世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

世界は仮面を被っている・・

2017-07-21 | 国々の正義・・・

📌

世界は、戒めを忘れてしまうことで成り立っている。

パンドラの箱の神話が生まれた何千年前から、

人々はひたすら希望に未来を託しているが、

幾多の欺瞞と悪徳と暴力に溢れた世界から解放されたことがない。

 

📌

人々の口から何万回も平和が叫ばれただろう。

争いを目前にして、一番簡単な対応は平和を口にすることだ。

だが、絶え間ない紛争と殺戮が易々とその口を覆ってしまう。

どうやれば実現できるかの問いに対して、人類は何千年も答えに窮している。

 

平和という言葉には、その為に戦うという自己矛盾が隠されている。

平和の実現を叫びながら、

その方策は大概、脅迫と暴力が正義に転化されている。

平和は出口が見つからない迷路で、その知恵が狼狽している。

 

歴史家とか評論家の論述で解明されても、

ある社会とある社会の摩擦がこの後の世紀でも減るとは思えない。

正義が一元的でないからだ。

人間たちの愛は、殺戮的な排他の衝動に負け続けている。

 

📌

ある日、少年は図書室で処刑された女性の写真を見てしまった。

アヘン戦争かアロー戦争時と思われる中国大陸で撮られた古い写真だった。

捕らえられた女性の全裸体がXに組んだ木に張り付けられており、

その乳房は両方ともえぐられていた。

人間の人間に対する残虐さを初めて知って、彼の心身は硬直した。

 戦争行為は背景を背負って始まり、噴き出し、残酷に限りが無い。

どの時代にあってもどの地域を巡っても、大虐殺が起きている。

殺戮の正義があちこちに転がっていて、

その主役たちが歴史上の人物になってしまう。

自らの正義を宣って殺して殺して、自らは天寿を全うする者もいる。

報道されない殺戮が、山ほど歴史に潜んでいるに違いない、

地表は大量死の積層である。

生き物のなかで人間はそれほど安価なのだろう。

 

📌

文明はなんと多くの殺し方を発明してきたか。

効率的な殺人兵器が開発され、地球全域に売り渡されている。

しかも、高い利益の産業として社会の正面に存在している

 

戦いの場面では、まさに暴力が主役となる。

理性がそれを嫌悪しても、暴力の発揮を強制される。

戦争とは、暴力の総合戦である。

属する社会に公認された殺戮ほど、無慈悲なものはない。

兵士も装備も暴力の優位を保つために駆使される。

 

指揮官は、その残虐や破壊を、作戦または戦略と言い換える。

無数の残虐が発生して、人間が破壊されて、いずれ終局する。

誰も免罪されるはずもないのに、残虐に優れた側が勝者と呼ばれ、

新たな支配が生まれ、愛と理性の人間の姿にすり替わる。

 

様々な弁明が用意されるが、戦略的な残虐さは常に優位を占める。

最も大きな罪は、支配を企んで戦闘を仕掛けた側にある。

なぜなら、人に潜在する残虐さを誘発してしまうからだ。

オセロゲームより甚だしく,人の価値の罠は入れ替わる

死刑囚が死刑執行人になり,さらにそれが逆にもなる

 

📌

戦場に限らず、状況優位を得た人間たちの恐ろしさ,

深奥に隠し持つ悪が露出してとても不気味である。

人間には残虐を計画的に行う残虐さがある。

屍が山のように積み上げられ、腐臭とともに埋められている。

人間は何回も何回も繰り返している、今も地球のどこかで。

 人間が作る地獄的な場面がどういうものであるかを、具体的に知りたければ、

フランクルの「夜と霧」にある。

これに劣らず人間のサディズムは、中国の文化大革命にも容易く現れている。

人は、保身の口実があれば、こうも簡単に変心するものか。

テロ集団の、殺戮だけを目的にした無差別な攻撃。

そこに生まれる加害と被害との底知れない隔たりには、言葉を失う。

人間の変貌は、加害者の方に顕著に顕れ、餌食になるものは全く無力である。

人類の歴史に繰り返し起きている事だ。

 

📌

兵士も市民も戦争の死に様は、ただ無残である。

手足は千切れ、顔に鉈を打ち込まれたような惨たらしさは、

攻撃した人間の恐怖に比例している、

もしくは残酷さにとりつかれた者の瞬間が読める。

狂気と理性は全く触れ合わない。

その無残を知っていても、戦争を仕掛ける。

限りない不安と憤怒の混沌から、この後も何百年も抜け出せない。

戦争が愚かな結末を迎える事を知っていても、人は戦争に挑む。

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法の上に

2017-07-17 | 法の便宜

📌

民主主義は法の上に守られているが、その社会を崩すのも立法である。

権力側が、時をみて策謀したり或いは恣意的に行動することは自明である。

従って、策謀的に使われる可能性の高い法律を彼らに与えてはならない。

民主社会であっても、その社会の運営は政権という少数の管理者に委ねられて

いるからだ。時の政権は陰に陽に警察力を活用する。

時として、警察はロボット化して政権に入力された通りに機能する。

国民にとって不運な政権の時、警察は国民にとって悪い警察になってしまう。

📌

法の前で人は平等であっても,法の運用の前では不平等である

裁判官は、制度の”経典”に沿って悪と正義を量的に計る者たちである。

だが法は変わる。昨日罪とされたことが、今日罪を問われないことが起こる。

その反対もある。法の正当性はカメレオンである。法は時限的である。

📌

時代によって変容する法で、人は人を胸を張って裁いてきた。

それが悪法であったとしても、その法が新たな法に裁かれることはない。

ある日から使われなくなるだけである。

人間は、法治主義といいながら、不変の法を編み出せていない。

いわば未完の法で人は裁かれ続けている。

📌

一度しかない命が他人によって無残に絶たれても、

法は被害者に何の手も貸せない。被害者の悲劇の大きさについて法は無言である。

だが加害者は法に守られる。経緯と結果を法に整合させるだけだ。

被害の度合いは量刑に置き換えられ、加害者の生きる権利は持続する。

どんな場合でも加害者の勝利である。

独りの被害者の死は、家族に悲劇を残したまま、法治社会に忘れられる。

法治制度の理念と被害の痛みの乖離こそ、社会の冷酷な実像である。

良識人が法治の理念を熱心に説いても、悲劇の深さは変わらない。

 

