世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

自立する

2023-02-19 | 日本人の性分

📌

未開であろうがあるまいが どの社会にも原図として、

指標、指針というものが必須だ。

それは食料確保と安全確保という大前提である。

そうでないなら、その社会は無秩序に彷徨うばかりであろう。

 

社会の運営は、大前提を巡って発生する多くの課題に対応するものだ。

共同社会が求める原図の第一は食料確保である。

同時に生活の安全である。

 天変地異からの安全、害獣からの安全。

 共同体内の犯罪からの安全。

 他の共同社会の脅威からの安全。

 

独自の文化形成や科学知識の蓄積は、その過程で醸成されてくる。

 

為政者は、これらの必須条件を見据えた上で、

進む時代に対する先見性を持っていなければ、

強靭な柔軟な社会の未来を築くことができない。

 

会社の運営に例えれば、

単年度の収支決算の管理ばかりに気をとられているようでは、

その会社の未来に活力が産まれないのである。

 

国の安全を保つ上で、同盟や軍事力について議論は多い。

だが、それよりも声高に論じなければならないのは、

国の経営の前提となる、食料や資源や技術などの自立力である。

にもかかわらず、自給・自立力の政策論争が表立った議論として出てこない。

貿易で補ってるという長年の油断が、社会全体に漫然とある。

 

国際分業、国際協調という時流とはいえ、頻発する紛争、国家間の思惑、

異常気象などで、世界の調達状況は常に脅かされている。

今日の安定は明日の安定と安心できる状況ではない。

そうした事態をひとまず耐え抜くには、

一定の自給率、自立力を維持しておくことが国家の第一義である。

 

熱源や鉱物資源は言うに及ばず、食料さえ日本国の自給率はとても低い。

小学生でも知っている日本の事実である。

それを、ひたすら国際状況に大きく影響される貿易で補ってきている。

状況の変化で、もし供給側のイジワルに見舞われたでもしたら、もろい。

軍事力以前の混乱である。

 

貿易の方策にチエを使う片方では、

営々として国内自給率を高める長期の施策が必須である。

もっと政策の俎上に上げなければいけないはずだ。

 

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空気を読む

2023-02-19 | 日本人の性分

📌

 

日本人が周囲の空気を読んで行動しがちなパターンは,

農業を主としてきた集落で、穏便に暮らす知恵として育まれたものとおもう。

伝統的に協働型農業である環境から、

他者に迷惑をかけないという作法が 家庭の躾としても強く育まれたに違いない。

積極的な言動を控えるという傾向も,コミュニティに諍の要素を誘発しないためである。

かつての階級社会の底流にも、そうした共同体気質がずっとあったに違いない。

 

こうした協働コミュニティーの有り様は、

狩猟民社会や他民族と競合する地域の人々が示す警戒心や自己主張などと

社会に向かう態度の大きな違いを生んでいる。

何かと言えば暴動に発展し易い他の社会と違ってることも、その証であろう。

一方で、忖度に長けた言動を私たちの社会は示しがちである。

白黒の決着を暗に蔑ろにしがちである。忖度は我々の日常に溢れている。

その曖昧さが事の進展を遅くしてしまう欠点がついて回る。

 

 

 

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出遅れた打者

2022-06-17 | 日本人の性分

 

📌

出遅れた打者

 

ここ数年のニュースを見ていくと、日本の様々な出遅れに関する記事が多い。

 

先進国や他国と比べると、今の日本の出遅れ現象はつまるところ人材不足に尽きる。

人材の育成を軽視し、広範な工業力や技術力について慢心があった。

その育成に時間が必要なことを失念してきた。

次の時代進化に向けた先見的人材育成に目を向けてこなかった。

 

日本社会の全体が、40年も昔のジャパン アズ ナンバーワンの成功体験に座して、

世界の急速な進化を傍観していたと思えてならない。

以来、今やまるで空振り打者である。

いつでも3割を打てるよと慢心しているが、すでに活力のない打者に似てる。

 

人材育成への投資をしていない結果、世界の進化に対応する俊敏な反応ができない。

ITシステムの例をとっても、叫ばれているのは駆使できる人材の圧倒的不足である。

といって、外国からの優秀な人材で補うことに消極的な社会なのである。

 

