
[左の写真はmormontemples.org]
「札幌神殿の建築面から見た具体説明」(Architectural Details of the Sapporo Temple)と題するYoutube の動画によると、札幌神殿の設計者は日本的な雰囲気を出すため、日本の国会議事堂を参考にしたと説明している。そのほか、日本の歴史や文化を伝える様々なモチーフや象徴を使用していると紹介している。
これは「キリストの福音」(Messages of Christ)というサイトが制作、提供しているビデオで、URLは www.redeemerofisrael.org である。ダニエル・スミスという教会員個人が主宰している。
内装では、ふすまや障子を参考に横に動く戸や格子模様を装飾に採り入れているという。椅子や講壇、扉、礼拝堂の壁面、祭壇、ステンドグラスの窓、バプテスマの水盤の台などに格子模様(モチーフ)が大幅に取り入れられている。
そのほか、葛飾北斎の日本画に描かれた大きな波の絵から、力と弾力性を表す波模様が外壁にも結び固めの部屋、日の栄えの部屋に、また部屋の天井を支える部分に多用されている。また、雲の図案が星、月の栄えの部屋(講義の部屋、instruction roomと呼んでいる)の天井や壁面に用いられている。
他の文様として、数々の植物をあげている。麻の葉をかたどった模様や花の形にも見える七宝柄がステンドグラスに、扉に、絨毯に、そして札幌に多くみられるライラックの花が各所に文様化されて飾られている。受付では絨毯に竹の絵、花嫁の控室に美しい花が、星の栄えの部屋の椅子に銀杏(いちょう)の葉があしらわれていて、日の栄えの部屋の壁画に松の樹(堅実、長寿、幸福を象徴する)が描かれている、など。なお、ビデオの内容は信頼できるのではないかと思われる。
[補足] LDSLiving.com にもダニエル・B・ワグナーによる同じ Architectual Details of the Sapporo Temple という題で、記事が載り、「建築家は外装に日本独特の印象を与えるために、神殿を国会議事堂の外装に似せて設計しました」と記している。日本語版2016.08.05 キャンベル・愛美訳。URL は morefaith.jp で同じ情報源かもしれない。
[ライラックの花]
[コメント] これまでにも、メキシコの神殿が現地にある古代のピラミッドを思わせるような外観に造られたり、アリゾナの神殿がイタリアフィレンツェの大聖堂に似たドームを中央に持つ設計になっていたりして、全くアメリカ色であるというより地元の文物に配慮する神殿が建設されてきたことがあった。それは歓迎すべき動きであるが、そうするのであれば全体設計や内装の具体詳細確定の段階で、日本の代表者か専門家に問い合わせたのだろうか、そうして欲しかったという思いがする。
Source: Architectural Details of the Sapporo Temple, at Messages of Christ, www.redeemerofisrael.org (video from mormonnewsroom.org, music from Audioblocks.com 音楽が中国風に聞こえるのが難。)
札幌神殿の外観は確かに美しいけれども、国会議事堂のデザインと末日聖徒は教義的にも人的にも歴史的にも何ら関係ないのが、なんだかなあという複雑な思いです。
和風にまったくとらわれないで、小型のソルトレイク神殿風にデザインするか、中途半端に和風にするくらいなら、思い切って宮大工を呼んできて、外観を伊勢神宮風にデザインしてあちこちにダビデの星を散りばめる案でも良かったのかも知れませんね。
「さてでは表題の国会議事堂の話に移ります。まず前提として建物そのものがワシントンD.C.近郊のアレクサンドリアにあるワシントン記念石塔とよく似ているという事があるかと思います。
これには恐らく多くの方が同意されないかと思いますが、建築時期を考えても恐らく間違いないのかと私は思っています。まあそれがフリーメイスンリーというものです。
さてでは国会議事堂にあるフリーメイスンリーのシンボルと思われるものについて個人的な考察をしていきましょう。
そもそも日本の国会議事堂というものは大日本帝国憲法下での貴族院と衆議院の帝国議会を開く会場として1936年に建設されました。帝国議会招集から現在の議事堂が竣工するまでは仮議事堂が木造で3代にわたって造られたそうで、現在の議事堂も大正時代に建築計画ができてから竣工まで17年の歳月がかかったそうです。辰野金吾と武田五一という共に東京帝国大学の教授を勤められた方が設計に深くかかわっているそうですが、いずれも当時の日本の建築設計の第一人者であったようです。当時の日本の民主主義や憲政がどの程度のものであったかはなかなか現在を考えても難しいものがありますが、大正デモクラシーを通して実際の民主主義や立憲政治というものの難しさを肌身をもって知っていた時代だと思われ、その中で初めて国の中心となる議会として使用される建築物を日本人がそれも本格的な鉄筋コンクリートの石造りの装飾のものとして建築するという事は、当時であっても相当の大事業であった事は容易に想像されます。昭和初期はテロと軍国主義の嵐が吹き荒れる時代であり、フリーメイスンリーの影響が必ずしも盛んであったとは言い難いものかもしれませんが、開国から50年以上の月日がたち、日米や日欧の結びつきは日に日に強まっていた事はありますし、全体としてそれらフリーメイスンリーの影響が増していたために国会議事堂の建設が成しえたとも考えられると思います。
上述のように私個人が非常に日本の国会議事堂の原型となる建物として意識するワシントン記念石塔が着工が1922年、竣工が1932年である事を鑑みると、恐らく日米戦争とその後の日本の民主化を踏まえて、それらの一つの象徴として、日本人の日本人による日本人のための民主主義のためにそういう二つの建築の相似があるのではないかと想像します。
」
http://freemasonry.jp/blog-entry-112.html
議事堂 デザイン フリーメイソン
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E5%A0%82%20%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%20%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3
以前から言おうと思っていたのですが、それってフリーメーソンがいろいろな陰謀を企んでいるわけではなくて、政治力のある地元の名士を大勢誘うから、様々な出来事がすべてフリーメーソン繋がりになっているだけのことではないでしょうか。
「49:10 つえはユダを離れず、立法者のつえはその足の間を離れることなく、シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。
」(創世記)
なんかも、シロの来る時を主の再臨ととらえ、
16、17世紀くらいから世界中に顕著に支配が浸透していったと、ま、イエズス会もおんなじようにみなしてですね・・・・織田、豊臣、徳川政権の移行なんかも欧州の歴史と連動(新旧教の戦争など)としてたんだと
http://mormondiscussions.com/phpBB3/viewtopic.php?f=1&t=42894
本題に戻りまして、ロータリー メイソンでは、
ロータリー、ライオンズクラブ、ボーイスカウトは、
メイソンの下部組織なんていうのも・・・
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC%20%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3
監視する側、管理する側、マインドコントロールする側、工作する側といったのが、現実社会なんでは・・・
外観は綺麗ではあり、四つの屋根に日本を感じますが、不自然な組み合わせと感じます。
建屋内の石庭も日本だから取り入れたのでしょうが、
どうも違和感が・・・
美しいところは随所にあるのでしょうが、神殿は和か洋だけでよかった気がします。
西洋建築に和を共存させることは難しいように思います。
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%20%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E5%A0%82
https://www.youtube.com/watch?v=WcT5u7y2_yA
斬新(^^;
Eテレの「美の壺」好きでよく見てますが、文化の融合は1日にしてならずでしょうか。
国会議事堂ね。。なるほど似てなくもないですね。
白いハンケチを振って「ホサナ」兄弟姉妹と共にネットを介して祝えるのでしょうか?