📌

最高裁判所は、違憲状態という言葉を使ってはいけない。

曖昧さは司法の厳格を自壊させる。

三権分立というのは、まさか幻想ではないだろうね。

どの政権も、三権分立を脅かす因子を宿している。

 

 

 

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人生は肩パッド

2017-07-15 | 迷想が誘う寸言もどき

 📌

幻想に向かって走るな、せめて歩け

 

人生は肩パッドである

 

いつも迷いながら発言する人がいる

いつも迷いもなく発言する人がいる

 

人は、公に目立ってしまうと,もう仮面に変わる

 

君はいつも値踏みされている

 

自分のあまりもの平凡さにがっかりする

 

虚飾をフリ落とした後になお,

敬愛すべき言動,立ち居振る舞いを見かけるとき,

その印象はとても持続する

 

蜜蜂のように生きていけるか,花も香りも害さずに・・

人にはきっとそれができない

 

モノに囚われた人々

 

人は省略して語られる

 

何かを探し続けている姿は,人を引きつける

 

あの人は知性を隠すのがうまい人だ

 

一見何でもなく見えるものが、

時に多くのことを暗示したり表現し始めたりする。

 

定型とか定番に、わずかなズラシを試みて、

新たな心地よさを見付けられないだろうか、

デザインには、遊び心。

 

戯評の誘惑 時代の半歩予言者

 

見慣れた固形に、動きを加えると、新しい形が出現する。

あらゆる形はすでに存在している。

発見出来るか、否かである。

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地球の隅々

2017-07-14 | 人との間合い

📌

地球上で、人は同じ営みをしているように見える。

ではあるが、人は風土に育てられている。

何世代も連綿と集積された固有の自然観、

学習環境、習慣、道徳、価値観で

しっかりと全身を包んでいる。

否、閉じ込められているのかもしれない。

 

📌

何を目安に分けたのか、世界には国と呼ぶ200近い区分けがある。

それぞれの社会風土の違いは、他への不理解と不寛容を生んでしまう。

領土や人種や宗教の争いは、根深い紛争となって容易には終息しない。

地球の隅々まで苦もなく往来ができて、

自由な通信が世界中を駆け巡ってる今日でも、

異文化の柔軟な受け入れや理解は容易なことではない。

 

📌

グローバリズムは、経済勢力の進軍を許容することに過ぎない。

場を見つけてはまた進む。

人類が営々と積み重ねてきた個々の文化を、一方で惜しみながらも、

見事に無視し消し去ってしまうことを厭わない作業が、

グローバル化である。

嘗て、宗教が至るところに聖職者を先陣として送り出し、

続いて軍隊と商隊を投入した。

武力に劣る個々の民族文化は跡形も無く消えて行った。

かつての布教はグローバル化の先駆である。

 

📌

ずっと以前の人々

ずっとずっとずっとむかし、

考えることを深めはじめた人間たちは、何を拠りどころに

生きる価値を見出せばいいのか、おおいに迷ったことだろう

見渡せば、食べることや、命の不安に脅かされてばかり

意思をどこに向ければ、安心を手に入れられるのか、

おおいなる知恵と工夫を迫られただろう

 

古代人の生き方が現代のそれと違う点は、

道具が少ないこと、迷信が多いこと、それだけではないだろうか。

文明が進んでいても、現代人の人間性が高いとは言えない。

5000年前、10000年前に生を得た人々より、

私たちが繊細な感性を持っているわけではない。

考えが深いわけでもなく、表現がうまいわけでもなく、

愛が強いわけでもなかろう。

人間世界とは何か、

彼らよりも深く解き明かしたとも言えない。

幾千年の時を経て,

人の精神は広がっているのか,狭まっているのか。

私たちは、発明や発見、科学的な解明、

思索の積み重ねによって実現している環境にいるだけである。

現代は、

彼らをはるかに超えて策謀と残虐さにも磨きをかけていることだけは、

間違いない。

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歳の差

2017-07-14 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

若い時は、若さの素晴らしさに気がつかない。

ただただ迷いと渇望に脅されている。

生活の深さに気づくのはずっと先だ。

 

若い時は自分に夢中だから、自分の行く先を探すのに忙しい。

たくさんの経験を欲しがっている。

でも自分を未熟とは思いたくない。

 

年齢を重ねた人からすれば、

迷路ゲームを上から見ているようなものだから、

そっちじゃないよと思っても、

渦中にある若者の耳には届くはずもない。

ああ、また同じ間違いをしていると嘆くしかない。

慄き、傷つき、もしくは他を傷つけながら、

偏狭な渦中で無駄な動きを重ねている。

生き方は効率で括るわけではないから、彷徨いこそ若さの特権だ。

 

 📌

人は、先人の経験した苦しみや後悔をまるで学習しないし、

感知できない。

先人と同じ過ちを繰り返し、

その次の人もその悔いをまた学習することがない。

人の歴史はそれを実践的な悔いを証明するためにある。

 

📌

知識が豊富でも、愚かな行為は沢山ある。

知識が乏しくても、賢い判断は沢山ある。

 

