世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

官僚的な選択

2017-07-13 | 組織が悪魔になる時

 

📌

優秀な官僚は多い。

だがその優秀さは省益追求のためによく発揮される。

 

政治に社会の各層の利害を超越した方策など滅多にないから、

目的と方法を大多数に納得させるのはとても難しい。

どれだけの説得力があるか、社会はこの一点で動いていく。

官僚や事業や情報の動きが連動し、喧伝が活発になる。

例証を組み立て、暗示をかけ、宣伝を利かして幻想に導いていく。

建築技術のようであり、薬の処方のようでもある。

合理性が謳われる裏には、恣意や誘導や利害の偏在も潜んでいる。

 

📌

日本社会にはディベートの土壌がない。

それが官僚の武器になっている。

彼らは近道が好きだ。選択肢を意図的に絞って提案する。

他の選択肢は封殺されている。

執拗な議論を嫌う役人の本質が、提案の前段階に根深くある。

決裁者や決裁機関の責任をぼかすために、

専門委員会の結論というものを用意するのが常套である

 

福島原発の重大な事態はまさしくその結果である。

経済的な効率の前にだれもが黙ってしまった。

疑問を差し挟む者には、

安全神話を喧伝することで対抗したのである。

非常用電源が非常時に作動しなかった。

悲しいほど愚かな想定外である。

経済合理的な原発推進の正義が、

経済的な不正義であることも証明されてしまった。

 

📌

科学者は忖度しないで、

あくまで科学的な見解を述べるべし。

知者の使命である。

御用学者は汚職議員より罪が深い。

 

📌

行政が神経質になること,過敏に反応すること,鈍感なこと,

あるいはそう装っていること、

そこに社会を管理する支配層の発想が見える。

かつての社会保険庁の数々の堕落は,

役人の習性が性悪に向かうことを露呈した。

事業の使命をないがしろにし、怠慢が日常化し

、社会に対し重大な損害を残した。

役所・役人というものが、

いかに無責任にその使命を裏切れるかの見事な例証デアル。

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日本人の習性

2017-07-13 | 日本人の性分

 

📌

味噌味には日本人の安心が宿っている

 日本人はプリンシプルを声高に表さない事に熟れている。

フェアーかアンフェア-かということも、敏感には叫ばれない。

フェアでなくても容認してしまうところがある。

ディベートの土壌もない。

先送り、横並び、臭いものに蓋、変える面倒を疎む。

 何百年もの間、この物差しが私たちの社会の底を流れ続けている。

村落的な傍観または諦観であろうか。突き詰めることの回避である。

暗黙の受容であろうか。

 

📌

社会的モラルの成熟には、相当の時間がかかる。

金で買えるものではない。

教育で直ぐに手に入るものでもない。

優れたワザを躯に覚えさせるのに時間がかかるように、

とても時間がかかる。

良い教科書を読んだだけではワザにならない。

 
📌

わが国は古来より

異国の文化のエッセンスを活用することに長けている。

そのエッセンスに独自の改良を加えて、

個性的な花や実を育てる。

接ぎ木が非常に上手い。

工夫は終わりを知らず繰り返されて、独自性に昇華する。

 

📌

質にこだわることが我が国の伝統、珍しい事柄にも素直な関心を抱く

日本で最も品質にうるさいのは、使う人、購入者である。

その背景があるので工芸家や技術者が育つ。

どちらが先でも後でもない。

その循環が続く限り、質の追求は消滅しない。

 

📌

日本社会の「社会的責任」における決定的な曲がり角、

昭和天皇が敗戦直後に退位しなかったことは悪例の極み

 

論理的に突き詰めない曖昧さが、調和だと信じられている節がある。

決着に情緒的な要素が入り、それを許容してう”空気”が社会全体にある。

社会責任の所在を曖昧にし、特定されない。

つまるところ、

討論による課題の精査が徹底されないまま、論戦が終了してしまう。

 

前言を取り消せば、その変質の背景や矛盾を追及されない。

論理的な弁明でなくとも、言い逃れが通る社会である。

曖昧が許されない状況に至れば、

次に使われる常套手段は”先送り”である

 

国際交流が日常茶飯事であっても、インターネット時代であっても、

日本人のそれはまるで変容しない。

歴史観も憲法解釈もこの2大暗黙知に支配されている。

これからもきっと変わりは無いだろう。

社会的な制裁が求められる場合さえこの暗黙知が蠢く、

私達の社会はその受容体である。

 

📌

諸外国の社会運営と何が違うか。

何が日本的か。ここに尽きる。

世界では、論理的明快さこそ正義の剣なのであるから、

物事の解釈や解消策が論理な認識や結論からズレると、

説得力に欠けた見解になる。

 

