(29)
「緑の穴」の周辺が大火に見舞われたのは、黒旗を掲げる反乱軍が突然現れたその夜のことでした。ダニールの指揮によって烏合の衆と思われていた反乱軍が強固な軍に変りました。
「緑の穴」は天然の要害で、洞窟はどこまで広いのか分からない鍾乳洞でした。奥に逃げられたら長期戦を覚悟しなければなりません。ダニールは中で戦うことを諦め、あぶり出し作戦をとったのです。
全員に油を持たせ、穴を取り囲むように木の幹や枯れ柴が山のように積もっている場所など、至る所に油をしみこませて行きました。そして一斉に火を放ったのです。瞬く間に森は火の海になりました。
煙の匂いと木のはじける音を見張りの兵が気付いたときには、もう辺りは火の海になっていました。洞窟に煙が流れ込んできてこのままでは全員窒息死かと思われました。洞窟の中は大騒ぎです。統制がとれず外に飛び出した兵士たちは、炎に道を塞がれ、身を隠す場所もなく敵の矢の餌食になってしまったのです。
「王様!このままでは煙にまかれるか、焼け死ぬのを待つだけです。」
「すぐに討って出ましょう。」
「あわてるでない。外に出たら終わりだ。頭を下げて煙を避けよ。皆よく聴け、この洞窟の大きさは計り知れない。こんな如きの煙で窒息することはない。これは敵の搖動作戦じゃ。それよりこの火では敵も攻めては来れぬ。この機を利用して守りを固めるのじゃ。」
ストレンジ王の一喝で、浮足立った兵たちはようやく落ち着きを取戻しました。王の言葉通り、煙が充満していたのは洞窟の入り口に築いた城門付近ばかりで、それが奥に向かってくることはありませんでした。兵士たちは城門の防御壁に土嚢を積み始めたのです。
ダニールの火攻めは思った成果を上げることが出来ませんでした。けれども森は焦土となってしまいました。燃え残った立木が黒こげになってなお赤い舌を出してくすぶり続けていました。繁った植物が焼かれ、踏みしだかれて隠れていた岩の裂け目がいくつも現れたのです。中でも巨大な穴が、切り立った崖の麓にぽっかり口を開いていました。そこに築かれた隠れ城の城門がむき出しになってしまっているのです。そこからなだらかな丘陵地が広がっていて巨大な白い岩が至る所に転がっているのでした。
ダニールはその一番大きな岩山の上に立って指揮をしていました。手を上げると、遠まきにいた兵が進軍をはじめたのです。軍靴の音が地響きのように聞こえます。黒旗を掲げた反乱軍は勝ち誇ったように鐘や太鼓をたたき足を踏み鳴らしました。こうして隠れ城の城門は反乱軍に埋め尽くされたのです。
「皆の者、今こそ王を打ち倒す時が来た!自由を我らに!」
「自由を我らに!!」
「自由を我らに!!」
ダニールの天に向けられた手が大きく前に倒されました。歓声が起こり、全軍の兵士たちが城門に突進しました。人が波のように見えました。壁に当たっては崩れ、崩れては押し寄せるのです。そして積み上げられた土嚢を少しづつ押し崩していくのでした。
その時だったのです、上空から五艘の飛行船が現われたのは。その異様な光景が兵士たちを大そう驚かせました。城門に群がった兵士たちの足が止まり、兵士たちは皆上空に目を奪われました。驚いたことにその飛行船の上には大きな黒猫が立っているではありませんか。しかもその背には人が乗っていました。
「何だあれは!」
兵士たちは口々にささやき声を上げています。すると今度は黒猫が日の光を浴びて、見る見るうちに黄金色に輝き始めたのです。その神々しさに息をのんでいると、すっかり黄金色に染まった猫は空を蹴って飛びあがりました。そして驚きの目を向けている兵士たちの上を飛んでまっすぐダニールの立っている岩山にやって来たのです。
「ダニール!争いをやめさせなさい。」
「もう遅い!」
「ここは私に任せて、姫様は門の戦いをやめさせてください。」
エルはそう言ってスケール号の背中から飛び降り、ダニールに向き合いました。
「分かった。」
フェルミンはスケール号の首を洞窟の城門に向けました。
「願い、あそこに連れて行って。」
「ゴロニャーーン」
人が乗る大きさでも、スケール号は猫なのです。嫌だった黒い色が消えて大好きな黄金色に戻った嬉しさも手伝って、返事も軽快です。スケール号はフェルミン姫を背中に乗せて兵士の間をすり抜けながら走り、城門に向かいました。
「姫様!」
兵士の中にフェルミン姫の姿に気付いて叫ぶものがいます。
「皆、戦いをやめなさい!。どこにも敵はいない。目を覚ましなさい!」
フェルミンは兵士たちに武装解除を告げながら走り続けました。その先々から兵の驚く声が聞えるのでした。
「姫様!姫様が生きておられる!」
「家に帰りなさい、妻や子のために。あなたを必要とする者のもとへ!」
「姫様だ、姫様が返ってこられた!」
「軍を離れても誰も罰せられない。軍規無効だ。皆、武器を捨てて帰りなさい!」
「姫様!」
「戦う相手はどこにもいないの。戦う必要はないのよ!」
反乱軍の兵の中をスケール号は疾風のごとく駆け抜け、焼け出されてあらわになったいくつもの岩の裂け目を見ながら、城門にたどり着きました。
そこはまだ激しい交戦が続いていました。兵たちは何重にも肩車を組んで城門にへばりつき、人を梯子にして次々と兵が城門を越えて行きます。そしてついに城門が内側からひらいたのです。次々と兵が門をくぐり、薄暗い洞窟の中が戦場となっているのでした。スケール号は城門を飛び越えて中に入ると、高台のような石筍の上に乗りました。そして煌々と黄金の身体を輝かせ始めたのです。洞窟の中が昼間のようになりました。
