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のりまき家のHAPPY LIFE DIARY

どこまで続く?子育て時々自己主張!!

脅し

2010年02月13日 06時47分41秒 | 仏像・歴史
ある雑誌の背表紙の広告。


ことし来なかったら、

千三百年、後悔。

奈良・平城遷都1300年祭


1300年間も後悔させ続けるなんて、どんだけ壮大な脅しなんだ!
さすがはなんと(710)大きな平城京!(意味不明)
恐ろしい。恐ろしすぎる。

これは行かねば!いや今すぐ行きたい!!


さりとてカネも時間もあるわけでなし。
妻も冷めた目してるし。(のり)

週末のお出かけ~津山横山不動尊・もくもくランド

2008年10月31日 20時54分29秒 | 仏像・歴史
途中まで書いたまま放置していた先週の話を今さらアップ。

10月25日(土)は登米市津山町まで遠征。
横山不動尊がご開帳ということで、いつものコンビで出かけてきました。
朝10時に出て三陸道を利府から活用、12時前くらいにようやく到着。

↑山門から趣きがありますねえ。期待が持てます。


↑青銅でできた五重塔。珍しいね。


↑本堂。
屋根の上にもう一つ小さな屋根が付いてる一風変わった建物でした。いや初めてみた。
お目当ての横山不動尊は撮影厳禁につき写真なし。
お堂に入ってみたら丈六の仏像が鎮座していたんだけど、ハリが邪魔でお顔が見えない!
近づいて覗き込んでやっと全体が見えました。
いや~素晴らしかったっす。
髪型がお下げ髪みたいでかわいいようでもあるけど、惚れ惚れするような立派な力強いお不動さんでした。

ちなみにコウセイさんは・・・

池のお魚さんに夢中。ウグイが生息しているそうです。水が感動するほど超キレイ。飲めそう。(飲まないけど)

お寺の詰所で何か準備したり堂内で仏像の説明をしたりしているのが地元の方(檀家?)のようで、しかも見に来ているのもどうやら地元の方っぽい。
地域の方々に大切に守られ敬われてきたお不動さんなんだなぁと大感動。清浄な境内の雰囲気と相まって、とても良いものを見させていただいたと得した気分で帰りました。


で、次は道の駅の「もくもくランド」です。
ここで昼食でも食べようかと考えていたけれど残念ながら食堂は大賑わい、売店でドーナツ、フランクフルト、角煮まんを買い込んで公園の芝生に移動、木製大型遊具で遊ぶ子どもたちや「もくもくランド」の由来である杉の美林を眺めながら食べました。

↑早く遊びたくてウズウズのコウセイさんです。


↑不器用ながらも大型遊具に果敢に挑むコウセイさん。
腰が引けてなんか危うい感じが萌え~です。

↑一番高いところまで登ってハイポーズ。誇らしげですねえ。

遊び尽くしたコウセイさんは帰りの車中で即撃沈。
三陸道の無料区間だけ利用して残りは下道でゆっくり帰ってきました。


というわけで、またしてもコウセイとお出かけ(という名の仏像巡礼)してしまいました。
こういうお出かけはコウセイ的にはどうなんだろう?と思わないでもない。
「ナムナム見に行くけど行くか?」と聞くと必ず「行く!」と言うから連れ出してるけど、実際はその後にアイス食べたり公園行ったりというオマケがあるとわかってるから来てるんだろうな。
それでも、「怖い顔してたねえ」とか「黒かったねえ」とか仏像を見た感想をいっちょまえに語ってくれるから、まあ嫌いじゃあないんだと思う。
・・・と勝手に都合良く解釈してこれからも連れ出そう。

余談だけど、三陸道便利だわ~。
鳴瀬奥松島~桃生津山間は無料ってのが素晴らしい。知らなかったけど気仙沼までもうすぐなんだね。


週末のおでかけ~双林寺・SL

2008年10月09日 06時42分57秒 | 仏像・歴史
毎週末、オレとコウセイはどこかにおでかけしています。
先週はベガルタ、その前はバイキング&笹かま工場、その前はベガルタ。
10月に入り、仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(仙台・宮城DC)なる官民上げての観光企画が始まり、あちらこちらで様々なイベントが開催されています。
というわけでこれは遊びに行かねばならんだろうと今週(10月5日)もおでかけをしました。

