医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

日本動物園水族館協会資格停止問題から考える

2015-06-14 21:19:28 | 社会問題・生活
イルカ漁騒動で大儲けするのは誰か?
窪田順生 [ノンフィクションライター]
「WAZAの通告の裏には反捕鯨キャンペーンがあったと思う。いじめという言葉が妥当かは分からないが、圧力があったのは間違いない」
 ややこしい話だが、反捕鯨団体に圧力をかけられたWAZAがJAZAに圧力をかけたという図式だというわけだ。ただ、そうだとすると別の疑問も浮ぶ。イルカ漁やらイルカショーへの抗議は年がら年中やっている。これだけでWAZAが動くとは到底思えない。
 だが、この「情報流出」を聞けば合点がいく。
■サイバー攻撃でイルカ漁情報を世界に拡散
ハッカー集団と反捕鯨団体の「連携プレイ」か
 JAZAの会員用ホームページには、各地で開催される会議の情報や報告のほか、加盟する施設がイルカなどを入手する方法や繁殖の記録なども保管されていた。また、流出されたと思しき情報がアップされていたのが、水族館でイルカやシャチを展示することなどに抗議をするサイトだったという。しかも、流出が判明したのは3月。WAZAから資格停止の通達があった1ヵ月ほど前のことだ。
 まず、アノニマスが日本の水族館の“イルカにまつわる内部情報”をネットに漏れさせる。次に反捕鯨団体がこれを取り上げて、鬼の首をとったかのように大騒ぎをし、「こんな酷い状況を放置しておいていいんですか?」とWAZAを締め上げる。この“連携プレイ”によって、日本側にとって寝耳に水の「資格停止」となったとは考えられないか。
 もちろん、すべては推測だが、近年の反捕鯨団体とアノニマスの動きを考えれば不思議ではない。
 あらためて言うまでもないが、反捕鯨団体の本当の狙いはJAZAではなく、和歌山県太地町である。彼らが心底憎むイルカ追い込み漁を頑なに続けているというのはもちろん、この地が世界でも有数の「イルカ供給基地」ということが大きい。
 財務省の貿易統計によると、2009年9月~14年8月の鯨類などの生体輸出は計354頭。輸出先は中国216頭、ウクライナ36頭、韓国35頭、ロシア15頭など12ヵ国に及び、米国も1頭ある。現在、イルカ漁の生体販売は太地町以外に実績はない。つまり、これらの国の水族館のイルカ展示やイルカショーは、太地町が支えているのだ。
 反捕鯨団体「シーシェパード」(以下、SS)は、日本の捕鯨船への嫌がらせを誇らしげに「クジラ戦争」と呼ぶ。そのロジックで言えば、太地町は「イルカ戦争」の最前線。ここを潰せば戦局は大きく変わる。だから、SSの活動家は太地町に潜入して、漁師たちに嫌がらせをするなど“妨害工作”を働く。
 町役場や漁協に世界中から嫌がらせのファックスなど「紙爆弾」が送られるのも、戦意を喪失させるためだ。このように最前線で奮闘するSS活動家の“後方支援”に乗り出したのがアノニマスだ。13年11月に和歌山県や太地町のほか、22のサイトを名指しでサイバー攻撃すると宣言し、「我々の怒りの大きさを直視せよ」という声明を発表しているのだ。
 こういう経緯をあらためて振り返れば、WAZAによる「会員停止処分」は、実は反捕鯨団体やアノニマスによって綿密かつ周到に準備された“奇襲作戦”であった可能性は極めて高い。
■シーシェパードが仕掛ける「イルカ戦争」
動物愛護PRで大金が儲かる
 追い込み猟で捕獲したイルカをJAZA加盟水族館が買わないということになれば、「日本随一のイルカ供給基地」である太地町に大きなダメージを与えることができる。だが、そんな戦果以上に、太地町を孤立させることは、反捕鯨団体にとって大きなメリットがある。
 それは、「反捕鯨活動のPR」だ。
 反捕鯨団体に限らず動物愛護団体というのは、一般人はもちろんのこと、環境系企業や大富豪からの「寄付」によって成り立っている。当然、メジャーな活動にはたくさんのカネが集まるし、どんなに素晴らしい活動でも、「知る人ぞ知る」というようなマイナーなものだと集まりが悪い。だから、どうしても知名度がキモになる。
 これに加えて、じゃんじゃんカネが集まるためには必要不可欠な要素がある。「悪者」だ。
 動物愛護団体の「正義」を際立たせるためには、なんの罪もないいたいけな動物を、自分たちの利益のために殺すという「悪者」がいなくてはならない。そういう意味では、太地町はうってつけだ。
 ほとんどの日本人はイルカもクジラも食べない。ここに手をつけなくてはいけないほど、飢えているわけではない。にもかかわらず、一部の人々が自分たちの利益のためにイルカやクジラを殺しまくる。そんな野蛮な行為をやめてと訴えても、「文化」とか「調査」だと反論して耳を傾けない。
 そんな“悪の漁師町”がメディアによって世界に広まれば、必然的に反捕鯨団体のプレゼンスもあがる。「こんな酷い大量虐殺がまだ行われているとは知らなかった。こりゃなんとかしないと」という“意識高い系”のセレブやら、動物愛護なんかをCSRにしている環境系企業からチャリンチャリンとカネが集まるという仕組みだ。
 だから、動物愛護団体はエボラ出血熱を広めた原因でもあったブッシュミート(野生動物食)はあまり声高に批判しない。アフリカではイルカと同じく知能の高いほ乳類とされているゾウなどを殺して食料にする人々がいるが、これは貧困や食料問題のせいで明確な「悪者」がいない。南北問題なんかも複雑にからみあっていて、ヘタをすると、矛先が先進国へブーメランのように跳ね返ってくる恐れもある。その点、イルカやクジラの場合、安心して日本を「悪者」にすることができるというわけだ。
 いやいや、宇宙船地球号の仲間たちを守るラブ&ピースな人たちが、そんな打算で動くわけがないだろう、とブーイングが寄せられるかもしれないが、事実として、このような「対立軸」をつくりだすことに成功した動物愛護団体には巨額のカネが舞込んでいる。
 その代表がご存じ、SSだ。
■映像を駆使する巧みな“広報戦略”で
SSの収入は8年で10倍以上に
 産経新聞によれば、SSの04年の収入は120万ドル(約1億4000万円)に過ぎなかったが、8年後の12年には1365万ドル(約16億2000万円)と急成長を果たしている。ここに貢献したのが、日本という「悪者」の存在であることは言うまでもない。
 捕鯨船に体当たりをして邪魔をする。イルカ漁の網を切る。この8年間で、悪の組織に対して猛然と立ち向かう反捕鯨団体という対立軸を見事に確立したのである。そこで彼らの武器になったのが「映像」だ。
 SSはかねてからイルカ漁や捕鯨を行うデンマーク領フェロー諸島などで大暴れし、「エコテロリスト」なんて呼ばれて問題視されていたが、メジャーになったのは07年からスタートしたアニマルプラネットの「クジラ戦争」という番組によるところが大きい。
 SSの抗議活動に密着して、彼らがいかに捕鯨船を邪魔するかを迫力満点の映像で紹介するリアリティ番組はすぐに大人気となり、シーズン2にいたってはアニマルプラネット史上2位の高視聴率を叩き出して130万人が視聴をした。SSが日本の捕鯨船に対して派手なアクションをとる時は、だいたいヘリコプターが飛ぶ。これはテレビカメラで空撮をおこなっているからだ。彼らの抗議活動は、いかに“いい画”を撮るかでもあるのだ。
 こうした「映像作品」によってSS関連グッズが売れる。番組を見たハリウッドセレブから多額の寄付も寄せられる。こういう流れが一度できてしまうと、もう止まらない。
 視聴者やスポンサーは「悪者」には、よりそれらしいふるまいを望むものだ。そして活動家たちは、日本を強引にそういうキャラクターにしたて上げていく。
 たとえば抗議活動中、日本の捕鯨船にSSの活動家が乗り込んできたことがある。彼らは捕まる気マンマンで歯ブラシなんかのお泊りセットも持参し、「天ぷら食べたい」とか言いたい放題だったというが、後に解放されてから、「酷い虐待を受けた」などと言い出した。寄付ビジネスのためというのはわかるが、日本からすれば、やはり気分のいいものではない。

■クジラ戦争で培ったノウハウで
イルカ漁が断罪された
 そんな「クジラ戦争」で培われた映像による対立軸設定の集大成が、太地町のイルカ漁を扱ったドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」である。
 和歌山県のホームページで、《イルカの捕殺現場を隠し撮りし、命が奪われていく所をセンセーショナルに映し出してい》るとあるように、日本側は撮影手法や構成がかなり偏っていると批判している。
 実は、この映像作品を手がけたのはSSのOBだ。彼らが10年以上も磨き上げてきた「対立軸を煽る」という手法がふんだんに使われているのは、ある意味で当然だろう。
 実際にその効果もてきめんに出ている。「ザ・コーヴ」がアカデミー賞をとってからというもの、太地町や漁協への「紙爆弾」は激しさを増し、「変態民族め」という誹謗中傷や、戦時中の死体画像とともに南京事件と結びつけるような文面もでてきたという。
 このような反捕鯨団体の緻密なPR戦略によって、日本は完全に「悪者」に仕立て上げられてしまっているというわけだ。こういう状況で、「伝統文化だ!」とか「お前らだってスポーツハンティングしているだろ」みたいな反論をしたり、お役所のホームページで「公式見解」を示したりしても、ほとんど意味はない。というか、逆効果だ。
 たとえるなら、北朝鮮が核実験を世界中から非難されて、国営テレビの女性キャスターが怒って反論をしているのを見た我々が、「やれやれ、またおかしな理屈をふりかざしているよ」と思うのと同じような感想を抱かれるのがオチだ。
■日本側が態度を硬化させれば逆効果
映像コンテンツでPRし返せ
 では、どうするか。彼らの「勝因」は反捕鯨活動というものを、さながらアメリカンプロレスのようなエンターテイメント性のある映像コンテンツにしたことである。これにカウンターを打つには、やはり映像やエンターテイメントで日本の正当性を訴えるしかない。
 ドキュメンタリーをつくるのもいい。実際に、同じくSSの標的になっているフェロー諸島では、イルカ漁がいかに地域文化や経済に根ざしているかというPRビデオをつくっている。アニメやマンガがクールジャパンだというのなら、そういう武器を使うのもいい。
 SSのような反捕鯨団体が最も喜ぶのは、今回のような圧力を受けて、日本国内で「文化を守れ」とか「欧米にガタガタ言われる筋合いはない」という世論が高まることだ。
 日本が態度を硬化させて、ノルウェーやアイスランドのようにIWC(国際捕鯨委員会)を無視して商業捕鯨を継続してくれれば、なおさら都合がいい。国際世論から孤立すれば、なんの気兼ねもなく「正義」の戦いを遂行できる。以前の大戦の時から、日本はこういう西側諸国の包囲網戦略に弱い。
 日本のイルカ漁、捕鯨関係者のみなさんは相手の挑発に乗ることなく、ぜひとも「PR」という戦いの方に力を入れていただきたい。



















円谷幸吉の最後のことば

2015-06-10 06:45:28 | 社会問題・生活
折々のことば:69 

鷲田清一

朝日新聞 2015年6月9日 配信


 父上様 母上様 三日とろゝ美味(おい)しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。
(円谷幸吉)

「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」に至るまでに、兄姉、おいめいなど31人の近親に向けた、食べ物、洗濯、送り迎えなどへの礼が挟まる。「日本」の期待を背負い、ついに応えきれなかったマラソン選手の遺書は、大義ではなく身近な人たちの小さな支えに宛てられていた。東京五輪で銅メダルを取るも27歳で自死。

• 解説:東京五輪と円谷幸吉(2014年10月10日 朝日新聞夕刊)
1964年10月21日にあったマラソンは、4年前のローマ五輪で優勝し、「裸足のアベベ」として有名になったエチオピアのアベベ・ビキラ選手が独走し金メダル。7万人が詰めかけた国立競技場に2位で入ってきた円谷さんは、ゴール直前に抜かれて3位だった。円谷さんは68年1月、正月休暇明けに自死。家族にあてた遺書は「父上様母上様三日とろゝ美味しうございました」と始まり、「気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」と締められていた。喜久造さんには「喜久造兄姉上様ブドウ液養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました」とあった。












「日本酒」純国産に限る 

2015-06-10 06:42:53 | 社会問題・生活
財務省、年内にも定義 
外国の米・水使用は呼称認めず


朝日新聞 2015年6月9日 配信

 純国産でなければ「日本酒」とは呼ばせません――。政府のクールジャパン戦略の一環で、財務省がそんな方針を年内にも決める。今後増えるとみられる外国産の清酒と差別化し、日本食ブームに乗って本家本元の日本酒を、世界で味わってもらうのが狙いだ。
 これまで、日本酒のはっきりした定義はなかった。国税庁長官は年内にも「日本酒」について地名を商品名に使う知的財産権である「地理的表示」に指定。日本酒や英語の「ジャパニーズ・サケ」を名乗れる清酒を、国産米や国内の水を使って国内でつくられた清酒に限る方針だ。
 日本など世界貿易機関(WTO)の加盟国は、地理的表示に指定した商品を保護し、その地名を産地以外の商品に使わないよう取り決めている。英スコットランドの「スコッチ・ウイスキー」、仏シャンパーニュ地方の「シャンパン」が代表例だ。
 指定が実現すれば、海外産のコメを原料にしたり、海外で醸造したりした清酒を「日本酒」と表示することを認めず、違反した商品の製造や販売の取り締まりを各国に求めることができるようになる。違反した業者には、罰金を科すこともできる。
 近年は日系人が多い米国やブラジルのほか、カナダ、中国などで現地産のコメなどで清酒を生産する動きが広がっている。米国内の清酒販売量の8割が米国産ともいわれる。(青山直篤)

















「人材育成」こそ最大の成長戦略

2015-06-04 14:35:52 | 社会問題・生活
「21世紀の資本」フランスの経済学者トマ・ピケティ著
「資本の収益率は経済成長率より高いので、平均的な労働者よりも資産家の方が富みを増やしていく」
多くの国で資産の内実は住宅不動産である。
つまりは「自己所有不動産があるか否か」が大きな分かれ目。
問題はこの格差は「遺伝」する。
ここまで入力して、パソコンは約30分フリーズする。
「人材育成」こそ最大の成長戦略-これが結論。
日本経済の強みは、平均的な労働者の優秀さにある。
彼らが高いパフォーマンスを発揮できれば、経済は大きく成長できる。
デフレ状況下では、「将来、物価はもっと安くなるはず」という意識が働き、消費も投資の先送りされがちになる。
すると足元でモノが売れないので企業業績が悪化し従業員の賃金も下がり、ますます投資と消費が落ち込み悪循環に陥る。
一方、インフレ(物価が上昇していく現象)基調の経済であれば「将来、物価はもっと上がるから、早めに買っておこう」という意識が働き、消費や投資が活発になる。
そのため、日本経済の活性化にはデフレからインフレへの転換は必須。
インフレとは、モノに対するお金の価値が低下することに他ならない。
景気がよいと企業も財務状況がよくなるため、新製品の開発や人材育成といった長期的な投資に踏み切ることができる。
従業員の能力を見て適材適所に人材を配置するシステムになっていることは日本企業の強うさの源泉になり得るだろう。
だが日本では、企業間の人材の移動が非常に遅れている。
その理由は年金と退職金にある。
企業年金のシステムは硬直的で、他社に移るとそれまでの掛け金は無駄になる。
明治大学政治経済学部准教授・飯田泰之さん











「人はなぜ生きるのか」をまっ正面から描く青春小説

2015-05-30 00:02:04 | 社会問題・生活
[お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんの小説ブーム]
小説「火花」
純文学の復興に期待
読者引きつける巧みな若者描写

人間の内面を照射する純文学。
「人はなぜ生きるのか」をまっ正面から描く青春小説。
人間の悩める内面をえぐり出し、問題が解决しないのが純文学の典型であり。青春小説はその王道である。
時に難解で重苦しいが、折々に社会に衝撃を与えブームとなった。
享楽的だったり廃退的だったり風俗を活写する作風、あるいは若い女性の書き手が強い驚きを呼んだ。
「若者がどう生きているのかがリアルに描かれている」
優れた純文学は、狭い世界を描いていても、必ず読者の現実に絡み合う。
明るくなくても救いがある。
毎日新聞「記者の目」東京学芸部の鶴谷真さんは、小説「火花」を取り上げている。

65歳独女性が四つ子出産 

2015-05-26 10:18:27 | 社会問題・生活
世界最高齢と報道

共同通信社 2015年5月25日(月) 配信 

 【ベルリン共同】ドイツのメディアは23日、ベルリンのアンネグレット・ラウニックさん(65)が、四つ子を帝王切開で無事出産したと報じた。四つ子を産んだ母親としては世界最高齢という。
 ラウニックさんは英語とロシア語の教師で、既に子どもが13人、孫も7人いる。四つ子の出産で、子どもは17人になった。10歳の娘から弟か妹がほしいとせがまれていたといい、ウクライナで提供された卵子に人工授精をして妊娠した。ドイツでは卵子提供が禁じられている。
 生まれたのは男の子3人と女の子1人。身長は30~35センチ、体重は655~960グラムで未熟児のため、現在は保育器で育てられている。















長時間のFacebookはうつ傾向と関連

2015-05-26 10:16:50 | 社会問題・生活
他人と自分の比較が増えると米・研究

m3.com 2015年5月25日(月) 配信 池田宏之(m3.com編集部)

 Facebook(FB)への長時間接触と抑うつ状態には関連性がある――。米ヒューストン大学の博士号候補者による論文が4月、米国の雑誌に掲載された(同大のホームページを参照)。著者は、FBを通じて他人の生活の「(良い面の)ハイライト」を見ることが、自身の生活と比較して、落ち込んだ気持ちを引き起こし、「自分の生活を悪いものと感じるようになりかねない」と指摘している。SNSサービスなどのオンラインサービスを通じた、他人と比較できる情報の接触について、「利益は一時的で、健康への害にもつながりかねない」としている。
 著者は、同大で社会心理学を学ぶMai-Ly Steers氏。雑誌は、米国のJournal of Social and Clinical Psychology誌。同氏は、FBのサービスが、精神衛生に及ぼす影響を検証した。結果として、FBが直接うつと結びついたわけではなかったが、落ち込む気持ちと、FBの長時間の利用について「密接な関係にある」と指摘している。性別による差はなかった。
 分析として、FBの一つの危険性として、「普通なら知り得なかった私的な情報が得られ、他人と自身を比較する機会を増やす」と指摘。その上で、他人の投稿を予想することができないことから、「FBによる衝撃はコントロールできない」と警鐘を鳴らしている。
 さらに、FBの投稿については、「悪いことを無視して、良いことを投稿する傾向にある」「(投稿者の生活の)ハイライト」と指摘し、読んだ人が、「自身の生活を悪いものと感じるかもしれない」としている。

ユトリロとヴァラドン母と子の物語

2015-05-22 01:37:11 | 社会問題・生活
母は自由奔放な女性の情熱を絵に反映
息子ユトリロは閉塞感や孤独感、寂寥などが絵に込められている。
スュザンヌ・ヴァラドン 生誕150年
私生児として生まれたヴァラドンは17歳の時、画家ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、ルノワール、ドガらのモデルを務め評判になる。
彼女が見よう見まねで描いたデッサンを見て、激賞したのがロートレック。
それが画家・ヴァラドンの誕生のきっかけとなる。
恋多きヴァラドンは、私生児としてうまれたユトリロを母に預けた。
ユトリロの父親は誰であったのか?
恋いに忙しかった母親、ユトリロは祖母のもとで孤独に過ごす。
ユトリロ16歳の時にアルコール依存症になった。
以後何度も入退院を繰り返し、凶暴性を発揮することもあった。
17歳の時、治療のため医師のエトランジェに勧められ、絵を描くことになったが、画家の母親はほとんど絵の手ほどきをしなかった。
彼は19歳ころから本格的に絵を描くことになった。
母が世を去ると母を聖母のように崇めた。
















猫好きと猫嫌い

2015-05-20 08:13:07 | 社会問題・生活
「タマは、どうしているだろうね?」
近所の西田さん(仮名)が猫のタマの消息を気にかけていた。
あれから4年の歳月が経ったであろうか?
誰にも甘えるように身を寄せて来る珍しい猫で、犬のように散歩にも着いてきた。
そのタマが突然居なくなったのだ。
昨日、知人の神田さん(仮名)の家の方角からタマのように猫が鳴きながら、身を寄せてきた。
だが、タマとは明らかに違う毛の色の猫だ。
タマは茶系で、その猫は黒と白である。
道に寝転んで何度も腹を見せる。
猫好きの当方としては猫の習性をみていると飽きない。
家人は猫が大嫌いなので、当方は猫を飼いたくも飼えない。
「なぜ、猫が嫌いなの?」と聞いたことがあるが、「大嫌いなものは、大嫌い」と素っ気ない。
一度、小猫が庭にやってきたので部屋に入れたら「気持ち悪い、外に出して、ああ嫌だ。猫は大嫌い!」と悲鳴をあげたのだ。














迫る海、村を捨てた

2015-05-19 06:02:49 | 社会問題・生活
 島国キリバス
朝日新聞2015年5月17日 配信

 南太平洋の島国キリバス。アバヤン島沿岸のテブンギナコ村は200人以上が内陸部へ引っ越した。10年ほど前、大潮の際に海水が胸の高さに来るようになり、今では頭より高くなる。元村人のアアタ・マロイエタさん(68)が住む海から100メートルほど内陸の村でも最近、道が海水につかった。「でも逃げ場がない。島は真っ平らだから」
 (アバヤン島=郷富佐子)


村人が去ったテブンギナコ村。満潮時には人の身長より高く海水が入り込み、潮が引くと倒れた木々がむき出しになる=キリバス・アバヤン島
 海岸の防護壁は崩れ落ち、無人の村の家々の中には貝殻が散乱している。ヤシの木は倒れている。

 キリバスの首都タラワ。沿岸部のビゲニコーラ集落に大量の海水が押し寄せたのは、3月のことだった。
 「強風が吹き、夜中に床上まで海水が入ってきた。朝に水が引くまで皆で神に祈った。6歳の孫娘が『沈むのはいや。逃げる船をつくって』と頼むんだ。ここを離れる日が近づいていると実感した」集落長のエリア・マエレレさん(65)は暗い表情で振り返った。
 バヌアツなどを襲った大型サイクロン「パム」が、強い熱帯低気圧が来ない赤道地帯とされてきたキリバスもかすめたのだ。
 10年ほど前から大潮のときに海水が入り始め、今ではひざ下まで浸水するようになっていた。「パムで海水が胸の高さに達したのは最終宣告なのか。気候変動はここでは現実だ。先進国は支援してほしい」。マエレレさんは訴えた。
 33の環礁からなるキリバスはサンゴが堆積(たいせき)してできており、平均標高は2メートルほど。海面上昇の影響を受けやすく、「温暖化で最初に沈む国」の一つとされる。
 政府は昨年、フィジーに約20平方キロの土地を買った。アノテ・トン大統領は「海面上昇や塩害で耕作地がなくなった場合の食料確保のためだが、最悪の場合は移住の場にと考えたこともある」と明かす。

 ■主食のイモ、収穫半減予測
 温暖化の影響は島国の山間部でも指摘されている。パプアニューギニア(PNG)の山岳地帯にあるゲレミヤカ村。標高1600メートルを超える畑で、タイガーマン・テネンゲさん(34)は草刈りをしていた。
 年間を通して主食のサツマイモを栽培し、半月前に100キロ近く入る袋で13袋も収穫した。熱帯にありながら朝晩は肌寒いが、「この何年かは暖かくなったせいか3カ月に1度、収穫できる」と顔をほころばせた。
 今は農民を喜ばせる「暖かい気候」への変化に、実は警鐘が鳴らされている。
 アジア開発銀行(ADB)の2013年版「太平洋地域の気候変動経済」は、「最悪のシナリオでは、50年までにPNGのサツマイモ収穫量は50%減る」との見方を報告した。
 ADBのエコノミスト、シンヤン・パーク博士は「長期的な温暖化の影響には干ばつなど降雨量の変化や作物の病気の流行も含まれる。さらに気温が上がれば、主食を失うことにもなりかねない」と指摘する。

長寿番組となった「吉田類の酒場放浪記」

2015-05-15 12:52:26 | 社会問題・生活
YAHOO ニュースにも下記のような記事を取り上げていました。
こういうの読むと「酒場」に行きたくなりますね。
当方はBSもCSも受信してないので、見たことはないのですが…。

大人がハマる「新・月9」、吉田類の秘密
東洋経済オンライン  5月14日(木) 配信


長寿番組となった「吉田類の酒場放浪記」(BS-TBS HPより)
 30~40代の中間管理職ともなれば、増えてくるのが、夜の会食の数。ところが接待の相手が目上の方だったり、重要な取引先だったりすると、ずっと気を張りっぱなし。食事を楽しむどころではありません。そういう人たちを思いっきり酔わせてくれる番組があるのをご存じでしょうか。

 先日も女子会でこんな話になりました。

「会食って疲れるよね」

「せっかく高級な店に行っても、ご飯の味を全然覚えていないこともあるよね」

「私なんか、家に帰ってから吉田類を肴(さかな)にひとりで飲み直すこと、あるもん」

「やっぱり?  私もよくやる!」

 吉田類を肴にってどういうこと?  という読者の方もいらっしゃるでしょう。今回は酒好きが愛してやまないディープな番組の話です。

■ 11年で、累計662回! 

 「吉田類の酒場放浪記」(毎週月曜夜9時放送 BS-TBS)は今、最も人気の高いBS番組のひとつです。

 「酒場という聖地へ、酒を求め、肴を求めさまよう…」というキャッチフレーズのとおり、大衆酒場に造詣が深い吉田類さん(酒場詩人)が、毎回、首都圏各地のレトロな居酒屋を訪れるという番組です。

 番組は2003年9月の放送開始から、じわじわと人気を集め、今年で11年目に突入。5月11日の放送で662回を迎えました。

 当初は15分でひとつの店を紹介するミニ番組として放送されていましたが、現在は、1本の新作に3本の再放送を加え、15分×4段積みの1時間番組として放送されています。

 かつて月9といえば、フジテレビ系列のトレンディードラマの代名詞でしたが、今や酒飲みの間で「月9」といえば、「吉田類の酒場放浪記」。独身、既婚者を問わず、幅広い層の酒好きに支持されています。その人気の理由を探ってみると、自宅で「酒場」の雰囲気を味わうためにこの番組を使っている人が多いようなのです。
 女性だけが集うSNSには、こんな書き込みが見られました。

「週の初めで、つい質素になりがちな夕ご飯でも、この番組を肴にビールが飲めます」

「月曜夜9時は自宅が酒場になります」

「お父さんが好きで、ついつい一緒に見ていたらハマった!  この番組を見ながら、晩酌をするのが好き」
 「吉田類の酒場放浪記」を見ていると、確かに自分がその場にいて飲んでいるような気分になります。手元のつまみは質素でも、画面の中の料理はおいしそう。15分番組の4段積みですから、紹介されるお店は4店。画面上に料理と酒が次々に出てきます。

■ 再放送でも新鮮に見えるワケ

 たとえば、5月11日の放送では、次のような酒と料理が! 

 どうでしょう。何とも豪華な気分になってきませんか。

 筆者が感心したのは、再放送の編成の仕方。なぜ再放送なのに、新作のように見えるのだろうと思って調べてみたら

・住吉「大衆割烹 大野屋」(2012年5月、初放送)

・東武練馬「春日」(2013年5月、初放送)

・新小岩「おばこ」(2014年5月、初放送)

 というように、再放送はすべて5月に初放送されたもの。このように季節を合わせれば、吉田類さんの服装も、町の雰囲気も、旬の食材も変わらないので、違和感なく見ることができます。
 この番組の大半は酒場の雰囲気と吉田類さんを映した映像で構成されています。

 毎回、町の名所を1カ所紹介した後、大衆酒場ののれんをくぐります。まず初めの1杯を頼んでから、お客さんたちと乾杯する、というのがお決まりのパターン。今や吉田さんは酒飲みの間では大スターですから、「会えてうれしい」とはしゃぐおばちゃんたちも。

■ 男性の聖地をのぞき見る楽しさ

 吉田さんは、夕方の5時ぐらいに店を訪れることも多いのですが、外はまだ明るいのに、常連さんたちはすでにほろ酔い。しかも、ものすごく楽しそう。何だか、昭和を生き抜いてきた方々のたくましさみたいなものを感じるのです。

 酒場にいるおじちゃんやおばちゃんたちを見ていると、仕事でクヨクヨ悩んでいる自分が何ともちっぽけに思えてきます。

 この雰囲気を直接味わってみようと、番組ファンの中には、酒場を巡礼する人たちもいるようですが、一見さんでこうした店に入るのにはまだまだ勇気がいります。特に女性には敷居が高いのです。

 筆者も一度、番組ファンの間では聖地と言われている吉祥寺の「いせや総本店」に入ってみようとしたことがあります。2003年、第1回目の放送が、この店だったからです。

 週末の夕方ごろ、JR吉祥寺駅の公園口を出て、西へ向かい恐る恐る外からのぞいてみると……お客さんは全員男性!  タバコもくもく、焼鳥もくもく。とにかく、もくもくなのです。しかも常連さんっぽい人ばかり。店の中にひとりも女性はいませんでした。

 さすがに女独りであの空間に入ることはできず、断念。結局、テイクアウトで焼鳥を買って、近くの井の頭公園で食べたのでした。

 「私の夢は、博多あたりの屋台や立ち飲み屋で、偶然、ご機嫌な吉田類さんと居合わせて、乾杯してもらうことです」とネットに書いていた女性ファンがいらっしゃいましたが、その気持ちがとてもよくわかりました。
 酒場というのは、やっぱり男性の聖地。あの空間に、女性独りで入っていくのは、本当に勇気がいるもの。だからこそ女性たちは、「店には入れないけれど、雰囲気だけでも味わいたい」と「吉田類の酒場放浪記」を見ているのかもしれません。

■ 「おじさん独り」のほうがリアル

 「吉田類の酒場放浪記」のヒットをきっかけに、BS各局で酒場番組が数多く放送されるようになりました。一時は、番組欄が「酒」だらけだったこともあります。

 酒場番組が次々と生まれては消え、生まれては消える中で、生き残っている番組にはひとつの共通点があります。それは、出演者が、男性独りだということ。しかもホンモノの居酒屋の専門家です。

 「吉田類の酒場放浪記」とよく比較される、「ふらり旅 いい酒いい肴」(BS11、毎週水曜夜10時放送)も、出演者は太田和彦さん(居酒屋探訪家)だけ。太田さんも全国の居酒屋探訪歴30年の第一人者。毎回、食通だけが知る地方の有名店を紹介しています。

 「吉田類」と「太田和彦」の後を追って制作された酒場番組の中には、有名俳優やタレントが出演されていた番組もありました。ところが残念ながら、どれもそんなに話題にはなりませんでした。出演者がたくさんいると酒場を疑似体験する番組ではなく、トークショーになってしまうからです。酒場番組ファンは、酒場を疑似体験したいわけですから、トークショーには食いつきません。

 やっぱり酒場番組には、その場に溶け込んでくれるおじさんが独りがいちばん。吉田類さんは途中から酔っぱらって何を話しているかわからなくなっている回もありますが、それもまたリアリティがあっていい。こういうおじさん、酒場には絶対いますから! 

 吉田類を肴に家で飲んでいると、テレビ番組というのはいろいろな活用の仕方があるのだなと思います。

 かつて月9でトレンディードラマを見ていた世代が、BSの月9を見る。バブル世代も年齢を重ね、やっと地に足がついてきたのかもしれません。 (佐藤 智恵)

植物はすごい - 生き残りをかけたしくみと工夫

2015-05-10 22:06:41 | 社会問題・生活
(中公新書): 田中 修 著
身近な植物にも不思議がいっぱい。アジサイやキョウチクトウ、アサガオなど毒をもつ意外な植物たち、長い年月をかけて巨木を枯らすシメコロシノキ、かさぶたをつくって身を守るバナナ、根も葉もないネナシカズラなど、植物のもつさまざまなパワーを紹介。

田中「植物は動き回わらないから下等」というのは、短絡的な考え方ですね。動かないのは、その必要がないからです。なぜか。それは、動物が動き回る理由を考えれば、ごく簡単に理解できます。
まず、動物は食べ物を探し求めて動き回る。でも植物は光合成によって自分の栄養を自分で作れるので動き回る必要がありません。次に、動物は生殖の相手を探さなくてはいけません。一方、植物は花粉を風や虫に運ばせます。ただし、風や虫といった、どこに飛んで行くか分からないものに花粉を託すので、植物はそこにじっとしていても、うまく生殖できる巧みな仕組みを備えています。それから動物は、寒い時は暖かい所に、暑い時は日陰に移動しなくてはなりませんが、植物はそんな必要はありません。ここ数年、人間や動物の熱中症が話題になっていますが、植物は、絶対そういう事にはなりません。夏の暑さに弱い植物は、春の間に花を咲かして、種になって夏の暑さをしのぐので、熱中症になるような植物は夏にはもう生えていません。
-- 自分の形を変えて環境に対応しているわけですね。
田中 そうですね。夏に生えている植物は、アフリカ、インド、熱帯アジアなど、暑い所の出身です。例えば、一番暑い夏場にきれいに育つゴーヤの原産地は、熱帯アジアです。植物たちは、「動物はうろうろ動き回わらないと生きていけない、可哀そうな生き物やなぁ」と思っているでしょう(笑)。それが植物たちの、動物に対する見方だろうと思います。
-- これからどうなるかを予測して、準備しているわけですか。
田中 そうなんです。植物は、昼と夜、特に夜の長さをはかって2ヶ月先ごろに暑くなる、寒くなるということをちゃんと知っているんです。
-- 夜の長さ?
田中 例えば、今から夏に向けてどんどん暑くなっていきますが、最も夏らしい夜の長さは夏至の日で、6月の下旬です。一番暑いのは、それから2ヶ月後の8月です。ですから夜の長さをじっとはかって、夜が短くなる夏至の日に向かって花を咲かせておいたら、2ヶ月先の暑い時には、種ができます。冬を種でしのぐ植物は、夜がだんだん長くなってきて、最も冬らしい夜の長さ、つまり12月下旬の冬至の日に向かって花を咲かせておけばいいのです。
-- その夜の長さ、暗さを、感知するセンサーがあるのですか。
田中 光を感知するのは、葉っぱの中にあるフィトクロムという色素で、長さを計るのは、いわゆる生物時計というものが考えられます。ただこれは、あくまでも仮説混じりでして、生物時計があることは確実に分かっているし、生物時計が関与する現象はいくらでも挙げられますが、その時計の本体が何であるかは動物でも植物でも分かっていません。科学というのは、分からないことだらけなんです。
-- なるほど。ただ植物は、じっとしていると言いながら、例えば虫に食べられたら、すかさず化学物質を出すなど、実は活発に動いていますね。
田中 動き回らないからこそ、すごい仕組みを持っていないと生きていけないわけです。例えば植物の感覚。触ってもちゃんと感じているんです。
-- 感じる?
田中 「ほんまに感じてるのか?」と思われるかもしれませんが、「ほんま」です。例えばモヤシは、暗い箱の中に種をまいて水をやって育てます。すると、ひょろひょろと背が高くなります。「モヤシはまっ暗な中で育っているから、光を探し求めて伸びるんだ」と言われますが、では、まっ暗な土の中に埋めたらどうなるのかというと、なかなか芽が出てこない。土の中で、太い太い、短い短い茎になっているからです。
なぜ、土の中だと太く短いたくましい茎になるのかというと、土と接触しているという刺激を感じているからです。考えてみて下さい。土の中で、ひょろひょろとした芽を出したら、土を押しのけて地上部へ出られませんよね。 同じ「暗い」という条件だけれど、植物は、自分に土の粒子が触れているという刺激を感じている。だから、周囲の環境によって生え方が違うのです。
-- 植物を育てる時に、優しい言葉をかけると良いとも言いますが?
田中 実際は、言葉に反応しているわけではありません。言葉をかけながら触っているから、触れられるのを感じて、太く、たくましい茎になる。キクなどでは、その茎で支えられる大きくりっぱな花が咲く。触られないと、茎が太くないので、りっぱな花が咲きません。
触れられると、太く、たくましい茎になる実験は、朝顔で簡単にできます。双葉を2株用意してきて、1株は、毎朝、10回、茎をこする。もう1株は、知らん顔して何もしない。1週間もしたら、どちらが触った株かがはっきり分かります。だから、植物は言葉というより接触の刺激を感じているのです。試しにひどい言葉を掛けながら、キクを触っていても、大きくりっぱな花が咲くはずです。
-- (笑)。植物に音楽を聞かせると良いと言いますが、あれは本当なのでしょうか。
田中 あるでしょうね。音楽は、空気の振動を起こさせるものですから、それによって、二酸化炭素を取り込める量が増えるのだと考えられます。
そもそも、空気中の二酸化炭素濃度は0.04%ほどです。植物は、その二酸化炭素を葉っぱの気孔から取り入れて、光合成を行なうわけですが、植物は、二酸化炭素を吸い込むわけじゃありません。葉っぱの内と外では内のほうが二酸化炭素濃度はちょっと薄い。気体では、濃い濃度のものが薄い濃度のものと一緒になろうという性質があり、気孔を開くと薄い方に、つまり植物の中に入って来るんです。
植物は、光合成をして大きくなると皆さん知っていますから、光が当たっていたら「あんなに当たって、喜んで光合成をしている」と思われるかもしれませんが、とんでもない。多くの植物は、3万ルクス程度の光の強さで充分なのに、実際は10万ルクス程度もあって、光合成の材料、つまり二酸化炭素は恒常的に不足している。しかも光が当たってエネルギーは発生してしまうので、行き場のないエネルギーは結局、活性酸素という体に悪いものを作ってしまうのです。
-- 活性酸素というのは人間にも悪影響があると言われていますが…。
田中 ええ。植物にとっても有害ですから、それを打ち消す仕組みを発達させたんです。活性酸素は、紫外線が当たっても発生し、人間ではシミやシワなどの原因になります。それを抑えるためにビタミンCやEが良いと言われますが、それは、これらが活性酸素を打ち消す抗酸化物質だからです。ここで考えてみて下さい。「あの野菜はビタミンCやEを多く含んでいるから体に良い」と言いますね。では、その野菜がなぜビタミンCやビタミンEを作っているのか。それは植物自身が、自分の体を紫外線や強い光から守るためで、同じ悩みを持つ人間は、それを利用させてもらっているんです。
-- 野菜はビタミンが豊富だから体に良いとは思っていても、そこにそんな仕組みがあったなど考えたこともありませんでした。
田中 植物の祖先は、海の中で生まれましたが、陸の上は太陽が輝いていて、酸素もいっぱいある。パラダイスのように映ったかもしれません。それで太陽の光にあこがれて上陸したら、太陽は優しくなくて、紫外線もあるし光は強過ぎる。「これは、困った」と思ったのでしょう。そこで、陸上で適応する仕組みを発達させたのです。それが今ある植物たちです。
-- 花の色もそうなのですか。
田中 花は生殖器官であり、子供ができる大切な場所です。そこに紫外線があたったら突然変異が起きてしまいます。ほとんどの花の色は、アントシアニンとカロチンという二大色素からなっているのですが、それらはビタミンCやビタミンEと同じく、抗酸化物質です。それらの物質は、紫外線の害を子供に与えないようにしているんです。
花がきれいなのは、虫を引きよせて花粉を運んでもらいたいからと言われますが、それなら抗酸化物質でなくても、色さえきれいなら良いはずです。更に実になっても、気を抜かない。柿の果肉は黄色ですし、トマトは赤、茄子だったら紫。みんな、カロチンやアントシアニンの色です。そうやって、中の種が完熟するまで守り、熟した時は美味しく甘くなって「どうぞ食べて下さい」とアピールする。動物に食べられて種まきができるからです。植物はそうやって、種を作るところから最後まで、自分が置かれた状況を理解して生きている。かしこい生き方そのものだと思います。
-- 南国の花は色がきれいだなと思っていたのですが、そこにきっちりした理由があったのですね。聞けば聞くほど、よくできた仕組みです。
田中 茄子なんて、へたの裏は真っ白ですが、へたをめくって2日ばかり放っておくと、露出したことによって、すぐに紫色に変わります。
-- そんなに素早く反応するのですね。鉢植えなども思いの外、すばやく太陽の光の方に向くなあと思っていたのですが。
田中 そうそう。結構すばやいでしょ。植物は、皆さんが思っているほど、鈍臭い生き物ではないんですよ(笑)。
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-- 海の中から陸に出てきた植物は、生きるためにいろいろな仕組みを作りましたね。
田中 海から上陸して初めて出会う環境が、まず乾燥、そして自分の体を支えるものが必要になったでしょう。陸上に出てきた最初の姿である苔は、乾燥に弱いから、じめじめした所を好むし、背も自分を支えられないから大きくならない。それがシダ植物へと進化していき、ちょっとずつ背が高くなって、乾燥にも耐えられるようになってきた。これが植物の進化の過程です。
植物の進化をごく簡単に言えば、「いかに水との縁を断ち切って生きられるか」ということに尽きます。水との縁を断ち切ることが進化という見方もできます。
-- ということは、例えば砂漠に育つ植物のほうが、より進化しているということですか。
田中 はい。先にも言ったように普通の植物にとって太陽光は過剰なのですが、中には、乾燥、高温、強光の中で生きていける植物があります。C4植物と呼ばれており、このグループの植物は、二酸化炭素と結びつきやすいPEPカルボキシラーゼという酵素を持っているので、二酸化炭素を取り込むのが、すごく上手なんです。気孔からあまり水が蒸発しないようにすばやく二酸化炭素を取り込むので、C4植物のグループは、水の使用量を節約できます。だいたい体を1グラム増やすのに、普通の植物は500から800gの水が必要ですが、C4グループは250から350gで、C3植物の約2分の1程度です。
-- C4植物には、どういうものがあるのですか。
田中 トウモロコシやサトウキビなどが代表ですね。C4植物は、強い太陽の光で、いくらでも光合成していけるタイプなんです。いずれこういう植物が、暑い地域では繁殖してくるでしょうし、人間は、こうした植物の仕組みを栽培作物に利用したいと考えています。でも、まだ人間の技術が追いついていません。
-- 一方で、何千年前の種が発芽したことがニュースになったりします。そんな種が発芽できること自体、すごいと思うのですが、実は、種は自分の環境が整うまで、じっと土の中にいる。つまり環境が分かるとか。
田中 種は、大事な役割をたくさん背負わされていますから、非常に多くの仕組みを持っているんです。種の一番大事な役割は、都合の悪い環境を耐え忍ぶこと。だから自分が今、発芽して大丈夫かどうか、感知する仕組みが必要です。小学校の理科では、水と温度と酸素があれば発芽する、と教わりますが、光もない所で、平気で発芽する植物は生きていけません。栽培植物なら、発芽すれば、人間が良い条件を与えますから大丈夫ですが、雑草系の植物の多くは、光がなかったらほとんどが発芽しません。「ほんとうか?」と思われたら、その辺の土を耕して、水を与えてください。雑草がいっぱい芽を出します。あるいは畑の土をスコップで取ってきて広げて水を与えたら、どんどん発芽します。土の中で光が当たるのをじっと待っていた種です。光が当たったら「今、発芽したら生きていける」と発芽するんです。種は、光を確実に感知していますし、自分がどの位の深さに居るのかも知っています。
-- 種が、ですか? どうやって?
田中 温度が変化するのを感じているのです。僕らが普通に実験する時、例えばレタスの種は20から25度の所に置いておいたら、喜んですぐ発芽してきます。でも、アカザやシロザといった雑草の種子は、そんな所に置いても1個も発芽しません。昼間12時間、20度の所に置いたら、夜は10度位の所に12時間置くという温度の変化がないとダメなのです。なぜかといえば、温度の変化を感じるということは「土の中の浅いところ」に居るということを意味します。アカザやシロザの種は小さいし、変温を感じないような深いところに埋まっていると、発芽しても、自分が持っている栄養で地上に芽を出せるかどうかわからない。だから変温を感じる浅い所でしか発芽しないのです。
-- 種は「場所」を知っているということですね。「時の流れ」は知っていますか。
田中 種は、「時の流れ」も知っています。種は苦手な季節をやり過ごす姿でもあるという話をしました。例えば秋に結実する植物の種を集めて、水と適温と酸素と光を与えて「発芽するだろう」と待っていても、発芽しません。冬の寒さを逃れるために種になったのだから、寒さを経験せずに発芽したら、何のために種になったのか分からないでしょう。
-- 出てみたら苦手な冬がすぐにやってきた、では困りますね。
田中 草が生い茂っている所に落ちた種も、発芽しても必要な光が当たらないと分かっているから、発芽しません。植物は、太陽光の中の赤と青の光によって光合成をしていますが、発芽に必要なのは赤色。それを周りの葉っぱが皆、使ってしまう状況なら発芽しませんし、更に発芽を阻害する、遠赤光を感知しても当然、発芽しません。その光は、上に生い茂る他の葉が必要としないので透過したわけですから、自分が発芽しても生きられない。だから「発芽したらあかんよ」と、教えてくれているのに等しい光なんです。植物はこうして、場所も季節も時間も知っているんです。
-- 無機物から有機物が作れる光合成だけでも、人間のとても及ばない点なのに、これほどまでの仕組みを備えていたんですね。
田中 そうなんです。どんなに科学が発達していても、まだたった1枚の葉っぱにもかないません。地球上の動物の食料は、元を正せばすべて植物が作ってくれているわけです。でも、植物も、食べ尽くされては困るから、苦みやえぐみといった防御物質を持っている。とげや有毒物質も持っている植物って、けっこうたくさんあるんです。
-- しかも「食べられた」ら出る、嫌な味もありますよね。
田中 ええ。例えば、ワサビやダイコンは、生で食べてもそれほど辛くありませんが、すり下ろすと辛みが出てきます。あれは、体に傷がつくと反応して出てくる成分のせいです。植物の香りはほとんどがそうで、桜餅は良い香りがしますが、サクラの葉っぱを取って嗅いでも、あの良い香りはしません。樟脳(しょうのう)などもそうです。あれはクスノキの葉っぱから作るのですが、クスノキの葉っぱもそのままでは何もにおわない。傷ついたらにおうようになっています。だから、葉っぱをくちゃくちゃに丸めて傷をつけるとすごく匂うんです。その香りは虫が嫌う「香り」なんです。植物はそうやって、自分の体を病原菌や虫、動物から守っているんです。
-- それなら普段からにおっていてもいいような…。
田中 いやいや、いらん事で余計なエネルギーを使いたくないですから、生身の葉っぱがにおう必要はないんです。だけど虫がかじったり病原菌がついたら精一杯反応する。それが、あの香りなんです。植物は皆、けっこう有毒物質を持っているのだけれど、植物が好きな人ほど「そんなことない!」と、この話を嫌がりますけどね(笑)。
-- 種の多様性という意味では、自家不和合性、近親結婚を避けるという性質も持っているそうですね。
田中 皆さん、花の中には、オシベとメシベがあると知っているし、オシベの先の花粉がメシベに付いたら種ができると知っていますよね。だから、花が咲いたら、種ができるのは簡単だと思っているかもしれませんが、それは違うんです。多くの植物は、自分の花粉を自分のメシベにつけて種を作ろうと思ってはいません。それでは自分と同じ性質の子供ができるだけで、もし自分がある病気に弱いという性質を持っていたら、その病気が流行ると、自分も子供も全滅してしまう可能性がある。生殖の目的は、オスとメス、それぞれが持っている性質を合体して混ぜ合わせることで、多様な性質の子供をつくるためです。だからこそ、オシベとメシベとに分化しているのであって、虫が大事なんです。
-- 自分同士ではつけたくない?
田中 ええ。花をよく見て下さい。多くの花はメシベの方が背が高くて、オシベの方が背が低い。逆だと、花粉が落ちたらメシベに付いてしまうでしょう。
-- それでは自家受粉になってしまう…。
田中 そうならないような形を保ちつつ、他の株の花粉を虫が持ってきてくれるのを待っているのですが、開花している時間は限られている。でも子孫は残したい。例えばオシロイバナは夕方咲いて、朝にはしおれてしまいます。だからもし他の株の花粉と受粉できなかったら最後の手段として、しおれるときに、メシベがぎゅっと巻き上がって、オシベとくっつくようになっている。「もう自分の花粉でもいい。受粉できないよりまし」ということです。それまでは、他の花粉が来たらいいなと待っていたけれど……(笑)。それには保険がかかっていて「もう、あかん」と思ったら保険を使う。ツユクサもオオイヌフグリなど、そういう花は多いんです。もちろん、先に別の花粉がメシベについていたら、もう受精しませんからね。
-- オシベとメシベがあんなに近くにあったら、虫が花粉を運ばなくても、同じ花の中で受粉するのでは、と思っていた疑問が今、解けました!
田中 植物は、どこに飛んで行くか分からない風や虫に大切な花粉を託すので、いろいろと工夫を忍ばせているんです。確実に子孫を残すために、大量の花粉を作ります。花の中にメシベよりオシベが多いのも花粉を多く作るためです。虫に花粉を託す植物は、虫を引き寄せるために香りや花の色も使うし、おいしい蜜も用意する。ツツジは、模様のある花びらがありますが、あれは蜜標(みつひょう)と言って、その模様を目当てに入って行くと蜜がいっぱいもらえますよ、という虫へのお知らせ。そして自分の遺伝子だけでは、多様性が確保できないから、なるべく他の株の花と受粉するために、ほとんどの植物は仲間と一緒の時期に咲くんです。「春」というあいまいな長さではなくて決まった10日間程度。一日でしおれるような、例えば朝顔などは「朝、一緒に咲こうな」と決めておいて、時刻を決めて一斉に咲く。寝ぼけて昼に咲くなんてないでしょう? 月見草は、夕方に一斉に咲く。
-- なぜ、朝や昼、夕方と一度に咲けるのですか。
田中 大きく3つに分けられます。朝の明るい光に反応するもの、朝の気温の上昇に反応するもの、もう一つは、咲く直前の環境には一切反応しない朝顔などのグループです。明るくなったら咲くのかといったら、そんな事はなくて、夏だったら4時くらいに咲く。実は、前の日に「暗くなった」という刺激を感じてから、10時間後に開くと決まっているんです。そのタイミングが植物ごとに決まっていて、朝顔は朝、月見草は夕方、月下美人は夜10時頃に咲く。自分だけがきれいな花を咲かせて、虫を引き寄せても、仲間が一緒に咲かないと実り多き生涯は送れないんです。仲間が大切なんです。健全な子孫を残すためには、そういう仕組みを働かせないといけない。
-- 巧みな仕組みを、随所に働かせていますね。
田中 仕組みもそうですし、植物が持つ潜在的な能力も目を見張るものがあります。果樹園なんかに生えているタンポポの根は、栄養もあるし土も柔らかいから、ニンジン位の太さになってゴボウのように長く深く伸びています。でも、路地にあるようなタンポポは、小さな葉っぱを茂らせているでしょう? 自分の与えられた環境で、分相応な生き方をしているんです。オオバコも人が踏まない所で育てたら「そんなオオバコはないだろう」と言うほど、ものすごく立派な葉を茂らせます。あるいは、土を使わない水耕栽培「ハイポニカ」で育てたトマトなんて、1つの株に1万2000個ものトマトがなります。特別な栽培をしているわけではなくて、トマトは本来そういう性質、能力を持っているということなんです。ですから植物は、繁殖する能力はあるけれど、自分の与えられた所で、秩序を乱す事なく、分相応の生き方をしている。ほかのものをやっつけたりする事は、ほとんどないんです。
-- そうなると、人間は傍若無人に振る舞って、申し訳ないという気持ちになってきますね…。
田中 そうですね。植物には、生きる仕組みだけでなく、見習うことがたくさんあるんです。
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田中修(たなか・おさむ)
1947年京都府生まれ。農学博士。京都大学農学部卒業、同大学大学院博士課程修了。アメリカのスミソニアン研究所博士研究員などを経て、現在甲南大学理工学部教授。専門は植物生理学。著書に『たのしい植物学 植物たちが魅せるふしぎな世界』(講談社 ブルーバックス)、『葉っぱのふしぎ 緑色に秘められたしくみと働き』(サイエンス・アイ新書)、『雑草のはなし―見つけ方、たのしみ方』(中公新書)、『都会の花と木―四季を彩る植物のはなし』(中公新書)、『花のふしぎ100 花の仲間はどうして一斉に咲きほこるの?タネづくりに秘めた植物たちの工夫とは?』(サイエンス・アイ新書)など多数。

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文/飯塚りえ  
月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。






























江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く

2015-05-10 21:28:43 | 社会問題・生活
女性俳諧師・諸九尼
29歳の時、庄屋の妻の座を捨てて旅の俳諧師と駆け落ちし、清貧の暮らしの中でプロの俳諧師として自立した女性がいた。封建的な時代にもかかわらず、想像以上に自由な旅ができた理由と仲間との交流の日々を追う。

諸九尼(しょきゅうに、正徳4年(1714年) - 天明元年9月10日(1781年10月26日))は江戸時代の女俳諧師。庄屋の妻であったが、旅の俳諧師と駆落ちし、俳諧の道に進む。旅をよくして、奥の細道を辿り旅行し「秋かぜの記」を書いた。別号は波女(浪女)、雎鳩、湖白庵、千鳥庵後婦、蘇天。

筑後国竹野郡唐島(からしま)(久留米藩領、旧福岡県浮羽郡田主丸町大字志塚島、現久留米市)の[1]片の瀬の渡しから東南に3キロという所にて、代々庄屋を務める永松十五郎(後に八郎右衛門と改名)の五女として正徳4年(1714年)に生まれる。幼名なみ。なみが7歳の時、父親が亡くなり、次男が庄屋をついだ。三男は別の庄屋になったが、次男が急死し、三男が後任となった。なみは庄屋の娘として過ごしたが、なみ、推定十代の半ばで庄屋で万右衛門と結婚。夫については詳細不明であるが、作家金森は万右衛門の死亡時から判断してかなりなみより上と推定している[2]子供は生まれなかった。旅の俳諧師有井湖白と会ったのは、なみが26歳の時である(当時の数え方(数え年)による)。

駆落ち[編集]

松尾芭蕉の門下の一人の志太野坡は主に西日本で教え、門下1000名と言われた。その弟子の一人、湖白は医業の傍ら、福岡を主に俳諧を教えていた。湖白は本名を有井新之助といい、元禄15年(1702年)福岡の直方に生まれた。父親は福岡藩士であり、新之助は文武両道に優れ神童といわれた。15歳の時、志太野坡に入門。20歳の時に喀血した。師匠に認められるのに10年かかったという[3]。選集などにも選ばれ始めた。旅で俳諧を教えていたが、41歳の時に出会った庄屋の妻・なみと駆け落ちをした[4]。二人は、不義ということで、間道などを使い駆け落ち、京都の同じ俳門の出版業者を頼った。その後、大坂に移動した。湖白は浮風と改名し、医業を棄て、俳諧に集中した。師匠の覚えはよくなかったが、その後頭角を現し、師匠の13回忌を取り仕切った。京都に移動した。蝶夢の援助で湖白庵を設けた。なみも浮風に俳諧を手ほどきされ上達した。宝暦12年(1762年)に浮風が没す。百日後、なみは剃髪した。浮風の追善集「その行脚」を編集する[5]。その後、なみ(諸九尼)は女宗匠を目指す。明和3年(1766年)、諸九尼は初の歳旦帳を発行する。歳暮や新年の句を集めたものである[6]。

秋かぜの記

俳諧紀行・撰集。諸九尼は京を出発し、奥の細道を体験するべく、大旅行をし代表作「秋かぜの記」を書いた。読者を意識したので、書いていない所もある。明和8年(1771年)3月晦日、京を出発。東海道、江戸、仙台を経由し、帰りは中山道経由で9月4日石山の記載で終わっている。その年は、飢饉も震災も無かったので、無事に旅を終えたと作家の金森敦子は書いている[7]。従者は最初は二人で、元治郎という老僕と只言(しげん)という法師であった。当時は旅行も大変な時代で、厳しい関所などで、必ず迂回して間道をいった。金森は、一行は、あまり金子をもっていなかったので、法師が托鉢もしたのではないかと書いている。京を出発し、主な経由地は、石山寺、近江八幡、愛知川、高宮、垂井、名古屋、鳴海、岡崎、國府、新城、秋葉神社、神澤、掛川、藤枝、江尻、原、箱根関所、畑、小田原、大磯、江の島、鎌倉、神奈川、江戸、木下、香取神宮、小見川、野尻、鹿島、縦山、水戸、中の湊、額田、折端、棚倉、須賀川、二本松、福島、桑折、白川、仙台、松島、(帰路一部省略)白河、那須、日光、鹿沼、出流、桐生、前橋、原の町、大笹、保科、善光寺、姥捨、中窪、諏訪、飯田、妻籠、大久手、鵠沼、垂井(省略)京である[8]。

諸九尼は既に俳諧師として有名になっていたので、各地の俳諧師の所に泊まったり、訪問されたり、交流しながら旅行した。深川芭蕉堂の再興の頃、百韻の巻頭の句を頼まれた。健康を害したときもある。籠も使った。「秋かぜの記上巻」は、冒頭に「奥のほそみち」を踏まえて書いているが、あとからは丹念な作品にせず、仙台からのおりかえし後は、体調もあり記述は少ない。中山道の道筋は走り書きのみである。下巻は実際に会った俳人などの句、323句が収録されている。倉敷の俳人に序文を依頼した。特に有名な俳人でもなく、この本を引用した人は少ない。上下の全文が刊行されたのは昭和35年(1960年)の大内初夫らの本が最初である。


奥のほそ道といふ文を、讀初しより、何とおもひわく心はなけれど、たゞその跡のなつかしくて年々の春ごとに、霞と共にとは思へど、年老し尼の身なれば、遙なる道のほども覺束なく、または關もりの御ゆるしもいかがと、この年月を、いたずらに過しけるに、ことしの春は、さる道祖神の憐み給ふにやはからずも、只言ほうにし誘はれ參らせて、逢坂の關のあなたに、こえ行く事とはなりぬ、都の空はいふも更なり、住なれし草の戸も、亦いつかはと思ふ、名殘の露を置そふここちす。
















芸術小説

2015-05-06 09:00:29 | 社会問題・生活
芸術家小説とは、芸術家を主人公にした小説である。
「井原西鶴も織田作之助も“俗”を描きながら世間をじっと眺め回して、何かこの世の定めを見いだそうとした。そんなふうに思いました」
直木賞作家・朝井まかてさんは、織田作之助賞を受賞し、喜びと作品への思いを語った。
「西鶴を敬愛してやまなかった織田作之助の名を冠した賞をいただいたことは、大変うれしい」
受賞をきっかけに読み返した織田の作品が「面白くてやめられなかった」と語り、そこに“西鶴の系譜”を感じたという。
フィクション(架空の物語)の可能性を追求した偉大な2人の先達にならい、「私自身もこれから物語の可能性に挑み続けたい」と、意欲のほどをのぞかせた。
贈呈式では、同賞の選考委員を代表して、作家の辻原登さんが祝福のあいさつに立ち、講評を行った。
「受賞には選考委員会の真剣なメッセージが込められている」と述べ、「同賞の今後の方向と価値の道しるべになるだけでなく、現代日本文学の方向を指し示すものと考える」と力説した。
「つまり、芸術小説。芸術とは何か、人間とは何かを問いかけている」と強調した。
芸術家をしっかり内側から捉えることに成功している作品の「阿蘭陀西鶴」
阿蘭陀(あらんだ)とは異端者。
あくが強くて破天荒な一方、繊細でかつ情に熱い西鶴の人物像と盲目の娘・あおいとの暮らしを中心に描かれた時代小説。
料理上手の娘との軽妙な大阪弁のやりとりから浮き彫りとなる同作。
笑いあり涙ありの“浪速の人情話”だ。

宗教的背景を考慮する必要は全くない

2015-04-29 12:19:30 | 社会問題・生活
オウム裁判
検察側は論告で「宗教的背景を考慮する必要は全くない」と高橋克也被告の姿勢を批判し、無期求刑をした。
弁護側は「松本死刑囚に帰依することで非合法活動をいとわない精神構造になった。オウム的思考のとりこになった原因を考える必要がある」と訴えた。
高橋被告は地下鉄サリン事件で無罪を主張し検察側と対決姿勢を見せた。
だが、計38回の公判では事件の重大さと対照的な存在感の薄さも浮かびあがった。
運転技術を買われていたが、高橋被告には「責任ある仕事は任されていなかった」と平田信被告は表現した。
また、元幹部の新美智光死刑囚が「いたかな、くらいの存在感」と述べるなど、証人となった教団関係者の多くにとって、印象は薄かったようだ。
高橋被告は逃亡生活中、他の宗教書を読んでオウムの教えと比べていたといい、「事件や教義は何だったのか。他から見るとどういう意味があるのか知りたかった」と説明した。

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ドストエフスキーが「オウム事件」を小説にしたら、どのように描いたであろうか?
あるいは松本清張であったら、どのように記したであろうかと想われのだが・・・
単なる詐欺師としか想われないに松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚は、グル・宗教指導者として各被告たちに未だに強いこだわりが残っている。
宗教・哲学的な無知は、人間を狂わせる。
人は自他ともに幸福になるために、元来、生存しているのだから、人を己の幸福のために犠牲にしてはならないはず。
人の不幸の上に自分の幸福や利益を築くことなど許されない。
「グルの意思を実現することが『救済』と考えた」と被告たちは述べているのだが、
そもそも『救済』とは、頭が狂った松本死刑囚の妄想であり、邪義以外の何ものでない。
疑うことすらできなくなった被告たち信者の宗教的無知が災いをもたらしたのだ。
沼田利根