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複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

五次元講義 4 (四次元と五次元)

2018-11-29 | 5次元宇宙に生きる(一人旅通信)

 

五次元(スケールの概念)は、自分の大きさを自由に変えることが出来ると想定して宇宙を認識する方法だと前回申しました。

五次元講義 3 (五次元の考え方)

この考え方は、突き詰めていくと、この世に絶対的な大きさはない(認識できない)という事実に行き着きます。

大きさとは相対的なものであって、まわりに比較するものがあって初めて成り立つものであり、つまりそれはこの世にたった一つしかない存在に対しては意味のないものと言えるのです。

(たとえば、空間にたった一つ浮かんでいる球を思い描いて、その球の大きさを考えてみる思考実験をすればすぐに分かります。その球が素粒子の大きさなのか、地球の大きさなのかまったく分かりませんし、逆にそれはどんな大きさにでも思い描けるということが分かりますよね。)

 このマルを物差しで測ればいいなんて答えはダメですよ。これは絵に描いた〇であって実際の〇ではありません。実際の〇はあなたの思考の中にある〇のことです。

 

ところが四次元の思考では、自分の大きさは絶対的な「1」の大きさと思い込むことで成り立っているのです。自分の大きさを普遍の基準にして、様々なものを認識しているのですね。その一つに時間の概念があります。時間は絶対的な「1」なるものを認識したうえで、その変化を時間として認識しているのです。たとえば影の動きや粒子の振動というふうに。 

指標の影という「1」なる存在(大きさ)が変化することで時を測る日時計

自分を「絶対不変の大きさ」ということを大前提にして世界を認識する四次元思考の大きな欠点は、宇宙を思いえがいたときに現れます。

その時、この身は宇宙の中の塵芥としか認識できないということです。この塵のような自分を思うとき、人はこの大宇宙の中でどう生きるのかと考えざるを得ませんね。そしてそう思うと、その瞬間から人は宇宙から自分を切り離して方法論に走る。しあわせはさがさねければつかめないと思うのですね。これが四次元思考の第一の欠点です。

さらにこんなことが考えられます。

 

夜空を眺めます。すると満天に星の輝く宇宙を見ることが出来ますね。

ところが私たちが見ている星空は、実は何光年か離れたところからやってきた光で、今見ている星は何年も前の姿だと科学は教えてくれますね。中には何万年も前の姿を見ている星もあるでしょう。もしかしたら、今見ているこの時点ではすでに消滅しているかも知れないのですね。つまり今はない星を見ている可能性を科学は実証している訳です。そしてこれが四次元思考の本質なのです。

時間の概念で世界を見るということは、究極このように今この瞬間には実在しないかもしれない世界を見ているということになるのです。これは科学が認める決定的な事実ということが出来ますね。 

見る「私」と、見られる「もの」の間には空間があって、その間を光がメッセージを届けるということに他なりません。

そう考えると問題が現れます。

二者の間の空間の大きさはまちまちであって、それこそ無限に離れた彼方から、無限に接して来る微細な空間まで想定することが出来ますね。

すると、厳密に言えば、他人の姿だって同じことが言えます。距離が近いから同時に起こっているように見えますが、彼を見た瞬間、その彼は別のことをしている。1万光年離れているか、1メートル離れているかの違いだけで、私達が見ているものは「過去」であって「今」ではないということです。

つまり彼の「今」を見ることは永遠に出来ないのですね。

もちろんそんなことは理屈であって、実生活に何の支障もありません。そんなことに頓着するのはばかげていると言われるのはごもっともなことだと思います。

 しかし論理的に突き詰めて考えると、私達は一生かかっても他人の「今」を見ることが出来ないというのが決定的な事実なのです。

これは他人の心は分からないという私たちの経験的な理解と重なっていますね。

私達は決して他人の「今」を見ることが出来ない。それを逆から言えば、厳密な意味で「今」と直接つながっているのは自分以外にはないということなのです。

「今」というのは自分自身のことだということですね。

四次元とは、この時間によって動いてる世界を認識する概念でしたから、どうしても自分以外のものに目が向かいますね。そこに変化があるからです。そして自分の姿を他人の中に探すようになるのです。人の目が気になるというのがそれでしょう。

ところが他人の「今」は見ることが出来ない。当然他人を通して見る自分の「今」も見ることが出来ない訳ですから、自分はどう見られているのか、不安や恐れが生まれやすくなるのですね。

四次元が苦悩を生みだしているという私の持論はここから来ているのです。

この「私」は確かに存在している、生まれくる苦悩と共に自分を実感している訳ですが、同時に固定された「私」のまわりには実感できない「他人」がいて、自他を併せて世界と考えるのです。(それを悪いと言っているのではありませんよ)

そのために、四次元に生きるということは「今ある自分」に感心を持たずに外に向かう心を生み出しやすいのです。それはまるで時間の波に揺れる浮草のような生き方をせざるを得ないのだと私は思います。

その浮草人生に、しっかりとした杭を打ち込むのが五次元であり、それが四次元人間にとっての大きな効用と言えるのです。

なぜなら、五次元は忘れていた「今」そのものを与えてくれるからです。揺れ動く心に不動の杭を打ち込む。不動の杭とはつまり「今」そのもののことなのですね。

そして「今」とは自分自身のことでしたね。

五次元思考で見えてくるのはスケールの世界です。この自分を固定されたスケールのイメージから解放して世界を思いえがくと、四次元の世界観とはまったく違った世界が見えてくるのです。

大宇宙の中で「私」は塵芥の存在ではありません。この大宇宙そのものが「私」なのです。

自分の内にある宇宙も外に拡がる宇宙も「私」そのものの姿だと理解できます。それは夜空の星もまた「私の今」なのですね。そこに過去はありません。

四次元思考では見えなかった「今」が見えるようになります。

私達は取るに足らない小さな存在なんかではなかったのです。

五次元思考では、「私」しか存在しません。「私」=宇宙という事実を論理的に理解することが出来るのです。論理的に理解できると言うことは、頭脳がそれを納得するということでもあります。それは時間の流れとは違って、たとえて言えば時間のレールを走る列車そのものの思考。自分という存在の本質をその内側から眺めた世界観なのですね。

四次元世界で生きて、疲れたら五次元の中で身を休める。

スケールの概念を身に着けると、そんな生活も可能になります。

五次元は己の中にある至福の風景を見せてくれるのです。

 

 

 

 

 



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