📌

大人の知恵はマニュアルの蓄積に過ぎない。

過去の経験に囚われて、縦横な着想や柔軟な判断が阻まれている。

したがって、子供の着想に驚いてしまう。

大人を驚かす子供が少なくなっては大変だ。

 

📌

有名でもなく大活躍もしないが、素晴らしさを感じさせる人の姿、

密かな望みを抱きながら、狡猾さもなく道の真ん中を歩いてる人、

自分の目の高さの遠くを見ながら歩くことが、姿を美しく見せる。

どんどん作業することで、進化が広がる。

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組織力の毒性

2017-07-14 | 組織が悪魔になる時

📌

大戦の末期、統帥権に酔っていた軍部は、

最も劣悪な発想に覆われる。

戦況の圧倒的な不利にあって、”玉砕”という終結である。

利のある敗戦を考える強かな知恵や勇気は、生まれようもなかった。

軍人教育の成果は、降伏を選ばす自壊に傾斜する。

未来を捨てて、自壊の一点で思考停止していた。

その果てに、敵側の強烈な火力に向かって、

無数の兵士と民と国土を丸ごと投げ出してしまったのである。

その先に何があるかという想像力は疾に失せていた。

自刃で果てた軍人であろうとも、それは欺瞞に満ちた終章である。

総括しないなら、社会の原理を再生できない。

精神を病んだ人たちが下す判断となんの違いがあっただろうか。

 

📌

問題提起と提案を繰り返し行わないと,組織は劣化する

広角な構え,潤滑法を持っていないと,組織は硬化する。

集中と選択は、むしろ弱点を肥大化する。

現行システムに欠点があっても、人や事業は順化するよう求められる。

 

📌

提案と議論の積み上げ、決定と実行に至るには、

各レベルでそれなりのエネルギーが必要だ。

面倒な作業や説得を避けたい病が潜んでいるからだ。

現状に安住したい上司ほど、組織の動きを遅滞させるものはない。

 

📌

大組織ほど自らの監査能力が衰えやすい。

自浄力を嫌い始める。

錯誤があってもルーティンこそ王道になっている。

新しい事柄を認知させようとする時,まず組織の頑迷さに直面する。

どんな組織にも悪魔が潜んでいる。目覚めさせてはならない

企業悪は、企業利益の背後霊のように存在している。

利益を脅かす事態が発生した場合、社会の利益や公平よりはるかに優先して

会社防衛に取り憑かれ、挙げ句にもっと大きな損害に直面するのである。

 

📌

権勢を得た政権であれば、まもなく国民への説明を軽んじ始める。

強引な調整力と力を見せつけながら、

社会を窒息状態に閉じ込めるのが得意だ。

 

大きな反動がその社会を揺さぶっても、

形を変えて別の管理制度が主導する。

それが社会の進化や成熟であるか、

やはり幻想か、それは次の鳴動でまた問われる。

 
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雑々感

2017-07-14 | 迷想が誘う寸言もどき

 

📌

夢を生み出す脳力の、つじつまの合わないアルゴリズム

夢は、

人に潜在する不合理な願望の充足という役割を果たしているそうだ。

夢の中で暴力を振るったり、記憶にない人物に出会ったり、

思いもよらない性夢をみたりする。

人は、夢と目覚めの二通りで心理の均衡をどうにか保っている。

 

人は、心に自分だけの箱庭を持っている。

 

人が知る世はどれもこれも断片である

そして、それぞれの断片で終結する

 

路傍の石や木の葉,水の流れに感興を覚えるようになった、

性欲が薄れたという証左に違いない

 

落ちる夕日は心に沁みる。昇る朝日に清々しくなる

 

10日間部屋に閉じこもっていると,異世界に突入出来る

 

古代,王の愉悦感、優越感は自己暗示の強さ

 

美しいところを見つけようとして,美しくないところも見つけてしまう

 

いつもと違う言い方をしてみると,

何か新しい摂理でも発見したような新鮮さを感じることがある

 

傷口についたガーゼの剥がし方が違うだけ・・それだけの違いだ

 

詩は多様な声をイメージする

詩は恐れを予感する,人間の怖さを予言する

 

直感を第一次的に正しいとする賢さ

 

人間にも、赤潮(富栄養化)症状の人がいる。

 

ストイックでいる快適さは、精進料理の味わい。

 

世の中には、少々のクズと大勢のクズでない者がいる

少々のクズが世を悪く騒がす、誰がクズだか予め分からないことが

悩ましい。

 

やまびこの返ってこない山に向かって声を出してもつまらない

交遊にも当てはまる 何かしら情の残る人とそうでない人がある。

何がどうと具体的に述べるは難しいが、余情が漂うのだ。

また会いたいという気持ちに誘われるのである。

相手が異性の場合、余情は魅惑につながる。

交遊のエッセンスは余情にありである。

 

繁華街は用事済ませば,さっさと離れたい

そうでないと夢遊病者のようになってしまう

 

大概のことは受け入れたい

 

ダンディとは何か、と語らないのがダンディである。

なりふり構っていられない時に,なりふりかまってしまう意地。

 

好きに過ごせる事に浸れるか 心ゆくまで堪能するにも知恵がいる。

 

君は一体何を待っているのだ さあ、先に進みなさい。

 

自分が何をやってきたかを得意げに喋りたがる人が多い

これから何をしたいかを熱心に語るほうが良い

 

自分の都合に沿って、物事の行方を期待しても、

それは大方、期待とズレて、新たな葛藤の始まりとなる。

 

自意識ばかりが強いと、好奇心がひ弱になっていく。

 

現状維持に心を砕き,工夫を凝らす人

変化することを第一義と考える人

 

世の中は、いつもいつも問題だらけ。

 

興味の尽きない散歩道を得た者は、happy。

 

心の自立とは、孤独に耐えるネバリ強さ

 