もともと、動きがゆっくりとした村社会的な国であるから、一旦座り込んだ姿勢は

なかなか立ち上がらない。その間に周りの国々は忙しく立ち回っていた。

事態の把握と実態の改善の間に、とても大きなタイムラグが横たわっている。

速やかに対応できにくい社会になってしまった。

 

日本はすっかり人材や研究インフラに予算を使わなくなっていないか。

何が21世紀の社会のインフラなのか、見えなくなっていないか。

国力に対する先見性が希薄になっている。

実質長く政権を独走している自民党政権の大きな不作為ではないだろうか。

ましてや野党も・・。

 

日本社会も日本人も外の目を気にするくせに、世界の動きを覚ることが苦手なのである。

個々には優秀な研究者や技術開発者がいても、優秀な職人技があっても、

それらを新しいシステムづくりに増幅したり、着想する人材や組織が希薄である。

新技術について統合的に目利きできて、新展開を促す機関もないようだ。

 

平たく言って、優秀なディレクターは多くいるが、

大きな構想を持ったプロデューサーの出現がない社会である。

優秀な技術はあっても、それを多面的に結びつける力が弱い。

そんな弱点が日本社会にある。

勝手に言えば、アメリカのダイナミズムは、まさにプロデューサー力と思う。

 

 

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そう言いたがる人がいるけど・・

2022-01-10 | 日本人の性分

📌

そう言いたがる人たちがいるけど、日本人は決して単一民族でないだろう。

だが、島国であって農耕型の社会体制が連綿と続いてきた歴史から、

同質的な傾向が非常に強いことは確かである

 

すべからく、善意から出発し温情で包む、

これが日本の交渉の底流にある、いわばお家芸。

合理的、論理的な展開を後回しにする手法である。

 

日本の外ではこの善意手法が、対峙する相手には好餌と映るだけで、

その返礼的な成果は全く期待できないと知るべきである。

そうした情緒的な折衝の風土がないからだ。

情けはひとの為ならず・・に共感は得られない。

交渉は、利点と欠点を俎上に上げる抜け目のない戦いである。

国際政治は、自己を正当化する戦略的欺瞞だらけである。

その欺瞞に説得力と演出をもたせた側が、ひとまず有利になる。

 

📌

世に善があるにせよ、歴然たる限界がある。

最大多数の最大幸福には、少数に対する不条理がくっついて離れない。

多層社会の運営の限界である。

したがって、

”良い社会”の片隅では、必然として不幸な弱者の反発のバネが矯められていく。

 

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日本人の習性

2017-07-13 | 日本人の性分

 

📌

味噌味には日本人の安心が宿っている

 日本人はプリンシプルを声高に表さない事に熟れている。

フェアーかアンフェア-かということも、敏感には叫ばれない。

フェアでなくても容認してしまうところがある。

ディベートの土壌もない。

先送り、横並び、臭いものに蓋、変える面倒を疎む。

 何百年もの間、この物差しが私たちの社会の底を流れ続けている。

村落的な傍観または諦観であろうか。突き詰めることの回避である。

暗黙の受容であろうか。

 

📌

社会的モラルの成熟には、相当の時間がかかる。

金で買えるものではない。

教育で直ぐに手に入るものでもない。

優れたワザを躯に覚えさせるのに時間がかかるように、

とても時間がかかる。

良い教科書を読んだだけではワザにならない。

 
📌

わが国は古来より

異国の文化のエッセンスを活用することに長けている。

そのエッセンスに独自の改良を加えて、

個性的な花や実を育てる。

接ぎ木が非常に上手い。

工夫は終わりを知らず繰り返されて、独自性に昇華する。

 

📌

質にこだわることが我が国の伝統、珍しい事柄にも素直な関心を抱く

日本で最も品質にうるさいのは、使う人、購入者である。

その背景があるので工芸家や技術者が育つ。

どちらが先でも後でもない。

その循環が続く限り、質の追求は消滅しない。

 

