📌
世に嘘つきが多い。
事実でないことが,歪んだ事が平然と広言される。
もっと良くないのは、綺麗な言葉で主張する人だ。
人々は綺麗な言葉にどこかで酔いたい。だが,
それは現実の困難を飛び越えた,ただの遠吠えになっていく。
対案や具体策がなければ,半分だけの行いである。
その声高は力を産まない。
📌
世に嘘つきが多い。
事実でないことが,歪んだ事が平然と広言される。
もっと良くないのは、綺麗な言葉で主張する人だ。
人々は綺麗な言葉にどこかで酔いたい。だが,
それは現実の困難を飛び越えた,ただの遠吠えになっていく。
対案や具体策がなければ,半分だけの行いである。
その声高は力を産まない。
📌
知識は武器である。隠し持っていよう。
だが知識は、知恵ではない。
状況の変化でその知見が錆びつかないよう、
現実の表と裏をすり合わせて考えること、
それが砥石となる。
📌
挑まざるを得ない大波が来れば、因習を超えたエネルギーを発揮できるが、
小波になると旧態然とした物事の運びが再び顔を出して、対処を遅滞させる。
変化を嫌がる因子が沸々と発酵を始めるのである。
日本の保守社会に潜む酵素のようなものだ。
いちばん身近で究極の幻想が宗教であろうと思う。
レトリックが達者になると、宗教者になれる。
宗教はレトリックの総本山である。
達者なレトリックと詐欺師の違いは紙一重である。
どの宗教もその黎明期と異なり、学派や分派が派生すると、
伝える言葉も儀式も過度に装飾されていく。
宗教者は言うだろう、世界中が我が宗教に帰順すればいいと。
自分たちの信仰の価値観こそ、人や社会の生きる道だと。
他者排除が原則化する。世界史がそう伝えている。
より先鋭化して、分裂をつづける。
宗教の有り様は、IT世紀にあっても、なお紛争の背景になリ続けている。
宗教それぞれは、単に勢力拡張の野望に過ぎないのではないか。
そうして、また、世界中に諍いを深めていく。
📌
寝込むと、視野が限られる。
病体を横たえている人に見えるのは、病室の壁だけである。
若しくは、天井だけである。
比例して、その病人の思考とか感情は、極めて狭められている。
人には視野範囲が、思考に大きく影響を与える。
場面に次の展開とか光景がなければ、心理や思考の次も出てこない。
ただ圧迫されて、感情も思考も狭小に偏っていく。
📌
物事の推移を大づかみにするときに、
私はサシミ(3,4,3)の法則を使うことにしてる。
肯定、好意、味方などの支持側が≒30%、
どっちつかず、無関心層が≒40%、
否定、嫌悪、対立などの不支持側が≒30%、という仮定である。
社会的な事柄も個人に関わることも、この法則を当てはめると俯瞰しやすい。
何事も、中ほどに横たわる無関心層の動きで、大きく変容するのだ。
📌
人の判断は、およそ“比べる"という事から出発する。
物であれ、人であれ、考え方であれ、そこから先ず直感的な選択をする。
それが偏見であったり、理に適ったり、社会的な公正に反する場合もある。
物事の長短や特長の判定に“比較”は便利過ぎるのである。
そして、人はその比べるということから逃れられない。
比べてこそ、次の展開や発見を期待している。
必然として、区別、分類、差別の源泉になっていく。
ところで、それが人間社会に持ち込まれると、
様々な不公正を生み出し、深刻な諍いになる。
📌
人は食べ物について語り過ぎる。美味しいことに溺れ過ぎている。
嗜好に偏っていないか、内臓を苛めていないか、副交感神経をリラックスさせて、
充分な体調回復を促せているか、そちらにもっと意識をおいた方がいい。
そして食べ物の残滓はさっさと排出しよう。
内臓を虐めすぎると、老化が早い。60代になるとその個人差が顕著になる。
とにかく若い時は身体に無理がきく。それがいけない。
取り込むことより、それを出すこと使う事にもっと注力した方がイイ。
筋力は蓄えるだけでなく、力として出すこと。使ってこその筋肉である。
知識は溜め込んでも役に立たない。
組み合わせたり、応用してアイディアを実現してこそ、知力である。
知識も筋力もお金も使ってこそ新たな価値を産む。
汗を出すこと然り、排泄然り、知恵だし然り、力出し、好奇心、意欲、
もろもろ”出せ”である。
📌
人は良いことを考えるし、良いことをする。
優しいし、他人の立場を理解するし、尊重する。