湿った布団の中にもう一度潜りこむことはやめなさい。

 

政治家によくあることだけど、

得意技が場面転じれば、失敗を誘発している。

 

過ぎ去った事柄への悲嘆

 

どこに住まおうが、どんな家を構えようが、

要は、いかな精神と思考を感知出来るかではなかろうか。

 

路傍の野草に仮想の花を咲かせると、その野草が愛しくなる。

恋はそういうものかもしれない

 

化粧している時の女の表情を見たくない。

本音丸出しで、品がない。素っぴんがずっといい。

 

人は案外自分自身を誤解している。

振り返って、自分の人生の狭さに呻く、なんて頑なな、

なんて小さな拘りか。

もっと広い感性を、もっと広い思考を、

 

観戦する楽しさ、でも少しの寂しさがある。

何であれ、プレーヤーの快楽を味わいたい。

 

柔らかな風が肌に触れて通り抜けるとき、安らぎを感じる。

風は優しい時もある。

 

あなたは一体何を待っているのか?

中途半端じゃないか。自己開発だよ、おっちゃん。

 

悲しみを忘れられるはずがない。

悲しみを忘れないことが、生きることの力だ。

 

過去を味わうことで、心の襞が増えると思う。

 

TVを見なければ、軽薄を見ないですむ。

 

いつも身近にあってつい誘われてしまう、昨日も今日も怠惰の真ん中。

見えるところだけが、人の仕事ではない。

 

朝の光は限り無く優しい。弱った心が朝の光に救われる。

 

豪華さは要らない。洗練された選択がイイ。

 

人は生まれてすぐに悪を学習してしまう善である。

 

人の特質はしゃべることだ。

 

人だけが幻想を追う。混沌は、そこに始まる

 

幻想は、そう気付かれないところに価値がある。

人が追い続けてくれるからだ。

 

人間は人間に対して冷たい。政治の歴史がはっきり言っている。

強い立場にある時、人は他者に対して澄まし顔して、傲慢冷酷になる。

 

人間関係は、相手についての想像力の強弱で成り立っている。

 

新しい状況に置かれたとき,人は変わる。

反発か服従か、非日常な瞬間にこそ人の深奥の衝動が顔を見せる

 

彼は周りの人々を、いつでも自分の知力で料理できるものとして、

見ている。私は周りの人々にいつも驚きを感じながらみている。

 

自らはヤル気なく,論評を得意がる人は集団のウィルス

 

戦闘を有利にするには,敵の持つバランスの破壊が第一である

 

何かを忘れてきているという,ジワっとした強迫心理

 

ああ 独りだ な

 

人が祈っている姿に素朴な美しさを感じる

恐れを知っている人間の姿があるからだ

不安定が人を神妙にさせる

 

若え奴らは、勃起するんだからオレは男だと得意がってやがる、

人の発情は動物のそれよりずっと質が悪い。

 

人前でも気持ちよさそうに背伸びすることがあるでしょ,

SEXってそんなものよ

 

ある人に問われた、きみの地平線からミュージックが聞こえてくるか

 

どこかに何でもお見通しの人がいる、というのは安心なのです

それが神様なんだ

 

言葉は重いんだ,ほとんど無視されてしまっているけど

 

頭のなかの歯車が滑っている

 

相手の普段の生活感覚がモロ見えになる、それが結婚である。

良いことばかりに幻想を抱いていたものだと。

妥協はそこから始まる。相手もきっと同じ思いだろう。

 

与えるものがないと実感したとき,人は寂しくなる

 

貧しさも,豊かさも争いの原因になる

 

知識で生きないで感受性で生きてみたら、風景も物も深い世界を見せてくれる。

 

イイ光景を見たい。

 

深いところに悪魔がいて,話しかけようとしている

深いところに険しさを好む人がいて,何かがいて,何かがあって、

覗いてみないと不安な気持ちになるからやっかいだ。

 

何に戸惑うのか,どう感じたか,何を畏れたか

何を拠り所にしたか,楽天と悲観の繰り返し

 

眼前を開いてみれば,そこに広大無辺の世界が広がっている(足穂)

 

直線以外のあらゆる線や形は、自然界にすでに存在している。

人々のデザインは、自然界から得たそれらの記憶を組み合わせたものだ。

人の感性は、決して自然界の外に出ることがない。

 

「病は気から・・」というのも、

脳と身体の反応が連携していることを証明である。

心身一体ということは、科学である。

 
雑駁に言って、

人々の思考や行動は、受信型にんげん、発信型にんげんに分けられるように思う。

社会の奈辺にあっても、ひとの動きはそう見える。

それが一方に偏りすぎると個人にも集団にも軋轢になる。

 

なぜ、生きているんだろうと思ったことはないだろうか。

 

人は人をあまり信用しない。

だが、神説や迷信や風説を信じる。

自分からも現実からも遠いことを信じようとする。

曖昧なものを心ゆくまで信じる。というより身を委ねる。手軽であるから。

 

 

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知識量の軽さ

2017-07-14 | 蒙昧にたどり着く

 

📌

人間の弱点は、知識に依存していることである。

私たちはいつも知識の支配下にある

 

大英自然博物館展を見て、ため息をついてしまった。

人間の時間軸はとてもとても短い。

地球が創出した多様な生命体や鉱物植物の不思議については、

傑出した博学者であっても

きっとその数パーセントを知り得ているだけだろう。

まして一般には、教育で得たわずかな知識にとどまっていて、

宇宙や地球事物の変化や仕組みを

その1%も知ってはいないのだろうとおもう。

どのジャンルの創造物であっても、

その生成に要した時間を、人間は数値化できるだけである。

自然の変化を捉えるには人間の時間感覚はまるで役に立たない。

人間が使う時間の長さは、余りにも微少な計測なのである。

一億年前、1万年前といったことを感覚できない。

人の脳はその能力を持っていない。

人間は考える能力を持っているが、

使う時間は人間同士でわかり合える時間感覚にすぎない。

 

