半月も前の話で恐縮ですが、9月9日(日)、コウセイ氏、ついに自転車(もちろん補助輪無し)を乗りこなすようになりました。
これまでは「補助輪外すならずっと自転車乗らなくていい」と強気なんだかビビリなんだかよくわからん発言をしていたコウセイ氏でしたが、9月8日(土)、突然乗ってみてもいいと方針大転換。
気が変わらぬうちにと補助輪をさっさと取っ払い、早速支えながら走ってみたところ、写真の通りおっかなびっくりですが、感覚としてはすぐにでも慣れそうな雰囲気で、さすがに1年生にもなると体のバランス感覚ってのはいつの間にか身についてるものだな~と実感しました。
まあ、めちゃくちゃ全身に力入ってますけどね(笑)
これはゴールが近いなと思ったので、暑かったこともあり翌日も練習することを約束して30分くらいでやめてしまいました。
翌日。
朝から自転車に乗ろうとやる気満々なので身支度をしていたら、先に外に出ていたマキさんと練習を始めてしまいました。
で、練習方針が前日と違ったためか、スパルタだったためか新コーチとは仲違いして終了。
コウセイは拗ねて完全にやる気を失ってしまいました。
せっかくもう少しで乗れところだったのに!と残念に思ったオレは、コウセイをなだめすかしました。
「お母さんはどうせ乗れないって言ってるよ。お父さんは悔しいよ。昨日あんなに練習してもう一歩だったじゃない。バカにされて悔しいから一緒に練習しよう!見返してやろう!」
・・・みたいなこと言ったら見事にサクッと復活。
もう一度乗せたところ、なんとわずか3分後には乗れてしまいました。
オレもビックリしたけど本人が一番ビックリしてましたね。
正直、あとは手を離すだけ、コウセイが勇気を持てるかどうかの勝負だとわかっていたので、母親とのいさかいをこれ幸いとばかりに奮起の材料に転換したのは事実です。
ただ、得意満面の父子を見て、面白くないのはマキさんです。
お父さんはずるいよねと今度はこっちが拗ねてしまいました。
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母子は関わる時間が長い分、どうしてもこじれることが多いなァと。
子どもの声も聞きたいし、妻の悩みやぼやきも拾いたいと思いつつも、両者を取り持たざるを得ない父ができるだけ冷静で賢明な判断をし落としどころを調整しようとするのは当然なわけです。
そうすると、結果、ひょっこり現れた父が名奉行然となり、裁かれる母にはもやもやが残ることがしばしばなわけです。
お父さんはずるいというのもちょっと違うような気がするけど、たしかに母親には損な部分があるなァと思わされる一件でした。
世の母親に対して語られる「子どもといられる時間は今しかないのよ、大事にするべきよ」という世間一般の論調はわかるけど、母親だって人間だし、天使でも君子でもないわけで。
子どもの性格、育児に対しての親の適性、環境などなど、個々に異なる前提があるとはいえ、四六時中子どもと一緒に過すことの大変さは経験した人なら誰でもわかるはず。
それを知っていながら、いつでも無邪気に“子どもといられる幸せ”みたいなものを振りかざしていないかと自問自答してしまいました。
ジェンダー論(←最近知ったので使ってみたかっただけ)とか語るつもりは毛頭無いけれど、そんなことを考えたときに、母親が世間から無意識ないし意識的に等しく背負わされてしまう責務みたいなものって実は相当きつい労働にあたっているなと思う。
母親が担っている家事や育児といった賃金不払い労働の価値というかその苦労をせめて我が家ではしっかり認めたいと思う今日この頃なのです。(のり)