(6)2009.10.11(運動会)
「ほれ、しっかりなァ」
母は身を乗り出して応援する。車椅子がきしんでいる。
Wの里の運動会に近所の園児が招かれて、お遊戯やかけっこが始まったのだ。
母は初孫を預かって、小学校から短大まで育て上げた。2世代の子育経験がある。そして何より子供好きだ。そんな思いを重ね合わせて、保育児童の演技に拍手を送っているのだろう。
母の出番もあった。何十年ぶりの運動会。玉入れや大玉ころがしには車いすに座ったまま参加した。
そのあとで描いた一枚。球ころがしが一番楽しかったに違いない。
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まず線を引く。それは呼吸することと同じこと。
その自然さが理解できたら、だれでもその瞬間からアーティストです。
「趣味なんて何もない・・・」という人がいたら、大きな声で言いたい。
趣味なんてなくてかまわないのです。
ただ風呂上りにでも、ゆったりとした気分の時、
あるいは退屈しているとき、
ふと自分が呼吸をしていることに気付く瞬間がありますよね。
その時、呼吸に合わせて線を引いてみるのです。
その線はあなたを裏切りません。
その線を見て、
つまらないと思うか
いろいろなものを連想して楽しむか。
それは全くあなたの心次第なのです。
自分から生まれるものをつまらないと思う心とサヨナラをしたら
その瞬間からあなたは唯一無二の自分と巡り合うのです。
まっ赤に燃えたぎり、猛スピードでまっすぐ落下する隕石。
運動会の「 球ころがし 」と聞いて、よかった・・と思いました。
お母さまの御絵、ほとばしる勢いがあっていいなぁと思いました ♪
このころになると、線を引き始めて一か月になるのですが、線も自由に引けるようになりました。
形をとることは出来ませんが、自分の頭に描くものと紙に引く線との間になにがしかのつながりが出来てきたように思います。
つまり、絵を描いているんだというほのかな意識が出来て来たんだなあと思いました。
連続する〇はまるでキュピズムを思わせますし、その上を無動作に赤色の線をひいたのは時間の流れを一瞬に定着したように見えます。
これは珍なる屁理屈ですが、ピカソなどがはじめたキュピズム運動は、ピカソが特殊だったというのではなく、普通に、母の中にだってある天才を活かしただけなのだと、母を見て思ったものでした。
無垢なものの生み出すものはこれ以上のない素晴らしいものなんだと教えてもらった気がします。