だれも親切であるし、周りに配慮するし、協力し合う。
と、夢のようなことを、少年時代は心底信じていた。
ところが成長するにつれ、
そのどれもが、実はそうではないと気づかされる。
少年が信じていた、人の心と振る舞いの像が定まらなくなり始める。
何事か異変を感じた時、人の反応にとてもばらつきがあることを知る。
少年はそれをどう受け止めていいのか判らない。
そのころから長く、少年のものの見方が彷徨い始める。
なぜ、あんなひどいことを人は出来るのか、
どんな心の動きであんな恐ろしいことが出来るのか。
人の振る舞いの源を想像できなくなっていく。
考え始める。
良いこととはなにか、悪いこととはなにか、
何故良いことなのか、なぜ悪いことなのか。
そんな素朴で、誰にも等しくあると信じていた事柄の内側には、
実は他者から見えにくい野望や攻撃性が潜んでいる。
それが時の事情に応じて、ぬっと現れるものだということを、
知りたくないけど知るようになっていく。
それらの事情や潜んでいる欲望を、
他者が透視することなど出来るわけがない。
であるから、良いことは必ずしも良いことではなく、
悪いことも実は悪いことではないかもしれないと思い始める。
ものの見方や捉え方は、全く状況に相対的なもので、
絶対的基準というものが、人の考えのなかには、
ほんのわずかしか存在しないことがはっきりしてくる。
昨日も今日も、さまざまな社会的な事象は、どれをとっても、
人を破壊しないという価値の順位は、後方においていかれる。
そう意図してないにしても、現実は具体的な実利が最優先される。
人間から人間を守るために、人間集団から人間集団を守るために
様々に戦略というものが編み出されている。
かつての少年は、
重層的な社会の現実の課題や状況をとても解きほぐせない、
人間の営みに正解などあるのだろうか。
たくさんの正義と正解が・・・、だから人は”悪いこと”をする。
📌
さて、どうなんだろう・・
取り巻く事象の中で、熱心なプレイヤーであろうと、
熱心な観戦者であろうと、瞬時でいいから、
さて、これはどうなんどろう?
これはどうなってるんだろう?
という鳥瞰が必要であると思う。
渦中にあるだけでは、方向も目的も見失ってしまう。
📌
社会の制度に、正解など出ない。
物理が出す解のようには、決してならない。
制度が変異し続けても、社会の欲望も変異する。
横の層、縦の層、斜めの層のどこを覗いても、
不利益や侵犯や不合理が滲み出てくる。制度は疲弊する。
どんな制度にもどんな組織にも、非人間的な機能が潜在している。
理念が制度の負の属性を消し去ることは至難である。
より合理性のある次善を選択をするだけ。
保護、補強、補充策が政治の知恵としてあるだけだろう。
📌
宇宙の無限の広大さを、人智は認識出来ないと思う。
地球は、無限の砂漠にあるたったひとつの砂粒のようなものだ。きっとそうだ。
夜空に映える満天の星たちもまた、
砂つぶ地球と隣り合わせている成分違いの砂粒たちである。
宇宙では、中ほどとか端っこととか、位置づけが意味を成さないと思う。
地球に人類が存在してるからといって、中心置にあるわけではない。
ただ、我が砂粒からでも、宇宙の宏大を観測できると思いたいのである。
人は、そこらに転がっている石ころよりも、ずっと存在できる時が短い。
📌
公式な情報の大嘘に惑わされ、
Twitterの小さな情報に真実を知らされる、
そんな時代になっていくのだろうか。
大きな組織が情報を弄んで、社会を混乱させていないか。
世界はドローンとフェイクニュースに悩まされるだろう。
📌
大規模の組織より小規模の叡智が勝ることが珍しくなくなる。
組織は、ユニークな人材を育てない。
新しい方向を持った人材を活用する能力がない。
むしろ排除することで成り立っている。
異才な人が組織に入ると、潰される。
📌
日本社会に、采配という言葉はあっても、ガバナンスという言葉はいまだない。
仮にあったとしても、しがらみが論理性より優先されている。
村の外から自分の村を見つめる機会を持ったほうがいい。
挙げ句、やっぱり自分の村がイイとだけしか思わないようでは、
やっぱり村の一部しか見ていない。
もっといい村にしたいと思うなら、多様な価値観を知ったほうがいい。
多様性は未来を拓く。
📌
優越者は、傷つく側の立場になって想像することが一番苦手である。
一部の人たちは、社会をすり抜けるための道具として、
法律を巧みに使っている。
他者を傷つけぬ限り、人は思いのまま生きるべし。
だが、気づかぬうちに他者を傷つけているものだ。
いつも自己点検が求められている。
📌
日本は、どうみても先進国の一つである。
この社会にどっぷり浸かって、生涯を過ごしてきて思うに、
何ごとであれ、歩調を合わせることを良とする社会であることを重ねて知る。
変革の認識があっても、変化のエネルギーはなかなか発揮されない。
自ら発信、発動しないことに積極的である。
異端や異見に過ぎないと思いこむのだろう。
殊に組織のリーダーに顕著である。
先手、専攻のリスクを案ずるばかりだ。
論戦が嫌いである、下手である。
根っこはやはり、村社会の合議待ちなのである。
その傾向は底深い。
先進する気概がむしろ希薄なのであろう。
外圧を受けた時にしか動き出さい。
📌
人それぞれの価値観を一つにしてしまおうというのは、
思考のロボット化である。
そのメリットは管理者、支配者だけにある。多様化の拒絶である。
社会のそれぞれの価値観を画一にしてしまいたいという欲求が、
社会の底流にある。
📌
人間の争いは、動物と比べてものすごく質が悪い。
人は棲み分けを容易に受け入れないからだ。
📌
誰であれ、今日の自分は昨日より新しい。
歳が古れてもそれはなお変わらない。
「自分にとっての進化かな・・」こう思えることが案外いい。
📌
一日を楽しく過ごすのは案外難しい。
それを続けるとなるとさらに難しい。
一日を充実させる事も難しい、没頭し続けることはさらに難しい。
だが、怠慢であり続けることはとても易しい。
📌
一過性の業績と、形や記録として時を超えても触れられる業績とがある。
いま華やかな事は、そのほとんどが一過性である。
今日あるものは明日にはない。
時の流れの中で感動したりする、一過性である。
その感動を創り出す人も、感動を受ける人もそれでいいのだ。
それで時は過ぎる。それでいいのだ。
📌
幼児の振る舞いを見ていると、小宇宙だ。
その脳細胞が、にょきにょきと神経を伸ばし、きょろきょろと動いて、
別の神経と懸命につながろうとしている。なにかを探し続けている。
そう、繰り返し繰り返し、好奇心と記憶と移り気が入れ替わっている。
幼児の自己主張は、
「いやだ」と「○○ちゃんも(自分も)・・」の連発から始まる。
人も社会も自己主張は、すべからく拒否と利得で構成されている
📌
若い人たちの躍動は素晴らしい。
📌
動物は時を知らないだろう。ただただ今を生きる。
人は、時の経過を数字で自覚する。
10年ごとに見直せれば、人生の不足に気づくはずだ。
だが100年生きても、きっと知らないことばかりだ。
📌
自分の足りないところを知って焦るのが、凡なるゆえんか。
損得を気にしてしまう人生もある。
脱皮し続ける人生もある。
はっきりと目標を立てるか、背中を押してくれる誰かがあって、向上心は増幅する。
一本道のようでもあり、迷路の旅でもある。
たとえ幅広い活動の人生であっても、それはやはり消滅への一本道に変わりはない。
📌
80の日々は、おろおろ旅のよう。
病に揺すられ、感傷に揺すられ、悔悟に揺すられて、
それでも明日はまた何かに出会える、そんな思い、
なるほど生涯は短い、物足りない。
そう、来る日も来る日も、何か宿題を忘れているような、
もやっとした気分に追いかけられている。
📌
自分の感じるところを伝える言葉を探すのは難しい。
存在する言葉が、人の感情の機微を表し得るとは言えない。
巧みに言葉を絡めて心情の近似値を伝えるだけである。
詩がそれを救う。
詩は言葉の閉塞からなんとか脱出しようという試みである。
📌
人生って何だ、自問できても自答できない。
たった一回だけ、誰もが知っている冷酷な人生の理を、
熟年期も疾うに去った晩年のある日、沁沁と感じる。
悟りか未練か。悟りなんかあるものか。
深傷を逆撫でするような痛みばかり。そうでない人は達人である。
若さはそんなことに知らんぷりしてばかりだった。
自分の時間をどう使うか、
その大事さにやっぱり気がつかないものだ。
📌
地べたばかりを見てきたが、ちかごろよく空を見るようになった。
生きる時間が短くなってきたせいだ。
そして、誠に素朴な疑問ばかりを抱くようになっている。
宇宙って何だろう。
誰も答えてくれなくていい、
ほんとの事は誰にも分かってないんだから。
宇宙には一切の愛がない。
📌
だれしもが、気にもせず無駄遣いしているのは、時間である。
生きていることを堪能するには、縦横な好奇心がもっと要るだろう。
老いに合わせて、気持ちを萎めてしまう手もあるけどね。
📌
粗野な、素質の良くない人間が大金を手に入れると、
必ずおぞましい騒動を起こす。
📌
感傷的な思考が尊重されすぎて、ドライな合理性が見えてこない。
TV番組の制作に携わった者たちは、気づかぬまま、
物の見方が浅くなっている。
パーフォーマンスを核に置いた発想しかないからだろう。
📌
事実を後で知ってゾッとするが、渦中にあるとき、
誰もがあんがい鈍感にあるいは平然とやり過ごしている。
📌
他人に敬意を払うことは損であると、中国人は考えてるらしい。
徳などなんの価値も生み出さないと思っている。
古代中国の文化は彼らには無関係だ。
社会にも個人の成熟にも役立っていない。
古代に文化があって、間がすっぽり抜けて、今世紀が出現している。
我流の治世もここまでくれば彼らの看板だ。
世界の評判がどうであろうと。
📌
社会の色合いは、終始灰色である。
白くなるのか、黒くなるのか、いつも不明である。
粗野で、無作法で、粗暴な人間がどの社会にも尽きずにいる。
悪質な意図を持つ人間がどの社会にも尽きずにいる。
その比率が少ないほど、その社会は成熟しているのだろう。
そうした人間が生まれにくい環境を作れるのか、それが社会のレベルだろう。
📌
縄文時代の造形と文様、あのデザイン力に勝るものは滅多にない。
原初の息吹きに敵わない。
かの時代に、とても人間味のある人たちが多くいたと思う。
現代の人たちが彼らより優れていることがあるだろうか?
もっとも進まないのは人の心の姿であろうと思う。
📌
大きな風が森の木々を翻弄する
枝葉はちぎれんばかりに揺さぶられている
穿ってみる、あれもこれも・・
理念の牽引力は、庶民の不満の総量に耐えられるだろうか
世界は憎しみの方向だけに動いているようだ
前世紀と比べて、世界の憎しみは、ずっと複雑に増幅している。
忖度と空気の関係は、市民のオウンゴール
最強の教育者は、もちろん親である。
日常のなんでもない習慣こそ、情操教育のみなもとである。
丁寧な掃除の仕方、それはもう文化だ。
著名であるからと言って、誰もがバランスがとれているわけではない。
「ミスを少なく・・」が、世の常道
楽しみを発想することも、新しい楽しみである
反問してみると、何かに辿りつける
きみはほんとに美しい‥きみはほんとに美しいか
”連帯”を掲げる落とし穴
年齢がぐっと進むと、顔の構えに何かしら弱々しさが顕れる。
眼から力が失せていく。
個人も組織も、彼らが持つ得意技で失敗する。
なぜなら、いつも有効に作用すると信じて疑うことをしないからだ。
長い歴史を持つ国や民族であっても、
いま、どんな社会に辿り着いているかこそが問われる
📌
はしゃいでも1時間、はしゃがなくても1時間、
どちらもそれなりにイイ時間だ。
味わいはそれぞれにある。
次に出くわす場面を幾つ想定できるかどうか、それは知恵に比例する。
生きるということはどういうことかと、思索を深めた人たちに敬意を払う。
しかし、崇めることとは別だ。神とはしない。
寺や神社で私は拝まない。虚しさが襲うから。
ひたすら建物と風景を楽しむ。携わった職人たちの技巧に感嘆する。
何事も日常化してしまうと飽きる、変化することへの誘いに容易く惑う
自己満足できる成果もなく、心の乱れも中庸で、明日は何をしようかと思ったりする。
📌
歳とって聞く童謡に、別な味わいがある。
老いた心の奥に未だ残る清らかさに突き刺さる。
空いっぱいの、真っ赤な夕焼けほど、
胸いっぱいになる刹那的な感動はない。
心は雲の襞に溶け込むばかりだ。
📌
たった一度の生命を、どう生きようか、どう生きようかと、
ウロウロしながら、無為に過ぎて、
一生が終わってしまうのではないかと思う。
どんなにジタバタしても、あぁどうしょうもない。
逆算的な思索で何かを取り戻そうと・・足掻いたりする
こういう人がいた。ああいう人がいた。今はもういない。
それぞれの物語と一緒に消えてしまった。
世に、悲しみも寂しさもない消え方などあろうはずもなく、
人々の紡ぐ世界は、何千年もその雑多な生き死にを繰り返して成り立っている。
わかっているけど個の消失に抗いようがない。
現役を離れ、歳とるほどに、自分の拘りからふっと自由になっていく
良いことか否かはわからぬ、ただ心に軽みをおぼえる。
古希に至り、これからがいいいよ修行の時間だよ
📌
今は、政治が電子技術の成果の後を、息を切らしながらついて行っている時代である。
驚異的な電子技術の進化と普及が、世界中のあらゆる分野の動機を発奮させ、
隅々まで一変させている。
📌
どんな仕事であれ、正なる向上心を失えば自滅する。
向上心は、強い芽に等しい。
📌
祝祭は日常がディフォルメされ 省略され 寓意を鏤めて
組み立てられている。
したがって,その登場人物,装置のそれぞれに別な顔が隠されている。
それを宝探しのように楽しみながら,恐れながら、
隠されたものを見つけていく。
📌
大多数の中にある小さな悪意と身勝手さを軽く見てはいけない
無神経な言動や挑発で,安定を危険にさらす行為
盲信,デマゴーク,幻想・・社会の見えない舞台装置
多様なメディアの出現で、各層の様々な声が露骨に聞こえてくる。
諸々の実像が透けて見えるようになった。
薄っぺらななことが溢れていて、楽しめる。
📌
政治家とは、狡猾さと策謀に魅入られた人たちなのか。
そうでなければ選挙の際に、
あんなにも心のこもらないお辞儀や握手が出来るわけはない。
あんなにも他党の中傷ばかりで演説を埋めるわけはない。
📌
日本という国の有り様を動かそうとする魂と、
日本という精神を探求しようとする魂、どれもこの国の山河である。
📌
排他と許容は、いつも社会の大きな動機である。
社会がもっている電荷のようなものである
絶え間ない紛争と殺戮は、この二つの動機で発生している。
📌
幻想に向かって走るな、せめて歩け
人生は肩パッドである
いつも迷いながら発言する人がいる
いつも迷いもなく発言する人がいる
人は、公に目立ってしまうと,もう仮面に変わる
君はいつも値踏みされている
自分のあまりもの平凡さにがっかりする
虚飾をフリ落とした後になお,
敬愛すべき言動,立ち居振る舞いを見かけるとき,
その印象はとても持続する
蜜蜂のように生きていけるか,花も香りも害さずに・・
人にはきっとそれができない
モノに囚われた人々
人は省略して語られる
何かを探し続けている姿は,人を引きつける
あの人は知性を隠すのがうまい人だ
一見何でもなく見えるものが、
時に多くのことを暗示したり表現し始めたりする。
定型とか定番に、わずかなズラシを試みて、
新たな心地よさを見付けられないだろうか、
デザインには、遊び心。
戯評の誘惑 時代の半歩予言者
見慣れた固形に、動きを加えると、新しい形が出現する。
あらゆる形はすでに存在している。
発見出来るか、否かである。
📌
若い時は、若さの素晴らしさに気がつかない。
ただただ迷いと渇望に脅されている。
生活の深さに気づくのはずっと先だ。
若い時は自分に夢中だから、自分の行く先を探すのに忙しい。
たくさんの経験を欲しがっている。
でも自分を未熟とは思いたくない。
年齢を重ねた人からすれば、
迷路ゲームを上から見ているようなものだから、
そっちじゃないよと思っても、
渦中にある若者の耳には届くはずもない。
ああ、また同じ間違いをしていると嘆くしかない。
慄き、傷つき、もしくは他を傷つけながら、
偏狭な渦中で無駄な動きを重ねている。
生き方は効率で括るわけではないから、彷徨いこそ若さの特権だ。
📌
人は、先人の経験した苦しみや後悔をまるで学習しないし、
感知できない。
先人と同じ過ちを繰り返し、
その次の人もその悔いをまた学習することがない。
人の歴史はそれを実践的な悔いを証明するためにある。
📌
知識が豊富でも、愚かな行為は沢山ある。
知識が乏しくても、賢い判断は沢山ある。
📌
大人の知恵はマニュアルの蓄積に過ぎない。
過去の経験に囚われて、縦横な着想や柔軟な判断が阻まれている。
したがって、子供の着想に驚いてしまう。
大人を驚かす子供が少なくなっては大変だ。
📌
有名でもなく大活躍もしないが、素晴らしさを感じさせる人の姿、
密かな望みを抱きながら、狡猾さもなく道の真ん中を歩いてる人、
自分の目の高さの遠くを見ながら歩くことが、姿を美しく見せる。
どんどん作業することで、進化が広がる。