📌

思念と依り代

日本の文化の真髄は、思念や美を、有形の物に写し込む感性にある。

何かを依り代に見立てて感性の表現態とすることに優れている

哀れも寂も侘びも、死生も調和も、物を透して感じ入る。

論理的な組み立てを目指さない。ひたすらに凝縮する巧さである。

 

 📌

開国以来、東洋に位置する日本がその独自性を異国に認識されるには、

100年近い時間がかかっている。

西洋人が、ヨーロッパ以外に文化はないと自惚れを持っていたからだ。

 明治・大正は日本の知識人が西洋文化との差異にギタギタにされ、

違和感に翻弄されながら、

返球としての日本論や自己証明に躍起になっていた時代である。

 

📌

日本人は、接ぎ木の達人である。

敷衍すれば、異なった文化の養分を採る技にも長けている。

極めるという生来の気質もあって、

異文化を日本風に変容させ、独自の文化の質量に加えてしまう。

 

ではあるが、異質の人々を受け入れることは苦手である。

なぜだろう。島国で農耕を中心とした村社会の長い風習が、

異国人に対する違和感を優先させてしまっている。

今日の世界化の時代であっても、

日本人の異国人の受け止め方は変わっていない。

物の見方や論議の仕方や日本に馴染んだ異国人にしか、

親近感を持てないのである。

 

 

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極める

2017-07-13 | 日本人の性分

📌

私たちの社会では、 "職人技" というものに広く信頼が寄せられている。

有名無名を問わずに、

工芸における技の巧みさや仕事の丁寧さに対して、

いわば民族的な認識になっていると言えるほど

敬意が払われて来ている。

そうした物作りの姿勢は、工芸的な分野に留まらず、

我が国の産業製品や科学技術の領域に至るまで、

現代社会が求めるあらゆる物作りの場面に染み込んでいる。

 

一途に技を磨き、手抜きを嫌い、頑なな拘りがあって

妥協しない職業人である。

反面、融通が利かない、頑迷と思われることもあるが、

その巧みな技には一目も二目も置かれている。

職人技は良くも悪くもビジネスライクではないのである。

規格に合格しているだけでは、満足しないのである。

 

起業家、商売人、勤め人などと言った分野分けとは、

違った概念で敬意を払われている。

こうした社会の目が昔から広く根強くあって、

それがまた職人を育む伝統の好循環になっていることは疑いない。

良品や技の確かさや精密さを見抜く力が、

現在の科学の広い分野にも根底に脈打っているのではないかと思う。

一方で弱点とされるのが、

その個々の技術を駆使して、多元的な発展を考案したり、

或いは総合的に運用する発想力である。

どこか宝の持ち腐れな一面がある。

個々の技術開発やアイディア創出には極めて優れているが、

それをマルチに組み合わせて展開するノウハウと人材がいない。

それが日本の弱点であるようだ。

そうした人材の輩出を得意とするのが、アメリカの産業文化である。

 

 📌

道(どう)

日本人は、「極める」という言葉が好きである。

時としてそれは「道」にたどりつく。

剣道、柔道、弓道、合気道・・、

茶道、花道、香道、芸道・・、まだまだある。

ある人たちはラーメンでもコーヒーでも極めたがる。

たくさんのラーメン屋が、求道者のように極め付けの味を追っているものか。

その店を追っかけ続けるラーメン喰いの求道者も後を絶たない。

 

極めることの行く先が「道」となって概念化するのである。

一芸は、突き詰めると哲学になるようだ。

こうした認識の流れを日本社会で育った人は、素直に受け入れていく。

微妙に面白い日本人の癖だ。

 

カルロス ゴーン

[日本人は継続的改善の天才だ。・・・]

 

📌

伝統的な工芸の多様なさまは日本の真髄である。

携わる技術者たちの存在も多様である。

祭りの多様性も日本の特徴である。

祭りにはそれがそうなった由来があって、共同体の幻想を具現する。

どの伝統にも長い時間が積み重なっている。

 

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あれこれ断片

2017-07-13 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

 

何事も本音は、その目的よりも過程によく現れる

 

共同忌避,共同逃避、暗黙に知る場の空気・・社会に潜むおばけ。

 

人は対象との間合いで動き 対象に合わせた知恵を使う

対象が大きければ大きく動き 小さければ小さく動く

 

簡略、質素から、知恵と哲学が生まれる。

 

男女の比率が自ずと変わらぬように,

善があれば,それと同じ比率で悪の衝撃が絶えない

 

没頭することは,すべての条件に勝る

 

自由になりたい,どういう自分から自由になりたいか

 

推論や仮説は,実在に圧倒される。

 

