世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

朝の鏡

2022-01-18 | 蒙昧にたどり着く

 

📌

歳とって、自分の顔がこんなに緩んでひどい面になるなんて。

朝の鏡で老けた顔をしみじみ見ながら、思わず心で呟いてしまった。

「母さん、僕もすっかり歳とって80歳すぎたよ...、父さんより長生きしてるけどね。」

 

中学生になったばかりのころ、ふと思ったことがある。

自分の一生の終わりが近づいたときになって、その一生を振り返って、きっと後悔していたたまれなくなるのじゃないか、そうなったらとてもイヤだな、一度だけの生命だから。

とそんな思いが過ぎったことを、妙に覚えている。

 

さて、いよいよ80歳を超えて、

少年の頃の心配は、残念ながら見事に当たってしまっている。

人生の大半は、怠惰と踏み込みの足りない生き様ばかりだったと、

まさに僕は悔やんでいる。

大きなテーマを掲げて、ひたすら向かったという充実感がない、寂しい。

何かしら夢中になったことも沢山ある、仕事も面白かった。

だが、何れも達成感が薄い。

深くのめり込んで、自分なりに合点が入ったという思いがしない。

生き方に必要なのは、やはり自分に課した目標だろうと思う。

全てはそこが出発ラインである。

日だまりの心地良さばかり求めては、やがて空疎のしっぺ返しを受ける。

 

だからこそなお、

今からの時間は残り火であってはならないと思っているが、さて・・。

また年が明けた。

 

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はやり言葉としての断捨離

2022-01-10 | 蒙昧にたどり着く

📌

断捨離メガネで覗いてみれば・・・

 

裸の自分と裸の世間が見えてくる。

スッキリ主義に、脳をリセットできる

自分にとって大事なことがはっきりし始める

手順の設定、手際の良さが身につく

買い物上手になる

自分のスタイルが身につく

オンとオフの切り替えが得手になる

お金の使いようがうまくなる

総花的な物欲、贅沢欲が薄まる

 

世間の経済の無駄が見えてくる

社会に何が必要か見えてくる

緊急な対応は何か、戸惑うことがなくなる

いま何を優先すべきか、判断しやすくなる

どうすれば”実際力”になるのか、見えるようになる

未来を想起して、準備の仕方が見えてくる

簡素な原則がいかに重要か、見えてくる

基本や目的と現実のズレや歪みに気づきやすくなる

実際力を高めるシンプルな道筋が見えてくる

シンプルなことで世間が広く深く見えてくる

短絡や楽観主義と厳しい想定の違いが見えてくる

自分のことも世間のことも、

芯と飾りの違いが良く見えてくる。

 

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知識量の軽さ

2017-07-14 | 蒙昧にたどり着く

 

📌

人間の弱点は、知識に依存していることである。

私たちはいつも知識の支配下にある

 

大英自然博物館展を見て、ため息をついてしまった。

人間の時間軸はとてもとても短い。

地球が創出した多様な生命体や鉱物植物の不思議については、

傑出した博学者であっても

きっとその数パーセントを知り得ているだけだろう。

まして一般には、教育で得たわずかな知識にとどまっていて、

宇宙や地球事物の変化や仕組みを

その1%も知ってはいないのだろうとおもう。

どのジャンルの創造物であっても、

その生成に要した時間を、人間は数値化できるだけである。

自然の変化を捉えるには人間の時間感覚はまるで役に立たない。

人間が使う時間の長さは、余りにも微少な計測なのである。

一億年前、1万年前といったことを感覚できない。

人の脳はその能力を持っていない。

人間は考える能力を持っているが、

使う時間は人間同士でわかり合える時間感覚にすぎない。

 

生物や植物のそれぞれが持つ異様な形態、色、活動、存在すら、

何一つなぜそうなのか、やはり不思議でならない。

連綿とした遺伝子の強さ、環境を凌ぐ多様な変容は、

未来に何を創出し続けるのか。

鉱物の生成を遡ればそこには何があるのか。

あれもこれも素朴な質問に戻ってしまう。

地球の至る所で様々な化石が発見され、復元され、

仮想映像で蘇るそれらの多くが、

現在とあまりにも違って驚く。恐竜群などはいい例だ。

なぜ出現したのか、なぜ多様な姿態をしているのか、

なぜあれほど大きくなる必要があったのか。

化石から明らかにされている事柄は、

地球上に創出されたもののわずかな一部に過ぎないないだろう。

人々が懸命に探し続けても、

宇宙時間で現れ消滅していった事物は計り知れないのだから。

ましてや、微生物の世界など、

どれほどの連鎖や変容があるのか、理解は遠く及ばない。

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人は消える

2017-07-13 | 蒙昧にたどり着く

📌

無名の死

私たちは、記録された歴史として人間世界の過去を幾らか知っている。

だが、記録されていない過去はその何千倍もあるだろう。

侵略史には惨憺たるものがある。

害虫のごとくに駆逐されてしまった民族もある。

 

一人一人の絶叫も、大雑把な数字の束として、

数行の記述で歴史に残るだけである。

いつの時代も自分たちの軌跡の全てを知ることができない。

記録に記された主役たちが歴史上の人物として、

記憶されるだけである。

 

📌

自らの独善を宣って、人を殺して殺して、自分は天寿を全うする者もいる。

書店に並んだ歴史書にどう記述されようが、

どんな社会観を提示されようと、

どの歴史も殺戮のあとに塗り替えらている。

 

📌

時間のかなたで、無数の人々が生き、朽ちた経過を知る方法はない。

笑いも悲嘆も楽しさも、不安や苦悩を、

ましてや無残な惨劇に遭った無辜の人々の

悔しさも知ることがない。生きて、人は消えるのである。

勇気も恥辱も、善行も卑怯も、清新も汚濁も、賢察も

愚行も渦巻いていたはずだ。

ある時代の文明に属して、ある時間だけ存在する。

その短さも知ってはいる。

 

📌

密林で、海で、砂漠で、見知らぬ果てで、健やかだった生き物が、

まもなく老いて、消えていく。

何億年経っても消えた個体が蘇ることはない。

等しくたった1度きりの生命だ。

新たに別の個体が遺伝子を受け継ぐ。

生物としての使命は際限なく繰り返されて行く。

ここでも、見果てぬところでも。

 

📌

動物は敵を怖れているが、

死を怖れてもいないし、知ってもいないだろう。

人だけが死 を語る。

死は、自分で見届けられない唯一の自分自身である。

朽ちた自分の身体を自分で始末できない。

萎れたおチンコを見られても怒ることができない。

できるものなら、死んだ自分の体を自分で洗って、

土の中に始末して自分を終わりたい。

 

📌

誰であれ、自分の死に様を観察できない。

わずかな灰となってしまった自分を知ることがない。

自分という肉体が地球上から完全に抹消されることが、

理解出来ない。

まだ生きている人たちの記憶にしばらくの間、

物語として残るだけである。

他人の死は、伝記、物語として思いを巡らすにとどまる

そう、自分以外の死は、感傷や、観察の対象になる

 

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