憲男
睦五朗
森山周一郎

物故者[編集]
石原裕次郎(1987年没)
伊藤一葉(1979年没)
坂上二郎(2011年没)
佐藤允(2012年没)
玉置宏(2010年没)
長門裕之(2011年没)
初代引田天功(1979年没)
藤村有弘(1982年没)
牧伸二(2013年没)
山本文郎(2014年没)
愛川欽也(2015年没)



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川欽也が亡くなった生涯現役でいられた。
俳優・名司会者として絶大な人気を誇った。
最後まで夫婦一緒に過ごす。
自宅治療に専念していた愛川欽也が亡くなった。
テレビ論を熱く語る
最後まで仕事に恵まれた
社会を楽しませたいとの思いが強かった人だ。
3月7日、「アドマチック天国」を1000回で降板
肺がん、がんが脳や脊髄に転移。

口コミ削除命ずる仮処分 

2015-04-16 09:35:08 | 社会問題・生活
 グーグル異議申し立てへ

朝日新聞 2015年4月14日(火) 配信

 米グーグルが運営する口コミ投稿サイトの記述について、千葉地裁松戸支部がグーグルに削除を命じる仮処分決定を出したことがわかった。グーグル側は13日、朝日新聞の取材に「利用者が意見を直接共有できる重要な手段だ」とコメントし、異議を申し立てる方針を明らかにした。
 仮処分決定は7日付。千葉県内の診療所が、数年前に投稿された2件の口コミについて「事実と異なる記述で名誉を傷つけられた」として、削除の仮処分を求めていた。地図検索サイト「グーグルマップ」で診療所名を検索すると、地図と一緒に口コミ投稿が表示される。今回は、事故に遭って診療所で治療を受けたところ症状が悪くなり、会社まで辞めた、といった内容の投稿が問題になった。
 診療所代理人によると、投稿者は特定できないが、事実とは明らかに異なる点があるという。地裁は診療所側の主張を認めて仮処分を決めたが、投稿2件のうち1件が13日時点でも表示されている。
 グーグル側が異議申し立てをすれば、地裁が異議を認めるかどうか判断する。診療所側は、削除しない期間分の「罰金」を求める間接強制の申し立て手続きに入った。口コミサイトの投稿削除を命じる仮処分の決定に対し、サイト運営事業者が従わないケースはめずらしく、今後、民事訴訟に発展する可能性もある。(藤田知也)

口コミ削除命ずる仮処分 

2015-04-16 09:33:42 | 社会問題・生活
 グーグル異議申し立てへ

朝日新聞 2015年4月14日(火) 配信

 米グーグルが運営する口コミ投稿サイトの記述について、千葉地裁松戸支部がグーグルに削除を命じる仮処分決定を出したことがわかった。グーグル側は13日、朝日新聞の取材に「利用者が意見を直接共有できる重要な手段だ」とコメントし、異議を申し立てる方針を明らかにした。
 仮処分決定は7日付。千葉県内の診療所が、数年前に投稿された2件の口コミについて「事実と異なる記述で名誉を傷つけられた」として、削除の仮処分を求めていた。地図検索サイト「グーグルマップ」で診療所名を検索すると、地図と一緒に口コミ投稿が表示される。今回は、事故に遭って診療所で治療を受けたところ症状が悪くなり、会社まで辞めた、といった内容の投稿が問題になった。
 診療所代理人によると、投稿者は特定できないが、事実とは明らかに異なる点があるという。地裁は診療所側の主張を認めて仮処分を決めたが、投稿2件のうち1件が13日時点でも表示されている。
 グーグル側が異議申し立てをすれば、地裁が異議を認めるかどうか判断する。診療所側は、削除しない期間分の「罰金」を求める間接強制の申し立て手続きに入った。口コミサイトの投稿削除を命じる仮処分の決定に対し、サイト運営事業者が従わないケースはめずらしく、今後、民事訴訟に発展する可能性もある。(藤田知也)

「スマホやめるか、大学やめるか」

2015-04-07 18:43:39 | 社会問題・生活
 信州大入学式で学長

朝日新聞社 2015年4月5日 松本英仁

「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」。信州大の入学式が4日、松本市総合体育館であり、山沢清人学長は、8学部の新入生約2千人に、こう迫った。


