のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

小樽商科大学 13

2009-07-18 | 小説 忍路(おしょろ)

ドアを押しあけて入ると、すぐ正面に一段高くなった教壇があり、この部屋には不釣り合いと思われる新しい暗緑の講義用黒板が正面の壁を領していた。
 この黒板と教壇のほかは何もない。ガランとした空間が行き所を失って微動だにしないと思われた。その空気が私の体温を吸収して動き始める。歩くと靴の音が響き渡り、私の腹の中にまで反響して、不思議に私を落ち着かせるのだった。
 黒板には様々なことが脈絡なく書きこまれていていた。その中にいちだんと大きく書かれた赤い文字が私の興味をひいた。

 「我々は伊藤整を訪ねてここに来たり7/3」

 その一行のそばに3名の名が苗字だけ書き連ねられている。それはちょうど黒板の真ん中にあった。
 私はそれを見たとき、異邦の地で知人に会った時のように心の叫びをあげた。私は知らぬ間に伊藤整への意識を増幅させ、板上の3名に共感を覚えるのだった。
 彼らもまた、この「若い詩人の肖像」を読んだに違いない。そしてその涙ぐましい真実の心に魅せられたのだ。そしておそらく、グループで来ていることや夏前のいい季節に来ていること、そして臆面もなくこのような声明文を残していることを考えれば、3人は小説の中の伊藤整と同じ大学生だったのだろう。そしてその中に一人は女性が含まれていてもいい。
 黒板に近寄ると、彼らが使ったはずの赤いチョークはもうどこにも見当たらなかった。チョークは片付けても、落書きは消されなかった。このことは何を物語っているのだろうか。
 この「7/3」が最も近い前年の7月3日のことであるとしても、およそ8か月近くにもなる今まで、学生たちがこの教室を使わなかったと考えるのは不自然だろう。するとこの落書きが今も残されているということは、誰もがこの声明文に共感しているからなのだろうか。あるいはこの学校の誇りとして、学生たちの心の中に伊藤整が存在するからなのだろうか。あるいはまた、彼らの、優しさの故であろうか。
 様々なことを考えながら、私はこうした落書きがいつまでも消されずにいることに不思議な喜びを感じるのだった。


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