原始的なものへの恐れ 自然のうねり,光

 

日常の振る舞いの中に いかに始源的な所作を見つけるか、

事実だけでは,艶がない

 

安心とは何か,

どんな状況のことを言うのかという問いに潜ってみよう

どんなうねりに翻弄されて,どんな不安や欲望が生じ,

どんな本性が試されるか

 

ディレクトリー(枝化)の脱線、或は癌化

 

世界の価値に縛り付けられる 価値の罠のなかで生きる 

時世の基準の中で 人は思考停止してしまう

 

自我は浮浪している 状況が追い打ちをかける

 

彼の優秀さは彼の性格に負けていた、よく見かける例である

 

不思議な何か つじつまの合わない何か 大きな何か

 

何事にも経過というモノが付いて回って,変節を誘う。

問題は,出発の時に原則が存在したかということだ。

それを思い起こせば、何が道を曲げた選択であったか気づくはずだ

 

思想とは,存在と周辺との相関関係を,

または非相関関係をフローチャート化したもの。

 

建て前の美化 その演者は誰か

 

モノの見方とは,両義性の推論である。

 

「飾り」を括る概念  

祝祭性の強調されない演劇は,見せる意味がない。

 

詩は,論理を疎んじた物語である。

 

人は理想主義を尊び、飢えている。

清らかであるのか,幻想という言葉を知らないのか

若いということは,そういうことか。

 

蝉脱 せんだつ

 

愚民愚衆の文化の受容力

 

まず仮説ありき。

どんな仮説を立てるのか,事態分析,方向,哲学が示される。

 

富栄養化の醜悪

 

人々は,自ら勝ち取るより,概ね与えられるモノを受け入れる。

 

慣性の法則は,人の心理によく現れる、その癖が魅力

 

探求の心 探求者の楽しみ 別の宇宙に入っていく興奮

 

軽やかさの透明感、明快さの残酷感。

美しきものの腐敗,すなわち最も醜悪なるもの

 

気力型,理論型,情緒型

 

人は変わる,ずっと同じではいられない

 

非凡な生活をする人々は、それに応じる条件をもっている。

 

地球とは一体なんだろう その上にある個々は何だろう

 

空想の中でママゴトをする

 

日常の言葉に隠れている無関心

 

人は歓喜する。

感性に響いたり、達成感を得たり、人との出会いに感謝する。

そうであるから、失望ということにも遭遇する。

やがて人生の経過とともに、心の弾み具合を下方に修正していく。

人はいつまでも少年でいられない。

 

間違っていると思ったら元居た場所に戻れば良い。

戻る場所が有るのは安心だ。

ではあるが、戻る場所を持ってはいけない。

戻る場所が無いほうがずっと孤独を味わえる。

 

未来の人はすでに過去の中にいる,過去の人をどれだけ想像できるか、

その生き方の多様なことをどこまで想像しうるか

 

芸術作品はどれをとっても、遺言のようなもんだ。

 

豊かな生活条件と豊かな精神性は必ずしも同居するのではない。

 

数学は、言語である

 

痩せた土地と肥沃な土地、同じ水と種を蒔いても実りはちがう。

 

いかに速やかに体系づけて位置づけるか,

どんな仮説,方向付けに持っていけるのか

 

「整合性」の危険、

ネジに合わせることに注力して、基本軸の変質に思いが行かない。

 

社会は、プレイヤーとオーディアンスで成り立っている

または、発信者と受信者でできている。

 

軽妙な遊びに、むしろ訴求力を生じる。

 

実体のない計画や目標に人は酔う。幻想は麻薬だ。

 

思考停止 或いは 思考崩壊、情緒崩壊 或いは 情緒錯乱

 

デトックス社会なんて、これも幻想。

 

人は、論理的なことと感情的なことの間で、

いつも揺れ動き、曖昧になる。

曖昧は解決につながらないが、人の逃げ場になる。

 

私は良く考えている、

という事を証明する為にだけ学問する人がいる。

他者に還元することのない成果である。

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non-collection

2017-07-13 | 雑々と過って惑う

 

 📌

物への執着心をなくすことはとても難しい。

所持することの快感が人を捉えてしまう。

餌に満たされている動物が穏やかでいられるのと似ている。

物を持つことの豊かさに心身が安らぐのである。

まして、便利さや快適さを十分にもたらしてくれる物なら

いっそう手放せないものだ。

物欲は執拗である。遠ざけるのにはかなりの精神的な代償が必要だ。

 

