「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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小手姫の話

2019-12-21 07:30:00 | 日記
タクハタチヂヒメが、イネハポさんの話をしていたので、私が彼女にお電話をすると、また新しい展開になっていきました。

彼女がその時に言っていた、小手姫の話からです。
もちろん、私は知らない話でした。


🌟小手子(こてこ)は、第32代天皇崇峻天皇の妃。
大伴連糠手(おおとものむらじぬかて)の娘。崇峻天皇との間に蜂子皇子と錦代(にしきて)皇女の一男一女を儲ける。

『日本書紀』には、小手子が天皇の寵愛が衰えたことを恨み、献上された猪を見て天皇が漏らした「何の時かこの猪の頸を断るがごとく朕が嫌しと思うところの人を断らむ」という独り言を、蘇我馬子に密告したことが、崇峻天皇暗殺事件のきっかけとなったという記述がある。


Iさんが、7月に出羽三山に行っていた時に、蜂子皇子(はちこおうじ)の話になっていったのですが、そのお母さんが小手姫ということですね。


🐶 蜂子皇子(はちこおうじ)の話



🌟小手子には、現在の福島県川俣町に落ち延びて養蚕を伝えたという「小手姫(おてひめ)伝説」がある。

小手子の子、蜂子皇子は厩戸皇子(聖徳太子)の計らいで京を逃れ、山形県鶴岡市の出羽三山の開祖となったと伝えられるが、小手子も、蜂子皇子を捜し求めて、実父と娘・錦代皇女とともに東北に落ち延びた。旅の途中に錦代皇女を亡くした小手子は、故郷の大和の風情に似た、現在の福島県伊達郡川俣町や伊達市月舘地域にとどまり、桑を植え養蚕の技術を人々に広めたという。
その後小手子は、蜂子皇子に会えないことを悲嘆して、川俣町大清水地内にある清水に身を投げたと伝えられている。

川俣町付近には小手姫にちなむ史跡等が残り、川俣町は「絹の里」とし、ゆるきゃら小手姫様などでPRをしている。



この像は、イネハポさんが川俣町の中央公園に行って、撮った物をお借りしました。
調べてみると、この像は7メートルもあるようですよ。
かなり大きいですね。

私は、また知らないことを教えていただきました。


そして、その小手姫が10月26日に話してきたのです。


小手姫です。

今は、どちらにいるのですか?

今は菩薩界にいますよ。
私のかわいい蜂子皇子(はちこのみこ)に会いたかったのですが、会えずに死んでしまいました。

自分で死んでしまったのですか?

自分で死んだ訳ではありません。
池に落ちてしまったのです。
蜂子皇子と話が出来るそうですね。
生きている間に会いたかったですが、話が出来るのならそれだけでもうれしいです。


蜂子皇子も話してきました。


蜂子皇子です。
母が話してきましたね。
うれしいです。
私はずっと待っていました。
ありがとう。


小手姫です。
(蜂子皇子に)今、会えました。
ありがとうございます。
私はタクハタチヂヒメの分け御霊と聞いていました。
イネハポに、ありがとうと伝えてください。
M子さんに繋いでくれたので、私達に繋がりました。
サンカの人に預けられた子供は、誰でも知っている人になりましたよ。
「機織り」で調べてみてください。

「機織り」を広めた人ですか?

そうです。


私は「機織り」で検索してみましたが、結局のところわかりませんでした。

ただ、いろいろやってみると、イネハポさんのブログがヒットすることもわかりました。

彼女は、記憶の中の話をずっと探していたのかと思いますね。

以前にテレビで、海外の小さい男の子の前世の記憶で、家を探していく話をやっていて、本当に彼の記憶通りに家はあり、確か飛行機事故で亡くなった方の記憶だったと思います。
最後はわからなくなって終わっていたのですが、神様がいつも言うように、今、生きている魂は唯一無二なのだけど、過去の記憶が少しずつ入り込んでいて、その一部が鮮明に思い出される人もいるのだと思いますね。

ほとんどの人は、前世のことは忘れているけれど、やっぱり先祖供養が大事だということなのでしょう。

Iさんの記事の中での「デジデリオ」と同じ感じかと思いました。


🐷 デジデリオ

コメント (2)
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