戦いに気をとられていた者たちも皆、石筍の上にいるスケール号に気付かないものは有りませんでした。スケール号から発する光は、いきり立った兵士たちの心を少しづつ鎮めてくれる作用があるのでしょうか、兵士たちは互いに剣をひいて、突然現れた黄金の猫を見上げているのです。
「姫様!」
「おお姫様が帰られたぞ!」
「御無事だったんだ、姫様!」
金色のスケール号に乗っている者が、フェルミンと分かった時、兵士たちはどよめき、口々に姫を讃えるのです。それは反乱軍の兵たちも同じでした。洞窟の中に太陽が昇って来たと誰もが思いました。そして太陽に乗るフェルミンを神様と思わなかった者はいなかったでしょう。誰かがフェルミンに向かって跪き、手を合わせると、それは瞬く間に広がって行くのです。
「無益な戦いはやめるのです。」
フェルミンの静かな声は、洞窟の中の隅々まで響き渡りました。
「敵も味方も無い。皆同じ仲間なのです。互いに武器を捨てなさい。」
「姫様!」「姫様が生きておられる。」
「誰も罰せられない。悪魔に身を任せた者たちも同じです。今それに気付けばいいのです。」
洞窟はフェルミンのどんな小さな声もよく通しました、その息づかいまで聞こえるのです。王軍も反乱軍もありません。ただ民に向かって語りかけているように思えました。
「私達は皆、悪魔に心を踊らされたのです。悪魔のささやきのせいで不安と恐れを心に植えつけられたのです。笑いを奪われ、憎しみが偽造された。罪もないものたちが非難され、戦い以外の道を閉ざされた。でももう大丈夫。悪魔は滅びました。」
「おお!」
「国をここまで破壊した悪魔を、皆はさも恐ろしいものと思うことだろう。だが覚えておいて欲しい、悪魔の正体はちっぽけで憐れなネズミ一匹だったのです。」
兵士たちからどよめきが起こりました。
「自分を見失った人々の国は、ネズミ一匹にさえ、国を滅ぼされるのだ。私達のように。危うい所だった。だからこそ忘れてはなりません、各々の本当の自分を。愛するものたちのことを。」
「姫様!!」
「今ここで、武装解除する。武器を捨てて家に帰りなさい。家族のもとにあって、共に笑い合い、辛いこともまた共に生きる。見失ってはならない自分は必ずそこにあるのです。」
「姫様!!」「姫様、万歳」「万歳!万歳!」
洞窟の中に歓声がこもって響き合い、言葉が入り乱れた音の塊りとなって巨大な鍾乳洞を振動させるのでした。
兵士たちは手を取り合い、負傷者にさえ笑顔が戻りました。兵士たちはまるでピクニックに行くようにのびやかになって城門を出て行くのです。
スケール号が再びフェルミンを乗せると城門を飛び越えて行きました。城の外にいる反乱軍が気になっているのです。武装解除の意志がどこまで通じているのか、広い外気のもとではフェルミンの声とて遠くまで届かないのです。
ところが城門の前は兵士で埋め尽くされていたのです。無数の黒旗は山積みにされて火がつけられていました。その横には武器が絨毯のように並べられていたのです。武器を持っているものはいませんでした。フェルミン姫が生きているという情報は風のように伝わって、兵士たちは武器を捨て、一目姫様を見ようと城門を埋め尽くしていたのです。城内に進撃した兵士たちが武装解除して城門から出てくると、その話は歓喜の嵐となって群衆に伝わりました。
黄金の猫に乗ったフェルミンが姿を現すと、群衆の歓喜ははちきれました。
「万歳!万歳!」「姫様!万歳!」「よくぞ御無事で!」
フェルミン姫の姿を見て涙を流すものは数知れずあったのです。
スケール号に乗ったフェルミンは、ダニールのいる白い岩山を指さしました。遠目にエルがダニールを抱えているのが分かります。あっという間にスケール号はフェルミンを岩の上に連れて行きました。フェルミンはスケール号が岩に足を付ける前に飛び降りて駆け寄りました。
「ダニールは?」
「自ら胸を突いてしまったのだ。」
「なんて早まったことを、すべては解決したのよ。しっかりしなさい。ダニール。」
「間に合ったか、フェルミン。」ダニールが目を開けました。
「私が知らないと思っているの。あなたがストレンジを救ってくれたことを。」
「姫様・・・」
「本気で勝とうとしたら、あなたは黄色い穴に火をつけたはず。でも黄色い穴に続く入り口は塞がれていた。あなたがやったのでしょう。万が一にも火が届かないように。あなたは安全な山焼きをするように誘導してくれたのよね、ダニール。」
「何もかもお見通しか、姫様には・・」
「死んではだめ、ダニール生きるのよ。ストレンジは再生するの。」
スケール号からぴょんたが飛び出してきました。
「傷を見せてください。」
ぴょんたがダニールの身体を見て息をのみました。胸から流れる血は真っ黒に染まり、足がサラサラと砂になって崩れて行くのです。
「私の身体は、チュウスケの作ったもの。親分の死を知った時から運命は動いて行くのだ。生きる価値もない。」
「ダニール、しっかりして。」
「せめてあなたを傷つけたこの剣で逝けるのが幸せというもの・・」
「ダニール、死ぬな!」
ダニールの足の砂漠化は腰に達して止まりましたが、同時に再び目を開けることは無かったのです。
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