生物や植物のそれぞれが持つ異様な形態、色、活動、存在すら、

何一つなぜそうなのか、やはり不思議でならない。

連綿とした遺伝子の強さ、環境を凌ぐ多様な変容は、

未来に何を創出し続けるのか。

鉱物の生成を遡ればそこには何があるのか。

あれもこれも素朴な質問に戻ってしまう。

地球の至る所で様々な化石が発見され、復元され、

仮想映像で蘇るそれらの多くが、

現在とあまりにも違って驚く。恐竜群などはいい例だ。

なぜ出現したのか、なぜ多様な姿態をしているのか、

なぜあれほど大きくなる必要があったのか。

化石から明らかにされている事柄は、

地球上に創出されたもののわずかな一部に過ぎないないだろう。

人々が懸命に探し続けても、

宇宙時間で現れ消滅していった事物は計り知れないのだから。

ましてや、微生物の世界など、

どれほどの連鎖や変容があるのか、理解は遠く及ばない。

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偏狭な王国

2017-07-13 | 中国はいつまで暴れる

📌

もはや世界中が知っていることだけど、

ある国は、世界の安物工場として名をなし、どんどん売りまくり、

巨大な成金国に成長(?)した。次に世界中からどんどん買った。

俺がいなくては世界の経済発展はないだろうと自信タップリである。

物も知恵も技術も文化も金で買えるぞ・・・、全国民がそう思っている。

そこまではまだ良しとしても、その売りまくり買いまくりは、

この国の評判に合致していないところが恨めしい。

 

内でも外でも、食い散らかした食卓テーブルの様子に似ている。

後のことは知らんぷりである。恥知らずを自己主張とすり替えている。

金にさえなれば、ドブ水からだって食用油に化けさせる。

他国ではめったに見られない不良商品が、次々出現して世界に警戒されている。

トイレの汚さは200年前のようだ。まさに世界のレベルとかけ離れている。

今更ながら、やっぱりトイレはきれいにしようかと気がついたぐらい。

良質な社会になるための大事なことが、遠くに放り投げられてきた。

金銭に換算できないものは、むしろ忌み嫌われきたかのごとくである。

 

📌

一党の行方

一党独裁は強い統制力を武器に、70年間脇目もふらず13億人社会を運営してきた。

アル中患者が決して酒を手放さないように、

この70年間、独善的統制を片時も手放さず、ひたすらに正義としてきた。

かつて毛沢東が仕掛けた百家争鳴と文化大革命は、大衆を篩にかけ、苛烈に愚弄した。

国民は、まるで底引き網にかかった大量の魚のように仕分けられた。

あらゆる分野の表現や情報が恣意的に管理され、不服従者は露骨に排除される。

だが、支持者たちはその’正義性’に合点している。

人民は押さえつけるべし、天安門事件でも世界は独裁の暴力性を知ることになる。

 

一党の必然として、官僚の腐敗と収奪の大システムを発生させる。

幹部の巨額な汚職が厚顔に罷り通る社会が、この国の根深い実像に成ってしまった。

国民も、あらゆる層が金銭的な利得以外の美徳を見出せなくなって、拝金者に傾斜した。

腐っていようが人のものであろうが、専ら利を求めてその策謀のために蠢く。

モラルや公正や品性などは、現金化出来ないから見向きもされない。

空気と水と土壌が極限に汚染されている現状も、むしろ積極的に座視されている。

生産行為でも生活作法でも、その行儀の悪さに他国は驚きを隠せない。

商行為は悪辣に劣化し、世界は悪意ある商品を知ることになる。

 

📌

膨らむ経済力を過信している一党政府は、恥辱の100年歴史の反動からか、

世界を相手に性急な強圧外交に酔っている。天安門から世界を睥睨しはじめた。

世界から何を批判されようと、外聞を常に不当であるとしている。

そうした外聞をまるで気にしないように見受ける。

国際裁判が何を言おうが、国際契約をキャンセルしようが、協力事業を放り出そうが、

彼らの行動規範はびくともしないようだ。

世界は中国の利益のためにある、不評がどうした?

一路一帯で市場はますます広がるぞ。宇宙技術も空母も進んでいるぞ。

行け行けどんどん、中国はいつも正しい。

 

国一丸となって、世界中にばらまいた負の評判を、どれほどの時間で消せるだろうか、

消すつもりはないかも知れない。中国流に半歩の謙虚さも必要ないと思ってるだろう。

無節操というブランドなしでは、中国人は精彩をかいてしまうのか。

支配層は、成果と引き換えに発生した負の重さに痛みを覚えないのだろうか。

 

仮に中国サイドに立ってみたとしても、もうこの体制の役割は終わっている。

この社会は、一党支配の弊害の大きさを知るべきである。

建国から70年経つこの国の開発や発展は、歴史大国としてむしろ非情に遅い。

一党独裁で建国の近道を通ろうとして、国土も国民の意識も食い散らかしてきた。

社会の有り様は極端に偏ってしまい、多面的な社会の成熟を目指すなら大変な遠回り

である。

だがなお、強欲な支配層を見ていると、一党を手放しそうには思えない。

13億の巨大な社会に発生する多様な隘路や矛盾を、彼らは変わることなく、

これからも強力な抑圧と制裁で、一党すなわち愛国に封じ込めるのだろう。

 

