さて話の続きをする前にちょっとこうちゃん。

なんかちょーカワユイんですけど。見つめられるとどうにかなってしまいそうです。
閑話休題。
愛子に関するキリシタン関連と思われる情報を集めてみると以下のようになった。
①子愛観音
②江戸時代の鉱山があったという言い伝え
③「愛子百軒、ドス九十九軒、残る一軒ダンポさま」の言い伝え
④キリシタンだったと伝えられる伊達政宗の長女五郎八姫(いろはひめ)の居館跡
⑤赤ん坊を抱いた鬼子母神像
⑥鬼子母神像の奇妙な参拝方法
⑦安養寺の子どもを抱いた観音像
集めるといってもジモッティーだからこそ知ってるローカル知識と愛子の歴史を簡単にまとめてた某葬儀屋のパンフとネットを駆使しての情報収集なのでかなり断片的。
ただそれだけでも7項目も出てきたってところがなんともいかにもそれらしくて興味深いね。
で、とりあえずそれらを一つひとつ検証してみた。いや検証というよりかは推測してみた。いや、う~ん、推測というよりかは妄想の部分も一部あるな。
①子愛観音
子愛観音は、現在の愛子保育所の近くにあり補陀寺跡の観音堂にある。愛子という地名はこの観音に由来しているというのが定説。
実物はおろか写真さえ見たことがないためどんなものだかよくわからないが、光背に「子愛観音」と墨書されているとのことで、要するにどうも子安観音らしい。
で、子安観音とマリア観音の因果関係からこの話を考え始めたのだが、実際は文治3年(1187年)の墨書が見られるため、キリシタンが伝来する16世紀とはあまりにかけ離れていることが発覚。後世に墨書を捏造することもできようが、なんのため?と考えるとそこらへんはまったくわからん。ただ子安観音というものは仏教の教義・経典から作られたものではなく民間信仰から生まれたものであることからもしかしたらその土地の人々の手によって都合のいいように解釈されたってこともあるのかもとちらっと思ったりして。(もう全くいいかげんな妄想だ。)
②江戸時代の鉱山があったという言い伝え ③「愛子百軒、ドス九十九軒、残る一軒ダンポさま」の言い伝え
②の鉱山の言い伝えは③のドス(ハンセン病)と関わりがある。
③は「愛子には百軒あり、そのうち九十九軒はハンセン病で、残り一軒は駐在所」ぐらいの意味になる。この言い伝えは隠れキリシタンの里にわざと人を寄せ付けないために流されたうわさではないかという解釈があるらしい。
それから製鉄・鉱山についてわかりやすく説明すると「もののけ姫」の世界。エボシ御前のたたら場に牛飼いやらたたらを踏む女たちやらに混じって火縄銃やら大砲やらを製造するハンセン病患者と思しき人たちが出てくる。
鉱山には「山法」という治外法権があったというのは前回紹介したとおりで、キリシタンやハンセン病患者が集められた(もしくは自ら赴いた)のかもしれない。あるいは隠れキリシタンのことを「ドス」と言い換えたのかもしれない。
まあなんやかんや書いたけど、つまりはハンセン病から製鉄を連想し、製鉄からキリシタンを連想したというだけのこと。
④キリシタンだったと伝えられる伊達政宗の長女五郎八姫(いろはひめ)の居館跡
愛子の東の方(仙台の西の方)に栗生という地名があるのだが、そこに伊達政宗の長女である五郎八姫の隠居した西館という館跡がある。
五郎八姫は徳川家康の六男越後高田城主松平忠輝へと嫁ぐが、忠輝改易後仙台に戻り愛子の栗生の西館に移り住んだ。
この五郎八姫はキリシタンといわれており、まさに愛子の地がキリシタンの里であったということは想像に難くない。
⑤赤ん坊を抱いた鬼子母神像 ⑥鬼子母神像の奇妙な参拝方法
鬼子母神像について、ウィキペディアによるとこうある。
愛子にある鬼子母神像は前述の西館から程近いところにある。
天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には吉祥果(ザクロ)を持つというその像は単純にマリア観音を髣髴とさせる。
そしてこの鬼子母神像で最も興味深いのは、祭礼が夕方から夜間にかけて無言で人目を避けて行われているということ。
なんでもマリア昇天日(っていつ?)に行われ、12使徒を連想させる12膳の箸を供えるのだそうだ。家長が正装して誰とも口をきかず、足音を忍ばせてお参りに行くらしい。
この風習は現在でも受け継がれているそうで、この風習から別名盗人神とも呼ばれているとのこと。
マリア観音に似ている鬼子母神像と、祭礼が人目を忍んで行われている、ということから、まさに隠れキリシタンのイメージ。
⑦安養寺の子どもを抱いた観音像
安養寺という愛子のお寺に左手に幼児、右手に蓮華を持つ観音像があるそうな。いわゆるマリア観音やね。
ということで、何の答えも出ていないけれど、勝手に思ったことをグダグダと書いてみた。
だからどうしたといえばそれまでなんだけど、何かを調べて解き明かしていく行為には、たとえ解き明かせなくともものすごく大きな充実感と満足感がある。
過去に誰かが解き明かしていたとしても、自ら考えて思いを巡らすことにはロマンがある。
その筋の人が見たら幼稚なことなのかもしれないけれど、考えているときはなんかとっても楽しかった。
機会があったら龍華院の住職さんに報告してみよう♪
いや~歴史って本当にいいもんですねぇ。(のり@水野晴郎風)


