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のりまき家のHAPPY LIFE DIARY

どこまで続く?子育て時々自己主張!!

隠れキリシタン信仰と郷土史への誘い(後編)

2006年06月22日 22時57分42秒 | 仏像・歴史
さて話の続きをする前にちょっとこうちゃん。
 
なんかちょーカワユイんですけど。見つめられるとどうにかなってしまいそうです。


閑話休題。
愛子に関するキリシタン関連と思われる情報を集めてみると以下のようになった。
①子愛観音
②江戸時代の鉱山があったという言い伝え
③「愛子百軒、ドス九十九軒、残る一軒ダンポさま」の言い伝え
④キリシタンだったと伝えられる伊達政宗の長女五郎八姫(いろはひめ)の居館跡
⑤赤ん坊を抱いた鬼子母神像
⑥鬼子母神像の奇妙な参拝方法
⑦安養寺の子どもを抱いた観音像

集めるといってもジモッティーだからこそ知ってるローカル知識と愛子の歴史を簡単にまとめてた某葬儀屋のパンフとネットを駆使しての情報収集なのでかなり断片的。
ただそれだけでも7項目も出てきたってところがなんともいかにもそれらしくて興味深いね。

で、とりあえずそれらを一つひとつ検証してみた。いや検証というよりかは推測してみた。いや、う~ん、推測というよりかは妄想の部分も一部あるな。

①子愛観音
子愛観音は、現在の愛子保育所の近くにあり補陀寺跡の観音堂にある。愛子という地名はこの観音に由来しているというのが定説。
実物はおろか写真さえ見たことがないためどんなものだかよくわからないが、光背に「子愛観音」と墨書されているとのことで、要するにどうも子安観音らしい。
で、子安観音とマリア観音の因果関係からこの話を考え始めたのだが、実際は文治3年(1187年)の墨書が見られるため、キリシタンが伝来する16世紀とはあまりにかけ離れていることが発覚。後世に墨書を捏造することもできようが、なんのため?と考えるとそこらへんはまったくわからん。ただ子安観音というものは仏教の教義・経典から作られたものではなく民間信仰から生まれたものであることからもしかしたらその土地の人々の手によって都合のいいように解釈されたってこともあるのかもとちらっと思ったりして。(もう全くいいかげんな妄想だ。)

②江戸時代の鉱山があったという言い伝え ③「愛子百軒、ドス九十九軒、残る一軒ダンポさま」の言い伝え
②の鉱山の言い伝えは③のドス(ハンセン病)と関わりがある。
③は「愛子には百軒あり、そのうち九十九軒はハンセン病で、残り一軒は駐在所」ぐらいの意味になる。この言い伝えは隠れキリシタンの里にわざと人を寄せ付けないために流されたうわさではないかという解釈があるらしい。
それから製鉄・鉱山についてわかりやすく説明すると「もののけ姫」の世界。エボシ御前のたたら場に牛飼いやらたたらを踏む女たちやらに混じって火縄銃やら大砲やらを製造するハンセン病患者と思しき人たちが出てくる。
鉱山には「山法」という治外法権があったというのは前回紹介したとおりで、キリシタンやハンセン病患者が集められた(もしくは自ら赴いた)のかもしれない。あるいは隠れキリシタンのことを「ドス」と言い換えたのかもしれない。
まあなんやかんや書いたけど、つまりはハンセン病から製鉄を連想し、製鉄からキリシタンを連想したというだけのこと。

④キリシタンだったと伝えられる伊達政宗の長女五郎八姫(いろはひめ)の居館跡
愛子の東の方(仙台の西の方)に栗生という地名があるのだが、そこに伊達政宗の長女である五郎八姫の隠居した西館という館跡がある。
五郎八姫は徳川家康の六男越後高田城主松平忠輝へと嫁ぐが、忠輝改易後仙台に戻り愛子の栗生の西館に移り住んだ。
この五郎八姫はキリシタンといわれており、まさに愛子の地がキリシタンの里であったということは想像に難くない。

