のりまき家のHAPPY LIFE DIARY

どこまで続く?子育て時々自己主張!!

秋のドラマ

2011年11月24日 22時13分39秒 | エンタメ
珍しくドラマ見てます。

月9の「私が恋愛できない理由」。
特に面白いってわけでも、取り立てて誰か好きな人が出ているわけでもないんだけど、いつのまにか毎回見るようになっていました。
サバサバした香里奈は応援したくなる感じでいいし、心に一本筋が通ってそうな吉高ちゃんはイメージそのまま。
(ちなみに、吉高ちゃんは名取市の災害ボラセンに来て一日中資材班にいてボランティアに資材と元気を渡していたそうです。)
“重い”設定のAKBの大島ちゃんはオレ的には全然重くないんだけど、そういうオレは重いってこと?(笑)
毎回、大島ちゃんの相手はなんでこんなにしょうもないやつばかりなんだ!オレだったらこんな目に絶対遭わせないのに!と憤ってます。
まあ、そのへんが月9であり、それをわかっていながら感情移入してしまうオレもオレなのです。

あと見てるのは、金曜11時過ぎからの「11人もいる!」。
神木隆之介くん、大きくなったねえ。
田辺誠一はとぼけた父親にぴったりだねえ。
宮藤官九郎の脚本はところどころクスッと笑わせるからいいねえ。
こないだ出た被災地からの転校生「白鳥くん」は宮城県北の築館あたりの設定だよ絶対。(→最終回で仙台市と判明。ハズレ~)
加藤清史郎くんも毎回毎回おっぱいおっぱい言ってて、プライベートでいじめられたりしないよね、などとちょっと心配したりして。

ちなみに鈴木ソアラ役の女の子、野村麻純ちゃんと言うのだそうだけど、なんだかちょっと好きです。
最初ははすっぱな感じで出てたんだけど、そのうち役柄が重要になって露出が増えるうちに、あれこの子実はかわいいなと。

かわいいといえば、オレの往年のアイドル、広末涼子ですよ。
高校時代、よくヤンジャンとかヤンマガとかのグラビアを大事に取っておいたものです。
ホントあのかわいさは神の領域だったよ。
広末が結婚したり離婚したり出産したりするなんて、なんか隔世の感ですよ。

さあ、今日の内容、筋書きなしで始めたせいでどうにもしまりがなくなってきました。
つ~か、女優とはいえ女の子の話ばっかりしてんな~。
こんな大人でいいのかな~オレ。まいっか。(のり)

節目

2011年11月11日 23時18分38秒 | Weblog
2011年11月11日11時11分11秒。

その瞬間をPC前にて激写。
撮ってみてから「だからどうした」と思った。

今日は「あれから8ヶ月」の節目の日でもあります。


夏ぐらいに、節目って何の意味があるのだろうと、ふと思ったことがありました。
「震災から200日」「あれから○ヶ月」みたいなことをマスコミが唐突に言いだし、それにくっつけてヤレ復興だ!それイベントだ!と伝える。
ただの数字じゃん、大事なのは目の前に広がる現実だろうに、とちょっと斜め上から批判的に見てしまうことも多々ありました。

で、8ヶ月が経った今、生々しかったはずの記憶が薄らぎつつあることにはっとさせられます。
備えや構えに油断が生まれています。
あれほどの体験だったのに。

もちろんこれから先忘れることはない、とは思う。
でも、日常の中で思い出さなくていい時間が増えた。
あのことがずっと頭の中をグルグル巡るという時間が減った。
こういう感覚も含めて“復興”というのかもしれない。
このままいけば、あのことが無かったことにしてしまえるとふと思ったりもする。

だからこそ、節目が必要なんだと気づいた。
節目は、とりもなおさず、思い出すこと。被災地の現実に思いを馳せること。
そして、いつか復興の節目を輝かしく迎えるためには、少しずつ刻んでいかなければならないものなのだなと思ったわけです。(のり)

ハッピーバースデー、オレ

2011年11月09日 06時03分35秒 | えとせとら
昨日34歳になりました。

思い返せば33歳だけにさんざんと言えなくもなかったけど、当たり前だと思ってた日常は実は当たり前じゃなくて、いかに自分が無力で弱く不安定で迷う存在なのかということとがよ~くわかり、それでもいざとなったらそれなりに頑張れるということもまあわかった。
そして世界はいろんなまやかしの上に成り立っているとはいえ、たくさんの人間のやさしさにあふれてるということも知った。
人の心の祈りの中心に自分たちがいるという貴重な体験を通して人生観が変わった気がします。

34歳のテーマはずばり「素直に」。
人生観が変わった割にフツーですね。
このところ、なんだか素直じゃないな~オレ、と思うことが多いのですよ。
だから、楽観でも悲観でもなく自分の心に沿って偽らず正直にありのままに。
そして虚栄や欲や打算に色気を出さず、惑わずに。
そうありたいと思っています。

なお、バースデープレゼント&メッセージは期間を延長して受け付けております(笑)(のり)

震災がれき処理の話から思ったこと

2011年11月06日 00時22分36秒 | Weblog
一月ほど前、家族で亘理町に行ったとき、漁港のあった鳥の海方面を少しだけ回ったことがありました。
見慣れた景色は無くなり、生き物のにおいが全く無くなった荒涼とした更地とがれき山脈がありました。
それはまさに壊滅の全滅の消滅。
ヨメはあまりの惨状に涙し、被災地を見る機会が多い自分ですらその異様な景色に心が塞がれる思いがしたことを覚えています。

被災地のがれきはとりあえずの場所に集められています。
それは“山”ではなく“山脈”といえるほどの圧倒的な量と規模で、目の前に迫ってきます。
すぐ近くには仮設住宅などの生活の場があり、被災者にとっては生活の痕跡であるその“山脈”を見るたびに気持ちが滅入るであろうということは誰だって想像に難くありません。

最近、ニュースで被災地のがれき処理の問題が話題になりました。
それについてヨメと二人で話したときに、亘理がすぐ思い出されこんな話になりました。

被災地の今って、生活していた場所からとにかくまずはがれきを取り出して、とりあえず一箇所に集めた、という段階なんだよね。
それって、我が家に置き換えると、地震の後、割れた食器とか家具とかをまずは危なくないように片付けてとにかく生活するためのスペースや通路を確保した、という段階なんだよね。
で、それって、思い返すと震災からまだ3日目に過ぎなくて、まだ電気も通ってない頃だったんだよね。
てことは、家を失った被災者は、いまだ震災3日目のあのどん底にいるんだろうか。

そう考えたとき、東北の沿岸部は全然復興していないんだと思った。
あの“山脈”は行き先すら決まっていない。いわんや被災地の復興、被災者の心の復興をや、なのだと。

念のため言っておきますが、「がんばろうニッポン」だの「ひとつになろうニッポン」と口では言っても、結局被災地の怪しいモノは持ち込まないでくださいなのかい!的な恨み言では無いです。
断じてそうではありません。
そうではなくて自分のあり方について。

3月11日から大変じゃなかった人なんていない。
大した被災をしていない自分ですらあのときを思い出さない日はないです。
でも同じ宮城県民、同じ被災者でさえこれほどの差。
被災者に寄り添いたいと願いながら、被災の軽重が心に引っかかって寄り添いきれないことがある。
それを自覚しながら、やっぱり自分でできることをしたいと思う。思いを寄せたいと思う。

「優しくありなさい。あなたの出会う人々は皆、困難な戦いに挑んでいるのだから。」

プラトンの言葉だそうです。やさしくあろうと思います。(のり)