世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

広言ばかり

2023-02-19 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

世に嘘つきが多い。

事実でないことが,歪んだ事が平然と広言される。

もっと良くないのは、綺麗な言葉で主張する人だ。

人々は綺麗な言葉にどこかで酔いたい。だが,

それは現実の困難を飛び越えた,ただの遠吠えになっていく。

対案や具体策がなければ,半分だけの行いである。

その声高は力を産まない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先ず大掴みに

2023-02-19 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

知識は武器である。隠し持っていよう。

だが知識は、知恵ではない。

 

状況の変化でその知見が錆びつかないよう、

現実の表と裏をすり合わせて考えること、

それが砥石となる。

 

📌

挑まざるを得ない大波が来れば、因習を超えたエネルギーを発揮できるが、

小波になると旧態然とした物事の運びが再び顔を出して、対処を遅滞させる。

変化を嫌がる因子が沸々と発酵を始めるのである。

日本の保守社会に潜む酵素のようなものだ。

 

いちばん身近で究極の幻想が宗教であろうと思う。

レトリックが達者になると、宗教者になれる。

宗教はレトリックの総本山である。

達者なレトリックと詐欺師の違いは紙一重である。

 

どの宗教もその黎明期と異なり、学派や分派が派生すると、

伝える言葉も儀式も過度に装飾されていく。

宗教者は言うだろう、世界中が我が宗教に帰順すればいいと。

自分たちの信仰の価値観こそ、人や社会の生きる道だと。

他者排除が原則化する。世界史がそう伝えている。

より先鋭化して、分裂をつづける。

 

宗教の有り様は、IT世紀にあっても、なお紛争の背景になリ続けている。

宗教それぞれは、単に勢力拡張の野望に過ぎないのではないか。

そうして、また、世界中に諍いを深めていく。

 

📌

寝込むと、視野が限られる。

病体を横たえている人に見えるのは、病室の壁だけである。

若しくは、天井だけである。

比例して、その病人の思考とか感情は、極めて狭められている。

人には視野範囲が、思考に大きく影響を与える。

場面に次の展開とか光景がなければ、心理や思考の次も出てこない。

ただ圧迫されて、感情も思考も狭小に偏っていく。

 

📌

物事の推移を大づかみにするときに、

私はサシミ(3,,)の法則を使うことにしてる。

 肯定、好意、味方などの支持側が≒30%、

 どっちつかず、無関心層が≒40%、

 否定、嫌悪、対立などの不支持側が≒30%、という仮定である。

社会的な事柄も個人に関わることも、この法則を当てはめると俯瞰しやすい。

何事も、中ほどに横たわる無関心層の動きで、大きく変容するのだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつも比べる

2023-02-19 | 迷想が誘う寸言もどき

 

📌

人の判断は、およそ“比べる"という事から出発する。

物であれ、人であれ、考え方であれ、そこから先ず直感的な選択をする。

それが偏見であったり、理に適ったり、社会的な公正に反する場合もある。

物事の長短や特長の判定に“比較”は便利過ぎるのである。

そして、人はその比べるということから逃れられない。

比べてこそ、次の展開や発見を期待している。

必然として、区別、分類、差別の源泉になっていく。

 

ところで、それが人間社会に持ち込まれると、

様々な不公正を生み出し、深刻な諍いになる。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

排出・・

2023-02-19 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

人は食べ物について語り過ぎる。美味しいことに溺れ過ぎている。

 

嗜好に偏っていないか、内臓を苛めていないか、副交感神経をリラックスさせて、

充分な体調回復を促せているか、そちらにもっと意識をおいた方がいい。

そして食べ物の残滓はさっさと排出しよう。

 

内臓を虐めすぎると、老化が早い。60代になるとその個人差が顕著になる。

とにかく若い時は身体に無理がきく。それがいけない。

 

取り込むことより、それを出すこと使う事にもっと注力した方がイイ。

 

筋力は蓄えるだけでなく、力として出すこと。使ってこその筋肉である。

 