なんかちょーカワユイんですけど。見つめられるとどうにかなってしまいそうです。
閑話休題。
愛子に関するキリシタン関連と思われる情報を集めてみると以下のようになった。
①子愛観音
②江戸時代の鉱山があったという言い伝え
③「愛子百軒、ドス九十九軒、残る一軒ダンポさま」の言い伝え
④キリシタンだったと伝えられる伊達政宗の長女五郎八姫(いろはひめ)の居館跡
⑤赤ん坊を抱いた鬼子母神像
⑥鬼子母神像の奇妙な参拝方法
⑦安養寺の子どもを抱いた観音像
集めるといってもジモッティーだからこそ知ってるローカル知識と愛子の歴史を簡単にまとめてた某葬儀屋のパンフとネットを駆使しての情報収集なのでかなり断片的。
ただそれだけでも7項目も出てきたってところがなんともいかにもそれらしくて興味深いね。
で、とりあえずそれらを一つひとつ検証してみた。いや検証というよりかは推測してみた。いや、う~ん、推測というよりかは妄想の部分も一部あるな。
①子愛観音
子愛観音は、現在の愛子保育所の近くにあり補陀寺跡の観音堂にある。愛子という地名はこの観音に由来しているというのが定説。
実物はおろか写真さえ見たことがないためどんなものだかよくわからないが、光背に「子愛観音」と墨書されているとのことで、要するにどうも子安観音らしい。
で、子安観音とマリア観音の因果関係からこの話を考え始めたのだが、実際は文治3年(1187年)の墨書が見られるため、キリシタンが伝来する16世紀とはあまりにかけ離れていることが発覚。後世に墨書を捏造することもできようが、なんのため?と考えるとそこらへんはまったくわからん。ただ子安観音というものは仏教の教義・経典から作られたものではなく民間信仰から生まれたものであることからもしかしたらその土地の人々の手によって都合のいいように解釈されたってこともあるのかもとちらっと思ったりして。(もう全くいいかげんな妄想だ。)
②江戸時代の鉱山があったという言い伝え ③「愛子百軒、ドス九十九軒、残る一軒ダンポさま」の言い伝え
②の鉱山の言い伝えは③のドス(ハンセン病)と関わりがある。
③は「愛子には百軒あり、そのうち九十九軒はハンセン病で、残り一軒は駐在所」ぐらいの意味になる。この言い伝えは隠れキリシタンの里にわざと人を寄せ付けないために流されたうわさではないかという解釈があるらしい。
それから製鉄・鉱山についてわかりやすく説明すると「もののけ姫」の世界。エボシ御前のたたら場に牛飼いやらたたらを踏む女たちやらに混じって火縄銃やら大砲やらを製造するハンセン病患者と思しき人たちが出てくる。
鉱山には「山法」という治外法権があったというのは前回紹介したとおりで、キリシタンやハンセン病患者が集められた(もしくは自ら赴いた)のかもしれない。あるいは隠れキリシタンのことを「ドス」と言い換えたのかもしれない。
まあなんやかんや書いたけど、つまりはハンセン病から製鉄を連想し、製鉄からキリシタンを連想したというだけのこと。
④キリシタンだったと伝えられる伊達政宗の長女五郎八姫(いろはひめ)の居館跡
愛子の東の方(仙台の西の方)に栗生という地名があるのだが、そこに伊達政宗の長女である五郎八姫の隠居した西館という館跡がある。
五郎八姫は徳川家康の六男越後高田城主松平忠輝へと嫁ぐが、忠輝改易後仙台に戻り愛子の栗生の西館に移り住んだ。
この五郎八姫はキリシタンといわれており、まさに愛子の地がキリシタンの里であったということは想像に難くない。
⑤赤ん坊を抱いた鬼子母神像 ⑥鬼子母神像の奇妙な参拝方法
鬼子母神像について、ウィキペディアによるとこうある。
愛子にある鬼子母神像は前述の西館から程近いところにある。
天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には吉祥果(ザクロ)を持つというその像は単純にマリア観音を髣髴とさせる。
そしてこの鬼子母神像で最も興味深いのは、祭礼が夕方から夜間にかけて無言で人目を避けて行われているということ。
なんでもマリア昇天日(っていつ?)に行われ、12使徒を連想させる12膳の箸を供えるのだそうだ。家長が正装して誰とも口をきかず、足音を忍ばせてお参りに行くらしい。
この風習は現在でも受け継がれているそうで、この風習から別名盗人神とも呼ばれているとのこと。
マリア観音に似ている鬼子母神像と、祭礼が人目を忍んで行われている、ということから、まさに隠れキリシタンのイメージ。
⑦安養寺の子どもを抱いた観音像
安養寺という愛子のお寺に左手に幼児、右手に蓮華を持つ観音像があるそうな。いわゆるマリア観音やね。
ということで、何の答えも出ていないけれど、勝手に思ったことをグダグダと書いてみた。
だからどうしたといえばそれまでなんだけど、何かを調べて解き明かしていく行為には、たとえ解き明かせなくともものすごく大きな充実感と満足感がある。
過去に誰かが解き明かしていたとしても、自ら考えて思いを巡らすことにはロマンがある。
その筋の人が見たら幼稚なことなのかもしれないけれど、考えているときはなんかとっても楽しかった。
機会があったら龍華院の住職さんに報告してみよう♪
いや~歴史って本当にいいもんですねぇ。(のり@水野晴郎風)