Fade-out 6
§§§§§§ 謎の言葉/別れの曲 §§§§§§
毎年8月の下旬にはどこでもよく行われている花火大会が北山市でも行われている。
子供の頃は実家の物干しからでも充分楽しめたが、マンション等が増えた今は、会場の河川敷から少し離れているので、かつて芳香の実家のあった場所の周辺からはもうあまりよく見えないのかも知れない。とはいえ、当時実家が存在していた商店街も今はすっかり様変りしていて、実家の跡地も駐車場からマンションに変わっていて、5~6階建てのようだから、逆に上階からなら花火を見るには特等席なのかも知れない。
実家を出てから何度か引越はしたが、何故かたまたま3階建てマンションの最上階ばかりでどこも花火の良く見える場所だった。
最後に河西を置いて逃げ出した古い戸建ての借家を除いては。
学生時代の同期が有志を募って浴衣を着て花火大会を見に行った後に飲み会をやろうという話が出ている、と同級生から連絡があった。
いつもの仁美たちとの飲み会仲間のメンバーとは違うグループの、同期会の集まりには芳香のごく親しい友人も何人かは参加するようではあったが、正直そんな気分にはなれない、と芳香は思っていた。
それでも何の気なしにSNSの話の流れで新庄に花火大会のことを告げると、彼は自分の居ないところで他の男にちやほやされている芳香の姿を想像して嫉妬したのか、やたらにねちっこく意味ありげで嫌味っぽい言葉を投げつけてきた。
芳香にとっては、もしも本当に少しでも友達以上の好意や恋愛感情めいた思いを抱く相手に対して嫉妬されるならいざ知らず、筋の通らないことは納得できない性分の芳香は、ただの友人でしかない同期の異性との仲を揶揄するような言葉は冗談であっても至極不快で、内心激昂しながらも表面上はあくまでも冷静を装いながらいつになく言葉数も多く遠回しにではあるがきつい表現を使っていた。
芳香の中でどんどん大好きだった新庄が壊れて行くのを感じて、一抹の寂しさを覚えながらもどこかで酷く冷めた自分自身が、
「動き始めた歯車はもう止まらない。きっといつかこうなる運命だったのだ。」
と呟きながらじっと見つめている気がした。
世間はお盆休みだが、芳香には帰る故郷もなければ、浮かれて旅行する余裕もなく、そもそも職場は通常通りに動いているのだから、特に用がなければ、休みを取ることもない。大病院等の医療機関にはお盆休みというものは存在しないので、まとまった夏休みが取れるのは特定の開業医の門前薬局くらいのもので、かつては芳香もそういう職場で一週間から10日ほどの医院の休診日に合わせて休むことができたこともあったが、今は厚生労働省が休日や営業時間を特定の医療機関に合わせることを良しとしないので、どこも職員が互いに予定を調整して交替で夏休みを取ることにしているようだが、芳香は今までもずっといくら有給休暇が余っていても自分から休みを取ったことはなかった。
河西と暮らしていた頃は特にお互いの休みが重なると家の中で一日中顔を合わせなければいけないのが苦痛で、出来る限り休みを取らずに働いていたかった。
いつも通りに仕事を終えて帰りの電車に乗ってから芳香の端末にSNSのメッセージの着信音が鳴った。
まさか今は身内の初盆で、別路線の終着駅のある東野市の実家に帰省している新庄からのメッセージだとは思っていなかった。
開けてみると、今夜は親から泊まって行くように言われたので、今から帰省先の東野市に芳香の方から会いに来てくれないか、という誘いだった。
家路につくために乗った電車は既に下車する駅までの停車駅の半分ほどを過ぎていたし、新庄も身内の初盆で親戚一同集まっているはずで、今から会いに来て欲しいなどという常識はずれな彼の気持ちが理解できなかった。
芳香がそんな自分の違和感をそのまま告げると、新庄からの返信は意外なものだった。
一言でいうと、不可思議だった。
短いたった一言だが、意味があるようでいて何が言いたいのかよくわからなかった。
端末機の操作を誤って入力した言葉の変換を間違えたのか、それとも芳香が知らないだけのネットスラングなのか。
芳香は判然としないまま、長い間ただディスプレイの謎の言葉を見つめ続けた。
今までの芳香なら、
「それはどういう意味ですか?」
などと返信をしたろう。
もしも新庄が芳香の想像通りの意図で送った言葉なら返信が来ることはないとしても。
或いはもしかしたら後になって、
「ごめん、間違えた。」
と新庄からのメッセージが再開されるかも知れないという可能性も極めて少ないけれど0ではない、とも考えてみた。
本気で新庄からの次のメッセージを待つつもりという訳でもなかったが、芳香は結局そのまま返信することはなかった。
新庄のことが気になるというよりも、意味があるようでないような謎の言葉が気になって、検索をしてみたが、ネットスラングに同じような言葉はあったが、どう考えてもそのスラングの意味はこの場面に相応しいとは思えず、謎の言葉はついに謎のままになったが、それきり二度と新庄から連絡がなくなって1ヶ月以上にもなると、最早最後の新庄の言葉の意味はわからなくても、新庄が何を言わんとしたかは理解できた。
その言葉には決別の意味が込められていたのだと確信した。
いや、初めからわかっていたのだ。ただ芳香の心の中に残った一抹の寂寥感がそれを認めたくなかっただけで。
