のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

五次元と振り子(6)

2018-05-31 | 5次元宇宙に生きる(心)

五次元、私の今(パーソナルギャラリー瞑想空間)

 

五次元と振り子という記事で、心の旅を紹介してまいりましたが、今回は私のその到達点を見ていただきたいと思います。

いうまでもなくこれは私の絵画の上に現れてくる、些細なものでしかありませんが、創作の上で何かの参考になれば幸いです。

 

 

白いキャンバスの前で、下の図の原点が意識できるまで半眼瞑想して坐ります。

 

 

そのうちに白い画面に何やら得体のしれないものが動きはじめます。

それらのモノは、予想もしない場所から突然生まれ、動き出してはじけます。

決して止まらない流動体は、とらえようとしてもとらえられません。私はただその映像を眺めるだけです。

何も描いていない白布の上に動くもの、これは何なのでしょう。考えれば不思議ですが、確かにそれは見えるのです。

たとえば天井板の節目がどこかの風景のようにに見えたりしますが、そのように私の意識が作りだす幻影なのか、あるいは感性の動きが勝手に頭の中でイメージ像を結んでいるのか、自分のことながら定かではありません。

それが何なのかは分かりませんが、私はそのあるのやらないのやら分からない映像を楽しむことを覚えました。

とらえようとすれば、それは消えてしまいます。形を自分のものにしようと意識を向けるとそれはもうそれではなくなる。

何度もそんな失敗を繰り返して、私は手出ししないことを覚えたのです。ただ見る。素晴らしい風景に出逢っても、写真に撮ることは出来ません。流れに任せるしかないのですが、そのうち、この流れに任せることがいいのだと思うようになったのです。

生まれても消えるしかない風景、記憶にも残らない感性が見せてくれる風景を自分のものにしようとしないで、ただ眺めること。

すると、この眺めている間のこの自分は一体何なのだとふと思ったのです。

何をするでもない、何を生み出すのでもない、ただボーっとしたこの瞬間、

そこに掛け値なしの裸のままの自分がいるのではないか。

ああしろ、こうしろという思考の働いていない時間。

そこに見える風景を楽しむだけ楽しんだらいい。

私の絵はそこから始まるようになりました。

 

絵とは面白いもので、白布の上の自在に動くイメージが、たった一本線を引くだけで消えて行きます。イメージと現実の線のせめぎわいがそこから始まります。

線は自由なイメージを消していきますが、同時にその線自身が新たにイメージ生み出しはじめます。最初のイメージの世界が、一本の線にによって空間が変えられ流れが変わるのです。

その流れが二本目の線を呼び込みます。

誘われるままに、現実の線が増えてゆきます。

私が見ているのは、白布の上に展開する見えない世界の運動です。それが現実の線によってふわふわと変転するのですね。それは極めて魅惑的なドラマです。

私にはこれが自分の最高の絵の世界に思えます。

この見えない世界がそのまま絵になったら、どんなにすばらしいことでしょう。

しかしもちろん、絵に必要なのは具体的な線。目に見える現実のしるし。

空間から物質の世界に導かねばなりません。

空間思考から物質思考に変換しなければならないわけです。

私はその変換を楽しみながら進めます。何より、目に見えないイメージの世界が動いて行くのが面白いのです。何かを描こうという明確な意志はありません。ただその変化をドラマをみるように楽しむというのがより正確かもしれません。

この時、私は自分の心が抱えている苦悩のような余計な感情が消えて行くのを覚えるのです。心が単純になっていくと言えばいいのかもしれませんね。

逆に心配事など、心に引っかかっていることがあって、気持ちがそちらに引っ張られると、心が原点からそれていくのをはっきり意識することが出来るのです。

そんな時は創作をやめます。

楽しめなくなったら、創作の意味がないわけです。

 

やがて描線が具体的な形になってきたとき、正確には、無計画に引いた線の上にたとえば龍を見い出すようになって来たら、そこからはじめて龍に向かって線を引きはじめます。

 

