
井の中の蛙 大海を知らず
我々は浮かんでいる。生まれてこの方一度たりとも地上に足を付けたことは無い。
この事実は動かしがたいことだが、意識は長きにわたってその逆を信じ世界のイメージをつくり上げてきた。
それを批判するつもりはない。むしろそれが人間の順調な成長過程であったのだ。
子供の成長を見ていても分かることだが、人は自分の身近なところから世界を認識していく。母子の関係から家族へ。家庭から学校へ。学校から社会へ。認識する世界はこうして徐々に広がっていく。
赤ん坊がいきなり社会に投げ出されても生きてはいけない。つまり人は己の置かれた環境を全世界と認識して自分と他の区別を学習する。学習する間、人はその環境を全世界と信じて疑わない。そうすることで初めて人はその環境に熟成する。
これが井の中の蛙の正体だ。恥ずべきことではない。それは必要であり、生きるということの健全な過程なのだ。
しかしこの人間の成長はこのままで止まっている訳ではない。
科学の進歩は、今や全世界と思っていた地球が実は小さな井戸だったことを明らかにした。天動説から地動説に移った頃から徐々に世界の広さに気付き始めた人間は、神の領域に科学のメスを入れ始めたのだ。
「神は死んだ」有名なニーチェの言葉が何を言い表しているのか私には分からないが、宇宙の真理を神の名のもとに覆い隠していた時代の古い神は確かに死んだのだ。科学が宇宙の大海を認識しはじめると必然的に人は進化する。新しい環境に適合していくのが命の流れだ。
地上と共にあった己が、実は宙に浮いている存在だったという事実に行き着いたとき、人は必ず自分を包んでいる空間に目を向けるようになる。それが私のいる世界なのだからそれは必然だ。
うつろで何もないと思っていた空間。その空間に私もあなたも、宇宙のありとあらゆる物質が等しく浮かんでいるというこの事実を突きつけられると、人はもはや空間を無視することは出来なくなる。これが井戸から出て大海に触れた人間の直面する世界なのだ。
この現実をどう受け入れたらいいのか。古い認識方法(時間)だけでは役に立たないことだけは分かる。論理的に時間の概念さえあれば宇宙を表現できるという科学者はいるかも知れないが、我々凡人にはそれだけで空間を直に認識することは出来ないのだ。
空間は見ることが出来ない。つかむことも触ることも出来ない。色も香りもない。それは無でありながらしかし決して虚無ではない。我々はこの空間に浮かんでいるのだ。この空間に生かされていると言ってもいいだろう。
人間の進化はそんな空間を認識する方法を手に入れることで起こる。その方法が一つだけある。それがスケールの概念なのだ。
それは直接空間を観て認識する方法ではないが、横に拡がる空間のイメージに加えて、それは縦に掘り下げていくイメージをつくり出す。
縦に掘り下げるというのは、素粒子の浮かぶ空間から銀河の浮かぶ空間まで、それは一つの空間の中に存在しているというイメージを持つことを意味する。
「時間」が物質の変化を意識した認識方法であるのに対して、「スケール」は物質のスケールによる成り立ちを意識して見る認識方法である。
このことで空間は、時間という横の拡がりに加えて、ミクロからマクロに至る空間の広がりを認識することが出来るようになる。すなわち人は、自分のいる大海の大きさをはじめて心の中に思い描くことが出来るようになるのだ。
我々の棲む大海は、天空にある地球や銀河の浮かぶ宇宙空間から想像をめぐらしていく何億光年の拡がり(四次元空間)だけではないことに気付かなければならない。
それはこの自分自身を原点にして素粒子の、さらにその奥のミクロの世界を包む空間の世界と、さらにこの身が生息する地球、その地球から銀河、さらに空想し得るかぎりの巨大な命の構造物を丸ごと包みこみ、浮かべている空間(五次元空間)が存在するということだ。ただ一つの空間の中にミクロとマクロの物質世界を一緒に包み込んで存在させている揺りかごと言ってもいいだろう。この空間のイメージは、広大な時空をさえ一枚の表皮と思わせるほど巨大な厚みのある世界なのである。
これが井戸から出た蛙の見ている大海なのだ。論理が問題なのではない。心にその空間の広がりと世界がイメージ出来ればいいのである。
イメージが生まれたら、それが大海だ。地球の井戸から外に出た風景はイメージの中にしか姿を現さない。そしてそのイメージが、今ある生死観や幸福論を進化させていくのである。
やがて物理学から空理学が生まれることを楽しみにしている。
科学はいつしか空間を解き明かす。完全な解明はありえないだろうが、少なくともその世界観は人類を変えるだろう。戦争など低次元の思い込みと考える常識が五次元の概念から生まれる。それが次世代の人間の進化した姿だと思いたい。
五次元を語り合いませんか。
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