もしかして、あの言葉の意味を問おうとしていたら、新庄は答えたろうか。そんな想像をすることすら未練がましくて嫌だったが、恐らくは例え芳香が問いかけたとしても、新庄からはやはりもう二度と応答はなかっただろう。
新庄の中ではあの時全てが終わったのだ。
そして芳香の中ではもうとうの昔に終わっていたことを、改めて再確認したに過ぎなかった。
SNSには新庄からの最後の言葉が今も残ったままになっている。
もし仮に芳香が再び新庄に対してメッセージを送ったとしても、新庄は既に芳香からのメッセージをブロックしていて既読となることも再び返信が届くこともないのかもしれないが、それを芳香が試みることは最早有り得ない。
だが、一方で、芳香が感情的になって新庄と交わした過去の会話の全てを削除することもなかった。
それは決して新庄に対する未練などではなく、単にもしも新庄から何事かのアクションがあった時のための保険に過ぎない。
万に一つもそんな事はないだろうと信じたかったが、芳香は慎重にならざるを得なかった。
絶対に安全だと確信するまで、新庄を信用してはいけないと思っていた。
かつて全幅の信頼を置いていた新庄に対してそんな風に考えなければいけないことは少し残念な気がしたが、以前に「信じていた人に裏切られた」と落ち込む芳香に対して、「いくら親しくても100%他人を信じてはいけない」と助言したのは他ならぬ新庄自身だったのだから。
今となっては芳香は本当に新庄のことを心から愛していたのかわからなくなっていた。あれほど執着し依存していた男なのに、何故か突然そんな気持ちが消え失せた。ただ互いの寂しさを埋めるためだけに肌のぬくもりを求めたのではなかったのか。そんな風にさえ思えて来た。
いつか全てが過去になり、完全に終わったと実感するまでは、ただそのままにしておこう、と芳香は思っていた。
「好きの反対は嫌いではなく無関心」と誰かが言っていた。
河西のことも新庄のことも、今の芳香にとっては既にどうでも良い存在になりつつあった。
どれほど怯え怖れた者も、どれほど恋しく慕った者も、記憶から彼らが完全に消えることは絶対にないけれど、今はもう記憶の片隅へと追いやられて、普段は思い出すことさえ徐々に少なくなって来ていた。
少なくとも、彼らに対する感情は極めて希薄なものになろうとしていた。
我ながら薄情だと芳香は思う。
だが、芳香は生きている限り前に進まなければならないのだ。
過去に拘っていては先に進めない。
何より日々の生活に追われる芳香には過去を振り返る余裕はどこにもない。
とにかく生きねば。
芳香はやっと呪縛から解き放たれたばかりで、ただただ独りで生き抜くことだけに必死だった。
その数ヶ月後になって、芳香はこの時の自分の確信が如何に的外れな独り相撲であったかを思い知らされることになるのだが、そのことをまだこの時の芳香には想像することすらできないほど意外な出来事が新庄の身の上に起こっていた。
後になって思い返せば、新庄にしては常識外れとも思える誘いにはどんな意味があったのか、SNSの返信が途絶えたことも、この時の新庄の状況を思いやれば彼にそれだけの余裕がなかったのだろうと容易に想像できたし、恐らくこの時新庄にとって芳香が如何に重要な存在であったか、新庄がどれほど芳香を必要としていたかを思うと、申し訳なくて胸が締め付けられそうになったが、この時はまだ芳香はそのことに気づくことすらできなかった。
もう少し新庄がはっきりと用向きを口にしていたら、芳香が先入観なしに新庄の言葉を受け止めていたら、或いは何かが変わっていたのかも知れないが、往々にして人の気持ちはすれ違うものなのだ。運命の悪戯という言葉があるが、うまく行くべきものは、少々のトラブルがあったとしてもどんどん良い方に転がって行くものだし、縁がなければ、ちょっとしたタイミングのずれが最悪の結果につながりかねない。
人智の及ばぬ不思議な縁というものは確実に存在する。
想いの強さと縁の深さは比例しない。どんなに愛し合っていたとしても、縁がなければ離れて行かざるを得ないし、縁があれば遥か時空を超えて繋がり引き寄せて巡り合う。縁とは神の手によって操られるものであるから、たかが人間風情が如何に抗ったとしてもどうにも変えようがないものなのだ。
ある日芳香はとある施設のロビーに立っていた。
そのサ高住(作者注:サービス付高齢者向け住宅の略。介護を必要とする高齢者等が入居する賃貸集合住宅で、往診可能な医療機関とも連携し、365日24時間対応で介護スタッフや看護師等が常駐するなどしている。)は外観もさることながら、ロビーも高級感に溢れた内装になっていた。