信州大の入学式であいさつをする山沢清人学長=4日午前、長野県松本市美須々の市総合体育館

 山沢学長は、昨今の若者世代がスマートフォン偏重や依存症になっている風潮を憂慮。「スイッチを切って本を読み、友だちと話し、自分で考える習慣をつけ、物事を根本から考えて全力で行動することが独創性豊かな学生を育てる」と語りかけた。
 新入生を代表して、上伊那農高出身で農学部農学生命科学科の倉田祐輔さん(18)が「農学だけでなく、経済や法学分野などの勉学にも取り組み、グローバルな視野で物事を俯瞰(ふかん)し、私の考える農業を広めて社会に貢献したい。ここで学んだ知識を次代を生きる私たちの大きな原動力にする」と決意を語った。
 新入生は1年間、松本市で学んだ後、学部ごとに松本市のほか、長野市や上田市、南箕輪村のキャンパスに移る。
 留学生を除く新入生2068人のうち、県内出身者は昨年より27人少ない552人(26・7%)、女子の割合は33・9%だった。(松本英仁)
山沢清人学長の入学式あいさつ全文
(原文のまま)
 本日ここに、平成二十七年度信州大学入学式を開催できますことは大きな慶びでございます。関係の皆様に深く感謝を申し上げます。
 新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。信州大学は全学を挙げて皆様を歓迎いたします。そして、ご両親、ご家族の方々に心からお慶びを申し上げます。おめでとうございます。
 皆様が本日入学式を迎えることができましたのは、厳しい受験勉強を克服された努力の結果であります。と同時に、励まし頂いたご家族、ご友人そしてご指導頂いた先生はじめ多くの方々のお陰だということを改めて深く胸に刻み、感謝の気持ちをいつまでも持ち続けてください。
 そして、留学生の皆様は母国を離れ、言葉、文化、生活習慣の異なる信州のこの地に生活することになりました。初志を貫徹され、四年後に大きな成果を挙げられることを期待しております。
 また、信州大学大学院にご入学された皆様にも、心からお祝いを申し上げます。おめでとうございます。最高学府である大学院の入学式に臨まれて、決意を新たにされていることと存じます。今の新鮮な知的高揚感を決して忘れることなく、大学院での学びと研究を続けて頂きたいと存じます。
 ところで、新入生の皆様は、本日、大学受験から解き放たれたことになりましたが、もう勉強はしなくて良いなどとは考えていませんよね。
 今までは、皆様は正解のある問題を解くことに終始していました。知識の量を試されていました。世の中では、正解のない問題を解かなければなりません。誰も考えたことのないことを考えるという、知識の質を問われることになります。さらに、世界の状況は変化が大きく、スピードも速く、ICTの進歩で一気にグローバル化します。
 大学院入学生にも、是非聞いて頂きたいのですが、日本が今後とも活力ある社会を維持し、世界へ積極的に貢献していくためには、科学、技術、文化のいずれの分野でも独創性や個性を発揮することが重要となります。横並びの発想では問題を解決できません。
 皆様は、もしかしたら、個性の発掘に没頭する「自分探し」をしませんでしたか。また、これからしようと思っていないですよね。若い時の自分探しは勧められません。特に、解剖学者の養老孟司さんは、「個性は徹底的に真似をすることから生まれる」とまでおっしゃられています。伝統芸能の世界に見られる、師匠と弟子の個性の違いを指摘されてのことです。
 個性を発揮するとは、なにか特別なことをするのではなく、問題や課題に対して、常に「自分で考えること」を習慣づける、決して「考えること」から逃げないことです。自分で考えると他人と違う考えになることが多くなり、個性が出てきます、豊かで創造的な発想となります。
 学生で言うと、普段の勉強を真剣に取組むこと、そして身につける「知識の量」を主とするのではなく、「知識の質」すなわち自ら探求的に考える能力を育てることが大切となります。
 ところで、信州大学の学生は独創性が豊かなのでしょうか。ここに興味あるデータがあります。昨年六月の日本経済新聞の調査結果です。上場企業四三三社の人事担当者から見た「大学のイメージ」調査です。「対人力」、「知力・学力」、「独創性」などについてのランキング結果です。
 信州大学は、京都大学を抑えて、「独創性」項目で第一位です。この「独創性」の判断は「創造力がある」と「個性がある」という質問で行っているようです。
 一言付け加えておきますが、信州大学は、「知力・学力」の項目でも、高位にありました。「単に変わった人間が多い」ということでは決してありません。
 就職されている先輩諸氏は、「独創性」が高いという社会的評価です。皆様もそうでしょうか。卒業すると、そうなるのでしょうか。私は違うと思います。受験勉強と同じ気持ちでは駄目です。大学での勉強と生活の仕方を変えなければなりません。
 その理由をお話しましょう。創造性を育てるうえで、特に、心がけなければならないことは、時間的、心理的な「ゆとり」を持つこと、ものごとにとらわれ過ぎないこと、豊か過ぎないこと、飽食でないことなどが挙げられます。