⑤赤ん坊を抱いた鬼子母神像 ⑥鬼子母神像の奇妙な参拝方法
鬼子母神像について、ウィキペディアによるとこうある
愛子にある鬼子母神像は前述の西館から程近いところにある。
天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には吉祥果(ザクロ)を持つというその像は単純にマリア観音を髣髴とさせる。
そしてこの鬼子母神像で最も興味深いのは、祭礼が夕方から夜間にかけて無言で人目を避けて行われているということ。
なんでもマリア昇天日(っていつ?)に行われ、12使徒を連想させる12膳の箸を供えるのだそうだ。家長が正装して誰とも口をきかず、足音を忍ばせてお参りに行くらしい。
この風習は現在でも受け継がれているそうで、この風習から別名盗人神とも呼ばれているとのこと。
マリア観音に似ている鬼子母神像と、祭礼が人目を忍んで行われている、ということから、まさに隠れキリシタンのイメージ。

⑦安養寺の子どもを抱いた観音像
安養寺という愛子のお寺に左手に幼児、右手に蓮華を持つ観音像があるそうな。いわゆるマリア観音やね。


ということで、何の答えも出ていないけれど、勝手に思ったことをグダグダと書いてみた。
だからどうしたといえばそれまでなんだけど、何かを調べて解き明かしていく行為には、たとえ解き明かせなくともものすごく大きな充実感と満足感がある。
過去に誰かが解き明かしていたとしても、自ら考えて思いを巡らすことにはロマンがある。
その筋の人が見たら幼稚なことなのかもしれないけれど、考えているときはなんかとっても楽しかった。
機会があったら龍華院の住職さんに報告してみよう♪
いや~歴史って本当にいいもんですねぇ。(のり@水野晴郎風)

隠れキリシタン信仰と郷土史への誘い(前編)

2006年06月20日 22時20分01秒 | 仏像・歴史
“えせ郷土史家”のりの最近の研究テーマは隠れキリシタンとマリア観音について。
仙台藩の支倉常長の本を軽く流し読みしつつ、中公新書で「島原の乱」を読み、さらに「黒川郡隠れキリシタン信仰~マリア観音と製鉄」を読んだ。

「黒川郡隠れキリシタン信仰~マリア観音と製鉄」を書いたのは大和町にある龍華院というお寺の住職さん。
黒川郡にある42の寺院すべてを訪ね歩き、そこに伝わる隠れキリシタン信仰や風習、遺物を調査し一冊の本にして自費出版したとの記事が河北新報に掲載された。
実はこのブログに龍華院が出てくるのは2回目
親しくさせていただいている関係で、お願いして一部譲っていただいた。

読んでみるとすげー面白い。
黒川郡におけるキリシタン信仰や習俗、支倉一族の伝承について一通り解説した後、住職が8年かけて調査して発見したキリシタンの痕跡をひとつひとつ丁寧に写真や図を元に解説していく。
それは墓石に刻まれた十字マークであったり子安観音に擬せたマリア観音であったりキリシタン燈篭であったりして、ちょっと実際にこの目で見て回りたい気持ちにさせられる。
本の後半では南蛮流製鉄技術とキリシタンの密接なかかわりについて話が及ぶ。
キリシタン信仰と西洋異文化の知識や技術は実はセットであり、製鉄を媒介とした経済と信仰の一致があったのだという。
さらに東北の金山・銀山・銅山などは罪人であろうとキリシタンであろうと受け入れる「山法」という治外法権があり、キリシタンが自由に働ける唯一の場所であったということを指摘している。

この本で特に面白いと感じたのは、黒川郡の隠れキリシタンたちは厳しい弾圧・統制の中で自分たちの信仰を守るため教義・思想を敢えて子安観音という形で仏教的に偽装・土俗化することによってそこに土着していったという部分。
1637年の島原の乱におけるキリシタンたちは、武力でキリシタンへの改宗を強要したり寺社を破壊したり僧侶を処刑したりといった激しい行動をもって信仰を認めさせようとしたという事実があり、それと比較すると大きな違いが見られる点が興味深い。

とまあこんな感じに、ここんとこ数日間で江戸時代のキリシタンについていろいろと勉強して、要するにキーワードは子安観音(マリア観音)と製鉄なんだなと解釈したオレ。

・・・ん?ちょっと待てよ。
今自分が住んでる愛子(あやしと読む)という地名は子愛観音(こあやしかんのん)に由来していたような。
しかもこの辺の山は昔仙台藩の鉱山だったという噂もある。
あれれ?もしかしたら自分の住んでる地域に当てはまることなんじゃねーか?

そうピンときた“えせ郷土史家”のりは魅惑の郷土史の世界に誘われていくのでした・・・。

長くなってきたのでつづく。(のり@誰が読むんだ?)

衝動買い

2006年06月04日 16時23分40秒 | 仏像・歴史
古本屋で衝動買い。

その本とは、、、

「日本の美 現代日本写真全集 第3巻 四季大和路」入江泰吉(集英社)

4,300円という元値を見て、もし半額以下だったら悩むだろうなと思っていたら、ナント1,000円!
レジ直行。

入江泰吉は、終戦直後から1992年に亡くなるまで奈良・大和路の寺社や仏像、風物・風景を数多くフィルムに残してきた写真家。
彼が写した奈良には、今では失われてしまった懐かしい風景が残っていて、それはまさに日本の原風景。郷愁をかきたてるなんとも言えない素晴らしい写真をたくさん残している。

入江泰吉の良さは一瞬を切り取る写真にあって悠久の歴史を織り交ぜるところだと思う。風景の中に歴史や人物を感じさせる。
一方でそんなことを感じさせながらも何気ない大和路の風景こそが何とも印象深い。
白洲正子は「私たちは入江さんの写真を、写真として鑑賞するのではなく一緒に散歩している気分になる。大和を訪ねたことのない人は、入江さんに案内されているような感覚を味わう」と言っている。
入江泰吉はそんな写真を撮る人なのだ。

で、奈良から遠く離れた地に暮らす自分にとって、その風景はひたすら憧憬の的。
入江泰吉の著作とか写真集とかを欲しいなあと日ごろから思ってはいたけど、たいてい写真集ってのは高価だし、なにより置いている本屋自体が少ないわけで、なかなかままならなかった。

そんなわけで入江泰吉の本を超格安で手に入れることができたオレはもうルンルン気分で帰ってきました。
それにしても古本屋っていいなあと再認識。
今度は「奈良六大寺大観」を探してみようと思います♪(誰に報告してるんだ?)

ところで、山形県の酒田市にある土門拳記念館で「土門拳・入江泰吉二人展」が開かれている。
普段であれば奈良市の新薬師寺隣にある奈良市写真美術館でしかお目にかかることができない入江泰吉の写真をなんと土門拳記念館で特別展示をするというではないかァ!
ちょいと遠いが是が非でもこの機会を逃がしてはならぬゥ!!

というわけでヨメ様にお出かけ許可を嘆願中。せっせとポイント稼ぎに励む週末の午後です。(のり)

ジャワ島地震

2006年05月30日 23時13分44秒 | 仏像・歴史
ジャワ島で起きた地震の被害が甚大なようでとても心配。

前にも書いたけれどウチらの新婚旅行の行き先がバリで、その日程の中にジャワ島にあるボロブドゥール遺跡とプランバナン遺跡群を見て回るオプションをつけた。
ガルーダ航空でバリ島のデンパサール空港からジャワ島のジョグジャカルタ空港へ。
平和の都ジョグジャカルタは思ったより大きな都市で道路脇に人がやたら多かった印象がある。

