久しぶりに平将門(たいらのまさかど)が話してきました。
4月8日のことです。
平将門だ。
「忘れないで」という念は、ずいぶん消えたよ。
キツネも黄色いキツネになった。
宝のような話だと思うよ。
世界に広がる友達の輪は、宇宙から三鷹へになっているからな。
先手が取れるライオンも、しめ縄が付いているよ。
しめ縄ですか?
しめ縄が付いたライオンがいるのだよ。
もしもピアノが弾けたならー思いの全てを歌にして君に伝えることだろうーー
「もしもピアノが弾けたなら」を知っているのですか?
カラツの神が歌いに来るのだよ。
「合唱コンクールに一緒に出ましょう」と言うのだよ。
私は、飲んでー飲んでーの歌が好きだから、別に出ようと思うのだよ。
誰と出るのですか?
菅原道真(すがわらみちざね)を誘ってみようと思うよ。
話が合うと思うよ。
利用されてしまったことがね。
カラツの神は、秋の合唱コンクールの勧誘をしているようで、気合いが入っていますね。
平将門の首塚の話は、今年の3月4日のことでしたが、かなりヘビーな話になりました。
🐶首塚に行く準備 その2
菅原道真は、今までも何度か話してきましたが、まさか平将門から名前が出るとは思いませんでした。
自分のブログを検索してみると、2012,9,19の記事で初めて話していることがわかりました。
ずいぶん前ですね。
菅原道真が話していたことを抜粋加筆してみると、
菅原道真だ。
今は神になっているので、「みちざねの神」と、言われている。
何階層の神様ですか?
五階層だ。そんなことも知っているのか。
私は太宰府に流されたから、恨んでいると言われているが、恨んでいたら神にはなっていないぞ。
疫病で沢山人が死んだので、(菅原道真の)呪いということになってしまったな。
(金沢の)菅原神社は寂れてしまったな。
宇多須神社は良い神社だ。
悪い気を取ってくれる。
店(東山みずほ)も良い魂の人がやっているので、繁盛していただろう。
沢山、人が来るぞ。すぐ前だからな。
魂はいつも回る訳ではないが、呼べば来るぞ。
みちざねの神様、いろいろ教えてくださいね。
そうだな。学問の神だからな。
2012,9,20の記事
合わない人だったな。
藤原時平だった。
私は、ミカドが私を信じてくれないことが心外だった。
裏で言っていたのは、わかっていたが、スラスラ話が出来なかったのだ。
回りは敵ばかりだったな。
🐶菅原道真(すがわらみちざね)の話
やっぱり、平将門が言っていた、話が合うということのようでしたね。
そして、菅原道真が話してきました。
菅原道真だ。
平将門と話していたな。
私は今でも、何故大宰府に行かなければならなかったのかわからないのだ。
私は、いつも全体がよくなるように考えていたが、言われるままに、宇多上皇の後の醍醐天皇は、私を疎ましく思ったのだろうな。
藤原は好きにやっていたからな。
ミカドも言いなりになっていたよ。
仕方ない時代の流れだな。
平将門も同じだったと思うよ。
うーーーーらーーーーみーーーー(恨み)はないが、無念だったな。。。
合唱コンクールは、出場するのですか?
在原業平(ありはらのなりひら)と行平(ゆきひら)を誘ってみるよ。
私の話に出てくる、百人一首の在原兄弟ですね。
菅原道真の歌も百人一首の中にあるので、調べてみました。
🌟このたびは
幣(ぬさ)も取りあへず 手向(たむけ)山
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに
菅家(24番)
菅家(かんけ。845~903) 菅家は尊称で、学問の神様・菅原道真(すがわらみちざね)のことです。
学者の家に生まれ、35歳の若さで最高の権威・文章博士(もん じょうはかせ)となり、54歳の899(昌泰2)年には右大臣にまで出世します。
しかし謀事(はかりごと)により九州・太宰府に流され、59歳で没しました。
現在は学問の神様として太宰府天満宮に祀られています。
この歌は、道真の才能を買って右大臣にまで取り立てた宇多上皇 (朱雀院)の宮滝御幸(みやたきみゆき)の時に詠まれた歌です。
宮滝は現在の奈良県 吉野郡吉野町。
この御幸はとても盛大なものだったようで、道真ら歌人も多数お供しました。
その時に詠まれたのでした。
やっぱり宇多上皇のお供で行った時の歌でした。
こういう話は、現在の会社にもよくあることかと、思ってしまいました。
私は、長く勤めているので、よくわからない人事を沢山見ていますからね。
画像は、大宰府天満宮の菅原道真。
4月8日のことです。
平将門だ。
「忘れないで」という念は、ずいぶん消えたよ。
キツネも黄色いキツネになった。
宝のような話だと思うよ。
世界に広がる友達の輪は、宇宙から三鷹へになっているからな。
先手が取れるライオンも、しめ縄が付いているよ。
しめ縄ですか?