知識は溜め込んでも役に立たない。

組み合わせたり、応用してアイディアを実現してこそ、知力である。

 

知識も筋力もお金も使ってこそ新たな価値を産む。

 

汗を出すこと然り、排泄然り、知恵だし然り、力出し、好奇心、意欲、

もろもろ出せである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハマるがイイ…

2022-08-21 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

何かを新しく始めていかないと、

年寄りをやっていられない。

萎みを堪えるにも、下り坂を歩くにも

力は要る。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良いこと

2022-03-27 | 迷想が誘う寸言もどき

 

📌

人は良いことを考えるし、良いことをする。

優しいし、他人の立場を理解するし、尊重する。

だれも親切であるし、周りに配慮するし、協力し合う。

と、夢のようなことを、少年時代は心底信じていた。

 

ところが成長するにつれ、

そのどれもが、実はそうではないと気づかされる。

少年が信じていた、人の心と振る舞いの像が定まらなくなり始める。

何事か異変を感じた時、人の反応にとてもばらつきがあることを知る。

少年はそれをどう受け止めていいのか判らない。

そのころから長く、少年のものの見方が彷徨い始める。

 

なぜ、あんなひどいことを人は出来るのか、

どんな心の動きであんな恐ろしいことが出来るのか。

人の振る舞いの源を想像できなくなっていく。

 

考え始める。

良いこととはなにか、悪いこととはなにか、

何故良いことなのか、なぜ悪いことなのか。

そんな素朴で、誰にも等しくあると信じていた事柄の内側には、

実は他者から見えにくい野望や攻撃性が潜んでいる。

それが時の事情に応じて、ぬっと現れるものだということを、

知りたくないけど知るようになっていく。

 

それらの事情や潜んでいる欲望を、

他者が透視することなど出来るわけがない。

であるから、良いことは必ずしも良いことではなく、

悪いことも実は悪いことではないかもしれないと思い始める。

 

ものの見方や捉え方は、全く状況に相対的なもので、

絶対的基準というものが、人の考えのなかには、

ほんのわずかしか存在しないことがはっきりしてくる。

 

昨日も今日も、さまざまな社会的な事象は、どれをとっても、

人を破壊しないという価値の順位は、後方においていかれる。

そう意図してないにしても、現実は具体的な実利が最優先される。

人間から人間を守るために、人間集団から人間集団を守るために

様々に戦略というものが編み出されている。

 

かつての少年は、

重層的な社会の現実の課題や状況をとても解きほぐせない、

人間の営みに正解などあるのだろうか。

たくさんの正義と正解が・・・、だから人は”悪いこと”をする。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渦中にあるだけでは・・

2022-01-18 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

さて、どうなんだろう・・

取り巻く事象の中で、熱心なプレイヤーであろうと、

熱心な観戦者であろうと、瞬時でいいから、

さて、これはどうなんどろう? 

これはどうなってるんだろう? 

という鳥瞰が必要であると思う。

渦中にあるだけでは、方向も目的も見失ってしまう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会の制度に、正解など出ない。

2021-08-18 | 迷想が誘う寸言もどき

 

📌

社会の制度に、正解など出ない。

物理が出す解のようには、決してならない。

制度が変異し続けても、社会の欲望も変異する。

横の層、縦の層、斜めの層のどこを覗いても、

不利益や侵犯や不合理が滲み出てくる。制度は疲弊する。

どんな制度にもどんな組織にも、非人間的な機能が潜在している。

理念が制度の負の属性を消し去ることは至難である。

より合理性のある次善を選択をするだけ。

保護、補強、補充策が政治の知恵としてあるだけだろう。

 

📌

宇宙の無限の広大さを、人智は認識出来ないと思う。

地球は、無限の砂漠にあるたったひとつの砂粒のようなものだ。きっとそうだ。

夜空に映える満天の星たちもまた、

砂つぶ地球と隣り合わせている成分違いの砂粒たちである。

 