ボロブドゥールはとにかく壮大だった。


そして高くそびえる尖塔をいくつも持つプランバナンはまさに壮観だった。


今回の地震でこれらの遺跡もダメージを被ったとの報道。とくにプランバナンは多数の石塔が崩落したとのこと。

歴史ある遺跡が地震とかの災害によって被害を受けることは、人智の及ばないことであり、ある意味ではそれすらも歴史であるといえる。
ただ地震の報道を見るにつけ、ガイドをしてくれたヘリさんは大丈夫だろうか?無事であってほしいなと切に願う。
募金くらいしかできることはないだろうけど、できる範囲の支援をしようと思う。(のり)

法隆寺の一件

2006年02月07日 22時33分49秒 | 仏像・歴史
法隆寺の西室に安置されていた文殊菩薩(のレプリカ)を盗んだ男が逮捕された。そやつは秋篠寺でも不動明王像を盗み、橘寺でも薬師如来像を盗もうとしてカバンにつっこんでる姿を見つけられあえなく御用となった。

う~ん、その犯人、シブイ。

なにがって最初に法隆寺、しかも西室という何があるのか知られていない場所を突いたところがシブイ。
なぜ西室をチョイスしたんだろう?謎だ。

法隆寺で盗むのならば伝文殊菩薩立像にすればいいのにと罰当たりなことを思う。
どことなくあどけない表情が魅力的な伝文殊菩薩立像。小さめなサイズもグッド。おうちに置いておきたいほとけさま。


犯人は斑鳩から奈良方面へ。西の京の唐招提寺、薬師寺をスルー(たぶん)して秋篠寺へ。

秋篠寺といえば伎芸天立像。
本物を見ると意外にでかく、とても伎芸天というたおやかな名前とはかけ離れた雰囲気なのだが、よくよく見てみるとすらりとしていてややうつむき加減に首を傾けている姿は、やっぱり美しい。
実は首から下は鎌倉時代の補作で違和感はなくはないのだが、仏像は知識で見るものではないわけで。優雅な仏像であることには変わりはない。

でもオレだったらもう少し足を延ばして、平城京をぐるり回って法華寺に十一面観音立像を見に行くね。
この十一面観音はとても女性的。全体は香の煙ですすけてるのにひときわ目を引く唇の朱。そして豊満な肉付け。
かの和辻哲郎はこの観音を「『秘密』めいた雰囲気に包まれている」と言った。
心奪われた人はあまたいるはず。オレもその一人なわけで。


さて、犯人は秋篠寺から南下、大和郡山、橿原を経て(たぶんね)明日香村へとたどり着く。
明日香では飛鳥寺でも岡寺でもなくなぜか橘寺へ。そしてタイーホ。


犯人にとってこの小旅行は楽しかったのだろうか?

オレ、この犯人許せねーわ。
尊崇と敬愛を集めている仏様を私物化した。そして国宝法隆寺を傷つけた。
あまりに身勝手。浅はか。
一度壊してしまったらどうやっても取り戻せないんだよ。償えないんだよ。歴史と人々の祈りはかけがえがないんだよ。
こいつがどんな目的でこんなバカな犯行に及んだのかなんて全くどーでもいーけど、こんなやつに仏様を拝む権利はねえ。


ところで、実は今、梅原猛の「隠された十字架ー法隆寺論ー」を読んでいる。
事件との関連性はもちろんない。偶然読んでた。

20年以上も前に書かれたこの本。
「はじめに」で哲学者梅原猛はソクラテスとプラトンを持ち出して常識の否定と真理の微笑みについて熱く語る。
その時点でがっつり心臓を鷲掴みにされたオレ。

聖徳太子信仰の寺として太子を敬う人々によって守られ繁栄してきたと信じられてきた“常識”と、法隆寺は謎に包まれた不思議に満ちた寺であるという事実。
それに対して梅原は、法隆寺は誰によって建てられたか、なぜ再建されたか、数々の文献を紐解きながら政治的背景を詳説し、これまでの常識をことごとく打ち破り謎と不思議の答えを導き真実の扉を開いていく。
そしておどろおどろしいまでの法隆寺の実態が浮かび上がる・・・・・・のだろう。

ごめんなさい、まだ四分の一くらいしか読んでいないんで途中からは目次を見ての想像です。

コレ分厚い本なんだけど、それを超超超簡単に要約すると、
「法隆寺というのは太子信仰の寺として有名だけれど、実は舒明天皇や藤原氏といった太子一族殺害者の子孫たちが見えざる怨霊を恐れてその霊たちを手厚く祀ろうとした(法隆寺に閉じ込めた)」
という内容。

いや~どっぷりはまってます、ハイ。
できればこの本法隆寺で読みてえ。(のり)

インドネシアで最も美しい仏像との再会

2006年01月09日 09時34分41秒 | 仏像・歴史
正月の「夢の美術館 うるわしのアジア仏の美100選」は前後編合わせて全部で6時間の超大作。
前編はきっちりオンタイムで見れたんだけど、後編は出かけたり昼寝したりで大部分を見逃した。ま、そんなこともあろうかとしっかりビデオ録画していたわけで、この連休で改めて再チェック。


んで、今日の話題はインドネシア。
名作ナンバー70「チャンディ・ボロブドゥール仏像群」が紹介された。
オレ的には、

ボロブドゥールキターーー(゜∇゜)ーーー!!!!!

って感じ。
なぜなら新婚旅行でバリに行ったとき、ちょいとジャワ島まで足を伸ばしてわざわざ見てきたのです。
世界最大級の仏教遺跡が同じインドネシアにあるってのに行かなかったら仏像マニアの名がすたるとヨメを説き伏せたわけなんです。

ああボロブドゥールは暑かったよなぁ~、でもまた行きたいなぁ~
・・・などと思い出に浸りながら眺めていたら
『インドネシアで最も美しい仏像、名作ナンバー71「チャンディ・ムンドゥットの転法輪印仏陀」』。

なぬ~!?この仏像も知ってるぞ!!
ボロブドゥールの帰りに何気に寄った小さな寺院のほとけさまだった。
いきなりテンションが上がりまくったオレ。

解説によると、ボロブドゥールと同時期に作られたと伝えられているが、作った人も年代もわからない謎に満ちた仏像で、その気品に満ちた顔は「インドネシアの誇り」とのこと。

記憶をたどるとだんだんよみがえってきた。
暑くまぶしい外界に対して真っ暗でひんやりとした堂内はまるで異空間だった。
そういえば真っ暗なお堂の中に地元の人がでっかいミラーを使って太陽の光入れてたっけな。そんで仏像だけがピンポイントでぼうっと浮かび上がって、そのせいかオーラみたいなものをものすごく強く感じて少し怖かった。いや少しどころかマジで怖かった。
なんか雰囲気のある仏像だねえ、日本にはないお顔をしてるねえという話をしたような。とても長くいる気がしなくてすぐに出てきたけどインパクトがあった。

写真を引っ張り出してよく見てみると、ホント気品あるインドネシアンな表情。造像されたと考えられる8世紀ごろのインドネシアの人々がイメージした理想的な仏陀のカタチなんだろうな。
(この姿をバチバチ撮影することがものすごく無礼な気がしてとりあえず撮ったのがコレ↑。撮り直しをすることをためらった記憶がある。)

それにしても名も無き仏像と思っていたあの時のあのお方に「転法輪印仏陀」という立派な名前があったなんて。しかも実はインドネシアの人々から尊崇を集めている偉大なほとけさまだったなんて。
寺院の隣に生えてたガジュマルの樹の枝でターザンごっこなんかしてごめんなさい。