面白いのはここからです。

私はなるべく全体を見ないで、シャーペンの先だけを見つめてただ感覚的に線を描いて行きます。描くという行為を全身の動きで楽しむのです。なにを描いているという具体的な形の意識より、龍の身体を描いているときは、一枚一枚の鱗の硬さとか、空間の粒子の流れだとか、そんなイメージを指の力加減に還元して線を引くという面白さですね。手に伝わる筆圧の変化だけを意識するのですね。

 

 

 たとえて言えば、山登りをするとき、まわりの風景を見ないでただ自分の足元だけを見つめて登っていくというような感じです。

ふと目を上げると、突然見晴らしのいい風景が見えて自分の足の運びが思わぬ高度をかせいだのを実感します。

同じように、描きこんで全体を見たとき、初めてみる全体の絵の風景に新鮮な喜びを感じます。こんな絵を描きたかったんだと他人事のように思います。

そしてまた足元だけを見ながら線を引きます。

この繰り返しで絵が生まれて行くのです。

最近はこんな龍と出遭いました。

どんなふうにして描いたのか分かりません。再現できない絵なのです。

これが描けたから次も描けるという保証はありません。つまり、技術で描くのではなく常に新しい瞬間のつながりとして描いていくわけです。

 

これを私は五次元絵画と呼んでいます。

 

私が伝えたいことは、この、イメージで遊ぶということ。

私の体験では、誰でもそれは可能だということ。そしてこの上もなく楽しいということ。

それをベットの上の今はなき母が教えてくれたのです。

 

 

 

 

 過去記事

五次元と振り子(1)

五次元と振り子(2)

五次元と振り子(3)

五次元と振り子(4)

五次元と振り子(5)

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12 コメント

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Unknown (sure_kusa)
2018-05-31 14:14:51
何もない白紙に、始まりの点、そして線。
それが面になり、込められた思いで厚みを得、喜びと感動の世界へと導かれる。

直前の御記事、お母さまがマーカーで描いた「 一枚の絵 」に通ずるものを感じました。
返信する
sure_kusa様 (のしてんてん)
2018-05-31 19:32:13
ありがとうございます。

確かにそうかもしれません^ね^

描く内容は違いますけれど、心を通して線を引くという基本は同じだと思います。

紙と鉛筆さえあれば、だれでも絵が描ける。上手下手を思わなければ、寝たきりの人だって自由に空を羽ばたける。その素晴らしさを伝えられたらいいのですけれどね。

子供になって、師匠も絵を描いてみません^か^

返信する
お早うございます (延岡の山歩人K)
2018-06-01 07:41:22
五次元絵画
 >技術で描くのではなく常に新しい瞬間のつながりとして描いていくわけです。
具体的に 山登りに例えてのご解説
な~るほど と よくわかりましたが・・・
やっぱり
芸術とは 不可解なりです(当たり前ですね)

返信する
無意識閃き活動 (真鹿子(まかこ))
2018-06-01 08:10:38
のしてんてん様
おはようございます!

私のブログのコメントと
重複いたしますが、

五次元心の到達点☆
五次元の振り子♪
おめでとうございま^す^

「何をするでもない、何を生み出すのでもない、ただボーっとしたこの瞬間、そこに掛け値なしの裸のままの自分がいるのではないか。ああしろ、こうしろという思考が働いていない時間。そこに見える風景を楽しむだけ楽しんだらいい。私の絵はそこからはじまるようになりました。」  (のしてんてん画伯)

まさしくこのボーっとした瞬間!
未知領域無意識閃き活動の瞬間こそが、
心の原点☆何事にもとらわれることなく、宇宙と直結一心同体の瞬間!
有ると同時に無く無いと同時に有る
一瞬無限大の瞬間だと感じていますが、

のしてんてんさんと同じように、
この自分とは一体何?人類とは一体何だろうと私も思っているのですが、

私たちを構成している細胞遺伝子も、
私たちの脳も、意識的に活動しているのは約5%ほどで、約95%は休眠状態であるとされていましたが、

実は脳は全脳休みなく働いているらしく
一見休眠状態に感じられるボーっとしている時が、最も活動している時で、
この無意識の脳の活動こそが、
想像創造の根源であるということ。

つまり人類の脳の活動は、
意識的な活動が約5%、
約20%は細胞の維持修復に使われ、
約75%が無意識閃き活動、
想像創造の根源域であるということ。

また、私たち万物を生み出し、
私たち万物と一体であるこの宇宙も、
私たちに認識できているのは約5%ほど
約23%が正体不明の暗黒物質で、
約72%が正体不明の暗黒エネルギー

この数字の類似性、不思議ですが、
私はおそらく脳の約75%が、常に無意識閃き活動をしている可能性無限大の想像創造の根源未知領域であるように、

宇宙のこの約72%の正体不明の未知領域も常に無意識閃き活動をしている可能性無限大の想像創造の根源未知領域であると確信しています。

のしてんてんさん、
常に新しい瞬間とつながっている
のしてんてん龍たちの出現!
感動で^す^これからもますますお楽しみくださいね。

私からものしてんてんさんのお母様、
花子お師匠様に感謝申し上げます☆♪

今日は快晴のお一日♪
今日もどうぞ
良い一日をお過ごしくださいませ☆

感謝一念
まかこ 拝
返信する
山歩人様 (のしてんてん)
2018-06-01 08:56:00
学生時代に学友に誘われ、ほんのちょっぴり山登りを体験しました。
その時の印象がとても強くて、(登山家の道には行きませんでしたが)目的に向かうものは皆、山登りと考えてしまうので^す^

絵を左右交互に鉛筆を持ちかえて描く特技がありまして、それが一歩ずつ足を運んでいく山登りそのもののイメージとなっておりますので、出来上がっていく風景は山から見る風景。

ですから、私が一息ついて描いてきた風景を見ている感じは、山歩き人さんが、足を止めて青空のもとに拡がるミヤマキリシマを眺めているあの解放感と同じものだと実感できるんです。

他に何か欲しいなんて思わないし、自分が何者なんてめんどくさいことも考えない。美しいミヤマキリシマとすっきり一つになっている心。そんな心をいつも頂いておりま^す^ありがとうございます。

お礼に心の山の風景をお届けできたらこんなうれしいことはありませんで^す^
返信する
まかこ様 (のしてんてん)
2018-06-01 09:21:42
何年か前に、まかこさんに詩にであいました。
その宇宙の詩が鮮烈に私の心に残りました。

それからこうして親しくお話しさせていただくようになりまして、心から感謝申し上げます。

私の一方的な感覚ですけれど、このネット上のお付き合いで、私はまかこさんの75%が私の75%と同じものだという実感がどんどん強くなっていくような気がしております。

もしかしたら、75%は分からないのではなく、個人の領域ではないのかも知れない。万人の共有している宇宙そのもの、それが私のイメージでは「空」なのではないだろうか。

まさにぼんやりと、そんなふうに考えさせられました。

真心が伝わる。芸術が伝わる。
この伝わるというのは、25パーセントの見える私が、自分の75%を振動させることなのではないでしょうか。

表現は伝える人を意識して工夫を凝らすのではなく、己の中の75%を振動させること。

それが伝えることだと、今こうして書きながら思いました。

まかこさんとの対話がなかったら生まれなかった一つの気付きではないでしょうか。

いつも本当にありがとうございます。

今日も一日、楽しみましょう^ね^

返信する
のしてんてん様 (真鹿子(まかこ))
2018-06-01 16:38:33
こちらこそ、
親しくお話しをさせていただき、
いろいろ学ばせて頂きまして、
感謝の気持ちでいっぱいです。

75%無意識閃き未知領域ですが、
のしてんてんさんのおっしゃいますように、個人の領域を超えている領域。
万人の共有している宇宙そのもの。
まさにのしてんてん画伯の空ですね☆