ゆったりと時間が流れる昼下がり、その施設に入居している患者のために持参した薬を受け取りに看護師が来るのを受付前に立って待っていた芳香の傍らには立派なグランドピアノが置かれている。今までは単なる調度品のようにしか思っていなかったが、今日はピアノ自らが楽器であることを主張するかのように哀調を帯びながらもどこか明るい旋律を奏でており、それを演奏しているのは車椅子に座って全身を左側に少し傾けて頭を左肩に乗せるようにほぼ直角に首を曲げた老女だった。見ようによっては少し異様にも見えるし、別な見方をすれば滑稽にも見えるその姿とは裏腹に、力強く美しい調べが誰も居ないロビーに響きわたっていた。最初は演奏している老女の存在には気づかず、BGMのように有線放送を流しているかCDでもかけてあるのかと思ったが、時々少し間延びしたようにリズムが崩れたようにも聴こえ、元々そういう曲なのかもしれないが、出来合いではない生演奏であるのがわかった。看護師の手が離せないのか、いつもより長く待つ間、クラシックにはあまり造詣が深い方ではないので何となく聞き流していたが、曲がクライマックスにさしかかり、一段と演奏に力が入って音量が上がったように聴こえたのは、クラシックをあまり知らない芳香にもわかるメロディーだったからかも知れない。
聞き覚えのあるメロディーは、その部分だけしか知らないが、とても好きな曲だ。哀調を帯ながらもどこか明るい旋律。
ショパンの『別れの曲』。
そしてちょうど演奏が終わる頃に看護師がやって来て、芳香は薬剤師の顔に戻った。
数日後、芳香は別の施設に訪問に来ていた。
10人ほど居る担当患者の半分ほどは直接居室を訪問する。症状や薬の内容によっては看護師詰所に搬入して看護師や介護スタッフと情報交換するだけの場合もあるが、原則的には患者の居室を訪問することになっている。
その中に一人、いつも訪問の度にじっと芳香を見つめては、
「顔が違う…。」
と呟く老紳士が居た。
恐らく老紳士は以前何度か会ったことのある老紳士の娘が訪れるのを心待ちにしていて、同じような背格好の芳香を娘ではないかと思ったのだろう。
しかし、近くで良く顔を見るとそうではないことに気づいて少し落胆したのだろうと思った。
至れり尽くせりのサービスが受けられて、真新しい設備の整った部屋に暮らし、施設内には同年代の入居者が多数居るとはいえ、居室内で一人ベッドに横たわり、知らない天井を見上げて過ごせば、自分が広大な宇宙の中に独りぼっちで居るような孤独感を感じるのだろう。
このような施設に入れるのは本人或いは家族が相当に裕福な者に限られる。
いくら裕福であっても独りぼっちで暮らすのと、例え貧しくとも家族と共に暮らすのと、どちらが幸せだろうか。
とはいえ、要介護となった老親を自宅で家族が介護することはそれほど簡単なことではない。
家族には家族の生活がある。共倒れになる訳にはいかない。もしかしたら家族には手間暇かかる幼な子や教育費のかかる学生も居るかも知れない。
家を留守にできない状況でも働かざるを得ないなら、金を払って介護してもらえる施設に入れようということになったとしても、それを誰が責められようか。
もしも自分の親だったら、仕事を辞めて世話ができるのか?自分に親を施設に入れるだけの経済力があるのか?
そう考えたら、世間一般からすればあの老紳士も羨まれかねないほど恵まれていることになるのかも知れないが、あの寂しそうな目を見たら、何が本当の幸せなのかと考えさせられる。
別の日、芳香は一人暮らしの老女を訪問していた。芳香の親と同じくらいの年齢だが、若い頃から病を持っていたため独身で、両親を亡くしてからはずっと一人暮らしだと言っていた。兄弟が敷地内の別棟に住んでいても、別の家庭を持つと何となく疎遠になるものだ。
「もしも結婚していたら、もしも子供を産んでいたら、と考えたこともあるけど、同年代の女性(ひと)と話していたら、皆が『主人が浮気ばかりして随分と苦労した』とか、『子供は居るけどいくら可愛がって育ててやってもそれぞれ家庭を持ったら親なんて放ったらかし』とか愚痴ばかり言うのを聞くと、結婚したり子供を産んだりするのが必ずしも幸せとは限らないと思うね。家に一人で居るのはつまらないけど、同年代の人たちと会って喋ったりしてたら楽しいしね。別に独りでも全然寂しいとは思わないけど。」と老女は言った。
幸せになるために、一人で生きる道を選んだことを芳香は決して後悔してはいない。失ったものもあるが、それは敢えて捨てて来たに等しい。寂しさを埋めるために何かに依存しようとすれば、また同じような過ちを繰り返すだけ。
思えば読書家の祖母の影響で幼い頃からよく海外の翻訳ものの小説を読んでいたものだが、大好きで繰り返し読んだ小説のヒロインたちは皆力強く生き抜いていた。そんなヒロインたちの姿に感動し、女一人でも凛として生きる姿に憧れ続けたのではなかったか。自分もまたそんな風に生きたいと思い続けて来たのではなかったか。
自分の人生の主役は自分自身なのだ。自分の脚で立ち、大地を踏み締めて力強く歩き出し、誰のものでもない自分の人生を自分の力で切り開き、生き抜いて行く。
そんな決意を新たにした時、故郷の街を捨て、長年共に暮らした男を捨て、過去の自分を捨てて、新しい街で別の自分になろうとして、いや、寧ろ本来の自分を取り戻して、新しい人生の第一歩を踏み出してから既に半年が過ぎようとしていた。
以前芳香にはたまに連絡が来て、都合がつけば逢う男性が居た。
宮田というその男は医療業界とは全く畑違いのサービス業に従事する多忙なビジネスマンで、徳田仁美が主催する飲み会にも滅多に顔を出すことはないが、たまたま2、3度宮田が出席した時に芳香も居合わせていて知り合った。
河西が長期出張を繰り返して不在がちになった頃で、逆に宮田もその頃所用で時々北山市に来ることがあった。