子どもたちが遊んでて楽しそうだったんでつい。
それからTシャツを売りつけようとするうっとおしい売り子を邪険にしてごめんなさい。今度行ったら絶対買います。
いや~、知らなかったとはいえ本当に失礼しました。

インドネシアで最も美しい仏像との偶然の再会。なんかちょっと得した気分♪


追記 10:05現在NHK総合で再放送放映中!ヒマなら見るべし。オレはまた見よっと(のり)

NHKマンセー

2006年01月02日 14時13分38秒 | 仏像・歴史
水を飲もうとしてそばつゆを口に運んだのりですこんにちは。

NHKの「夢の美術館 うるわしのアジア仏の美100選(前編)」を見た。
ほとけの美とその世界観を知る入門編に始まり、アジア各地の寺院に残る名宝・秘宝の紹介、さらにほとけを求め続けてきた人間の心にもせまる。
いや~まさにアジアの仏像の集大成、圧巻の3時間。ホントこういうスペシャルを作らせるとNHKは素晴らしく素晴らしい素晴らしさだね(なんのこっちゃ)。

それにしても番組の中で奈良を歩いていた柴門ふみと仏像の好みが驚くほど合致していたのがちょっと悔しい。
そもそも仏像好きという人種は、自分だけのとっておきのほとけさま、ナンバー1の仏像というものを必ず持っている(たぶん)。そしてそれは誰かに教えることをせず心にしっかり秘めておくものなのだ(たぶん)。誰にも教えたくない秘密の仏像を持つこと、それが仏像マニアの証しなのだ(たぶん)。
そんなわけで柴門ふみと思いっきりかぶってしまったことがひどく残念。
ちなみにみんなに見てもらいたいオススメの仏像は奈良の東大寺法華堂(三月堂)の不空羂索観音像。ホントこれはいいです。

ま、それはともかく元日のゴールデンタイムを仏像漬けの3時間に。ヨメにとっては苦痛だったろうが仏像マニアにとってはたまらなくゴキゲンな正月だった。


んで今日は後編放映。
BS-hiでは「白洲正子が愛した日本」もある。そっちも見なくちゃ。

NHK最高です。民放ではできないわな。文句ばっかりつけてないでみんな受信料払えよ。(のり)

鑑真和上

2005年10月19日 22時50分48秒 | 仏像・歴史
しつこく仏像ネタ。

さっきまで「その時歴史が動いた」で鑑真のことをやっていた。

6度目の渡航でようやく日本にたどりついた鑑真の仏教に対する情熱と熱い挑戦。
唐招提寺で仏の教えを人々に伝え悟りに導く鑑真の姿。「誰がための仏教か~鑑真和上の宗教改革」って内容。


唐招提寺にある「鑑真和上像」との最初の出会いは、NHKの「平成古寺巡礼」という番組。予備校時代だった。
夜、勉強に疲れて何気なくつけたテレビに鑑真和上の映像。
暗い背景の中でぼわっと像がある。ナレーションもBGMもない。カメラはだんだん近づいていき、閉じた両目のアップで止まった。
釘付けになった。
目を瞑って座禅を組むその姿は、目を閉じているのにオレをつかんで離さない。今にも目が開いて動き出しそうな、そんな感じだった。
なんとなく気持ちが澄んだような感覚があったことを覚えている。(それ以来「平成古寺巡礼」の視聴者になった。仏像マニアのルーツはそこかも。)

次の出会いは、平成13年の3月。大学の卒業式と就職のあいまの時期だった。
唐招提寺の金堂の大修復に伴って寺内の仏像が外に出張、東京上野の国立博物館で「鑑真和上展」が開催された。オレは山形からわざわざ日帰り新幹線で観に行った。
ものすごい人込みの中で見た「鑑真和上像」は、思ったより小さかった。ずっと見続けていたいような、いつまでも離れたくないような、そんなパワーがやっぱり実物にはあった。
この日が初対面で、たぶんもう一生拝めないだろうな、これが最後だろうなと思った。