 📌

所持することの最少化、

日常生活の持ち物を出来うる限り少なくするということを、

生活の流儀にする。

持ち物が少なければ少ないほど、愉快になる。

この最少化の理想は

、そう、タンザニアの広大なサバンナで見かけたマサイの若者だ。

世界に携帯電話など存在しない、ずいぶん昔のことである。

身には赤い布だけを纏い、槍一本を持って果てしない高原を抜けていった

あの孤高な姿だ。

彼にとってはなるべくしてなったスタイルであろうが、

とてもシンプルでしなやかな生き様と感じ入ったのである。

 

 📌

同じ事が出来ようもないが、

転じれば、モノを殺ぎ落とすことを所有への抵抗美学と見立て、

内なる悟りと心得るのである。

最少の物揃えで滑らかな日常を過ごせることにこそ、

心の平安があるという信仰である。

その基準値は、一用途に一点、一点の最大活用である。

法則は家具、衣服、身の回りの道具、キッチン用具、

趣味のツールなどすべての持ち物に亙る。

とにかくダブってモノを所有しないことを目指すのである。

「あれば便利--」などというのを排すること。

 

暇が出来ると、もっと整頓できないか、ダブった物どもはないかと、

前回の点検の甘さを見つけにかかる習癖が顔を出す。

購入額に拘泥しない。聖域はないのである。

あれこれと逡巡ののち、残すか手放すか決断に至ると、

心が洗われたような気分に浸れるのだ。

点検の目安の第一は、この一年間に必要としなかったもの、

同じ機能をもったもの、或は他の物でも代用できる物。

今までの点検で生き残ったモノの再吟味、反芻などである。

それでも踏ん切りがつかないモノについては、

目につくところに1ヶ月ほど出しておき、

迷いを払拭する時間をとることで、気持ちの決着をつけている。

で、整頓のベテランと自負している。

 

 📌

無論のこと、何かのコレクションなどはまったく楽しくない。

そんな恐ろしい事はとても出来ない。

逆さに言えば、どれだけ最少の持ち物で気分がすっきりするのかという、

最少所有物を選択するコレクターやもしれぬ。

 

ただ、思うに、

もう若い頃からの習い性にもかかわらず、

依然として変わらぬ点検が続いているという事は、

どういう事だろう。

こんな些事をとっても、手軽な悟りは実に危ういものである。

新しい物を欲しがり、持ってなかった物を持ってみたいという欲が

消え失せることもなく

根強く潜在しており、まだまだ甘いと自戒している。

 

 📌

こうした性癖の原点を遡ると、それらしい原体験に思い至る。

幼きころ、敗戦直後に引き揚げてきた体験に因ると思っている。

モノを多く持てば素早く移動できない、

モノにこだわると親と離ればなれになってしまう、

身の安全にかかわるという警告が、

幼少の脳の自衛回路に刻み込まれたのだと思っている。

追い立てられている強迫感、この非日常的な旅程の日々が、

子供にとって強烈でないはずはない。

 

さて、とはいっても現実、やはり煩悩はやっかいだ。

図書館が近くにあっても本の購入が止むわけもなく、

用途は同じでも新たなスグレ物を見付けると、

強い取り換え衝動を抑えられないのである。

あらゆる持ち物がこれまで何度入れ替わったことだろう。

新たな趣味が加わることもある。しかも道具から入るタイプだ。

衝動に抗しがたく手に入れ、やがて興味が薄れて、

所持放棄というパターンがなくならない。

物欲はやっかいだ。

つまり私の最少化は、倹約美学には少しも貢献してない。

買い替えればこれまでのモノは手元に残さない。

スペアとして残すこともない。

誰かに使ってもらうか、廃棄する蛮勇を奮う。

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会社という巣

2017-07-13 | 組織が悪魔になる時

 

📌

会社生活の慌ただしさは、やはり何かを忘れさせる。

まずもって、属する職業の価値観に支配されている。

そこから見える利害だけを使命とするように、

自らを積極的に洗脳する。

彼の関心はその時から制約されたものになる。

日常の正義もそこにあると考える。

懸命に従属する。

 

📌

会社や組織の人間は、

事に当たって人間らしく反応しないことがある。

だから会社員でいられる

 

📌

経営の劣化と隠蔽、職業人の矜恃が薄れている。

みんなで渡れば怖くない・・

集団の中の個人の劣化、今日の社会を蝕んでいる持病。

 

「仕事だから•••」のサディズムもしくは免罪もしくは傲慢。

人は他者から課せられた仕事で、

自分の情緒を殺すことが得意である。

組織はどんどん悪くなるか、進化するかのいずれかだ。

その中間はない。

 

社内価値だけで、生きるな。

 

📌

組織の機能を生かすには・・明快な目標と各部門の連携。

どんな案件も選択の理由と総括を明示しなければならない

分かり易い運営は,得点・失点が明瞭なこと。

会社に設けられる委員会方式は,責任を曖昧にする方式である。

 