しめ縄が付いたライオンがいるのだよ。
もしもピアノが弾けたならー思いの全てを歌にして君に伝えることだろうーー
「もしもピアノが弾けたなら」を知っているのですか?
カラツの神が歌いに来るのだよ。
「合唱コンクールに一緒に出ましょう」と言うのだよ。
私は、飲んでー飲んでーの歌が好きだから、別に出ようと思うのだよ。
誰と出るのですか?
菅原道真(すがわらみちざね)を誘ってみようと思うよ。
話が合うと思うよ。
利用されてしまったことがね。
カラツの神は、秋の合唱コンクールの勧誘をしているようで、気合いが入っていますね。
平将門の首塚の話は、今年の3月4日のことでしたが、かなりヘビーな話になりました。
🐶首塚に行く準備 その2
菅原道真は、今までも何度か話してきましたが、まさか平将門から名前が出るとは思いませんでした。
自分のブログを検索してみると、2012,9,19の記事で初めて話していることがわかりました。
ずいぶん前ですね。
菅原道真が話していたことを抜粋加筆してみると、
菅原道真だ。
今は神になっているので、「みちざねの神」と、言われている。
何階層の神様ですか?
五階層だ。そんなことも知っているのか。
私は太宰府に流されたから、恨んでいると言われているが、恨んでいたら神にはなっていないぞ。
疫病で沢山人が死んだので、(菅原道真の)呪いということになってしまったな。
(金沢の)菅原神社は寂れてしまったな。
宇多須神社は良い神社だ。
悪い気を取ってくれる。
店(東山みずほ)も良い魂の人がやっているので、繁盛していただろう。
沢山、人が来るぞ。すぐ前だからな。
魂はいつも回る訳ではないが、呼べば来るぞ。
みちざねの神様、いろいろ教えてくださいね。
そうだな。学問の神だからな。
2012,9,20の記事
合わない人だったな。
藤原時平だった。
私は、ミカドが私を信じてくれないことが心外だった。
裏で言っていたのは、わかっていたが、スラスラ話が出来なかったのだ。
回りは敵ばかりだったな。
🐶菅原道真(すがわらみちざね)の話
やっぱり、平将門が言っていた、話が合うということのようでしたね。
そして、菅原道真が話してきました。
菅原道真だ。
平将門と話していたな。
私は今でも、何故大宰府に行かなければならなかったのかわからないのだ。
私は、いつも全体がよくなるように考えていたが、言われるままに、宇多上皇の後の醍醐天皇は、私を疎ましく思ったのだろうな。
藤原は好きにやっていたからな。
ミカドも言いなりになっていたよ。
仕方ない時代の流れだな。
平将門も同じだったと思うよ。
うーーーーらーーーーみーーーー(恨み)はないが、無念だったな。。。
合唱コンクールは、出場するのですか?
在原業平(ありはらのなりひら)と行平(ゆきひら)を誘ってみるよ。
私の話に出てくる、百人一首の在原兄弟ですね。
菅原道真の歌も百人一首の中にあるので、調べてみました。
🌟このたびは
幣(ぬさ)も取りあへず 手向(たむけ)山
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに
菅家(24番)
菅家(かんけ。845~903) 菅家は尊称で、学問の神様・菅原道真(すがわらみちざね)のことです。
学者の家に生まれ、35歳の若さで最高の権威・文章博士(もん じょうはかせ)となり、54歳の899(昌泰2)年には右大臣にまで出世します。
しかし謀事(はかりごと)により九州・太宰府に流され、59歳で没しました。
現在は学問の神様として太宰府天満宮に祀られています。
この歌は、道真の才能を買って右大臣にまで取り立てた宇多上皇 (朱雀院)の宮滝御幸(みやたきみゆき)の時に詠まれた歌です。
宮滝は現在の奈良県 吉野郡吉野町。
この御幸はとても盛大なものだったようで、道真ら歌人も多数お供しました。
その時に詠まれたのでした。
やっぱり宇多上皇のお供で行った時の歌でした。
こういう話は、現在の会社にもよくあることかと、思ってしまいました。
私は、長く勤めているので、よくわからない人事を沢山見ていますからね。
画像は、大宰府天満宮の菅原道真。