📌

日本社会の「社会的責任」における決定的な曲がり角、

昭和天皇が敗戦直後に退位しなかったことは悪例の極み

 

論理的に突き詰めない曖昧さが、調和だと信じられている節がある。

決着に情緒的な要素が入り、それを許容してう”空気”が社会全体にある。

社会責任の所在を曖昧にし、特定されない。

つまるところ、

討論による課題の精査が徹底されないまま、論戦が終了してしまう。

 

前言を取り消せば、その変質の背景や矛盾を追及されない。

論理的な弁明でなくとも、言い逃れが通る社会である。

曖昧が許されない状況に至れば、

次に使われる常套手段は”先送り”である

 

国際交流が日常茶飯事であっても、インターネット時代であっても、

日本人のそれはまるで変容しない。

歴史観も憲法解釈もこの2大暗黙知に支配されている。

これからもきっと変わりは無いだろう。

社会的な制裁が求められる場合さえこの暗黙知が蠢く、

私達の社会はその受容体である。

 

📌

諸外国の社会運営と何が違うか。

何が日本的か。ここに尽きる。

世界では、論理的明快さこそ正義の剣なのであるから、

物事の解釈や解消策が論理な認識や結論からズレると、

説得力に欠けた見解になる。

 

📌

思念と依り代

日本の文化の真髄は、思念や美を、有形の物に写し込む感性にある。

何かを依り代に見立てて感性の表現態とすることに優れている

哀れも寂も侘びも、死生も調和も、物を透して感じ入る。

論理的な組み立てを目指さない。ひたすらに凝縮する巧さである。

 

 📌

開国以来、東洋に位置する日本がその独自性を異国に認識されるには、

100年近い時間がかかっている。

西洋人が、ヨーロッパ以外に文化はないと自惚れを持っていたからだ。

 明治・大正は日本の知識人が西洋文化との差異にギタギタにされ、

違和感に翻弄されながら、

返球としての日本論や自己証明に躍起になっていた時代である。

 

📌

日本人は、接ぎ木の達人である。

敷衍すれば、異なった文化の養分を採る技にも長けている。

極めるという生来の気質もあって、

異文化を日本風に変容させ、独自の文化の質量に加えてしまう。

 

ではあるが、異質の人々を受け入れることは苦手である。

なぜだろう。島国で農耕を中心とした村社会の長い風習が、

異国人に対する違和感を優先させてしまっている。

今日の世界化の時代であっても、

日本人の異国人の受け止め方は変わっていない。

物の見方や論議の仕方や日本に馴染んだ異国人にしか、

親近感を持てないのである。

 

 

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極める

2017-07-13 | 日本人の性分

📌

私たちの社会では、 "職人技" というものに広く信頼が寄せられている。

有名無名を問わずに、

工芸における技の巧みさや仕事の丁寧さに対して、

いわば民族的な認識になっていると言えるほど

敬意が払われて来ている。

そうした物作りの姿勢は、工芸的な分野に留まらず、

我が国の産業製品や科学技術の領域に至るまで、

現代社会が求めるあらゆる物作りの場面に染み込んでいる。

 

一途に技を磨き、手抜きを嫌い、頑なな拘りがあって

妥協しない職業人である。

反面、融通が利かない、頑迷と思われることもあるが、

その巧みな技には一目も二目も置かれている。

職人技は良くも悪くもビジネスライクではないのである。

規格に合格しているだけでは、満足しないのである。

 

起業家、商売人、勤め人などと言った分野分けとは、

違った概念で敬意を払われている。

こうした社会の目が昔から広く根強くあって、

それがまた職人を育む伝統の好循環になっていることは疑いない。

良品や技の確かさや精密さを見抜く力が、

現在の科学の広い分野にも根底に脈打っているのではないかと思う。

一方で弱点とされるのが、

その個々の技術を駆使して、多元的な発展を考案したり、

或いは総合的に運用する発想力である。

どこか宝の持ち腐れな一面がある。

個々の技術開発やアイディア創出には極めて優れているが、

それをマルチに組み合わせて展開するノウハウと人材がいない。

それが日本の弱点であるようだ。

そうした人材の輩出を得意とするのが、アメリカの産業文化である。

 