事業の組織は大きいほど、運営あって経営無し,

管理あって変革無しという黴の発生がある。

いかなる組織にも,その存立と同時に‘組織防衛因子’が活動し始め、

大事に培養される。悪玉菌か善玉菌か。

 

📌

組織者は,頭のキレより戦略性

研究者は,戦略性より頭のキレ

文芸者は, 頭のキレより前衛性

 

 📌

命令を出すには責任が生じ,命令を出さないにも責任がある

命令と責任は、コインの表と裏である。

 

📌

限定的ヒアリングほど情勢把握を謝らせるものはない。

たった一つの情報から選択は出来ない。

反対,賛成,論評のなかにも選択肢のヒントはある

 

社長は,社内の声に過敏に反応したり、饒舌に反論してはいけない

トップの一方的な発言や方策は、腹背に反感、反発を生む。

 

とにかく言いくるめようとする対話シーンが多すぎないか。

自分の説得力に自信を持ちすぎると、良い指揮官になれない。

 

📌

個人プレーがダメで、組織決定が良いということの誤謬。

積極的発案の人材が出にくい人事システムが横行してないか。

人事配置でミスリードを重ねていないか,

モチベーションを高めるための手だてが間違ってないか、

反芻したほうがイイ。

 📌

持論の修正や調整にいちいちプライドをかけて反発する奴がいるから,

事がこじれるばかりだ。

 

優秀さより,取り組む力の持続

 

📌

収支の帳尻あわせに一喜一憂する経営者に、部下はうんざりする。

いったいどれだけのアイディアを創出したか、計画性をもったか、

投資をしたか、戦略と戦術が実行されたのか。

 

📌

食べ物に限らず、哲学にも、政治にも、経営にも賞味期限がある。

社会の舞台装置は日々変化しているからだ。

限度に近づくと、急速に力が失せていく。

 📌

一過性の業績と、

形や記録として時を超えても触れられる業績とがある。

いま華やかな事は、ほとんどが一過性である。

今日あるものは明日にはない。

時の流れの中で感動したりする、これも一過性である。 

その感動を創り出す人も、感動を受ける人もそれでいいのだ。

それで時は過ぎる。それでいいのだ。

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異国との駆け引き

2017-07-13 | 国々の正義・・・

📌

元来、日本人はいわば性善説で育つ。それは悪いことではない。

警戒するより信頼することに比重をおいている。

だから、世界も善意と信頼と向上心で貫かれていると信じてしまう。

こうすれば、こう応えてくれる、こう作れば、こう使ってくれる、

決まりだから、守ってくれると決め込んでいる。

 

だが、世界に渦巻く動機はずっと複雑である。

誰しも手前勝手である。

世界中のそれぞれに正義があって、他の正義には不理解である。

交流には、信頼と同じ度合いで不信が潜在している。

世界の人々の大半は、何事にも悪の存在と悪の発生を予知している。

だからその抑制や排除を明快にした社会を築こうとする。

曖昧さを嫌う意識が強いのである。

 

世界の動機は、理念より実利である。安全も実利である。

安全は相対関係にあり、変容のリスクが潜在している。

主張される理念は、実利の飾りに貶められている。

実利を生むのは観念ではなく、実働的な方策である。

だが、一方の正義が完勝するとすれば、もう一方に憤怒が蓄えられる。

交流の葛藤を避けるには、やはり双方の妥協しかない。

妥協は限定的な信頼であって、実利の葛藤が霧消することではない。

主軸は、信頼より警戒なのである。

 