📌

多様性や融和の拒否

10億を超える民を一党の支配機構で治めうるとするのは、無茶苦茶な話だ。

人間にもその集団にも、もともとそんな公平な経営能力は備わってない。

ただ融和を目指す知恵が備わっているだけだ。

中国の政治史は皇帝制から一度も脱け出した事がないので、

人民革命が実現しても一途に党独裁を選択した。民主化の匂いもない。

文化大革命などという悪政を経てさえ専制を堅持してきた。

やはり彼らは古代以来の皇帝専制の治政しか発想しないようである。

 

📌

共産党一党の理念と手法のみが中国の正義であるとしている。

過去の治世に勝る徹底した統制で異質を細部に至るまで排除し続け、

排他主義に徹したある種の宗教的社会である。党主席はつまり教皇である。

膨大な人口に最大公約数の幸福と安心を一党で実現できると思い描いているというより、

教皇派たる共産党独裁の強固な構築だけに集中している。

全ては党組織と党員のためにある、軍隊も然り。

巨大な軍隊さえ共産党の領導でしか動かないと規定している。

建国に民主化なんぞ何の薬にもならないと、鼻で笑っている図である。

 

📌

その独裁制はすでに80年を数える。成果はどうだ。

3億に幸福が訪れても、残る10数億の民は蔑ろにされているだろう。

基本的な人権や報道の自由は正面切って不正義とされる。

高らかに謳った人民の革命は、長年の独裁で社会のあらゆる層に不道徳を

浸透させてしまった。この国の社会通念はすっかり変容した。

国土の汚濁や党員の汚職、恫喝に塗れた偏重社会の出来あがりだ。

世界中がその悪質さを知っている。

この独裁党は、多党制治政の他の国々が怖れないことを怖れている。

彼らは多党制など夢にも見たくない。一党の正義が崩れるからだ。

染みついた腐敗を追放する強権キャンペーンさえ、本音は政敵潰しである。

 

何を手に入れ、何を失っているだろうか。

額面世界一の経済力を誇ることの虚実がはっきり見える。

諸外国を恫喝する悪癖さえ彼らなりの誇りを擽るらしい。

根付いた悪心を中和するには、物心とも倍する歳月が必要だろう。

社会はゆっくりしか変れない。

一党制は多党制よりはるかに人間を貶める。

それでも彼らは正義と言い続ける。

何事にも次の場面が待っている。

この国は一党独裁のあとに、

また新たな皇帝を出現させることしか出来ないのだろうか。

 
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儀式

2017-07-13 | 「鰯の頭も信心から・・」

📌

神は、人間が創造したものである。

だから唯一神と言い張る必要がある。

 宗教も、数ある正義の一つにすぎない。

📌

儀式を取り入れれば、それはすでに宗教風である。

儀式を重んじれば、それは独善的思考の始まりである。

儀式は運営の装飾であるから、

その装飾が眼にも荘厳であるほど暗示力が高まる。

戒律が厳しいほど、敬虔であるほど、

純化するという演出が仕組まれている。

要は、一体感つくりに集約されていて、独善的、排他的であり、

拡大志向が露わな独裁政党と変わりがない。

その価値基準を神の所為にしているだけで、

むしろ人間を冒涜しているのだ。

時代が下がるほど、宗教の実態は変容、自己欺瞞に堕ちていく。

この点も独裁政治の行く末と変わることがない。

📌

ある宗教は、秩序や戒めを説く。

それを崇高な規範として個々人の精神支柱として契約させる。

契約しない者は排除される。

別の宗教では、「問い」が宗旨の根本原理となっている。

問答の解が無限であり、悟りが精神の到達点であるとされる。

しかも、それさえ無とする

📌

人は厳かなものを求める。

自分からずっと遠い抽象に精神を委ねたいという願望が、

人には潜在する。

それは自然そのものであつたり、先人の偉業であったり、

仮想であれ、その大きさを畏れ服する。

もろもろ生きる知恵を凝縮した智者の教えに心服する。

それが生きる基準であり、崇拝、敬愛であり、安寧となる。

それを満たしてくれる畏れへの服従や信仰がなければ、

漠として潜在する不安から逃れられないということだ。

📌

智者のことを神の使徒としている。智者なら一人といわず存在する。

ゆえに、宗教はひとつではない。

智者は、生きるルールを説き、慈愛を説き、安らぎをもたらすのだろうが、

智者を敬愛しすぎた人々は、必然として排他的になる。

自ら、思考停止を受け入れている状態である。

なにが神なのか、そこに明快な理を設けないのが宗教者である。

彼らは、神の使徒や解脱者として崇拝される智者の言葉を伝えるだけだ。

 

智者の言葉が安らぎや勇気を与えるのか、

知恵の有り様を教えてくれるのか、

愛と慈しみで包んでくれるのか。

人は信仰の子になろうと欲する。その畏れを汚すものや事柄を、

自分の基準を毒するもの、不安に導く要因として排除する。

📌

頻発する宗教的な紛争は、人としての基準の戦いであるから、

地政学や経済を背景とした紛争と違って、

時間経過による収斂や終息ということがない。

妥協のないやっかいな紛争である。

だが、神や智者は何も示さない。

神のために戦争をし、異教徒を残酷に排除しても無言である。

📌

神は我々の上の方にいるのか、隣に座っているのか、

それとも我々の中にいるのか。神は知者を経由する。

どうであれ、

聖堂や、寺院の荘厳さを気取った建造物や儀式の有り様は、

後世の宗教者たちの演出に過ぎない。

宗教者には荘厳観こそ説得力である。

彼らはそうした舞台装置を活用して人々を暗示に導く。

従え、黙して従えと、人々に思考停止を促している。

宗教は、

信者自身のそうした自己暗示と幻想に寄りかかって存在している。

神は過酷である 存在も力も示さない 

 信じている者の自己催眠と幻想に寄りかかって存在しているに過ぎない。

神の存在を問うより、人はなぜ神を必要として来たのか、

それをもっと問うてみた方が良い。

神を求めても、なお人類は我欲に徹して生きている。

📌

産まれながらにして、人間は原罪を負っているという宗教がある。

無茶苦茶な話ではないか。存在がすでに罪なのか。

どうしても辻褄が合わない、儀式の大義を何とか整えるために、

具合がいい動機付けを思いついたものだ。

仮設定しておいて、連なる必然を組み立てやがったのさ。

 

