のりまき家のHAPPY LIFE DIARY

どこまで続く?子育て時々自己主張!!

ただいま勉強中

2012年09月29日 14時59分47秒 | お仕事・福祉
社福士関係の講習会にてお勉強中。

今日は夜6時まで、7時間みっちりで、明日も続きます。

しかも指定席で見事最前列があたるという不運。
いや後ろの席だったら眠ろうとか本読もうとか考えてたわけじゃないですけどね!

久しぶりの学生気分だけどもうお腹いっぱいですわ。
ギリでまだ寝てないぜ。(のり)


翌朝追記。
腰が超痛いぜ。

自転車は乗れたけどお父さんはずるいという話

2012年09月25日 22時58分57秒 | のりのパパ日記
半月も前の話で恐縮ですが、9月9日(日)、コウセイ氏、ついに自転車(もちろん補助輪無し)を乗りこなすようになりました。

これまでは「補助輪外すならずっと自転車乗らなくていい」と強気なんだかビビリなんだかよくわからん発言をしていたコウセイ氏でしたが、9月8日(土)、突然乗ってみてもいいと方針大転換。
気が変わらぬうちにと補助輪をさっさと取っ払い、早速支えながら走ってみたところ、写真の通りおっかなびっくりですが、感覚としてはすぐにでも慣れそうな雰囲気で、さすがに1年生にもなると体のバランス感覚ってのはいつの間にか身についてるものだな~と実感しました。

まあ、めちゃくちゃ全身に力入ってますけどね(笑)
これはゴールが近いなと思ったので、暑かったこともあり翌日も練習することを約束して30分くらいでやめてしまいました。


翌日。
朝から自転車に乗ろうとやる気満々なので身支度をしていたら、先に外に出ていたマキさんと練習を始めてしまいました。
で、練習方針が前日と違ったためか、スパルタだったためか新コーチとは仲違いして終了。
コウセイは拗ねて完全にやる気を失ってしまいました。
せっかくもう少しで乗れところだったのに!と残念に思ったオレは、コウセイをなだめすかしました。

「お母さんはどうせ乗れないって言ってるよ。お父さんは悔しいよ。昨日あんなに練習してもう一歩だったじゃない。バカにされて悔しいから一緒に練習しよう!見返してやろう!」

・・・みたいなこと言ったら見事にサクッと復活。
もう一度乗せたところ、なんとわずか3分後には乗れてしまいました。
オレもビックリしたけど本人が一番ビックリしてましたね。

正直、あとは手を離すだけ、コウセイが勇気を持てるかどうかの勝負だとわかっていたので、母親とのいさかいをこれ幸いとばかりに奮起の材料に転換したのは事実です。
ただ、得意満面の父子を見て、面白くないのはマキさんです。
お父さんはずるいよねと今度はこっちが拗ねてしまいました。


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母子は関わる時間が長い分、どうしてもこじれることが多いなァと。
子どもの声も聞きたいし、妻の悩みやぼやきも拾いたいと思いつつも、両者を取り持たざるを得ない父ができるだけ冷静で賢明な判断をし落としどころを調整しようとするのは当然なわけです。
そうすると、結果、ひょっこり現れた父が名奉行然となり、裁かれる母にはもやもやが残ることがしばしばなわけです。
お父さんはずるいというのもちょっと違うような気がするけど、たしかに母親には損な部分があるなァと思わされる一件でした。


世の母親に対して語られる「子どもといられる時間は今しかないのよ、大事にするべきよ」という世間一般の論調はわかるけど、母親だって人間だし、天使でも君子でもないわけで。
子どもの性格、育児に対しての親の適性、環境などなど、個々に異なる前提があるとはいえ、四六時中子どもと一緒に過すことの大変さは経験した人なら誰でもわかるはず。
それを知っていながら、いつでも無邪気に“子どもといられる幸せ”みたいなものを振りかざしていないかと自問自答してしまいました。
ジェンダー論(←最近知ったので使ってみたかっただけ)とか語るつもりは毛頭無いけれど、そんなことを考えたときに、母親が世間から無意識ないし意識的に等しく背負わされてしまう責務みたいなものって実は相当きつい労働にあたっているなと思う。
母親が担っている家事や育児といった賃金不払い労働の価値というかその苦労をせめて我が家ではしっかり認めたいと思う今日この頃なのです。(のり)