交際しているというにはあまりに希薄な関係だったし、宮田に対する執着もなければ、二人には未来がないこともわかっていた。
宮田には帰るべき家庭があり、守るべき家族が居る。彼にとっては家庭が、家族が第一であって、それでもたまには夫でも父でもない一人の男である時間が欲しくて芳香を求めているだけだと芳香自身もわかってはいた。
芳香にしても、若くして亡くなった父に似た宮田に父の面影を重ねていたに過ぎないのかも知れないが、二人きりで居る時はそれなりに幸せだとは思っていた。ただ何もかも忘れて非日常のその一時の幸せに身を委ねていられることが芳香を支えてくれている気がした。ただ寂しくて人恋しい気持ちを埋めてくれるのが宮田だというだけだとしても、女として輝いていられる瞬間をくれたことが芳香には嬉しかった。
いつかは終わる関係。でもそれが今でないなら、今は先のことを考えずにいよう。そう思っていた。
宮田となら依存することもされることもない関係でいられると芳香は思った。
芳香の中では宮田との経済的にも精神的にも依存することのない対等な関係は執着も束縛もなくとても心地よく感じられた。
そして宮田との関係は、魂で結ばれた新庄との関係とは次元の違うものであり、芳香の中では全く矛盾なく共存していると思っていた。
新庄は宮田の存在を知っても最初は平然と振る舞っていたが、もう既に終わったと思っていた宮田との関係に嫉妬し、芳香は宮田に対する想いと新庄に対する想いとは違うということを必死に訴えたが、新庄には聞く耳を持つだけの余裕がなく、芳香自身もうまく自分自身の心中を表現することができなくて、終(つい)に芳香の真意は新庄に伝わることはなかった。
人間には心と体と魂があってそれぞれが求めるものが違うとしたら、そのどちらを選ぶかなどと比べることはできない。
強いて言えば、魂が求めた新庄とは心と体が求めた宮田よりも強い絆で結ばれていると信じていたのは単なる幻想に過ぎなかったのかもしれない。
宮田にとって芳香はただ「都合の良い女」であるだけかもしれなくて、そして芳香もまたそれでも良いと思っていたけれど、新庄に対する想いはそれとは全く違って、毎日恋しくて、会えなくても言葉を交わさなくても常に魂と魂が互いに寄り添っている存在だとずっと思って来たのに。思うより思われているというなら、新庄の方がずっと強く激しく芳香を思ってくれていたはずなのに。それでも新庄は「同列に比べられるものではない」という芳香の言葉を詭弁と切り捨てたのだろう。
新庄が芳香に寄せる想いは宮田以上だという自信があるのなら、卑下することも自虐的になることもないはずなのに、新庄は独り相撲の挙句に自ら身を引くと言い放った。結局男というものは独善的でプライドの高い生き物なのだ。自らはパートナー以外の女を求めても、惚れた女を他の男と共有することはできない。
「女は男にとっての最後の女になりたいと思い、男は女にとっての最初の男になりたいと思う」とよく言われるが、女ならば「二番手でも愛し愛されているならそれで良い」と思えたとしても、男は、口先だけは「それでも良い」なんて物分かりの良い風を装ってみても、本音では決して他の男の二番手にはなりたくないものなのだ。
それは別の男友達の噂話をしている時に新庄自身も口にしていたし、新庄だけが男としては珍しく物分かりの良い特別な存在であるはずなどなかったことにどうして思いが至らなかったのだろう。
やはりどんなに言葉を尽くしても男と女が互いに分かり合えることなど絶対にあり得ないのだ。
哀しいけれど、全ての関係に終わりは来るもので、それが今であっただけのことだ。来るべき時が来たと心静かに見送ろう。
春には薄桃色の花弁がはらはらと風に舞っていた満開の桜並木はもうすぐ紅く色づいた落ち葉を散らせることだろう。
もしかしたら次に笑子夫人を訪ねる頃には金満家の近くの桜並木の樹々の紅葉も少し色づき初めているかも知れない。
「空に太陽と月がある限り、きっと独りだって寂しくなんてない。
どこでだって、生きてさえいれば、きっといつか幸せになれるチャンスはあるはずだから。」
そんな言葉を思い出した。ずっと前に見たアニメーションの登場人物の台詞だったろうか。
風に乗って漂う金木犀の香りが秋の訪れを告げていた。間もなく街には木枯らしが吹き、粉雪が舞って冬がやって来る。そして季節が一巡りしてまた春が来るのだろう。そしてこれから先もずっと芳香は独りで春爛漫の桜を眺め、秋は金木犀の香りに包まれるのだろう。
独りでも決して寂しくなんてない。
芳香に好意を持って接近してくる男性は他にも居たが、芳香には恋愛対象としては考えられなかった。
新庄はそれを揶揄し、芳香を頗(すこぶ)る不快にさせた。
盛りのついた猫でもあるまいし、寂しいからと言って、誰でも良い訳ではない。
もしかしたらいつか共に居て心安らぐ誰かが隣に居て、寄り添って眠れるような未来があれば、それはそれできっと幸せなんだろうとは思うけれど、そしてそれはきっと新庄なのだろうと思っていたけれど、夢破れた今はただ自分の人生を精一杯生きるだけ。いつかまた別の恋を見つける気持ちになれるまでは。
芳香は深呼吸するように大きく息を吸い込むと、肺の中まで金木犀の甘い香りで満たされたように思えて、表情を少し綻ばせ、顔を上げると力強く一歩を踏み出した。
(つづく)
§§§§§§ 謎の言葉/別れの曲 §§§§§§
毎年8月の下旬にはどこでもよく行われている花火大会が北山市でも行われている。
子供の頃は実家の物干しからでも充分楽しめたが、マンション等が増えた今は、会場の河川敷から少し離れているので、かつて芳香の実家のあった場所の周辺からはもうあまりよく見えないのかも知れない。とはいえ、当時実家が存在していた商店街も今はすっかり様変りしていて、実家の跡地も駐車場からマンションに変わっていて、5~6階建てのようだから、逆に上階からなら花火を見るには特等席なのかも知れない。
実家を出てから何度か引越はしたが、何故かたまたま3階建てマンションの最上階ばかりでどこも花火の良く見える場所だった。
最後に河西を置いて逃げ出した古い戸建ての借家を除いては。
学生時代の同期が有志を募って浴衣を着て花火大会を見に行った後に飲み会をやろうという話が出ている、と同級生から連絡があった。
いつもの仁美たちとの飲み会仲間のメンバーとは違うグループの、同期会の集まりには芳香のごく親しい友人も何人かは参加するようではあったが、正直そんな気分にはなれない、と芳香は思っていた。
それでも何の気なしにSNSの話の流れで新庄に花火大会のことを告げると、彼は自分の居ないところで他の男にちやほやされている芳香の姿を想像して嫉妬したのか、やたらにねちっこく意味ありげで嫌味っぽい言葉を投げつけてきた。
芳香にとっては、もしも本当に少しでも友達以上の好意や恋愛感情めいた思いを抱く相手に対して嫉妬されるならいざ知らず、筋の通らないことは納得できない性分の芳香は、ただの友人でしかない同期の異性との仲を揶揄するような言葉は冗談であっても至極不快で、内心激昂しながらも表面上はあくまでも冷静を装いながらいつになく言葉数も多く遠回しにではあるがきつい表現を使っていた。
芳香の中でどんどん大好きだった新庄が壊れて行くのを感じて、一抹の寂しさを覚えながらもどこかで酷く冷めた自分自身が、
「動き始めた歯車はもう止まらない。きっといつかこうなる運命だったのだ。」
と呟きながらじっと見つめている気がした。
世間はお盆休みだが、芳香には帰る故郷もなければ、浮かれて旅行する余裕もなく、そもそも職場は通常通りに動いているのだから、特に用がなければ、休みを取ることもない。大病院等の医療機関にはお盆休みというものは存在しないので、まとまった夏休みが取れるのは特定の開業医の門前薬局くらいのもので、かつては芳香もそういう職場で一週間から10日ほどの医院の休診日に合わせて休むことができたこともあったが、今は厚生労働省が休日や営業時間を特定の医療機関に合わせることを良しとしないので、どこも職員が互いに予定を調整して交替で夏休みを取ることにしているようだが、芳香は今までもずっといくら有給休暇が余っていても自分から休みを取ったことはなかった。
河西と暮らしていた頃は特にお互いの休みが重なると家の中で一日中顔を合わせなければいけないのが苦痛で、出来る限り休みを取らずに働いていたかった。
いつも通りに仕事を終えて帰りの電車に乗ってから芳香の端末にSNSのメッセージの着信音が鳴った。
まさか今は身内の初盆で、別路線の終着駅のある東野市の実家に帰省している新庄からのメッセージだとは思っていなかった。
開けてみると、今夜は親から泊まって行くように言われたので、今から帰省先の東野市に芳香の方から会いに来てくれないか、という誘いだった。
家路につくために乗った電車は既に下車する駅までの停車駅の半分ほどを過ぎていたし、新庄も身内の初盆で親戚一同集まっているはずで、今から会いに来て欲しいなどという常識はずれな彼の気持ちが理解できなかった。
芳香がそんな自分の違和感をそのまま告げると、新庄からの返信は意外なものだった。
一言でいうと、不可思議だった。
短いたった一言だが、意味があるようでいて何が言いたいのかよくわからなかった。
端末機の操作を誤って入力した言葉の変換を間違えたのか、それとも芳香が知らないだけのネットスラングなのか。
芳香は判然としないまま、長い間ただディスプレイの謎の言葉を見つめ続けた。
今までの芳香なら、
「それはどういう意味ですか?」
などと返信をしたろう。
もしも新庄が芳香の想像通りの意図で送った言葉なら返信が来ることはないとしても。
或いはもしかしたら後になって、
「ごめん、間違えた。」
と新庄からのメッセージが再開されるかも知れないという可能性も極めて少ないけれど0ではない、とも考えてみた。
本気で新庄からの次のメッセージを待つつもりという訳でもなかったが、芳香は結局そのまま返信することはなかった。
新庄のことが気になるというよりも、意味があるようでないような謎の言葉が気になって、検索をしてみたが、ネットスラングに同じような言葉はあったが、どう考えてもそのスラングの意味はこの場面に相応しいとは思えず、謎の言葉はついに謎のままになったが、それきり二度と新庄から連絡がなくなって1ヶ月以上にもなると、最早最後の新庄の言葉の意味はわからなくても、新庄が何を言わんとしたかは理解できた。
その言葉には決別の意味が込められていたのだと確信した。
いや、初めからわかっていたのだ。ただ芳香の心の中に残った一抹の寂寥感がそれを認めたくなかっただけで。