宇宙では、中ほどとか端っこととか、位置づけが意味を成さないと思う。

地球に人類が存在してるからといって、中心置にあるわけではない。

ただ、我が砂粒からでも、宇宙の宏大を観測できると思いたいのである。

 

人は、そこらに転がっている石ころよりも、ずっと存在できる時が短い。

 

📌

公式な情報の大嘘に惑わされ、

Twitterの小さな情報に真実を知らされる、

そんな時代になっていくのだろうか。

大きな組織が情報を弄んで、社会を混乱させていないか。

世界はドローンとフェイクニュースに悩まされるだろう。

 

📌

大規模の組織より小規模の叡智が勝ることが珍しくなくなる。

組織は、ユニークな人材を育てない。

新しい方向を持った人材を活用する能力がない。

むしろ排除することで成り立っている。

異才な人が組織に入ると、潰される。

 

📌

日本社会に、采配という言葉はあっても、ガバナンスという言葉はいまだない。

仮にあったとしても、しがらみが論理性より優先されている。

 

村の外から自分の村を見つめる機会を持ったほうがいい。

挙げ句、やっぱり自分の村がイイとだけしか思わないようでは、

やっぱり村の一部しか見ていない。

もっといい村にしたいと思うなら、多様な価値観を知ったほうがいい。

多様性は未来を拓く。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優越者は、

2020-10-12 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

優越者は、傷つく側の立場になって想像することが一番苦手である。

 

一部の人たちは、社会をすり抜けるための道具として、

法律を巧みに使っている。

 

他者を傷つけぬ限り、人は思いのまま生きるべし。

だが、気づかぬうちに他者を傷つけているものだ。

いつも自己点検が求められている。

 

📌

日本は、どうみても先進国の一つである。

この社会にどっぷり浸かって、生涯を過ごしてきて思うに、

何ごとであれ、歩調を合わせることを良とする社会であることを重ねて知る。

変革の認識があっても、変化のエネルギーはなかなか発揮されない。

自ら発信、発動しないことに積極的である。

異端や異見に過ぎないと思いこむのだろう。

殊に組織のリーダーに顕著である。

先手、専攻のリスクを案ずるばかりだ。

論戦が嫌いである、下手である。

根っこはやはり、村社会の合議待ちなのである。

その傾向は底深い。

先進する気概がむしろ希薄なのであろう。

外圧を受けた時にしか動き出さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思考もロボット化

2020-02-09 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

人それぞれの価値観を一つにしてしまおうというのは、

思考のロボット化である。

そのメリットは管理者、支配者だけにある。多様化の拒絶である。

社会のそれぞれの価値観を画一にしてしまいたいという欲求が、

社会の底流にある。

 

📌

人間の争いは、動物と比べてものすごく質が悪い。

人は棲み分けを容易に受け入れないからだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の自分は・・

2020-02-09 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

誰であれ、今日の自分は昨日より新しい。

歳が古れてもそれはなお変わらない。

「自分にとっての進化かな・・」こう思えることが案外いい。

 

📌

一日を楽しく過ごすのは案外難しい。

それを続けるとなるとさらに難しい。

一日を充実させる事も難しい、没頭し続けることはさらに難しい。

だが、怠慢であり続けることはとても易しい。

 

📌

一過性の業績と、形や記録として時を超えても触れられる業績とがある。

いま華やかな事は、そのほとんどが一過性である。

今日あるものは明日にはない。

時の流れの中で感動したりする、一過性である。

その感動を創り出す人も、感動を受ける人もそれでいいのだ。

それで時は過ぎる。それでいいのだ。

 

📌

幼児の振る舞いを見ていると、小宇宙だ。

その脳細胞が、にょきにょきと神経を伸ばし、きょろきょろと動いて、

別の神経と懸命につながろうとしている。なにかを探し続けている。

そう、繰り返し繰り返し、好奇心と記憶と移り気が入れ替わっている。

 幼児の自己主張は、

「いやだ」と「○○ちゃんも(自分も)・・」の連発から始まる。

人も社会も自己主張は、すべからく拒否と利得で構成されている

 