 📌

道(どう)

日本人は、「極める」という言葉が好きである。

時としてそれは「道」にたどりつく。

剣道、柔道、弓道、合気道・・、

茶道、花道、香道、芸道・・、まだまだある。

ある人たちはラーメンでもコーヒーでも極めたがる。

たくさんのラーメン屋が、求道者のように極め付けの味を追っているものか。

その店を追っかけ続けるラーメン喰いの求道者も後を絶たない。

 

極めることの行く先が「道」となって概念化するのである。

一芸は、突き詰めると哲学になるようだ。

こうした認識の流れを日本社会で育った人は、素直に受け入れていく。

微妙に面白い日本人の癖だ。

 

カルロス ゴーン

[日本人は継続的改善の天才だ。・・・]

 

📌

伝統的な工芸の多様なさまは日本の真髄である。

携わる技術者たちの存在も多様である。

祭りの多様性も日本の特徴である。

祭りにはそれがそうなった由来があって、共同体の幻想を具現する。

どの伝統にも長い時間が積み重なっている。

 

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作法

2017-07-13 | 日本人の性分

📌

作法とは、

箸をきれいに使うこと。

口から出す音は言葉だけ。

痰や唾を道に吐かない。

声を張り上げない。

一方的に話さない。

良く聞くけど、聞き出さない。

時間に遅れない。

駆け込まない。

列に並ぶ。 

目の高さの遠くを見て歩くこと。 これだけで十分だ。

 

📌

競技場での光景

日本のスポーツ界で広く浸透している作法に、

競技の場に入るとき、あるいはその場を去るとき、

軽くお辞儀をする振る舞いがある。

この光景を日本以外の人が行うのを見ることはない。

競技直前に祈りの仕草をする外国人競技者がいる。

日本人競技者の場合、その振る舞いは祈りではなく作法としてある。

それは勝敗に関わらず、

自分がその機会を得た事への感謝や観客とかスタッフへの礼を

込めているのだと思われる。

私たちの社会で習慣化していて、

観客も公共の場の作法として違和感なく受け止めている。

 

こうした作法は、学校生活やサービス業でも珍しくない。

職員教育の行き届いたレストランや売り場でも、

その出入りに際して軽く黙礼しているし、

車掌が検札に廻るときなどもそうである。

客側が目に留める留めないに関わらず、職員の心得としているのである。

外国人にはきっと不必要な振る舞いと映っているだろう。

確かにそう見える。

だが、気付かれもしないその地味な行為は、

周囲に対する謙虚さの表現なのである。

 

📌

間合い

「すみません・・」という言葉を日本人ほど多用する国があるだろうか。

反対に「ありがとう・・」と発する頻度が非常に少ない社会と思う。

礼を言うのが相応しい場面でさえ、

迷惑をかけたような意を含んだ姿勢で「すみません・・」と

反射的な反応になっている。

この事は日本人の他人に対する姿勢をよく表している。

もめ事を避けたい一心で、低姿勢をポーズする社会である事も判る。

それはまた、謝られることに重きを置く社会に繋がっている。

非を咎められた者が、どういう態度で謝るかによって、

社会の反応がまるで違ってくるのである。

だから狡い人はすぐ謝る。謝ってから弁解に走る。

一方で、その言葉が事の決着や結論を述べていないことも、

双方の暗黙知となっている。そういう風土を持った社会なのだ。 

 

この作法を、日本以外の社会や人に対して使ってはならない。

自分が一歩下がって・・という発想が、他国の作法にない。

異国の人は「ありがとう・・」を多用する。

およその場面でも、迷惑をかけている・・と印象を表すことは、

滅多にない。

謙虚さや善意の表明が、同じ値で相手に通じると信じ込むのは、

日本人の独りよがりであって、

むしろ折衝の手順を壊しているのである。

あくまでも一貫した主張でクールに臨むことが、発言の明快さである。

彼らは法廷で双方が主張し合うのと同じように、

自己の不利益を減らすために弁舌を駆使し、

あくまでも陳謝を回避するのである。

 

 

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