研修にて

2012年09月23日 23時09分01秒 | Weblog
被災者支援の研修会に行きました。

被災して避難している方々の総数は30万人。
住みなれた同じまちの中に転居できた方もいれば、よそのまちに転居せざるを得なかった方もたくさん。
仮設住宅に住む被災者、みなし仮設と呼ばれる民間賃貸住宅に住む被災者、自主避難者、被災住宅に住み続ける被災者など、被災者の生活の場や置かれた状況はさまざま。
いずれにしても、震災後ちりぢりに避難することを余儀なくされた30万人の被災者に30万通りのケアが必要なのは自明です。

それにしても、改めて30万人って何だよと。3百とか3千とかじゃないんだよ。30万だよ。
しかも、仮設に住む人たちは割と姿が見えやすいにしても、みなし仮設や被災した住宅に住み続ける人たちは杳として把握できていない。
ましてや自主避難者にいたってはつかみようがない。

つかんでいたとしても、支援の方法がバラバラだったりもします。
たとえば、A市のみなし仮設に避難したB町民への支援は、一義的にはA市なのかB町なのかとなると、A市で支援した方が当然効率的なのにB町しか入れなかったり情報共有ができていなかったり。
あくまで一例だけど、おやと首をかしげるような事例がたくさんあります。

圧倒的な被災者の数に対して絶望的に少ない支援者数。多けりゃいいってもんでもないけど心許ない。
そんでもって山積しまくってる課題。とりあえず行政のせいにするのはたとえ事実だとしても日本人の悪癖だと思う。生かすも殺すも市民だと考えるのは甘いのかなぁ。
それでも、さまざまな団体が支援の手を懸命に差し伸べていることにやっぱり勇気が出ます。
もちろん、全国にネットワークを持つ民間の地域福祉推進組織である自分たちの団体も最前線で支援に奔走しているつもりです。


震災直後の狂乱興奮状態から、踊り場的に落ち着いたような今の状況。
ふと将来を思ったときに先行きが見えなかったり、喪失を強く感じたり、無気力になったり。苦悩が表出するのはむしろこれからですと講師先生。
たくさんの孤独、絶望があって、それはそれぞれのタイミングで現れます。
だからこそ、そばに寄り添うあなたたちが希望なのです、と鼓舞します。

被災者に寄り添うことは、被災者の苦悩を見てしまうこと。
家族を失った被災者が、津波で全て流されたため遺品が何もなく心の拠りどころがないことが今になってつらいと言う。
しかもそういう人までもが被災者を支援する側の人だったりもする。

どれだけ過酷なのだろう。
被災している支援者もいるし、被災していない支援者だって支援をしながら二次被災する。
膨大な複雑でデリケートな被災者支援についていけるだろうかと鬱々としてしまう。


と、ここまで書いておきながら、明かしてしまえば、被災地とはいえ内陸に住み内陸に勤める自分はいわゆる被災者を直接支援する立場にはないのです、実は。
もちろん、これまで直接に間接に被災者や支援者を支援する取り組みをやってきたつもり。
できることを力の限り、というと大げさだけど、そう言ってもいいくらいと思っていました。

でも、1年半が経って心のどこかで無意識に震災を過去に押しやってしまおうとしている自分がいることに気づきました。
宮城に住んでいるのになんたる体たらく。
できること、まだあるぞオレ。もう一度、がんばらねば!
そう強く思った一日でした。(のり)

今を生きる

2012年09月11日 05時36分57秒 | Weblog
タイトル、えらいかっこいいな(笑)

震災から一年半。
時間の経過が、早いでも遅いでもなく、元に戻ってきたような気がします。

ちょうど一年くらい前に、震災でお母さんを亡くした仕事関係の知人と話をしたことを思い出します。
みんなが心から笑える日が来るんですかね、ってポツリと言ってしまった後、二人してウッとなって会話にならなくなったことがありました。
そのときはそんな日が来るとは思えないようなつらい状況でした。

でも、あれから季節が巡って、状況の変化と共に心境にも変化が出てきています。
いつか「あんなことがあったよね」としみじみと懐かしく思い出すために必要な一日一日を今生きている。
中島みゆきみたいですが、いつの頃からかそう前向きに思えるようになっていました。

