
(F10号6枚作品)
1枚で独立した作品を100枚を並べて
壁画にする計画を遂行中
来年1月に個展展示すべく現在50枚
上の図はその1部分です
私達現代人は科学的な世界認識が体に沁み込んでいる
科学的な空間理解と物質観で自分を観ているのである。
このことを加味して般若心経を見ると
「色包是空」「空包是空」という時代に即した言葉が必要になってくる
「色包是空」とは物質は空間に包まれているという意味であり
「空包是空」は空間もまた空間に包まれているという意味になる
言い換えれば
空包是空とは心もまた空間に包まれているということである。
例えば
人間の存在は二つの空間から出来ている。
一つは人体を構成する素粒子空間であり
もう一つは人体を包んでいる宇宙空間である。
もちろんこれらは同じ空間であるのだが
互いにスケールの違う二つの空間なのである。
素粒子空間はミクロの宇宙空間であり
素粒子同士が引き合って
強い結びつきを作っている。
そのためマクロ空間はその中に入っていくことが出来ず
それを包むように
マクロの宇宙空間が存在しているのである
マクロ宇宙は
月を包んで空に浮かべている。
それと同じようにこの身体もまたマクロ宇宙に包まれているのである。
この身はミクロ宇宙が素粒子を浮かべながら
強い力で素粒子を身体の形に束ねているのだ。
これは
マクロ宇宙が身体を包み
同時にこの身の体内宇宙空間をも包んでいることになる
つまり
色包是空であり同時に空包是空なのである。
空はこの身を包むと同時に心をも包んでいるということなのだ。
私達の心は
ミクロ宇宙の空間のエネルギーであるから
心は空間に包まれていることになるのである。
空包是空とは
身体同様、心もまた空間に浮かんでいるということなのだ。
物質は分かるが心がなぜ空に浮かんでいると言えるのか
それはE=M×C×C(光の二乗)
というアインシュタインのエネルギーの法則が明らかにしている。
エネルギーは自らのエネルギーだけでは成り立たないのである。
心のエネルギーを存在させるためにはそれを包んでいるエネルギーの場が必要なのである。
つまり心はマクロ宇宙なくしては存在しえないのである。
本来私達が認識している自分の心というものは
ミクロ宇宙とマクロ宇宙の二つから成り立っているのだ。
ミクロ宇宙とは体内宇宙のことであり
苦悩はそこで生まれるエネルギーの相克である
私達がそれを苦と感じているのは
自分を包んでいる空との対比が原因なのだ。
意識が苦しんでいる心に向いている
これが苦悩なのである
意識は自由に見る方向を変えられる
悟りはそう気付いた瞬間に訪れる
苦悩とは体内空間に生まれた苦に意識が向いているのである
その苦を包んでいる宇宙空間に意識を向けることも出来る。
この学びが悟りとなるのである。
色包是空
空包是空
これが
現代人の悟りの言葉なのだ
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