でも、奇跡的に三度目の出会いがあった。
平成16年4月。なぜか仙台市博物館で。
そっちから来る予定あんなら一声かけてくれよ!と思った。
大修復はかなり長期戦らしくその間鑑真像も日本中を歩き回っていたらしい。
とにかく理由はなんでもいい。またお姿を見られるなんてありがたやありがたや。


オレは宗教的な部分では人並みだけど、鑑真和上像のように、パワーを持つ仏像ってのはあると思う。
仏像というのは、何百年もの間、それぞれの時代のあまたの人々の願いや想いをその身体で一心に受け止め続けてきた。
そういう部分に思いを馳せると、作られた時代から今にいたるまでの平和とか幸福への人々の真剣な祈りの形、それが仏像というものの真髄なんだろうなとオレは思う。
だから尊いものなんだとオレは思う。(のり)

円空さん

2005年10月17日 21時01分26秒 | 仏像・歴史
感動が覚めやらぬうちに円空さんについて。

円空さんとは、江戸時代の僧で全国を行脚した仏師。一生のうちに10万体もの仏像を制作したのだとか。
特徴は、表情。笑ってたり、悲しげだったり、とぼけていたり。木の両面に仏像が彫られているものも。なかなかユニーク。


土曜の午前中、仙台市博物館の特別展「円空さんーほほえみの仏像ー」を観に行った。

笑っている毘沙門天と不動明王。
あんたら怖い顔しなきゃだめじゃんか!とつっこみ。

仏像を彫った際に出た木の余りを使った木端仏。
小さくてころっとしてみんなかわいい。

一番印象に残ったのは大般若波羅蜜多経に書かれた円空さん直筆の絵。
軽いタッチで親しみやすい。なんかのキャラクターみたいで微笑ましい。


思い出したのは京都の愛宕念仏寺の故西村公朝さん。
現代を代表する仏師で、この方も多くのやさしく穏やかな仏像や絵を残してる。

ちなみに宮城県大和町の龍華院というお寺に西村公朝作の「ふれあい観音」が安置されていて、やっぱりとてもすばらしい。
お近くの方はぜひお立ち寄りを。ほんとおすすめです。(住職の奥様もすばらしい方なんです)


で、円空さんに話を戻すと、
江戸時代になると仏像ってのは庶民に身近な「ほとけさま」になったんだなと思った。親しみとぬくもりがある。
荘厳な天平の仏像が好きだけれど、こういうのも悪くないな、と思った。(のり)

合わせて二千手

2005年10月12日 22時09分12秒 | 仏像・歴史
栃木での仏像漫遊記。


大谷寺でまず驚いたのは、まるでお堂を押しつぶすかのような大岩。
たぶん大岩があってそれに合わせて下にお堂を作ったんだろうけど、すごい迫力。
大谷寺の本尊は岩壁に彫られた千手観音。
うそかまことか弘法大師が洞穴に刻んだという石仏。
金箔とか漆とかが剥げ落ちて雰囲気がある。

思えば石仏というのはこれまであまり縁がなかった。
その昔、バス代をケチって山の上の浄瑠璃寺まで歩いたことがあった。そんとき道の脇に石仏があった。
苔むしてて小さくてかわいい印象。でも大谷の観音はなんとなく怖い感じ。骨が浮きあがったみたい。
石仏というのもいろいろなんだな。


翌日は、中禅寺に。
(当たり前だけど中禅寺湖の中禅寺というのは寺名からきてるんだな)
本尊は立木観音という観音様。なんでも立ち木のまま仏像を彫ったのだとか。
とてもおやさしいお顔立ちの観音様でした。
で、やっぱりここも千手観音。多いね千手。

このお寺はとにかく眺めがよかった。
中禅寺湖と男体山と紅葉。
金くさすぎなければ最高だったのに。(のり)