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誰であれ、今日の自分は昨日より新しい。
歳が古れてもそれはなお変わらない。
「自分にとっての進化かな・・」こう思えることが案外いい。
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一日を楽しく過ごすのは案外難しい。
それを続けるとなるとさらに難しい。
一日を充実させる事も難しい、没頭し続けることはさらに難しい。
だが、怠慢であり続けることはとても易しい。
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一過性の業績と、形や記録として時を超えても触れられる業績とがある。
いま華やかな事は、そのほとんどが一過性である。
今日あるものは明日にはない。
時の流れの中で感動したりする、一過性である。
その感動を創り出す人も、感動を受ける人もそれでいいのだ。
それで時は過ぎる。それでいいのだ。
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幼児の振る舞いを見ていると、小宇宙だ。
その脳細胞が、にょきにょきと神経を伸ばし、きょろきょろと動いて、
別の神経と懸命につながろうとしている。なにかを探し続けている。
そう、繰り返し繰り返し、好奇心と記憶と移り気が入れ替わっている。
幼児の自己主張は、
「いやだ」と「○○ちゃんも(自分も)・・」の連発から始まる。
人も社会も自己主張は、すべからく拒否と利得で構成されている
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若い人たちの躍動は素晴らしい。
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動物は時を知らないだろう。ただただ今を生きる。
人は、時の経過を数字で自覚する。
10年ごとに見直せれば、人生の不足に気づくはずだ。
だが100年生きても、きっと知らないことばかりだ。
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自分の足りないところを知って焦るのが、凡なるゆえんか。
損得を気にしてしまう人生もある。
脱皮し続ける人生もある。
はっきりと目標を立てるか、背中を押してくれる誰かがあって、向上心は増幅する。
一本道のようでもあり、迷路の旅でもある。
たとえ幅広い活動の人生であっても、それはやはり消滅への一本道に変わりはない。
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80の日々は、おろおろ旅のよう。
病に揺すられ、感傷に揺すられ、悔悟に揺すられて、
それでも明日はまた何かに出会える、そんな思い、
なるほど生涯は短い、物足りない。
そう、来る日も来る日も、何か宿題を忘れているような、
もやっとした気分に追いかけられている。
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自分の感じるところを伝える言葉を探すのは難しい。
存在する言葉が、人の感情の機微を表し得るとは言えない。
巧みに言葉を絡めて心情の近似値を伝えるだけである。
詩がそれを救う。
詩は言葉の閉塞からなんとか脱出しようという試みである。
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人生って何だ、自問できても自答できない。
たった一回だけ、誰もが知っている冷酷な人生の理を、
熟年期も疾うに去った晩年のある日、沁沁と感じる。
悟りか未練か。悟りなんかあるものか。
深傷を逆撫でするような痛みばかり。そうでない人は達人である。
若さはそんなことに知らんぷりしてばかりだった。
自分の時間をどう使うか、
その大事さにやっぱり気がつかないものだ。
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地べたばかりを見てきたが、ちかごろよく空を見るようになった。
生きる時間が短くなってきたせいだ。
そして、誠に素朴な疑問ばかりを抱くようになっている。
宇宙って何だろう。
誰も答えてくれなくていい、
ほんとの事は誰にも分かってないんだから。
宇宙には一切の愛がない。