
(新作 3号キャンバスに鉛筆)
私が提唱する五次元宇宙の概略は、カテゴリー「5次元宇宙に生きる(空間)」で33回にわたり紹介させてもらいました。そのことで、とてもうれしいメッセージを頂きました。
それは、今回のたまご立ての話を締めくくってくれる内容でした。
メッセージを頂いた方を仮にTさんと呼ばせてもらいます。
Tさんは、私と同じ無所属の絵描きさんで、偶然私たちはある展覧会場で出会いました。
Tさんの絵を観て、なんとなく魅かれ、何度か見るうちに同類のにおいを感じ取ったと言えばいいでしょうか、全く垣根を感じさせない人でした。
絵かきというものは大概(私も含めてですが)胸張り症候群で、うるさいほど「私は!」を連発するか、胸をそらして付け入る隙を見せないものですが、Tさんは違いました。
常にこうべを垂れて、自分の作品はまだまだという人で、しかし作品は静かですが激しい情熱を感じさせるもので、Tさんを大先輩と思うようになりました。
そのうち、Tさんから「のしてんてん系宇宙論」が欲しいと云うことで、お送りしたのです。
驚いたことにTさんは1週間ほどで読破され、その感想を送ってくれた次第。次の一節が私の心に沁みたのです。
「ずっと自分の存在を追求してきて、行き詰っていたのですが、私の見続けてきたのは「0」、つまり無の世界を得ようと突き進んできたというのがよく分かりました。五次元宇宙は「0」と「1」の間にある世界という説明に感銘しました。私が行き詰ったのは「0」しか見ていなかったからだとはっきり分かったのです。私は「1」を見つけました。」
5次元宇宙はスケールの概念から世界を見た心の存在論です。自分の存在を無限に小さなスケールで見ていくと限りなく「0」に近づくのがわかります。しかし逆に大きなスケールになって世界を見れば、無数の原子はひとつになって私をつくっており、無数の星は一つの銀河になるというように、限りなく「1」に近づく世界なのです。
つまり私たちは「0」と「1」の間に存在しているわけです。
Tさんの追求は「0」向って一直線だった。その方向は禅の世界のイメージが強く、実際Tさんのさんの作品もそんな世界を感じさせてくれます。しかし進めば進むほど、自分が消えていくことにTさんは気付いたのです。
「1」に気付きました。Tさんは言います。絵が変わっていく実感がうれしいと。
「1」とは己そのもの、個性のあり方を現わしています。その時私にも気付きがありました。
私の心に浮かんだたまごが自立するイメージは、まさに5次元宇宙の「1」の表象だったのだと。
自分とは何か。それは無である。その理解は実は人間存在の片面だけの風景だったのです。私たちの実体は無、空間そのものに集約されていきます。それは一方で正しい答だったのですが、相変わらずやってくる苦悩は、その方向だけでは決して救われないということでしょう。
私たちは無であると同時に、1なる存在なのです。たまごが立つ姿は、まさに1なる己の姿に他なりません。無を原動力にして、ひとつの自然として立つ。
それこそが、5次元宇宙に生きる私たちの姿だったと、私もまた、Tさんに教えられました。
ありがとうございます。
こんにちは
初コメです
「たまごを立てる」、とても意味深い話しで感心しました
ありがとうございます
きょう、関東では35℃の高温注意報が出ています
暑さ厳しい折り、ご自愛ください
コメントありがとうございます。
しあわせを願い続けているブログです。
いつでも気軽にお越しくださいネ
思ったよりこちら(大阪泉州)の方体感温度が適温です。
全国30度越えらしいですね。そうか御自愛のほどよろしくお願いいたします。
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有難う御座います
今後とも宜しくお願いします