 自らで考えることにじっくり時間をかけること、そして時間的にも心理的にもゆったりとすることが最も大切となります。
 子供の頃をちょっと思い出して下さい。子供の頃は、例えば、夏休みがゆっくり過ぎていたと感じませんか。大人になると、忙しさで、時間は走馬灯のように速く過ぎていきます。脳科学者のDavid Eagleman(デイウィッド イーグルマン)さんは「記憶が詳細なほど、その瞬間は長く感じられる。しかし、周りの世界が見慣れたものになってくると、脳が取り込む情報量は少なくて済み、時間が速く過ぎ去っていくように感じられる」と言っています。
 自分の時間を有効に使うために、自力で時の流れを遅くする必要があります。
 そのために五つの方策が提案されていることは良く知られています。
 一、学び続けること。新しい経験が得られて、時間感覚がゆっくりとなる。
 二、新しい場所を訪ねる。定期的に新しい環境に脳をさらす。
 三、新しい人に会う。他人とのコミュニケーションは脳を刺激する。
 四、新しいことを始める。新しい活動への挑戦。
 五、感動を多くする。
 信州大学では、自然に囲まれた緑豊かなキャンパスでの勉学と課外活動、都会の喧騒とは無縁の落ち着いた生活空間、モノやサービスなどが溢れることのない地に足の着いた社会など、知的にものごとを考え、創造的な思考を育てる環境を簡単に手に入れることができます。先輩諸氏は、このようにして、ゆっくりとした時間の流れを作っていたのです。
 皆様はどうでしょうか。残念なことですが、昨今、この信州でもモノやサービスが溢れ始めました。その代表例は、携帯電話です。アニメやゲームなどいくらでも無為に時間を潰せる機会が増えています。スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。スマホの「見慣れた世界」にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまいます。
 「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」 スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな信大生を育てます。
 最後にご紹介したいことがございます。本日の入学式では二つの歌を皆様と一緒に歌うことになっています。一つは信州大学の前身の一つである旧制松本高等学校の思誠寮寮歌「春寂寥」です。大正九年に吉田実さん(作詞)と濱徳太郎さん(作曲)の二人の学生によって作られました。
 旧制松本高等学校は、大正八年(一九一九年)に開校され、その後信州大学の発足にあたりその母体の一つとなり、文理学部に改組されて昭和二十五年(一九五〇年)には閉校となりました。
 文科と理科の専攻に分かれての勉強ですが、授業時間の四割が外国語、文科でも数学と自然科学が週五時間ほど課せられ、また理科でも国語及び漢文が週四時間ほど課せられる、文理の差が非常に少ないカリキュラムでありました。
 ほとんどの生徒は思誠寮での寄宿生活であり、寮生活を通して、切磋琢磨により、自らの生き方を見出すという恵まれた時間をつくることができたと言われています。まさに独創性が育まれたということです。作家の北杜夫さん、辻邦生さん、病理学者の飯島宗一さん、日本人として初めて南極点に到達した南極観測隊々長の村山雅美(まさよし)さんなど各界で著名な方々が多くいらっしゃいます。
 もう一つの歌は、信州大学学生歌「叡智みなぎる」です。昭和三十五年に文理学部宮坂敏夫さん(作詞)と工学部羽毛田憲一さん(作曲)の二人の学生によって作られました。文理学部同窓会誌に、宮坂敏夫さんが書かれた「作詞の経緯」によりますと、信州大学学生部が六十年安保闘争のデモに明けくれる学生の実態を見て、学内に潤いが欲しいと思って、学生歌の募集を始めたのではないかとあります。なお、宮坂敏夫さんは、現在俳人としてご活躍でいらっしゃいます。この「叡智みなぎる」の学生歌ができた頃の学生達は、自らの勉学時間を削ってでも、日本の国の在り方と国の行く末を案じるという、熱い情熱を持って学んでいたのです。
 また、この二つの歌はいずれも、松本在住の音楽家丸山嘉夫さんによって、見事に編曲され、若者たちの「青春の歌」として蘇っていることを付け加えておきます。
 皆様は、一日も早く新しい生活環境に慣れ、心身ともに健全に保ち、勉学に励み、目標に向かって進んでください。大学生時代は、長い人生の中でもかけがえのない大切な時期であります。充実した楽しい大学生活を過ごされることを期待しています。
 そして、大学院に入学した皆様は、自らの高い問題意識と積極的な取り組みによって、初めて真理が探究でき、新しい知の創造の喜びが生まれ、社会に貢献できることを肝に命じてください。
 学術研究の将来を担うのは皆様です。信州大学の学術研究は皆様の肩にかかっています。高い志と熱い情熱を持ち続けてください。そのことによって、日本の明るい未来が開けるものと確信しております。
平成二十七年四月四日
信州大学長 山沢清人

2000万人の貧困

2015-04-02 10:26:01 | 社会問題・生活
「無料低額宿泊所」を知っていますか
福祉はどこまで高められるか


日経ビジネスONLINE 2015年4月1日(水)中川 雅之

 「無料低額宿泊所」という福祉施設がある。行き場のない生活困窮者の生活を安定させるものだが、「貧困ビジネス」と批判されることもある。
 日経ビジネス3月23日号の特集「2000万人の貧困」では書ききれなかった、この施設の現状について紹介する。
 「無料低額宿泊所」という施設があるのを、ご存じだろうか。2010年の調査で、全国に488施設あり、約1万5000人が入所している施設だ。
 社会福祉法に規定されているもので「生計困難者のために、無料又は低額な料金で簡易住宅を貸し付け、又は宿泊所その他施設を利用させる事業」とされている。1万5000人のうち、1万4000人近くが生活保護の受給者だ。
 運営には届け出が必要だが、これのほかに届け出がなかったり、社会福祉各法に位置づけのない「法定外施設」もあったりする。こちらは実態がなかなか正確に把握できないが、生活保護受給者の住所などから各自治体が把握しているものだけで、2010年に約1万6000人が入所していた。
■困窮者の受け皿の1つ
 生活保護の受給に、原則として持ち家は認められていない。資産価値が低いと認められる場合は家に住み続けながら受給できるケースもあるが、「まずは家を売ったお金で生活を」と求められることもある。そういった場合、生活保護の受給者はまず自分の定宿を確保することが必要になる。
膨張する「安全網」のコスト
●生活保護費の年次推移

