世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

地球の隅々

2017-07-14 | 人との間合い

📌

地球上で、人は同じ営みをしているように見える。

ではあるが、人は風土に育てられている。

何世代も連綿と集積された固有の自然観、

学習環境、習慣、道徳、価値観で

しっかりと全身を包んでいる。

否、閉じ込められているのかもしれない。

 

📌

何を目安に分けたのか、世界には国と呼ぶ200近い区分けがある。

それぞれの社会風土の違いは、他への不理解と不寛容を生んでしまう。

領土や人種や宗教の争いは、根深い紛争となって容易には終息しない。

地球の隅々まで苦もなく往来ができて、

自由な通信が世界中を駆け巡ってる今日でも、

異文化の柔軟な受け入れや理解は容易なことではない。

 

📌

グローバリズムは、経済勢力の進軍を許容することに過ぎない。

場を見つけてはまた進む。

人類が営々と積み重ねてきた個々の文化を、一方で惜しみながらも、

見事に無視し消し去ってしまうことを厭わない作業が、

グローバル化である。

嘗て、宗教が至るところに聖職者を先陣として送り出し、

続いて軍隊と商隊を投入した。

武力に劣る個々の民族文化は跡形も無く消えて行った。

かつての布教はグローバル化の先駆である。

 

📌

ずっと以前の人々

ずっとずっとずっとむかし、

考えることを深めはじめた人間たちは、何を拠りどころに

生きる価値を見出せばいいのか、おおいに迷ったことだろう

見渡せば、食べることや、命の不安に脅かされてばかり

意思をどこに向ければ、安心を手に入れられるのか、

おおいなる知恵と工夫を迫られただろう

 

古代人の生き方が現代のそれと違う点は、

道具が少ないこと、迷信が多いこと、それだけではないだろうか。

文明が進んでいても、現代人の人間性が高いとは言えない。

5000年前、10000年前に生を得た人々より、

私たちが繊細な感性を持っているわけではない。

考えが深いわけでもなく、表現がうまいわけでもなく、

愛が強いわけでもなかろう。

人間世界とは何か、

彼らよりも深く解き明かしたとも言えない。

幾千年の時を経て,

人の精神は広がっているのか,狭まっているのか。

私たちは、発明や発見、科学的な解明、

思索の積み重ねによって実現している環境にいるだけである。

現代は、

彼らをはるかに超えて策謀と残虐さにも磨きをかけていることだけは、

間違いない。


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