今回のルートはざっとこんな感じ↓
家→高速料金をケチって下道→大和IC→築館IC→双林寺→昼飯→築館IC→大和IC→松島でSLを観る→家
丸々一日かけてコウセイと二人で県北・海沿いをグルリまわります。

まずは地震の被害に遭った栗原市の築館というところにある双林寺へ。
仙台・宮城DCに合わせて国の重文の仏像三体と県指定文化財の仏像一体をご開帳するとのこと。
高速を利用して1時間半くらいかけてたどり着きました。

立派な本堂です。

この収蔵庫がご開帳されるそうで・・・・・・ってカギかかっとるがな!
あたりにご開帳の雰囲気も人影も一切なく、正直途方に暮れました。
しばらくウロウロしていると同じような見学のおじさんがやってきて、お寺に声かけてきたので空けてもらえますよ~とのこと。
頼るべきは仏像仲間!おじさんグッジョブ!感謝です。
それにしてもあまりに案内が無さ過ぎ。
あやうく「仁和寺にある法師」になるとこでした。“何事にも先達はあらまほしきことなり”ですな。
あ、仏像はもちろん堪能しました。
味のある茶色の一木作りの薬師如来が穏やかかつ素朴でとても良い!
地震対策で持国天立像と増長天立像の二体が白帯でグルグル固定されていたのは痛々しくもありましたが。

さて、次は昼ごはんです。
マップルに掲載されていた築館町内のラーメン屋に入ってみました。

「ラーメンの店 みよし」
こじんまりしたお店ですが、情報紙に載っているからか、意外にも混雑していました。
チャーシューメンと中華そばを注文。コウセイはすごい食欲でバクバク食べてました。チャーシュー美味かった。
実はここでちょっと面白いエピソードがあったのですが、それについてはまた改めて。

で、また高速に乗り南下、大和ICで降り松島方面へ。
東北本線をD51が走るというので、松島駅と愛宕駅の中間地点の沿道で待ち構えます。もちろんこれまた仙台・宮城DCの企画です。

右手にビデオカメラを回し、左手にコウセイを抱っこしながら画面を見ずにむりやりシャッターを押したので、枠の中にうまく入らず。
失敗作ですが、左端にD51がなんとか写ってます。
この場所から見る線路は緩やかな登りとカーブがあって絶好のスポットでした。マニアの方もそうじゃない方もたくさん集まっていました。
見終わってコウセイ曰く
「あっという間だねえ」
そうね。これをエサに連れ出したのにね。

この日はこれ以外にも、魚釣りのおじさんおばさんを眺めたり、アイスを食べたり、道の駅に寄ったり、結構てんこ盛りの小旅行でした。
コウセイは家に帰って、
「ナムナム見てチュルチュル食べてアイス食べて東北本線見てSL見たの~」
とお母さんに逐一報告。よくできました。

というわけで、最近のコウセイとのおでかけは、ヨメを楽させてやりたいというやさしさに見せかけて、単にコウセイを盾に取り行きたいところに行っているだけになってきました。
今月中に登米市の横山不動尊にも行かなきゃならんから、再度コウセイさんにお出まし願うとするかな。(のり)

箟岳観音~悪運その後

2008年09月18日 06時35分01秒 | 仏像・歴史
というわけで、悪運続きののりさんは藁をもつかむ思いで仏像巡礼に出かけました。
目的地は、秘佛本尊『十一面観世音菩薩』のご開帳が33年ぶりに行われているという箟岳山(ののだけさん)にある箟峯寺(こんぽうじ)。
あまり行ったことのない涌谷町で、しかもこんな山奥にホントにあるの?と不安になりながらもなんとかかんとかたどりつきました。