📌

外国ではなく異国である。

外国という響きは、地理的な表現であって、

異なる歴史や価値観を有している国であることを覚らせないような

語感になっている。

社会の違いを薄めて理解してしまう暗示作用があるように思えて

ならない。 

異国とは、歴史も風土も培われた文化も明らかに異なった社会である。

多くの共通点もあるが、物の見方や価値観が横並びではない。

風土や教育の環境でしみ込んだ発想や行動基準が深く

潜在している。

彼らにとっては、日本人も理解しにくい異国人である。

違っていることや共感できないことを知ることが、

理解の本質である。

インターネットの時代でも、会話に不自由しなくても、

そのことは変わらない。

 決して謙虚さから始まってはならない。

📌

世界の実像は弱肉強食である。

何を置いても論点の意義と原則が鮮明でなければならない。

たとえ、それが情勢不利な場面でも受け身になってはいけない。

利益確保または失点軽減を明快に主張する場であり、

交渉決裂も想定外であってはならない。

転んでも決してただでは起きない、相手の弱点や失点もを突く

必要がある。

国同士の交渉も平たくいえばヤクザな駈け引きと理解すべしだ。

試合巧者は、あざといジャブを出して此方の出方を窺う。

此方がたじろぐか、フェイントで躱すか、強く反撃してくるかを

見極めてくるのだ。

礼儀も誠意も出番はない。

戦術、体力、決着の条件などを読み取ろうとするのである。

かつて日本軍の暗号が殆ど解読されていたような事があっては

成らない。

📌

交渉術も、起承転結スタイルが良い。

起は、想起する目的の端的な表明

承は、提案の具体的内容と相互の利益、権利義務の提示

転は、先方の背景や状況を考慮したヒントの提案

結は、妥協点の整理、目的に適うかの点検 

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社会の動機

2017-07-13 | 世間にはいつも毒が・・

📌

不平不満の現し方、恥の感じ方、惻隠の情、

それらは、社会が違えばその基準が異なっている。

 

📌

社会の変容が怖い。

不寛容や偏見や差別がじわりじわりと人々の心に根付いてしまう。

 

社会はアジテーションに弱い。

デモ隊が足並みを揃えるために、

最前列に長い横竿を渡して行進する光景があった。

竿の片方の端にいる者が足の運びを加減すれば、

何千人のデモ隊であっても、その長い隊列が大きく蛇行し始める。

扇動は容易いのだろう、きっとコレと同じに違いない。

 

アジテーターが衆目を集めるなら、

その社会は迷路の入り口に立っている。

社会は扇動に弱い。現状打破に幻の出口を指し示すからだ。

 

📌

人間社会の動機は、ただただ、他者との比較で成り立っている。

比較は世界の動機を触発する。

 

世界は、概ね、少数の愉快と大多数の不愉快で成り立っている。

 

📌 

契約は、性悪説に立つべし。

当事者間の契約事項遂行に異変が起きた場合の対処法を具体的、

細目にわたって記したものにすべきである。

「問題発生時に双方誠意を持って協議する・・」などと

省略してはいけない。

誠意の質量はどちらにも計れない。

契約とは信頼の仮面であるから、

契約の本質は利の共有を確認するだけでなく、

悪意の発生を予測し防御する事にある。

ここでは徹底して性悪説を前提にするべきである。

 

📌

人生の終末を実感し始めている年老いた人々の寂しさと怖れに、

追い打ちをかけるような社会であってはならない。

そんな傲慢な社会の運営をしてはならない。

 

📌

人は、論理的なことと感情的なことの間で、

いつも揺れ動き、曖昧になる。

曖昧は解決につながらないが、人の逃げ場になる。

 

📌

気候風土、敷衍して社会的風土

地球上で人は同じ営みをしているように見えるが、違いも大きい。

地理や気候の違いが、

人々にそれぞれ特有の生活の仕方を身につけさせる。

そこで何世代も連綿と共同社会が続けられる。

特有の慣習や伝統、信仰、道徳基準などに揉まれ揉まれて人が

育っていく。

その社会風土が民族の特有の価値観を産んで、しかも頑迷である。

 

互いの社会的風土の微妙な違いは、他の民族や国との間で

不理解を生む。

違う風土の社会とその人間を排除しようとする。

それは自衛策であって、その社会の正義になる。

地球の隅々まで苦もなく往来ができて、

自由な通信が世界中を駆け巡っても、

異文化の柔軟な受け入れや理解は容易なことではない。

世界は画一的にならない方が良い。

だが、異文化の相互理解が届かず不寛容なら、

その必然として紛争の芽が育つ。

積極的な融合は一進一退である。

 

📌

衣服を脱いでしまえば、人の姿はわかりやすい。

世界の姿も同じだ、その全像は言葉やモノで巧みに飾られ、

私たちはその幻想に酔いしれる。

だが、修飾を1枚ずつ剥ぐ毎に、社会の動機が見えてくる。

欲望と手法が汗をかいて熱演しているはずだ。

 

📌

人間の思考は、すべてに超越して、動機に由来している。

何事も”比べる”ことによって、価値を見いだしその方向に進む。

それ以外の法則は、発生しようがない。

引力が宇宙の法則なら、

人間の思考に存在するのは、”比べる”という引力である。

 

📌

世界の平和・・という言葉を使うのはやめた方が良い。

 いわば信仰であって、現実と幻想の間をさまよう無力を想起させる。

 人類の歴史を覗けば、それがむしろ無定見な妄想であることが理解できるはずだ。

 美しく聞こえる枕言葉としても、愚かな使い方だ。

 世界の絶え間ない努力は、紛争や殺戮を減らしたいという現実に直面して、

 わずかな成果を上げることが出来るだけだ。

 これは失望ではなく、絶え間ない方策の積み重ねで漸く小さな平穏に近づける。

 世界の現実である。

 

📌

 人々は、凌いで凌いで生き抜いてきた。濁流も清流もない。混沌の流れを藻掻いて、

 我欲と渇望と正義の混濁を飲んで毎日を過ごしている。

 政治が為す事柄の半分は、問題解消の正解とは言えないだろう。

 そうした政治的な進行が繰り返し繰り返し行われて、世界史は組み上がってきている。

 多勢に乗っかる軽薄な野次馬が多すぎる。

 

📌

今の世で、天皇家はなぜにこうも敬われるのか、改めて問われることはすくない。

 天皇は語らないが、政治家や識者があれこれ宣う。

 天皇家は国家の人形かと思わされる。

 なぜ女性の天皇を認めたくないのか。

 なぜ男性が相応しいと思うのか。

 錯誤の論調を知って驚いてしまう。偏狭でしかも頑迷だ。

平成天皇が自らの退位を望まれた際も、

 憲法を楯にとって、象徴の役割を終身に閉じ込めたかったのか。

 彼らは天皇個人ではなく、天皇制を敬っているだけなのだろう。

 

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案外イイ・・

2017-07-13 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

海を見て、思いの豊かな人なら、きっと海の広がりや深さや、

波の遠い向こうを様々な思うだろう。

海のなかを覗きたいと思ったり、

漁を思うかもしれない。

私は、波打ち際に立っても、いつもすぐ飽きる。

かぎりない広がりに、いっとき気持ちをもっていかれるが、

ざわざわとした波の動きと潮の香りを感じながら、

まもなく退屈する。

焦点を合わせようもない白紙の平面を眺めているような感覚に

なってしまう。

 

📌

どこを向いても起伏の多い山がいい。色も匂いも豊かだ。

焦点を合わせたいところが次々とある。

山は遠くから見ても中に入っても興味が続く。

 

📌

世の動きの真ん中に潜り込むより、外野席で見るほうが多い。

訪れた非日常の旅先で、

都合良く観察してしまいがちな旅人の目である。

渦中に入らないので、熱気も興奮も苦心も体感しない。

そう、外にいることはつまらないのである。

省みれば、ずっとそんな過ごし方である。

同じ伝か、チームや団体で作り出す躍動にも興味がうすい。

スポーツでも個人競技にずいぶん関心がいく。

プレイヤーであったことが少ないという薄味も、存外いい。

だが、渦中にある方が人生に正解なのだろう。

渦中の感動こそ味が濃い。濃すぎて水が欲しくないですか。

 

山並みの景観がイイ

高い空を見るのがイイ

ゴルフがイイ

競技で人の走る姿を見るのがイイ

見知らぬ場所を歩き回るのがイイ

賑やかさも悪くないが、独りでも退屈したことがない

賑やかな人もいい。静かな人もいい

一番いいのは、おさなごの笑顔だ。

 
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多数決の姿

2017-07-13 | 政治家を選良と思うのはやめよう

📌

多数の決が唯一の民主的な政治手法と信じられ、

経世の根拠になっている。

だが全員の幸福は目指せない。少数は常に軽視される。

民主制度は単なる手続きである。

異論は多数を得て正論に変わる。正論は少数の時、異論になる。

 

📌

選挙の際、候補者の見識や良識が審査されることがない。

選挙制度の最もアホなところだ。

投票者の選択眼もユルいので、3バン(地盤・看板・鞄)があれば、

ほぼ選ばれていく。

投票者のレベルでしか政治家は生まれない。

言論が第一義にならず、連呼して多数票を得ればすべて良しである。

選ばれた理由を審査されることも決してない。

他方では、一票の格差さえも長年放置されている。

この民主主義には厳格さがない。国会の怠慢は度を超している。

なぜなら、そうやって選ばれた人たちが集まっているからだ。

 

📌

多数を取った決はそれ以上の審査を受けないから、

決はすなわち社会の正義となる。

烏合の衆の一時的な熱狂でさえ、正義だ。

多数を集めても、具体的な運営者(内閣)はわずかの者たちである。

大きな社会であっても、一握りの人たちの権限で動かされる。

強引な運営、性急な結論、誤った管理の横行も発生する。

民主主義が、教科書どおりには進まない。

やはり利害の偏在を黙認する方便なのだろうか。

そこには、

グルになって利害を共有する事業、政治、官僚、情報がある。

であるなら、社会の命題は、

矛盾を現わす多くの場面で点検を怠らないことである。

 

📌

清新で強い政府が起ち上がっても、

例外なく、惰性と腐敗の常在菌を自らに宿していて、

それは時間とともに培養される。

 

