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[左新改訳2017, 右JBS共同訳のパイロット版]

 

1 『聖書新改訳2017』が9月発売された。句読点を含め聖書全体約3万節の9割以上を変更。現段階で最も原典に忠実な訳となるという。2003年の第三版による部分的な改訂以来の全面改訂。「新改訳」(1970) は主に福音主義派キリスト教会が使用してきた(いのちのことば社発売。新改訳2017もいのちのことば社が発売)。

 2 日本聖書協会が翻訳を進めている新しい聖書の名前が、「聖書協会共同訳」に決まった。2018年に出版されるこの版は、カトリックとプロテスタントの18の教派・団体が参加する共同訳。礼拝での朗読にふさわしい、格調の高い美しい日本語を目指す。新共同訳以後四半世紀の聖書学の研究成果を反映する。

 日本でも現代語訳聖書がいくつかの新しい版で読めるのは、便利で楽しみにしている。(日本の末日聖徒の中には、英語の欽定訳聖書が和訳されることを望む人がいる。その気持ちは理解できるが、KJVそのものについて知らないために出る誤解を伴った願望であることに気づいてほしい。17世紀初めに出たKJVは元となった聖書のテキスト [底本] に問題が少なくないことと、その後の聖書学により翻訳に過ちがあることが分かっているからである。)



コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
それでも欲しい日本語欽定訳聖書 (オムナイ)
2017-12-22 12:11:19
>KJVそのものについて知らないために出る誤解を伴った願望であることに気づいてほしい。

https://directors.tfionline.com/ja/post/which-bible-translation_ja/

時おり、英語訳聖書はどの翻訳を使うのが最善だと私が考えるか、たずねてくる人がいます。他にも、欽定訳聖書だけが、使用すべき唯一の聖書だという個人的信念について書いてくる人がいます。(キング・ジェームズ・オンリーと呼ばれる見解です。)
・・・
私は欽定訳を読みながら霊的に成長してきたので、長年それが私の一番慣れ親しんだ翻訳でした。何十年ものあいだ、私を導き、心に語りかけ、私を変えてくれたのです。美しい翻訳であり、また鮮やかで叙述的な語法に満ちていて、私の良き友となってきました。
・・・
あなたが聖書を読んだり研究したりする際には、いくつかの翻訳を利用することを勧めます。そうすれば、翻訳を比べられるし、そのことによってよりはっきりと意味がわかるようになるからです。・・
ーーー

このサイトがよく説明されていると思いました。

モルモンの場合ジョセフ・スミスの参照した聖書がKJVであったのでおいそれと最新の翻訳に切り替えとはいかないでしょう。

参照している聖書の翻訳がところどろこ違うというのも不便な感じがします。

日本語欽定訳熱望派です。
 
 
 
前進し、自立を (NJ)
2017-12-23 09:48:45
引用された言葉は理解できます。私にもそのような部分があります。英語ではKJVに一番馴染みがあるからです。紹介していただき有難うございます。

KJVの和訳が出れば、日本のldsとして納得できる部分があると思います。いろいろな相違やlds独特の理解の出どころがわかると予想します。

ただ、私としては日本のldsが少しでも早くKJVを越えてほしいと思っています。
 
 
 
どうかなぁ (Unknown)
2017-12-23 22:10:06
そもそも聖書自体が英訳にせよ和訳にせよ何種類もあるわけですからね。KJVの和訳があればと言ったところで翻訳する人によって何種類もできちゃいますよ。自分に馴染みのあるものを一番大事にしたいという気持ちが、探求の妨げになってしまうのは何だか違うのではないかと。

KJVについて愛好者の人は格調高いって良く言いますけど、私は同様の理由で、(かどうか分かりませんが)日本語聖書では文語体が好きなんですよね。

あれは原典に比べて翻訳がよろしくないとかいう人もいますが、いやそういうのは別途勉強すればいいことですから。私的には暗証しやすくて心に残るフレーズで書かれている文語体が好きなんですよ。

それとは別にそれぞれの聖句の解釈は学べばいいわけでしょ?だから翻訳が良い、悪いとは突き詰めれば好みの問題でしかないと私は思うんですよね。

聖書協会共同訳には『らい病』のことを何と書いてあるんでしょうか?『重い皮膚病』ですかね? レビ記の『女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである』はどう書いてあるのかな?という点で興味はあります。が今回の版では歴史的にも神学的にも最新の研究成果を反映しているのでしょうけれど、先に挙げたデリケートな部分にはポリティカル・コレクトネスの影響があるのでは?と思うのです。

ですがカトリックとプロテスタントが協力して聖書翻訳をしたという事業の意義はもちろん認めます。モルモンも参加すれば良かったですのにね。ただ杞憂だと思いますが、この翻訳が完璧で読者が誤解をしないように編集された、とか関係者が過度の自信を持っているのだとしたらそういう考えは危険だなと思います。原理主義へ向かうような気がしますので。

 
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