出所:厚生労働省(2013、2014年度は予算ベース)
 通常の賃貸アパートなどのほかに、そうした困窮者の受け皿となるのが無料低額宿泊所だ。
 この話は、ある1人の男性の物語から始めたい。初めに断っておくがこの男性が語る内容が、無料低額宿泊所の実情すべてではない。だが、事実としてこうしたことが起きているということをまずはご認識いただきたいと思う。
■子供に断られた支援
 その男性は65歳。生活保護で生活しており、今は一般のアパートに移ったが、10年以上にわたり、首都圏の無料低額宿泊所を転々としてきた。健康食品を販売する会社の営業職などで働いていたが、50代である日突然、目が覚めると顔の筋肉が全く動かなくなっていた。医者には「自律神経の病気」と言われ、3カ月入院した。入院費を払うことができず、「福祉」の世話になることになった。
 治癒はしたが、働き続けることができなくなった。30代の時に離婚しており、子供も2人いるが、頼れる関係ではなかった。生活保護の受給申請の時に役所から子供に連絡は行ったようだが、生活の支援は断られたようだ。
■月2万~3.5万円の「小遣い」
 初めは、横浜だったという。役所から紹介された無料低額宿泊所に入った。だがその後、東京都や千葉県の施設を転々とする。現在いる埼玉県を訪れたのは、2015年からだ。
 1カ所にとどまれないのは、「生活環境が劣悪だから」と男性は言う。施設によって設備は大きく異なると言うが、たいていの施設で、2畳ほどのスペースに押し込められた。個室ではなく、1つの部屋を2つ、3つにパーテーションなどで区切っている。部屋に鍵はかからず、冷暖房設備がないことも多かった。
 生活スペースの問題もあるが、人間関係も1カ所にとどまれない大きな要因だという。生活音が筒抜けで、他人のいびきや足音でもトラブルが起きる。また、多くの施設で入所者の誰かが運営者に「寮長」となることを依頼され、管理者になっていたが、その寮長が権力を振りかざすようなケースもあった。
 毎月、月初めに生活保護の受給を受けた。施設から車に乗せられて役所の窓口を訪れ、受給した約12万円の生活保護を袋ごと事業者に渡すという流れが多かった。事業者はそこから家賃、食費、光熱費などを引き、差額を男性に戻す。大体、月に2万~3万5000円だった。
■トイレの窓から逃げた
 手持ちの金がそれだけでは、施設を出ようと思っても暮らしてはいけない。男性によると「転居」の機会は唯一、保護費の受給で役所を訪れるときという。窓口でお金を受け取り、出入り口には行かず、裏口やトイレの窓から「逃げる」のだという。
 しかし、逃げたところで行く場があるわけではない。賃貸アパートを借りようにも敷金・礼金は賄えず、保証人もいない。生活保護の受給者だと言うと、貸してくれない部屋もある。「最近はマックも、夜中の2時くらいになると追い出されるようになっちゃったし」。
■寄ってくるスカウト
 ではどうするのか。「上野駅とかで座ってるとね、声かけてくるのがいるんですよ。行くとこないならうち来るか?ってね。めし食わせて、風呂入れてやるよ。ところで生活保護はもらってるかっていう感じです」。
 男性によると、そうやって声をかけてくるのは大体、施設側から「1人いくら」でキックバックをもらっているスカウトなのだと言う。
 「自分がこんな生活をすることになるとは夢にも思わなかった」と男性は話す。彼の人生は、病気になってからあっという間に暗転していった。「病気になって転々とするうち、運転免許も失効してしまった。今思えば、免許さえあればタクシーの運転手くらいできたかもしれないのに」。
■「声をかけられるのはありがたい」
 こうした無料低額宿泊所は、生活困窮者を囲い込んで生活保護を吸い上げているとして「貧困ビジネス」などと批判されることもある。ただ、この男性は、宿泊所での暮らしは耐え難かったと言う一方で、「路上で雨風と世間の目にさらされるのに比べれば、やはりそうやって声をかけてくれる人をありがたいとも思う」と話す。
 宿泊所の居住空間について、法的な規制はあまりない。自治体によっては条例で1人当たりの床面積を指定しているところもあるが、男性は「違反の取り締まりなどに、行政はそれほど熱心ではない」と話す。「行政だって、行くとこがないっていう人に紹介できる場所がなくなったら困る。事業者側なんかむしろ、『行政の代わりに自分たちが受け入れてあげている』という感覚じゃないかな」という。
■福祉のあるべき姿とは
 この男性のように環境に耐えきれず逃げ出そうとする人もいれば、そこに居続ける人もいる。事業者の違いも、感じ方の差もあるため、この証言だけで無料低額宿泊所全体の質について話すのは避けるべきだ。
 だが、行政などの窓口を通して紹介された施設でもこの男性のように感じる人がいる。それは困窮者の「ぜいたく」なのか、「福祉の不足」なのか。自分が生活困窮に陥った場合に想像を膨らませて、あるべき姿を考える必要がある。
 NPO法人(特定非営利活動法人)のエス・エス・エス(SSS)。2013年末時点で、無料低額宿泊所127施設、約4600人を受け入れている、同事業の国内最大手だ。移転や改装などで居室の完全個室化を進めており、2013年に個室は1487室と、前年から62室増えた。居室全体に占める割合は51%になった。
 SSSが力を入れているのは、住環境の改善だけではない。竹浦史展事務局長は「無料低額宿泊所は、困窮に陥った人が次の安定した生活を取り戻すための一時避難の場所。地域のケースワーカーなどと連携して、いかに自立を支援するかが重要」と話す。
■自立を支援
 2002年に開設した「葛西荘」(東京都江戸川区)を訪れた。定員48人で、全て2人部屋だが1室8~10畳あり、1人当たり4~5畳のスペースが取れている。


 特筆すべきなのは、2014年3月から2015年2月までの間に、退所した118人の理由だ。アパートへの転宅など「自立」と認められるものが71人と6割強を占める。ほかの退所理由は福祉施設など、そのほかの社会資源への移動が8%、未届が18%などだ。
 働けない高齢者や傷病者が比較的少ないことも影響しているが、それよりも奏功しているのが、施設側で就労支援を手掛けていることだ。入所者の状況に合わせて、どんな仕事ならできそうかを考えるほか、働くことに後ろ向きになりかねない精神面のサポートをする。葛西荘では、取材時点で「働くことができる」と思われる23人のうち、16人がアルバイトなどで就労中、7人が求職活動中だった。
 2013年9月に入所したAさんは、事業に失敗して生活困窮に陥った。それが理由で家族とも離れた。収入は生活保護に頼っている。66歳だが体は健康。施設側の計らいで、入所者向けの食事を作る厨房のアルバイトを続けている。
 近く、施設を出て近くのアパートに転居することになった。転居してからも同施設に通い、厨房のアルバイトは続けるという。
 アルバイトでの収入は月に数万円。働いた分、もともと約12万円の生活保護費が減額されるため、働いてもAさんの実入りが増えるわけではない。だがそれでも、自宅があり、職場に通い、働いて賃金を得ることは人に生きがいを与える。
■「自分はラッキーだ」
 Aさんは「自分のせいで、他の人が収めた税金で暮らすことになってしまった。全額を稼げないのは申し訳ないが、いくらかでも働いて収入があれば、税の負担を減らせる。おんぶに抱っこになってしまってはいけない」と話す。
 また「自分はラッキーだ」とも話す。もともとは無料低額宿泊所という存在すら知らなかった。生活困窮という立場になった時、「初めてのことで、どこに相談したらいいのか、何をしていいかも全然分からなかった。自分はたまたまいい巡り合わせで、働くことができ、もう一度人生を生きられる。だが、こうしたことを知らずに、困っている人もいるはずだ」。
 首都圏のある自治体で、福祉に関わる職員は「困窮者が行ける場所がなければ、相談に来られても困る。10数年前はあまり無料低額宿泊所の環境を考えられず『とりあえず入れられればいい』という発想だったが、今は徐々に環境改善の方向に向かっている」と話す。
■知られざる困窮者の生活
 ただ、福祉施設の環境改善は喜ばしいが、悩ましい問題でもある。主に公的支援で暮らしている人たちに対して、どれほどの環境を与えるのが「適正」なのかという問題があるからだ。
 例えば居室を改装するのには当然費用がかかるが、事業者の収入源が生活保護である実態からすれば、実質的には公的資金で困窮者の生活を向上させているとも考えられる。財政がひっ迫する中で、市民に理解が得られるかは分からない。
 かといって政府が検討しているように、生活保護の中の「住宅扶助」を削減するなどして、福祉事業者にお金が残りにくくなれば、「劣悪」とされる福祉の住環境は改善しない。「市民は、自分が生活困窮になった際にどんな場所でどんな生活をするかを知らない。そのことが、議論を阻んでいる」(同職員)。
 昨今では、「刑務所の福祉施設化」という問題も指摘されている。「塀の中」の方が外よりも暮らしやすいと考えて、万引きなどの軽犯罪を繰り返して刑務所生活を続ける人が増えているとされる。
■増える高齢者の盗み
 法務省の「犯罪白書のあらまし」(2014年版)によると、窃盗の認知件数は2003年から減少し、2013年は実に40年ぶりに年間100万件を下回った。
 だが、高齢者についてみると全く逆の傾向になる。2013年は10万人当たり106.8人と、1994年と比べ約2.5倍に増加。高齢者人口の伸びを大きく上回っており、2013年に検挙された窃盗全体の24.5%を65歳以上が占めた。1998年ごろまで半分を占めた20歳未満の比率は24%まで減り、今やこの国で最もモノを盗んでいるのは高齢者だ。
 2013年の新受刑者は2万2755人で、そのうち60歳以上は3962人と17.4%を占めた。前年から0.7ポイント増え、比率は過去最高となった。
 経済的に余裕がある人に比べて、何かが劣っていた可能性はある。だがそれは、困窮者が「犯罪者よりも苦しい生活」を強いられる理由には一切ならない。「自分とは関係ないこと」として、困窮者がどんな生活をしているかに目を向けないことは、自らが転落した時のリスクを増大させているとも言える。