📌

若い人たちの躍動は素晴らしい。

 

📌

動物は時を知らないだろう。ただただ今を生きる。

人は、時の経過を数字で自覚する。

10年ごとに見直せれば、人生の不足に気づくはずだ。

だが100年生きても、きっと知らないことばかりだ。

 

📌

自分の足りないところを知って焦るのが、凡なるゆえんか。

損得を気にしてしまう人生もある。

脱皮し続ける人生もある。

はっきりと目標を立てるか、背中を押してくれる誰かがあって、向上心は増幅する。

一本道のようでもあり、迷路の旅でもある。

たとえ幅広い活動の人生であっても、それはやはり消滅への一本道に変わりはない。

 

📌

80の日々は、おろおろ旅のよう。

病に揺すられ、感傷に揺すられ、悔悟に揺すられて、

それでも明日はまた何かに出会える、そんな思い、

なるほど生涯は短い、物足りない。

そう、来る日も来る日も、何か宿題を忘れているような、

もやっとした気分に追いかけられている。

 

📌

自分の感じるところを伝える言葉を探すのは難しい。

 存在する言葉が、人の感情の機微を表し得るとは言えない。

 巧みに言葉を絡めて心情の近似値を伝えるだけである。

 詩がそれを救う。

詩は言葉の閉塞からなんとか脱出しようという試みである。

 

📌

 人生って何だ、自問できても自答できない。

たった一回だけ、誰もが知っている冷酷な人生の理を、

熟年期も疾うに去った晩年のある日、沁沁と感じる。

悟りか未練か。悟りなんかあるものか。

深傷を逆撫でするような痛みばかり。そうでない人は達人である。

若さはそんなことに知らんぷりしてばかりだった。

自分の時間をどう使うか、

その大事さにやっぱり気がつかないものだ。

 

📌

地べたばかりを見てきたが、ちかごろよく空を見るようになった。

生きる時間が短くなってきたせいだ。

そして、誠に素朴な疑問ばかりを抱くようになっている。

宇宙って何だろう。

誰も答えてくれなくていい、

ほんとの事は誰にも分かってないんだから。

 

宇宙には一切の愛がない。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凡愚の眼

2018-10-05 | 迷想が誘う寸言もどき

 

📌

だれしもが、気にもせず無駄遣いしているのは、時間である。

 

生きていることを堪能するには、縦横な好奇心がもっと要るだろう。

老いに合わせて、気持ちを萎めてしまう手もあるけどね。

 

📌

 粗野な、素質の良くない人間が大金を手に入れると、

必ずおぞましい騒動を起こす。

 

📌

感傷的な思考が尊重されすぎて、ドライな合理性が見えてこない。

 TV番組の制作に携わった者たちは、気づかぬまま、

物の見方が浅くなっている。

パーフォーマンスを核に置いた発想しかないからだろう。

 

📌

事実を後で知ってゾッとするが、渦中にあるとき、

誰もがあんがい鈍感にあるいは平然とやり過ごしている。

 

📌

他人に敬意を払うことは損であると、中国人は考えてるらしい。

徳などなんの価値も生み出さないと思っている。

古代中国の文化は彼らには無関係だ。

社会にも個人の成熟にも役立っていない。

古代に文化があって、間がすっぽり抜けて、今世紀が出現している。

我流の治世もここまでくれば彼らの看板だ。

世界の評判がどうであろうと。

 

📌

社会の色合いは、終始灰色である。

白くなるのか、黒くなるのか、いつも不明である。

粗野で、無作法で、粗暴な人間がどの社会にも尽きずにいる。

 悪質な意図を持つ人間がどの社会にも尽きずにいる。

 その比率が少ないほど、その社会は成熟しているのだろう。

 そうした人間が生まれにくい環境を作れるのか、それが社会のレベルだろう。

 

📌

縄文時代の造形と文様、あのデザイン力に勝るものは滅多にない。

原初の息吹きに敵わない。

 かの時代に、とても人間味のある人たちが多くいたと思う。

 現代の人たちが彼らより優れていることがあるだろうか?

