20日に被爆者の聞き取り会を行いました。
新田の勤労福祉会館で行い、若者や近所の方12人が集まりました。
講師は、しらさぎ会の土田さん(5歳の頃に広島に落とされた原爆で被爆された方)です。
土田さんは当時、広島の牛田(原爆が落とされた地点から3~4キロ離れた地域)にある早稲田神社のすぐ後ろに住んでいました。
朝、牛乳を取りに行き戻ってくる途中で、ものすごい爆音と光に襲われ、はっきりとした記憶はないものの「何が起きたのか分からず、自分の泣き声ではっと気がついた」そうです。母や兄弟も奇跡的に助かりましたが、難聴のため戦場に行かなかった父は、爆心地の北西側で被爆し、全身が火傷でむらさき色になり、クモの巣が張りめぐらされたような身体で三日三晩うなり続けて亡くなったそうです。
土田さんは、今の若者に「戦争、原爆、そして、その後の苦しみが世界の崩壊につながることを伝えたい」とのことでした。
埼玉県在住の被爆者は約2000人。私たちの世代にとって「原爆」は歴史上の出来事のように感じますが、今も苦しんでいる方がすぐ身近にいるんですね。
他人事ではないその現実に、私に何ができるのかを考えさせられる体験でした。
今後も、こうした活動を続けていきます。
新田の勤労福祉会館で行い、若者や近所の方12人が集まりました。
講師は、しらさぎ会の土田さん(5歳の頃に広島に落とされた原爆で被爆された方)です。
土田さんは当時、広島の牛田(原爆が落とされた地点から3~4キロ離れた地域)にある早稲田神社のすぐ後ろに住んでいました。
朝、牛乳を取りに行き戻ってくる途中で、ものすごい爆音と光に襲われ、はっきりとした記憶はないものの「何が起きたのか分からず、自分の泣き声ではっと気がついた」そうです。母や兄弟も奇跡的に助かりましたが、難聴のため戦場に行かなかった父は、爆心地の北西側で被爆し、全身が火傷でむらさき色になり、クモの巣が張りめぐらされたような身体で三日三晩うなり続けて亡くなったそうです。
土田さんは、今の若者に「戦争、原爆、そして、その後の苦しみが世界の崩壊につながることを伝えたい」とのことでした。
埼玉県在住の被爆者は約2000人。私たちの世代にとって「原爆」は歴史上の出来事のように感じますが、今も苦しんでいる方がすぐ身近にいるんですね。
他人事ではないその現実に、私に何ができるのかを考えさせられる体験でした。
今後も、こうした活動を続けていきます。