それでも、人が一心に祈る姿は美しい 神が美しいわけではない。

📌

宗教もしくは宗教団体がもたらしてきたものを、高みに上げることをやめよう。

宗教者にとってそれは常に高みからの正義であり、教えである。

 宗教あればこそ建築美術が生まれたなどと感心するのはやめよう。

 信仰は共同社会に求心力を生む。宗教者の望むところだ。

 神の名を使うことで、暗示や誘導を駆使してきた宗教者の罪は深い。

 世界史は異教徒の迫害が頻繁に行われた事実の列挙で溢れている。

📌

教えは強要され、滅ぼされた文化や民族が数多いことを世界は知っている。

 絶滅する動物や植物なみに大いに慨嘆されるが、歴史帳に留めるのみである。

 それでも、それはなお現代でも続いている。

 宗教の本質は、いつも他者に対して敵対的であり、いつも露骨である。

 宗教は、このあとも世界の動機として紛争を生み続けるのだろう。

 宗教的な倫理観、社会法が示す善悪や処罰、人間はそれ以上を創れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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恥部ではない

2017-07-13 | 雑々と過って惑う

 

📌

性欲は世界中に溢れているので安物扱いされる、

若しくは品格の恥部とばかりに気付かないふりをされている。

食事やスポーツのようでもあるし、単に排泄欲求かもしれない。

だが、芸術や思想の発現には性がある。異性愛の原点である。

セックスレスも痴漢行為も、性情の発露を違えてる点では同じである。

 

📌

性の衝動は生命の証であろうから、第一義は良である。

 性交は人が動物の生理にもどる瞬間である。

ここで品性は必要とされない。

人格の保持がもっとも希薄になっていく。

肉体が愉悦感に達するまでの過程は、

思惟のコントロールを放棄した時間である。

その性の衝動はカップル特有の感情表現に変わる。

 

📌

生き物の生理的な欲求は、食、繁殖、休息であって、

本能は、全てそれを充足するために用意されている。

生き物の行動は、ひたすら不足と充足の循環で繁殖が保持される。

何百世代もその基本欲求に忠実である。

 

📌

人間に備わった脳力は、生理的な基本が他の生き物と同じでも、

その欲求が原初のままでいられずに、

多様な派生を繰り返し、膨張し変形する。

学習力や創造力に優れ豊かな感性を生み、その展開は多岐にわたる。

変形や深化で成し得た無形のものを文化と呼んで尊ぶ。

あらゆる道具を作り出す。

自らの生命や宇宙の成り立ちまで解明する欲求に溢れている。

ではあっても幸福欲が満たされているわけではない。

実現した充足より破壊の方が際立っている。

破壊された側が声を発せられないだけだ。

 

📌

色彩はわずか赤、緑、青の三色から合成される。

この三色の微妙な混ざり方であれほどにも多様な色調になる。

混ざり合う事の不思議さに驚く。自然現象の無量無辺である。

誰かの視覚の三原色のひとつが微弱だったらどうだろう、

他の人たちと同じ事象を見ているのに、

その人の視野にある色彩は悉く違って映り、

その印象や思考や反応が、きっと別物になるに違いない。

もしかして、

私たちは同じ事象を同じ色として見ていない可能性がある。

性にまつわる感性が根深くても、同じ水準の行動になることはない。

人の反応にもきっと当てはまる。

何かの不足や過剰が時には犯罪になり、

別には素晴らしい業績になる。

わずかな過不足によって社会的な混乱が誘発される。

であるから、人にも社会にも基準値に戻る復元力が必要だ。

 

📌

衣服を脱いでしまえば、人の姿はわかりやすい。

世界の姿も同じだ、ここでも言葉やモノで巧みに飾られ、

私たちはその幻想に酔いしれる。

だが、修飾を1枚ずつ剥ぐ毎に、社会の動機が見えてくる。

欲望と手法が汗をかいて熱演しているはずだ。

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筋肉を数えると

2017-07-13 | 雑々と過って惑う

 📌

身体の動きに使う筋肉は400もあり、関節は265箇所に及ぶようだ。

それらは、どんな小さな動きにさえも複雑に反応し連携して作用する。

軽い怪我でも身体の動きがぎこちなくなることからみても、

複雑多様な連携があることが判る。

 

加えて、

人の持つ身体的な特徴や筋肉のつき方、関節の柔軟性には違いがある。

それらは、無自覚な動きの癖となって誰にでも現れる。

走るという基本的な姿さえ、人それぞれ5体の動きが微妙に違っていて

同じフォームはない。

 

日常生活の身体の使い方にはまったく支障ないが、

ひとたび、スポーツなど特定の動きを習熟しょうとする場合には、

キチンと自分の癖を認識しなければない。

そのフォームにとって邪魔になる癖を修正することが必要だ。

身体に染みついている癖は容易に消えない。

適切な反復練習で動きのリセットが必須である

 

400の筋肉と265の関節の反射的な作用と、

身に付いている癖との調和を図って、

そのスポーツに適した自分特有のフォームを会得して、

動きの効率を高めなければならない。

 

癖を自覚しないまま反復練習しても、

安定した良いフォームに辿り着くのは難しい。

機械ではないから一流のプレイヤーであっても

自分の癖と折り合った結果として、

それぞれのフォームが微妙に違っていても不思議はない。

 
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自然は正確無比である

2017-07-13 | 雑々と過って惑う

 