 もっとも進まないのは人の心の姿であろうと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きな風が森の木々を翻弄する

2017-11-18 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

大きな風が森の木々を翻弄する

枝葉はちぎれんばかりに揺さぶられている

穿ってみる、あれもこれも・・

 

理念の牽引力は、庶民の不満の総量に耐えられるだろうか

 

世界は憎しみの方向だけに動いているようだ

 

前世紀と比べて、世界の憎しみは、ずっと複雑に増幅している。

 

忖度と空気の関係は、市民のオウンゴール

 

最強の教育者は、もちろん親である。

日常のなんでもない習慣こそ、情操教育のみなもとである。

 

丁寧な掃除の仕方、それはもう文化だ。

 

著名であるからと言って、誰もがバランスがとれているわけではない。

 

「ミスを少なく・・」が、世の常道

 

楽しみを発想することも、新しい楽しみである

 

反問してみると、何かに辿りつける

きみはほんとに美しい‥きみはほんとに美しいか

  

”連帯”を掲げる落とし穴

 

年齢がぐっと進むと、顔の構えに何かしら弱々しさが顕れる。

眼から力が失せていく。

 

個人も組織も、彼らが持つ得意技で失敗する。

なぜなら、いつも有効に作用すると信じて疑うことをしないからだ。

 

長い歴史を持つ国や民族であっても、

いま、どんな社会に辿り着いているかこそが問われる

 

📌

はしゃいでも1時間、はしゃがなくても1時間、

どちらもそれなりにイイ時間だ。

味わいはそれぞれにある。

 

次に出くわす場面を幾つ想定できるかどうか、それは知恵に比例する。

 生きるということはどういうことかと、思索を深めた人たちに敬意を払う。

しかし、崇めることとは別だ。神とはしない。

寺や神社で私は拝まない。虚しさが襲うから。

ひたすら建物と風景を楽しむ。携わった職人たちの技巧に感嘆する。

 

何事も日常化してしまうと飽きる、変化することへの誘いに容易く惑う

自己満足できる成果もなく、心の乱れも中庸で、明日は何をしようかと思ったりする。

 

📌

歳とって聞く童謡に、別な味わいがある。

老いた心の奥に未だ残る清らかさに突き刺さる。

 

空いっぱいの、真っ赤な夕焼けほど、

胸いっぱいになる刹那的な感動はない。

心は雲の襞に溶け込むばかりだ。

 

 📌

たった一度の生命を、どう生きようか、どう生きようかと、

ウロウロしながら、無為に過ぎて、

一生が終わってしまうのではないかと思う。

どんなにジタバタしても、あぁどうしょうもない。

 

逆算的な思索で何かを取り戻そうと・・足掻いたりする

 

こういう人がいた。ああいう人がいた。今はもういない。

それぞれの物語と一緒に消えてしまった。

世に、悲しみも寂しさもない消え方などあろうはずもなく、

人々の紡ぐ世界は、何千年もその雑多な生き死にを繰り返して成り立っている。

わかっているけど個の消失に抗いようがない。

 

現役を離れ、歳とるほどに、自分の拘りからふっと自由になっていく

良いことか否かはわからぬ、ただ心に軽みをおぼえる。

 

古希に至り、これからがいいいよ修行の時間だよ 

 

📌

今は、政治が電子技術の成果の後を、息を切らしながらついて行っている時代である。

驚異的な電子技術の進化と普及が、世界中のあらゆる分野の動機を発奮させ、

隅々まで一変させている。

 

 📌

どんな仕事であれ、正なる向上心を失えば自滅する。

向上心は、強い芽に等しい。

 

📌

祝祭は日常がディフォルメされ 省略され 寓意を鏤めて

組み立てられている。

したがって,その登場人物,装置のそれぞれに別な顔が隠されている。

それを宝探しのように楽しみながら,恐れながら、

隠されたものを見つけていく。

 