お母さんを亡くしたその人も、そんなふうに思えるようになっていればいいなと思います。

震災から一年半の今日、あれからどうしているか、顔を見たい人がたくさんいるけれど、こんな日に限って仕事忙しいや。
仕方あるまい。これはこれで幸せなことです。


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今日手術する親友がいます。
命にかかわるものではないとは言っていたけど、さぞかし心細かろうと思う。
不安を乗り越え心から笑える日がまた来る事を切に希望して、、、そんなエールを込めつつ今日のブログはおしまいです。(のり@また早起きしてしまったのね)

J1第24節 仙台-川崎

2012年09月09日 06時16分54秒 | スポーツ
カンナの早起きにお付き合いのサンデーモーニング。眠い。

先週の話ですが、ユアスタに男子チームで参戦しました。


ベガッ太に頭を小突かれながらもパチリ。
コウセイは「頭押さえつけられた」と苦情、周囲の人は「ベガッ太、子どもには荒いよなあ」と笑ってました。
なぜかブラックキャラのベガッ太。そういうの割と好きです。

川崎フロンターレといえば、去年の震災後初めての試合が等々力での川崎戦でした。
先制されながらも粘り強く戦い逆転勝利した一戦が忘れられないんだけど、それ以上にそのときの川崎フロンターレの温かい支援や励ましがいつでも思い出されます。
録画したものを時間差で見たのだけれどホントに泣けました。

嘘、偽りなく正直に申し上げますと、そのとき、向こう10年くらいは川崎に勝てなくてもいいと思えるほど感謝の気持ちを持ったものです。
ええ、ホントですとも。いまでもそうですよ。

で、結果。
仙台2-1川崎。うわ~勝ってもうた。

決勝ゴールのリャンのFKはしびれました。
ふわっと蹴ったボールがGK以外全員並んだ壁を越えた瞬間ゴールを確信しました。
この勝利で首位奪還です。
誰がこんな状況を想像できただろうね。ベガルタは宮城の希望の光です。


さて、川崎といえば、チカちゃんファミリー来仙です。
コウセイと同級生のチカちゃんに、弟くんうーたんが加わり、ますます賑やかな川崎サポ一家。
青黒のベビーカーがまぶしすぎでした。
(うわ、スタで写真取り忘れた!)

試合結果はさておいて、翌日我が家に遊びに来てもらいました。
アイス屋さんごっこをお姉さんとしたがるカンナ、サッカーばかりしたがるコウセイのはざまで、バランス取りながらたくさん遊んでくれてチカちゃんサンキューです。
気を使わせましたね。

それにしても久々の再会なのに、1年生同士はすぐ打ち解けて会話が弾むものなのね。
大人がなんの話じゃい!って思っていても、不思議に違和感無く会話を続ける両1年生にほのぼのしましたよ。

お別れ前に一枚。
次にまたお会いするのを楽しみにしています。(のり)

それぞれの朝6時半

2012年09月04日 06時48分50秒 | すくすくダイアリー
現在朝6時半。

コウセイは新聞を読んでるようですが、電車の写真を探しているだけです。
カンナはアイスクリームを売っています。

本当はカンナはもっと寝ててもいいんだけれど、「副園長先生が早寝早起きをしなさいって言ってたもん」と正論を。
まあ寝坊するよりマシか。

手がかからなくて親的にはいいけど、いいかげん着替えてご飯を食べなさいよ。
早起きしたのに遅刻しちゃうよ。(のり)

そんなんでもない

2012年09月03日 20時33分27秒 | えとせとら
マキさんがなぜか買ってきたガリガリ君リッチコーンポタージュ味。

コーンとコーンポタージュかき氷とコーンポタージュアイスなんだそうで、一口食べてみたらコーンのつぶつぶが結構残る。
オレはもういらないや。
コウセイは一口食べて「そんなんでもない」と。
そんなうまくないのか、そんなまずくないのか。

マキさん曰く、小豆と練乳よりサッパリしてるからむしろ食べられる、そうです。
アイスなのにブイヨンが入っててやるなあアカギさん、とか、ブログにアップしてよ~などと言っている妻が理解できない秋の夜です。(のり)