世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

雑々感

2017-07-14 | 迷想が誘う寸言もどき

 

📌

夢を生み出す脳力の、つじつまの合わないアルゴリズム

夢は、

人に潜在する不合理な願望の充足という役割を果たしているそうだ。

夢の中で暴力を振るったり、記憶にない人物に出会ったり、

思いもよらない性夢をみたりする。

人は、夢と目覚めの二通りで心理の均衡をどうにか保っている。

 

人は、心に自分だけの箱庭を持っている。

 

人が知る世はどれもこれも断片である

そして、それぞれの断片で終結する

 

路傍の石や木の葉,水の流れに感興を覚えるようになった、

性欲が薄れたという証左に違いない

 

落ちる夕日は心に沁みる。昇る朝日に清々しくなる

 

10日間部屋に閉じこもっていると,異世界に突入出来る

 

古代,王の愉悦感、優越感は自己暗示の強さ

 

美しいところを見つけようとして,美しくないところも見つけてしまう

 

いつもと違う言い方をしてみると,

何か新しい摂理でも発見したような新鮮さを感じることがある

 

傷口についたガーゼの剥がし方が違うだけ・・それだけの違いだ

 

詩は多様な声をイメージする

詩は恐れを予感する,人間の怖さを予言する

 

直感を第一次的に正しいとする賢さ

 

人間にも、赤潮(富栄養化)症状の人がいる。

 

ストイックでいる快適さは、精進料理の味わい。

 

世の中には、少々のクズと大勢のクズでない者がいる

少々のクズが世を悪く騒がす、誰がクズだか予め分からないことが

悩ましい。

 

やまびこの返ってこない山に向かって声を出してもつまらない

交遊にも当てはまる 何かしら情の残る人とそうでない人がある。

何がどうと具体的に述べるは難しいが、余情が漂うのだ。

また会いたいという気持ちに誘われるのである。

相手が異性の場合、余情は魅惑につながる。

交遊のエッセンスは余情にありである。

 

繁華街は用事済ませば,さっさと離れたい

そうでないと夢遊病者のようになってしまう

 

大概のことは受け入れたい

 

ダンディとは何か、と語らないのがダンディである。

なりふり構っていられない時に,なりふりかまってしまう意地。

 

好きに過ごせる事に浸れるか 心ゆくまで堪能するにも知恵がいる。

 

君は一体何を待っているのだ さあ、先に進みなさい。

 

自分が何をやってきたかを得意げに喋りたがる人が多い

これから何をしたいかを熱心に語るほうが良い

 

自分の都合に沿って、物事の行方を期待しても、

それは大方、期待とズレて、新たな葛藤の始まりとなる。

 

自意識ばかりが強いと、好奇心がひ弱になっていく。

 

現状維持に心を砕き,工夫を凝らす人

変化することを第一義と考える人

 

世の中は、いつもいつも問題だらけ。

 

興味の尽きない散歩道を得た者は、happy。

 

心の自立とは、孤独に耐えるネバリ強さ

 

湿った布団の中にもう一度潜りこむことはやめなさい。

 

政治家によくあることだけど、

得意技が場面転じれば、失敗を誘発している。

 

過ぎ去った事柄への悲嘆

 

どこに住まおうが、どんな家を構えようが、

要は、いかな精神と思考を感知出来るかではなかろうか。

 

路傍の野草に仮想の花を咲かせると、その野草が愛しくなる。

恋はそういうものかもしれない

 

化粧している時の女の表情を見たくない。

本音丸出しで、品がない。素っぴんがずっといい。

 

人は案外自分自身を誤解している。

振り返って、自分の人生の狭さに呻く、なんて頑なな、

なんて小さな拘りか。

もっと広い感性を、もっと広い思考を、

 

観戦する楽しさ、でも少しの寂しさがある。

何であれ、プレーヤーの快楽を味わいたい。

 

柔らかな風が肌に触れて通り抜けるとき、安らぎを感じる。

風は優しい時もある。

 

あなたは一体何を待っているのか?