📌

大多数の中にある小さな悪意と身勝手さを軽く見てはいけない

無神経な言動や挑発で,安定を危険にさらす行為

盲信,デマゴーク,幻想・・社会の見えない舞台装置

 

多様なメディアの出現で、各層の様々な声が露骨に聞こえてくる。

諸々の実像が透けて見えるようになった。

薄っぺらななことが溢れていて、楽しめる。

 

📌

政治家とは、狡猾さと策謀に魅入られた人たちなのか。

そうでなければ選挙の際に、

あんなにも心のこもらないお辞儀や握手が出来るわけはない。

あんなにも他党の中傷ばかりで演説を埋めるわけはない。

 

📌

日本という国の有り様を動かそうとする魂と、

日本という精神を探求しようとする魂、どれもこの国の山河である。

 

📌

排他と許容は、いつも社会の大きな動機である。

社会がもっている電荷のようなものである

絶え間ない紛争と殺戮は、この二つの動機で発生している。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生は肩パッド

2017-07-15 | 迷想が誘う寸言もどき

 📌

幻想に向かって走るな、せめて歩け

 

人生は肩パッドである

 

いつも迷いながら発言する人がいる

いつも迷いもなく発言する人がいる

 

人は、公に目立ってしまうと,もう仮面に変わる

 

君はいつも値踏みされている

 

自分のあまりもの平凡さにがっかりする

 

虚飾をフリ落とした後になお,

敬愛すべき言動,立ち居振る舞いを見かけるとき,

その印象はとても持続する

 

蜜蜂のように生きていけるか,花も香りも害さずに・・

人にはきっとそれができない

 

モノに囚われた人々

 

人は省略して語られる

 

何かを探し続けている姿は,人を引きつける

 

あの人は知性を隠すのがうまい人だ

 

一見何でもなく見えるものが、

時に多くのことを暗示したり表現し始めたりする。

 

定型とか定番に、わずかなズラシを試みて、

新たな心地よさを見付けられないだろうか、

デザインには、遊び心。

 

戯評の誘惑 時代の半歩予言者

 

見慣れた固形に、動きを加えると、新しい形が出現する。

あらゆる形はすでに存在している。

発見出来るか、否かである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歳の差

2017-07-14 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

若い時は、若さの素晴らしさに気がつかない。

ただただ迷いと渇望に脅されている。

生活の深さに気づくのはずっと先だ。

 

若い時は自分に夢中だから、自分の行く先を探すのに忙しい。

たくさんの経験を欲しがっている。

でも自分を未熟とは思いたくない。

 

年齢を重ねた人からすれば、

迷路ゲームを上から見ているようなものだから、

そっちじゃないよと思っても、

渦中にある若者の耳には届くはずもない。

ああ、また同じ間違いをしていると嘆くしかない。

慄き、傷つき、もしくは他を傷つけながら、

偏狭な渦中で無駄な動きを重ねている。

生き方は効率で括るわけではないから、彷徨いこそ若さの特権だ。

 

 📌

人は、先人の経験した苦しみや後悔をまるで学習しないし、

感知できない。

先人と同じ過ちを繰り返し、

その次の人もその悔いをまた学習することがない。

人の歴史はそれを実践的な悔いを証明するためにある。

 

📌

知識が豊富でも、愚かな行為は沢山ある。

知識が乏しくても、賢い判断は沢山ある。

 

📌

大人の知恵はマニュアルの蓄積に過ぎない。

過去の経験に囚われて、縦横な着想や柔軟な判断が阻まれている。

したがって、子供の着想に驚いてしまう。

大人を驚かす子供が少なくなっては大変だ。

 

📌

有名でもなく大活躍もしないが、素晴らしさを感じさせる人の姿、

密かな望みを抱きながら、狡猾さもなく道の真ん中を歩いてる人、

自分の目の高さの遠くを見ながら歩くことが、姿を美しく見せる。

どんどん作業することで、進化が広がる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする