
「ホサナ」という言葉は、イエスがエルサレムに迎え入れられた時、群衆が服を道に敷き、祝福の言葉で歓迎し、口にした言葉であった。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(マタイ21:9)。
その本来の意味は「救ってください、お願いです」 “save, we pray”で、詩篇 118:25 に出てくる。ヘブライ語でנָּ֑א [na] הוֹשִׁ֘יעָ֥ה[ho:shia: na:]で、יָשַׁע to be free から派生した語である。[na:]の部分は祈願を表す小辞である。 ギリシャ語で合わせてώσαννάとなる。
この言葉が「仮庵の祭り」Feast of the Tabernacle (秋の収穫を祝い、祖先がエジプト脱出後荒野をさまよったことを記念する祭り)でも使われ、喜びや祝福の意味に転じて祝賀の際に使用されるようになっている。
カートランド神殿で洗足の儀式が導入された時、ホサナの斉唱が祝福を求める結びの言葉と見なされ、神殿奉献の祈りの時にも用いられるようになって今日に至っている。古代で椰子や柳の枝を振って行われていたのが今日では白いハンカチで代用して行われるようになっている。
参考
W. E. Vine, “Expository Dictionary of New Testament Words,” 1982.
Lael J. Woodbury, “Hosanna Shout” in Encyclopedia of Mormonism, 1992.
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と言う天智天皇の有名な歌が有りますが、日本でも収穫期に、田の近くに「仮庵」を作る習慣が有ったようですね。
以下ちょっと質問です、分かれば教えてください。
聖書の「仮庵」は、イスラエルの民が、エジプトから逃れ、荒野でテント暮らしをした時の記念と言う事ですが、「仮庵」は神殿と言う意味でも使われるのでしょうか?
ヨハネの黙示録21章3節には 「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らと共に住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、・・・」
と書かれています。この「幕屋」が「仮庵」と繋がるのでしょうか?
>「仮庵」は神殿
むしろ仮庵が象徴しているものは、とりあえず身を守ってはくれるけれども、素材的にはあてにならなくてすぐに壊れるような不安定な容器(モルモン的には死すべき肉体の象徴?)のようです。
そして7日が過ぎて、各々仮庵を捨てて聖別されたモーセの幕屋なりソロモン神殿に入って、安息に入る意味が成立するようです。
皇室に伝わる種々の行事とユダヤの祝日には何か相関関係があるのかもしれません。
>「仮庵」は神殿
むしろ仮庵が象徴しているものは、とりあえず身を守ってはくれるけれども、素材的にはあてにならなくてすぐに壊れるような不安定な容器(モルモン的には死すべき肉体の象徴?)のようです。
ですから神殿の象徴だといえばそうなのかもしれないけれども、むしろ「この世のもの」の象徴のほうが強いと思われます。
そして7日が過ぎて、各々仮庵を捨てて聖別されたモーセの幕屋なりソロモン神殿に入って、安息に入る意味が成立するようです。
(ヨハネ1:14)
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
「仮庵」という文字が日本語の聖書には出ていませんが、「住まわれた」という単語は、「仮庵となられた」という意味があり、キリストが肉体(仮庵)を伴って、人となって地上を歩かれたことを指しています。
http://messianic.jp/05-feasts/sukkot.htm
誰か詳しい方います??
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%9B%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8A%20%E3%83%A9%E3%83%90