長い石段の途中の山門の中に、二体の巨大な金剛力士像。
覗きこんでみると・・・

笑ってる?なぜかめんこい顔です。どことなくミッキーっぽい?
こんなに露骨にニッコリしている仁王像は初めてです。

本堂は思ったよりも大きく立派です。
十一面観音は小さな厨子の中にいらっしゃいました。50センチくらいかな。
写真撮影はNGでした。

作られた年代がどこにも書かれていないので、お坊さんに尋ねてみたところ、もごもごと聞き取りづらい。しかもまどろっこしい説明。
要はこういうことらしい。
・今あるものは200年前(江戸時代末期)に作られたもの
・今あるものは前にあったものを摸倣したもの
・その前のものは盗難にあった
・その前のものはおそらく800年代の創建当初からあったのではないか
何か言いにくいことでも聞いてしまったか?
年代が古ければ価値があってありがたくて、新しければ価値がなくてつまらないもの、なんてことをまさか考えているわけではあるまい。
オレみたいな知りたがりのためにその辺の事情とか経緯をはっきり教えてくれればいいのにな、と思いました。

本堂を出て周辺をぶらり。

本堂の裏手は意外と開けていて、伽藍や僧坊が立ち並んでいたであろう往時を偲びながら歩きました。
するとその先に仙台平野の大パノラマ!

爽やかな風が吹き抜けるベンチに座って稲刈り間近の穀倉地帯を眺めます。
まさに心の洗濯。最高に気持ちのいい癒しスポットでした。

そんなわけで、心の栄養を十分摂った涌谷町への仏像巡礼旅はこれで終わりなのですが、実は後日談があります。
仙台へ帰る途中に、ケータイが鳴りました。
なんと、失くしたと諦めていたデジカメが見つかったとのこと。

観音は偉大なり~~!!!!!と叫びましたよ、思わず。
いきなりのご利益です。

ここにきて完全に悪運を払拭した感のあるのりさんです。
弁償の費用として準備していたお金で飲みに行ったのは言うまでもありません。

あ、それと、仏像巡礼に関して、悪運とか関係なしにどうせ元々予定していたんじゃないのぉ~?などというご指摘は受け付けませんのであしからず。(のり@まあそうなんですが)

善光寺の英断

2008年04月23日 22時32分54秒 | 仏像・歴史
ご存知のこととは思うけど、先週こんなニュースが。
聖火リレー 長野・善光寺出発地返上 苦渋の決断

北京オリンピックの聖火リレーの出発地点だった善光寺が、一週間前になって辞退したというもの。
理由は「文化財や信者を守らなくてはいけないという安全上の問題」。
さらにチベットの人権問題、ラサで起きた暴動も考慮の対象になったとのこと。

日本を代表する仏教施設である善光寺が、苦渋の末とはいえ、その道の者として至極当然な結論を導き出したことに、大げさな表現ではあるけれど誇りを感じる。

チベット問題について知れば知るほど中国の非人道的な所業が目に付く。
そんな中で善光寺は明確な強い意志を中国に突きつけたわけだ。

ところが翌日のこのニュース。
善光寺:本堂回廊に6カ所の落書き
非常に残念なこと。
でも、犯人が誰で目的がなんであろうと、国宝に傷がついた事実よりも、守るべき主義主張を守った事の方がずっと重要。
それでこそ日本仏教の最高峰の善光寺だ。


そんなわけで、いたく感動したのりまき家はすぐさま善光寺に行ってきました!

マジです。

実は、19日、20日と新幹線乗り放題の土日キップを使って長野旅行に行ってきました。
もちろんいたく感動したからではなく、前々から予定していた旅行で偶然タイミングがそうなっただけですけどね。

とにかく善光寺のアピールに賛同の意味も込めてしっかりと手を合わせてきたのりまき家です。
次回は長野旅行についてアップします。たぶん。(のり@まとまらん)

奈良発・衝撃キャラ!

2008年03月02日 15時28分05秒 | 仏像・歴史
まずはじめに、コウセイは無事ピンチを脱出しました。
食べられるようになってからはみるみる快復、今や病前よりパワーアップして、知能が前より上がったみたい。
やっぱりサイヤ人なんだな、オマエは。
心配してくださった方、どうもありがとう。


さて、今日の話題。
久々なんで書きたいことがいっぱいあるんだけれど、今日はあえてこの話題。
どうでもいいけど、書かずにはいられない!

まずは記事から↓
奈良ご当地キャラに批判の声

見た?
いやいやこれはマジで絶対ナシでしょ。ありえないっしょ。
「鹿の角を生やした童子」だ?あん?
仏様に鹿の角って・・・失礼極まりないっしょ。
こんなの許していいわけ?

ちなみに奈良マニアを自称する自分としては、当然2010年は平城遷都1300年記念の年であることは知っていました。
あわよくばこの年に奈良旅行をしようと目論んでいました。
言うまでもなく、お気に入りにしっかりと平城遷都1300年記念事業協会のHPが入っています。

で、このマスコットの登場だ。
いやね、最初はこんなの絶対ノーだ!って思ったよ。
マスコットってのはもっとこうかわいいもんだろ?なんだよコレは!と。

ところがね、なんというかこう、余韻が残るのよ。
ページを消したあとも忘れられないのよ、あの顔が。
ふと画像を鮮明に思い出しちゃたりすると、プッと噴き出しちゃうのよ。
もしかしたらとんでもない力を秘めているかもしれないよ、あのマスコットは。

今後の大ブレイクに期待。
とりあえず愛称が何と付くのか目が離せません。
そのまんま「鹿童子」とかだったらぶっ飛ばすぞ!(のり)

それなのになぜ奈良なのか?

2008年02月09日 06時31分05秒 | 仏像・歴史
前回のロング駄文を書きながら、気づいたことがある。

おまえはそれだけ地元東北を愛し西を拒絶するのに、憎き征服者大和朝廷の本拠である奈良を志向するのはなぜか?

う~む、なぜだ?

それは、どうも仏像との出会いに所以があるように思う。
仏像との出会いは記憶の中では二つ。
ひとつは、テレビで放映されていた平成古寺巡礼の「鑑真和上像」。
もうひとつは、仙台市博物館で見た法隆寺の「百済観音」。

↑特別展のチラシを大事にとってた。(オレにとっては)レアです。

この百済観音の圧倒的な存在感には心を奪われた。
かなりの長い時間、この仏様の前に立ち止まっていたことを覚えている。

日本にこの仏像がもたらされ、仏法も仏像も知らぬ古代の人々がその前に立ったときの衝撃は如何ばかりであったろう?
自分は百済観音の前に立ち、そんなことを夢想した。


ここで亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」を引用する。
この著作は、和辻哲郎の「古寺巡礼」と並ぶ大和路愛好家のバイブルである。

「これを仰いでいると、遠く飛鳥の世に、はじめて仏道にふれ信仰を求めようとした人々の清らかな直ぐな憧憬を感じる。
中略
私はまた千三百年前の民たちが、かような仏像をどんな心で拝したかを想像しないわけにはゆかなかった。建立された当時の金堂は、目を奪うばかり絢爛たる光彩を放っていたであろう。壁画も鮮やかな色彩のままに浄土の荘厳を現出していたであろうし、百済観音も天蓋の天人も、おそらく極彩色で塗られ、ことによるとしつこいほど華麗なものだったかもしれぬ。民たちは新しい教に驚異し、畏敬と恐怖と、あるいは懐疑の念をもってこの堂内にぬかづいたであろう。しかし、ふと頭をもたげて、燈明と香煙のたちのぼる間に、あのすばらしい観音の姿を見出したときの驚きはどんなであったろうか。彼らは我々のように無遠慮な批評がましい観察などしなかったにちがいない。合掌のあいまに、彼らもまた仏陀のごとく半眼をひらいて陶酔したのではなかろうか。すべてが剥落し崩れて行くこの御堂に在って、古のそういう荘厳を私は幾たびも心に描いてみた。今はすべてが寂しく崩れようとしているが、後代に附与された一切の解説は空しい。」

まったく同感です、亀井さん。
心の中にイメージとしてあった神や仏が今眼前に焔のごとくそびえ立つ。
驚異と畏怖と陶酔。
百済観音は1300年の時を越えて古代の人々と同じ心境に自分を落とした。


うわ~コウセイ起きてきたよ~。
せっかくノッてきたのにぃ~。
もう、なぜ奈良なのか?というお話はやめよう。
そういう体験が元になっているってことで。
仏像は愛憎すべてを凌駕するってことで。(のり@お粗末)

篤姫を見ない理由

2008年02月05日 23時20分07秒 | 仏像・歴史
宮崎あおい主演の「篤姫」が始まった。
宮崎あおいは好きだ。大河ドラマも歴史も好きだ。
だけど見る気がしない。

理由はいたって簡単。
薩長の話なんか見てられっか。

我ながら驚くべき時代錯誤だと思う。
時代錯誤だと思うが、嫌いなものは嫌いなのだ。


歴史は勝者によって作り変えられる。
「作られる」のではなく「作り変えられる」のだ。

例えば古代、飛鳥時代。
聖徳太子は日本を中央集権国家に作り上げ、仏教により国を治め、隋と対等に渡り合った古代史上最大のヒーローとして知られている。
一方、時の権力者蘇我馬子、蝦夷、入鹿の一族のイメージは悪い。横暴なイメージの馬子、蝦夷は太子の子孫を滅ぼしたとされ、その因果といわんばかりに入鹿は大化の改新で首をはねられる。
しかし本当のところは聖徳太子と蘇我氏は同族といえるほどの強い血縁関係にあり、決して対立する間柄ではなかったし、実は聖徳太子の偉業の数々もその真偽については定かではない。また太子の子孫を殺害した一味に巨勢徳太という人物がいるのだが、なぜか大化の改新後要職に就いている。
これは一体何を意味するのか。
結論をいえば、大化の改新というクーデターで蘇我氏の排斥に成功し実権を握った藤原氏が、歴史を作り変えたのだ。
聖徳太子を聖化することで善とし、蘇我氏を悪とすることで、クーデターの正当性が付与され藤原氏による勧善懲悪ストーリーが出来上がる。その後、日本書紀などのオフィシャル歴史書を創作してしまえば一丁あがりである。
敗者の真実は歴史に残らないのだ。

もうひとつ幕末の例を挙げる。
坂本龍馬という脱藩志士がなぜか人気だが、司馬遼太郎なる作家が思い入れたっぷりに書いたフィクションを読んで、事実とごっちゃになっている場合が多い。
坂本は武器商人であり、薩長同盟により長州に大量の武器を売ることに成功した。後に海援隊となる亀山社中もやくざのようなものだったという説もある。
さらに面白いのは、坂本龍馬が有名になったのは後世であり、それは明治新政府の要職を薩長閥により独占されるのを面白く思わない土佐閥によって誇大にアピールされたものだということ。
歴史は様々な思惑によって操作されるのだ。

この「篤姫」も、どうせ勝者の論理で作り変えられた話だ。だから薩長は嫌いなのだ。
とはいえ、そもそもフィクションなんだからそんなにアツくなるなよとも思う。
自分の「薩長嫌い」は西に対する偏狭な対抗意識であり、歴史上虐げられてきた東北に対するひいきと愛着の表れなのである。自分でもそこんとこはよくわかっている。

そもそも縄文人は西からきた弥生人に駆逐されながら交じり合ってきた。
古代、蝦夷は大和朝廷に抵抗しながらも徐々に北に追いやられ、アテルイとモレの反乱を最後にほぼ平定された。
平安末期、日本では京都に次ぐ規模と隆盛を誇った平泉、奥州藤原氏は、あまり知られていないが源頼朝軍と天下分け目の大激戦を繰り広げ、中尊寺金色堂を残して焼け野原となった。
近世、小田原の北条攻めに際し、東北の雄伊達政宗は豊臣秀吉に投降・参陣するも国替えを命ぜられる。一方、投降することを拒んだ久慈の九戸政実は一族郎党を徹底的に殲滅させられた。
そして幕末、仙台藩を盟主とする奥羽越31列藩同盟は新政府軍の圧倒的戦力の前に次々に打ち破られ、会津や長岡の悲劇を生む。

東北は、いつの時代も西からの勢力に駆逐されてきたのだ。


一気に思うがままに書き連ねたら、話が変な方向に進んできたなア。
ウンチク語りたいだけみたいになってきたなア。
なんだっけ?ああ篤姫ね。


ともかく以上をまとめると、、、

歴史は作り変えられている。
敗者の歴史にこそ真実がある。
地元LOVE。

まあ、篤姫を見ない本当の理由は、単に初回を見逃したからのような気もするわけだが、ここまで散々書き散らかした後にそんなこと今さら言えないわな。(のり)

堪能!円空ワールド

2007年12月04日 22時50分21秒 | 仏像・歴史
そんなわけで(唐突で失礼)志摩まで行ってきたわけなんだけど、わざわざせっかくそこまで行ったからにはただで帰るわけにはいきません!
・・・というわけで、いつものごとく仏像を見てきました、はい。

今回訪れたのは、志摩市阿児町立神にある少林寺というお寺。
近鉄名古屋駅から2時間かけて志摩へ入ったのだけれど、式場のある賢島駅の2駅前で途中下車、タクシーに乗り込み10分くらい走ってもらい目的地に到着。
お土産の笹かまを手に「仙台から来ました~」と言うと、住職さんがハイハイとすぐにお堂に通してくれた。
事前に電話をしておいて正解、GJオレ。

円空は、この少林寺に三体の仏像と130枚もの大般若経の見返し絵を残している。
梅原猛の著書によると、「立神で多数の絵を描いたことで円空の芸術に大変革が起こった」のだそうで、「前衛芸術と見紛うばかりの、いわゆる円空仏が作られるのはこれ以後のことなのである」とある。
そんな円空の仏師としてのターニングポイントとなったお寺と仏像を、この目で見るチャンスが到来したわけだから、こいつぁ見逃すわけにはいきませんよ。

円空ワールドへいざ!みんな最後までついてこいよ~!

このお堂の中に最初の一体いらっしゃるそうで、まずは見せていただきました。


「龍と龍女像」
写真だとわかりにくいけど、右側が龍で左側が龍女です。緊張してブレてしもうた。

次に本堂に移動して残りの二体を見せていただく。

見るからに独特な空気が漂う一角です。


「観音像」
むき出しの木の肌をそのまま生かして伏し目がちなお顔をちょちょっと彫ってあります。
なんでしょう、この流れるような観音様は!素晴らしい!

そして極めつけはコレ↓

「護法神像」
こ、これは一体?
ハリー・ポッターのクラス分けのシーンに出てくる「スリザリン!」とかってしゃべる帽子みたいだと最初思った。
正体はわからないが、とにかく凄い霊力を持っていそうな奇妙な一体です。

木そのものが神であり、円空さんはもともと神である木から神や仏を彫り出したに過ぎない、ということ、か。
どうですか?円空ワールド。ついてこれたかい?

こぼれ話①
ちなみにオレはこの1時間後、披露宴の席に着いていたわけだが、円空ワールドでお腹いっぱいになっていたせいで実はあまり食欲がわかず食べ残してしまった。
円空恐るべしだぜ。

こぼれ話②
少林寺を後にしようとタクシーを呼ぶため携帯(ではなくPHS)を開いたらまさかの圏外。
住職の奥様に恥を忍んで電話をお借りました。
円空恐るべしだぜ。

そんなこんなで、貴重な円空仏を超至近距離でマジマジじっくり見ることができ幸せな気分になったのりさん。
披露宴でも幸せをもらい超濃密なハッピーサタデーを過ごしましたとさ。(のり)

さすがは我が子

2007年11月17日 20時52分50秒 | 仏像・歴史

「快慶作か 文様酷似  京都・知恩院「阿弥陀仏」」 の記事にじっくり目を通す仏像研究家コウセイ氏。(夕食後の寛ぎ時間に撮影)

この新聞記事を読んだ最年少はこの子だと思うがどうだろう?


話は変わるけど、オシム爺さんについて少し。
この期に及んで初めて、オシムの代わりなんてどこにもいないと気づかされた。
ファンを含めた日本のサッカー界はこれまでいかに贅沢な時間を過ごしてきたか思い知った。
とにかく無事生還してほしい。
そして日本サッカーのことはいいから、故郷サラエボに戻って好きなサッカーと家族のために幸せに暮らして欲しい。
そう願ってやまないよ。(のり@なんか泣けてきた)