中途半端じゃないか。自己開発だよ、おっちゃん。

 

悲しみを忘れられるはずがない。

悲しみを忘れないことが、生きることの力だ。

 

過去を味わうことで、心の襞が増えると思う。

 

TVを見なければ、軽薄を見ないですむ。

 

いつも身近にあってつい誘われてしまう、昨日も今日も怠惰の真ん中。

見えるところだけが、人の仕事ではない。

 

朝の光は限り無く優しい。弱った心が朝の光に救われる。

 

豪華さは要らない。洗練された選択がイイ。

 

人は生まれてすぐに悪を学習してしまう善である。

 

人の特質はしゃべることだ。

 

人だけが幻想を追う。混沌は、そこに始まる

 

幻想は、そう気付かれないところに価値がある。

人が追い続けてくれるからだ。

 

人間は人間に対して冷たい。政治の歴史がはっきり言っている。

強い立場にある時、人は他者に対して澄まし顔して、傲慢冷酷になる。

 

人間関係は、相手についての想像力の強弱で成り立っている。

 

新しい状況に置かれたとき,人は変わる。

反発か服従か、非日常な瞬間にこそ人の深奥の衝動が顔を見せる

 

彼は周りの人々を、いつでも自分の知力で料理できるものとして、

見ている。私は周りの人々にいつも驚きを感じながらみている。

 

自らはヤル気なく,論評を得意がる人は集団のウィルス

 

戦闘を有利にするには,敵の持つバランスの破壊が第一である

 

何かを忘れてきているという,ジワっとした強迫心理

 

ああ 独りだ な

 

人が祈っている姿に素朴な美しさを感じる

恐れを知っている人間の姿があるからだ

不安定が人を神妙にさせる

 

若え奴らは、勃起するんだからオレは男だと得意がってやがる、

人の発情は動物のそれよりずっと質が悪い。

 

人前でも気持ちよさそうに背伸びすることがあるでしょ,

SEXってそんなものよ

 

ある人に問われた、きみの地平線からミュージックが聞こえてくるか

 

どこかに何でもお見通しの人がいる、というのは安心なのです

それが神様なんだ

 

言葉は重いんだ,ほとんど無視されてしまっているけど

 

頭のなかの歯車が滑っている

 

相手の普段の生活感覚がモロ見えになる、それが結婚である。

良いことばかりに幻想を抱いていたものだと。

妥協はそこから始まる。相手もきっと同じ思いだろう。

 

与えるものがないと実感したとき,人は寂しくなる

 

貧しさも,豊かさも争いの原因になる

 

知識で生きないで感受性で生きてみたら、風景も物も深い世界を見せてくれる。

 

イイ光景を見たい。

 

深いところに悪魔がいて,話しかけようとしている

深いところに険しさを好む人がいて,何かがいて,何かがあって、

覗いてみないと不安な気持ちになるからやっかいだ。

 

何に戸惑うのか,どう感じたか,何を畏れたか

何を拠り所にしたか,楽天と悲観の繰り返し

 

眼前を開いてみれば,そこに広大無辺の世界が広がっている(足穂)

 

直線以外のあらゆる線や形は、自然界にすでに存在している。

人々のデザインは、自然界から得たそれらの記憶を組み合わせたものだ。

人の感性は、決して自然界の外に出ることがない。

 

「病は気から・・」というのも、

脳と身体の反応が連携していることを証明である。

心身一体ということは、科学である。

 
雑駁に言って、

人々の思考や行動は、受信型にんげん、発信型にんげんに分けられるように思う。

社会の奈辺にあっても、ひとの動きはそう見える。

それが一方に偏りすぎると個人にも集団にも軋轢になる。

 

なぜ、生きているんだろうと思ったことはないだろうか。

 

人は人をあまり信用しない。

だが、神説や迷信や風説を信じる。

自分からも現実からも遠いことを信じようとする。

曖昧なものを心ゆくまで信じる。というより身を委ねる。手軽であるから。

 

 


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