もしかして、あの言葉の意味を問おうとしていたら、新庄は答えたろうか。そんな想像をすることすら未練がましくて嫌だったが、恐らくは例え芳香が問いかけたとしても、新庄からはやはりもう二度と応答はなかっただろう。
新庄の中ではあの時全てが終わったのだ。
そして芳香の中ではもうとうの昔に終わっていたことを、改めて再確認したに過ぎなかった。
SNSには新庄からの最後の言葉が今も残ったままになっている。
もし仮に芳香が再び新庄に対してメッセージを送ったとしても、新庄は既に芳香からのメッセージをブロックしていて既読となることも再び返信が届くこともないのかもしれないが、それを芳香が試みることは最早有り得ない。
だが、一方で、芳香が感情的になって新庄と交わした過去の会話の全てを削除することもなかった。
それは決して新庄に対する未練などではなく、単にもしも新庄から何事かのアクションがあった時のための保険に過ぎない。
万に一つもそんな事はないだろうと信じたかったが、芳香は慎重にならざるを得なかった。
絶対に安全だと確信するまで、新庄を信用してはいけないと思っていた。
かつて全幅の信頼を置いていた新庄に対してそんな風に考えなければいけないことは少し残念な気がしたが、以前に「信じていた人に裏切られた」と落ち込む芳香に対して、「いくら親しくても100%他人を信じてはいけない」と助言したのは他ならぬ新庄自身だったのだから。
今となっては芳香は本当に新庄のことを心から愛していたのかわからなくなっていた。あれほど執着し依存していた男なのに、何故か突然そんな気持ちが消え失せた。ただ互いの寂しさを埋めるためだけに肌のぬくもりを求めたのではなかったのか。そんな風にさえ思えて来た。
いつか全てが過去になり、完全に終わったと実感するまでは、ただそのままにしておこう、と芳香は思っていた。
「好きの反対は嫌いではなく無関心」と誰かが言っていた。
河西のことも新庄のことも、今の芳香にとっては既にどうでも良い存在になりつつあった。
どれほど怯え怖れた者も、どれほど恋しく慕った者も、記憶から彼らが完全に消えることは絶対にないけれど、今はもう記憶の片隅へと追いやられて、普段は思い出すことさえ徐々に少なくなって来ていた。
少なくとも、彼らに対する感情は極めて希薄なものになろうとしていた。
我ながら薄情だと芳香は思う。
だが、芳香は生きている限り前に進まなければならないのだ。
過去に拘っていては先に進めない。
何より日々の生活に追われる芳香には過去を振り返る余裕はどこにもない。
とにかく生きねば。
芳香はやっと呪縛から解き放たれたばかりで、ただただ独りで生き抜くことだけに必死だった。
その数ヶ月後になって、芳香はこの時の自分の確信が如何に的外れな独り相撲であったかを思い知らされることになるのだが、そのことをまだこの時の芳香には想像することすらできないほど意外な出来事が新庄の身の上に起こっていた。
後になって思い返せば、新庄にしては常識外れとも思える誘いにはどんな意味があったのか、SNSの返信が途絶えたことも、この時の新庄の状況を思いやれば彼にそれだけの余裕がなかったのだろうと容易に想像できたし、恐らくこの時新庄にとって芳香が如何に重要な存在であったか、新庄がどれほど芳香を必要としていたかを思うと、申し訳なくて胸が締め付けられそうになったが、この時はまだ芳香はそのことに気づくことすらできなかった。
もう少し新庄がはっきりと用向きを口にしていたら、芳香が先入観なしに新庄の言葉を受け止めていたら、或いは何かが変わっていたのかも知れないが、往々にして人の気持ちはすれ違うものなのだ。運命の悪戯という言葉があるが、うまく行くべきものは、少々のトラブルがあったとしてもどんどん良い方に転がって行くものだし、縁がなければ、ちょっとしたタイミングのずれが最悪の結果につながりかねない。
人智の及ばぬ不思議な縁というものは確実に存在する。
想いの強さと縁の深さは比例しない。どんなに愛し合っていたとしても、縁がなければ離れて行かざるを得ないし、縁があれば遥か時空を超えて繋がり引き寄せて巡り合う。縁とは神の手によって操られるものであるから、たかが人間風情が如何に抗ったとしてもどうにも変えようがないものなのだ。
ある日芳香はとある施設のロビーに立っていた。
そのサ高住(作者注:サービス付高齢者向け住宅の略。介護を必要とする高齢者等が入居する賃貸集合住宅で、往診可能な医療機関とも連携し、365日24時間対応で介護スタッフや看護師等が常駐するなどしている。)は外観もさることながら、ロビーも高級感に溢れた内装になっていた。
ゆったりと時間が流れる昼下がり、その施設に入居している患者のために持参した薬を受け取りに看護師が来るのを受付前に立って待っていた芳香の傍らには立派なグランドピアノが置かれている。今までは単なる調度品のようにしか思っていなかったが、今日はピアノ自らが楽器であることを主張するかのように哀調を帯びながらもどこか明るい旋律を奏でており、それを演奏しているのは車椅子に座って全身を左側に少し傾けて頭を左肩に乗せるようにほぼ直角に首を曲げた老女だった。見ようによっては少し異様にも見えるし、別な見方をすれば滑稽にも見えるその姿とは裏腹に、力強く美しい調べが誰も居ないロビーに響きわたっていた。最初は演奏している老女の存在には気づかず、BGMのように有線放送を流しているかCDでもかけてあるのかと思ったが、時々少し間延びしたようにリズムが崩れたようにも聴こえ、元々そういう曲なのかもしれないが、出来合いではない生演奏であるのがわかった。看護師の手が離せないのか、いつもより長く待つ間、クラシックにはあまり造詣が深い方ではないので何となく聞き流していたが、曲がクライマックスにさしかかり、一段と演奏に力が入って音量が上がったように聴こえたのは、クラシックをあまり知らない芳香にもわかるメロディーだったからかも知れない。
聞き覚えのあるメロディーは、その部分だけしか知らないが、とても好きな曲だ。哀調を帯ながらもどこか明るい旋律。
ショパンの『別れの曲』。
そしてちょうど演奏が終わる頃に看護師がやって来て、芳香は薬剤師の顔に戻った。
数日後、芳香は別の施設に訪問に来ていた。
10人ほど居る担当患者の半分ほどは直接居室を訪問する。症状や薬の内容によっては看護師詰所に搬入して看護師や介護スタッフと情報交換するだけの場合もあるが、原則的には患者の居室を訪問することになっている。
その中に一人、いつも訪問の度にじっと芳香を見つめては、
「顔が違う…。」
と呟く老紳士が居た。
恐らく老紳士は以前何度か会ったことのある老紳士の娘が訪れるのを心待ちにしていて、同じような背格好の芳香を娘ではないかと思ったのだろう。
しかし、近くで良く顔を見るとそうではないことに気づいて少し落胆したのだろうと思った。
至れり尽くせりのサービスが受けられて、真新しい設備の整った部屋に暮らし、施設内には同年代の入居者が多数居るとはいえ、居室内で一人ベッドに横たわり、知らない天井を見上げて過ごせば、自分が広大な宇宙の中に独りぼっちで居るような孤独感を感じるのだろう。
このような施設に入れるのは本人或いは家族が相当に裕福な者に限られる。
いくら裕福であっても独りぼっちで暮らすのと、例え貧しくとも家族と共に暮らすのと、どちらが幸せだろうか。
とはいえ、要介護となった老親を自宅で家族が介護することはそれほど簡単なことではない。
家族には家族の生活がある。共倒れになる訳にはいかない。もしかしたら家族には手間暇かかる幼な子や教育費のかかる学生も居るかも知れない。
家を留守にできない状況でも働かざるを得ないなら、金を払って介護してもらえる施設に入れようということになったとしても、それを誰が責められようか。
もしも自分の親だったら、仕事を辞めて世話ができるのか?自分に親を施設に入れるだけの経済力があるのか?
そう考えたら、世間一般からすればあの老紳士も羨まれかねないほど恵まれていることになるのかも知れないが、あの寂しそうな目を見たら、何が本当の幸せなのかと考えさせられる。
別の日、芳香は一人暮らしの老女を訪問していた。芳香の親と同じくらいの年齢だが、若い頃から病を持っていたため独身で、両親を亡くしてからはずっと一人暮らしだと言っていた。兄弟が敷地内の別棟に住んでいても、別の家庭を持つと何となく疎遠になるものだ。
「もしも結婚していたら、もしも子供を産んでいたら、と考えたこともあるけど、同年代の女性(ひと)と話していたら、皆が『主人が浮気ばかりして随分と苦労した』とか、『子供は居るけどいくら可愛がって育ててやってもそれぞれ家庭を持ったら親なんて放ったらかし』とか愚痴ばかり言うのを聞くと、結婚したり子供を産んだりするのが必ずしも幸せとは限らないと思うね。家に一人で居るのはつまらないけど、同年代の人たちと会って喋ったりしてたら楽しいしね。別に独りでも全然寂しいとは思わないけど。」と老女は言った。
幸せになるために、一人で生きる道を選んだことを芳香は決して後悔してはいない。失ったものもあるが、それは敢えて捨てて来たに等しい。寂しさを埋めるために何かに依存しようとすれば、また同じような過ちを繰り返すだけ。
思えば読書家の祖母の影響で幼い頃からよく海外の翻訳ものの小説を読んでいたものだが、大好きで繰り返し読んだ小説のヒロインたちは皆力強く生き抜いていた。そんなヒロインたちの姿に感動し、女一人でも凛として生きる姿に憧れ続けたのではなかったか。自分もまたそんな風に生きたいと思い続けて来たのではなかったか。
自分の人生の主役は自分自身なのだ。自分の脚で立ち、大地を踏み締めて力強く歩き出し、誰のものでもない自分の人生を自分の力で切り開き、生き抜いて行く。
そんな決意を新たにした時、故郷の街を捨て、長年共に暮らした男を捨て、過去の自分を捨てて、新しい街で別の自分になろうとして、いや、寧ろ本来の自分を取り戻して、新しい人生の第一歩を踏み出してから既に半年が過ぎようとしていた。
以前芳香にはたまに連絡が来て、都合がつけば逢う男性が居た。
宮田というその男は医療業界とは全く畑違いのサービス業に従事する多忙なビジネスマンで、徳田仁美が主催する飲み会にも滅多に顔を出すことはないが、たまたま2、3度宮田が出席した時に芳香も居合わせていて知り合った。
河西が長期出張を繰り返して不在がちになった頃で、逆に宮田もその頃所用で時々北山市に来ることがあった。
交際しているというにはあまりに希薄な関係だったし、宮田に対する執着もなければ、二人には未来がないこともわかっていた。
宮田には帰るべき家庭があり、守るべき家族が居る。彼にとっては家庭が、家族が第一であって、それでもたまには夫でも父でもない一人の男である時間が欲しくて芳香を求めているだけだと芳香自身もわかってはいた。
芳香にしても、若くして亡くなった父に似た宮田に父の面影を重ねていたに過ぎないのかも知れないが、二人きりで居る時はそれなりに幸せだとは思っていた。ただ何もかも忘れて非日常のその一時の幸せに身を委ねていられることが芳香を支えてくれている気がした。ただ寂しくて人恋しい気持ちを埋めてくれるのが宮田だというだけだとしても、女として輝いていられる瞬間をくれたことが芳香には嬉しかった。
いつかは終わる関係。でもそれが今でないなら、今は先のことを考えずにいよう。そう思っていた。
宮田となら依存することもされることもない関係でいられると芳香は思った。
芳香の中では宮田との経済的にも精神的にも依存することのない対等な関係は執着も束縛もなくとても心地よく感じられた。
そして宮田との関係は、魂で結ばれた新庄との関係とは次元の違うものであり、芳香の中では全く矛盾なく共存していると思っていた。
新庄は宮田の存在を知っても最初は平然と振る舞っていたが、もう既に終わったと思っていた宮田との関係に嫉妬し、芳香は宮田に対する想いと新庄に対する想いとは違うということを必死に訴えたが、新庄には聞く耳を持つだけの余裕がなく、芳香自身もうまく自分自身の心中を表現することができなくて、終(つい)に芳香の真意は新庄に伝わることはなかった。
人間には心と体と魂があってそれぞれが求めるものが違うとしたら、そのどちらを選ぶかなどと比べることはできない。
強いて言えば、魂が求めた新庄とは心と体が求めた宮田よりも強い絆で結ばれていると信じていたのは単なる幻想に過ぎなかったのかもしれない。
宮田にとって芳香はただ「都合の良い女」であるだけかもしれなくて、そして芳香もまたそれでも良いと思っていたけれど、新庄に対する想いはそれとは全く違って、毎日恋しくて、会えなくても言葉を交わさなくても常に魂と魂が互いに寄り添っている存在だとずっと思って来たのに。思うより思われているというなら、新庄の方がずっと強く激しく芳香を思ってくれていたはずなのに。それでも新庄は「同列に比べられるものではない」という芳香の言葉を詭弁と切り捨てたのだろう。
新庄が芳香に寄せる想いは宮田以上だという自信があるのなら、卑下することも自虐的になることもないはずなのに、新庄は独り相撲の挙句に自ら身を引くと言い放った。結局男というものは独善的でプライドの高い生き物なのだ。自らはパートナー以外の女を求めても、惚れた女を他の男と共有することはできない。
「女は男にとっての最後の女になりたいと思い、男は女にとっての最初の男になりたいと思う」とよく言われるが、女ならば「二番手でも愛し愛されているならそれで良い」と思えたとしても、男は、口先だけは「それでも良い」なんて物分かりの良い風を装ってみても、本音では決して他の男の二番手にはなりたくないものなのだ。
それは別の男友達の噂話をしている時に新庄自身も口にしていたし、新庄だけが男としては珍しく物分かりの良い特別な存在であるはずなどなかったことにどうして思いが至らなかったのだろう。
やはりどんなに言葉を尽くしても男と女が互いに分かり合えることなど絶対にあり得ないのだ。
哀しいけれど、全ての関係に終わりは来るもので、それが今であっただけのことだ。来るべき時が来たと心静かに見送ろう。
春には薄桃色の花弁がはらはらと風に舞っていた満開の桜並木はもうすぐ紅く色づいた落ち葉を散らせることだろう。
もしかしたら次に笑子夫人を訪ねる頃には金満家の近くの桜並木の樹々の紅葉も少し色づき初めているかも知れない。
「空に太陽と月がある限り、きっと独りだって寂しくなんてない。
どこでだって、生きてさえいれば、きっといつか幸せになれるチャンスはあるはずだから。」
そんな言葉を思い出した。ずっと前に見たアニメーションの登場人物の台詞だったろうか。
風に乗って漂う金木犀の香りが秋の訪れを告げていた。間もなく街には木枯らしが吹き、粉雪が舞って冬がやって来る。そして季節が一巡りしてまた春が来るのだろう。そしてこれから先もずっと芳香は独りで春爛漫の桜を眺め、秋は金木犀の香りに包まれるのだろう。
独りでも決して寂しくなんてない。
芳香に好意を持って接近してくる男性は他にも居たが、芳香には恋愛対象としては考えられなかった。
新庄はそれを揶揄し、芳香を頗(すこぶ)る不快にさせた。
盛りのついた猫でもあるまいし、寂しいからと言って、誰でも良い訳ではない。
もしかしたらいつか共に居て心安らぐ誰かが隣に居て、寄り添って眠れるような未来があれば、それはそれできっと幸せなんだろうとは思うけれど、そしてそれはきっと新庄なのだろうと思っていたけれど、夢破れた今はただ自分の人生を精一杯生きるだけ。いつかまた別の恋を見つける気持ちになれるまでは。
芳香は深呼吸するように大きく息を吸い込むと、肺の中まで金木犀の甘い香りで満たされたように思えて、表情を少し綻ばせ、顔を上げると力強く一歩を踏み出した。
(つづく)