真心が伝わる。芸術が伝わる。
この伝わるというのは、25%の見える私が、自分の75%を振動させること。
己の75%無意識閃き未知領域と
一体である宇宙の無意識未知領域を振動させること。
可能性無限大の想像創造根源未知領域を
振動させること。
大いに振動(神動)させましょう!
いまだ宇宙創造過渡期である
宇宙の新たな創造の糧となりますよう☆
振動(神動)させましょう!まさに振動は、
神の振動でもあります^ね^♪

午後からもどうぞ
素敵な時をお過ごしくださいませ☆

今日梅漬けの素(無添加)の
紫蘇を入れました。
透明な梅酢が紫蘇の色に染まり、
少し指に付いたのでお味見しましたら、
初々しい梅干しの味でしたよ♪
清らかな梅の香りが嬉しいです☆
返信する
まかこ様 (のしてんてん)
2018-06-01 19:59:09
まかこさんの詩
---------------------------------
[美しき任意の点のスケッチ]

任意であるにもかかわらず
どうして、点以外の何ものでもないのかと

任意の点は、ながいあいだ
たたらをふみつづけてきたけれど

点は、
点であると同時に、線だった
線であると同時に、面だった
面であると同時に、立体だった
立体であると同時に、四次元形態であった 

つまり点は、
点であると同時に線であると同時に面であると同時に立体であると同時に四次元形態であった

四次元形態であると同時に 五次元形態であった

五次元形態であると同時に 六次元形態であった

六次元形態であると同時に 七次元形態であった

七次元形態であると同時に 八次元形態であった

八次元形態であると同時に 九次元形態であった

点はたじろぐ

点は終わらない

点は点であると同時に

想像を超えている形態!

創造を超えている形態!

点は 点であると同時に

無限次元形態であった


真鹿子(まかこ)
---------------------------------
勝手に転載させていただきましたが。今回の私の記事と見事な一致を感じているのです。

言葉は違いますが、まかこさんの無次元は、私の言う五次元そのものではないかと思えます。

そして何より感動的なのは、互いに自分の言葉を使うことで、はじめてこれだけの相互理解が出来るんだという実感です。

もし私が無次元という言葉を使ってまかこさんに近づいたとしたら、あるいはまかこさんが五次元という言葉で私に近づいたとしたら、失うことはあっても、けっして得られないものがある。

それが個の独自性。宇宙を知るには複数の観測点が必要ということなのでしょうね。ありがたいことです。

これからも研ぎ澄まされた無次元感覚の発信をお願いします^ね^

口の中に、青い梅酢と紫蘇の香りが広がりました。
返信する
ありがとうございます! (真鹿子(まかこ))
2018-06-02 08:10:28
のしてんてん様
おはようございます!

おどろきました@_@
任意の点のスケッチ
ご掲載くださいまして、
ありがとうございます☆

そうですね。
のしてんてんさんが
おっしゃいますように、
のしてんてん画伯の五次元と
私の無限次元はまるで仲良し兄弟♪

万物にはそれぞれ固有の独自性、
固有の立場がありますものね。
宇宙をより深く知るためには、
出来るだけ多くの観測点が必要ですね。

こちらこそ、これからも
よろしくお願い致しま^す^

梅干しですけれど、
梅風味の紫蘇も美味、
紫蘇パスタおいしいですよ
紫蘇ドレッシングも重宝しています。

のしてんてんさんもお庭に一本
お花も実も楽しめる
梅の木を植えられたらいかがでしょう♪

今日も清々しいお天気☆
どうぞ良い一日を
お過ごしくださいませ♪

お心遣い感謝申し上げます!

まかこ 拝
返信する
おはようございます (のしてんてん)
2018-06-02 09:39:37
山里で、

待ち遠しい春を真っ先に知らせてくれる香り、

それがフキノトウと梅の花でした。

梅は、香りから始まり、花があって、実が桃のような香りをはなち、やがて食卓で毎日顔を合わせる。

一番身近にあるものですけれど、紫蘇はその梅に何の違和感もなく連れ添っているんですね。相性の良さはなんといってもその香りなんでしょうか。

紫蘇の香りは、何かを呼び起こしてくれるような懐かしさがありますね。

今朝はとてもさわやかな外気でした^よ^
返信する

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