 📌

宇宙の万物を変化させる科学的な法則が

絶対であることは自明である。

1グラムの違いでも計りは大きく揺れる。

わずか1°の温度差でも現象が明白に変化する。

あらゆる事象はその科学性の経過である。

その物理的な変化のままに動物世界も反応していく。

感情を生み出す脳の反応も化学的なのであって、

人間がそのことを言語で伝えたがらないだけだ。

そんな場面で人は神を活用し始めるのである

 

 📌

絶対の法則は、物理だけにある。

微生物や植物や動物の法則性も揺るぎないだろう。

常に不安定なのは、人間の精神である。

そこには絶対と認められるモノが存在したことがない。

人間世界にあるのは、比較によって、選択された価値にすぎない。

すぐに次なる比較に迫られる。その繰り返しが連綿と続く。

 

 📌

我々は風に平伏している。

あの優しい風が、勢いをつけると 

荒れ狂って 私らを容赦なく苦しめる

怖ろしいぞ 風の巨大さ

地球を支配しているのは、風だ。

 

 📌

世にある物は、例外なく腐敗し 酸化し 風化する

地球にとって腐敗は害ではなく、単なる工程に過ぎない。

地上を支配しているのは微生物である。

空気や土や水を支配しているのは化学反応である。

人間の知恵は、それらを少しだけ制御したり変化することが出来る。

自然は生き物を枯らす 

生き物は生き物を殺す 生き物だけがそうする

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人は消える

2017-07-13 | 蒙昧にたどり着く

📌

無名の死

私たちは、記録された歴史として人間世界の過去を幾らか知っている。

だが、記録されていない過去はその何千倍もあるだろう。

侵略史には惨憺たるものがある。

害虫のごとくに駆逐されてしまった民族もある。

 

一人一人の絶叫も、大雑把な数字の束として、

数行の記述で歴史に残るだけである。

いつの時代も自分たちの軌跡の全てを知ることができない。

記録に記された主役たちが歴史上の人物として、

記憶されるだけである。

 

📌

自らの独善を宣って、人を殺して殺して、自分は天寿を全うする者もいる。

書店に並んだ歴史書にどう記述されようが、

どんな社会観を提示されようと、

どの歴史も殺戮のあとに塗り替えらている。

 

📌

時間のかなたで、無数の人々が生き、朽ちた経過を知る方法はない。

笑いも悲嘆も楽しさも、不安や苦悩を、

ましてや無残な惨劇に遭った無辜の人々の

悔しさも知ることがない。生きて、人は消えるのである。

勇気も恥辱も、善行も卑怯も、清新も汚濁も、賢察も

愚行も渦巻いていたはずだ。

ある時代の文明に属して、ある時間だけ存在する。

その短さも知ってはいる。

 

📌

密林で、海で、砂漠で、見知らぬ果てで、健やかだった生き物が、

まもなく老いて、消えていく。

何億年経っても消えた個体が蘇ることはない。

等しくたった1度きりの生命だ。

新たに別の個体が遺伝子を受け継ぐ。

生物としての使命は際限なく繰り返されて行く。

ここでも、見果てぬところでも。

 

📌

動物は敵を怖れているが、

死を怖れてもいないし、知ってもいないだろう。

人だけが死 を語る。

死は、自分で見届けられない唯一の自分自身である。

朽ちた自分の身体を自分で始末できない。

萎れたおチンコを見られても怒ることができない。

できるものなら、死んだ自分の体を自分で洗って、

土の中に始末して自分を終わりたい。

 

📌

誰であれ、自分の死に様を観察できない。

わずかな灰となってしまった自分を知ることがない。

自分という肉体が地球上から完全に抹消されることが、

理解出来ない。

まだ生きている人たちの記憶にしばらくの間、

物語として残るだけである。

他人の死は、伝記、物語として思いを巡らすにとどまる

そう、自分以外の死は、感傷や、観察の対象になる

 

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歳が重なる

2017-07-13 | 迷想が誘う寸言もどき

 📌

100年生きても、人生は熟さない。

生きている間、自分に潜む様々な欲望がせめぎ合っている。

 

定年退職後の生活が、残り火であろうはずがない。

 

私はこの歳になっても毎日何かを待っている。

その何かとは何なんだ。

それが分かれば、もっとずっと明快な自分になれる。

 

いい生き方をしたい。誰もが願うことだ。

自然に寄り添い、悪に堕ちず、心身ともに穏やかであれば、

それは良い生き方だ。

社会に資する貢献は、素晴らしいし、目立つものだが、その対極で、

社会に損害を与えずに、渋く生き抜くこともまた素晴らしい。

たくさんの知恵はそのためにある。

地球上の99%の人々はそういう層にいる

 

歳を重ねると、世の中の潮の流れがよく見える。

潮の味も想像がつく。

同様に、自分の生き方に何が足りないのか、足りなかったのか、

それが非常によく見えてきて、心に痛い。

 

📌

いま有る物でなぜ足りない? 

 

心を惹かれること、触発されること、出会うこと、そして始めること、

それが生きる力だと思う。

 

巷には、隠れた師がいる、出会えれば幸運だ。

何事かに触発されれば、それだけで幸運である。

 

歳とると,自分の力のなさを痛切に感じるか,

すっかり鈍感になるか,どちらかでしょう

 

📌

ささやかなことでも、大きな事でもいい。

とにかく予定を作る。

その予定が自分にどんな意味を持つかなどと自問しないで、

ただ、その予定を進める。

それが気持ちの健康につながるとおもう。

だから、とにかく自分の予定を作りなさい

 

📌

君は、君自身が信じているほど善人ではない。

その事を認める潔さを持てば、

君はもっと自分に正直になり、君の言動に誤謬が少なくなるはずだ。

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