📌

政治家の本分は何かと、教科書のようなことを問うても、むなしく思う事が多い。

国会論議とは、今や単なる言い逃れの場に過ぎないのか。

議席数にかかわらず、政権側に言論を持って信念を述べようという勇気がない。

宿題を忘れた生徒が、ズルいいいわけしているような光景ばかりだ。

憲法論議にしても、正面から入っていかない。隙間や裏口ばかり探している。

加えて、失言や釈明や撤回の横行は、選良たちの不誠実と劣化ばかりが目立つ。

 

📌

与野党の論議の貧困さに、私は寒気を覚える。一党独善の社会さえ誘発しかねない。

批判を封じる政権がのうのうと出現すれば、露骨な排他主義が正義を得てしまう。

政権側が傲慢に立法を策しても、ほとんどブレーキをかけることが出来ていない。

与党は、踊りやすい独善癖の首長を登場させ、崇めるようにその政権に加勢する。

野党勢力の貧困さが、裏を返せば政治の現状の立役者となっている。

 

📌

政治勢力をみて、どうしても野党の有り様を非難したくなる。

野党の責任とは何か、孤塁を守ることか。

それは政治を動かす力になっているのか。

彼らは、政党の作り方の勉強会ばかりに時間を費やしている。

与党に野合だと揶揄されて、その通りに野合に終わってしまう政治的劣等勢力である。

野党の価値と活動に期待して投じられた票は、長年にわたって死票同様になっている。

与党を性悪者へ促してしまうのは、野党の責任だと思う。

奇跡的に、政権奪取を国民から与えられたと思ったら、党内覇権争いで自壊してしまった。

それはとても後味の悪い幻想だった。その総括さえ国民に届いていない。

 

📌

ジャーナリズムの原則と義務は何だろう。

社会がいよいよ複層していくほどに、そのことが気になってしまう。

複層、拡散していく社会は、原則や信義を見えなくしいる。

 

伝播力の強いメディアやそのスタッフの報道の基軸と意思は何なんだろう。

ニュースの信頼性、独立性は保たれているのか。

自己批判力はあるのか。

いまや、多様なITメディアを介して氾濫する無原則な発言との違いは何だ。

 

社会の道筋と経営を、政治の舞台だけに演じさせないのがジャーナリズムの役割である。

政治家ではない側のそれが自由と義務である。

まず、憲法に関する姿勢を明示すべきである。

現社会の運営はそこに発しているからだ。

報道者の識見が、読者の指針になるのかどうか社会に問うべきである。

 

メディアは、論説を果敢に展開すべしである。

それを公開することがそれぞれのメディアの立ち位置であろう。

複数のメディアが現実を目前にして、それぞれの信念と方法を論じることが、

総体としてのジャーナリズムのバランスではないかと思う。

神のような不偏などあるわけなく、それは読者を混迷に導く幻想である。

 
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それぞれの旅

2017-07-13 | 旅行ちょい話

📌

旅は、緻密に考えて出かけるより、おおざっぱに出かけた方がいい。

 

すべてを,些細なことも含めて,旅に置き換えて過ごす。

寄り道、遠回りがあって、旅の愉快さが膨らむ。

日常の姿は質素で、非日常のそれは豪華である。

旅はゼイタクな幻を用意してくれる。だから,旅は好まれる。

すべてを旅として感じる境地になれれば、あんがい悪くない。

 

どんな小さな旅行であれ、それは贅沢な時間だ。

自宅を踏み出した途端に、すでに軽い興奮のなかに自分がいる。

その軽めの気分を悟られぬよう、あえて澄まし顔をしたりもする。

五感がフル稼働し始めて、いつもの乗り物でさえ違って匂う。

願わくば観光スポットは避けたい、ではどうする、分からない・・ 

行き先を定めずただ違う場所に行ってみるというのも、

だらしない感じがあって案外愉快である。

豊かな旅は、豊かな好奇心が見つけるてくれる。

見なければ見えない。

歴史や風物に感じ入のも良いけど、

目に映る雑景を無駄に観察するのも、
なにかしら気持ちがユルんできて面白い。

旅行の特権というか、

訪れた所のもろもろが自分のために用意されたような気分になれる。

そこで生活する苦労を避けて、ただ心地よい時間を味わって、

気ままに去るという特権。

いったん旅に潜れば、

好奇心が勝手に増幅することこそ旅の力である。

 

 

 

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空の空のそして空

2017-07-13 | 雑々と過って惑う

📌

宇宙の事がちっとも判らない。

普段、宇宙の大きさを感じるのは、巨大な太陽の存在である。

なんと無限のエネルギーなんだろうと思う。

科学者らの解明では、

宇宙の広大さに比べると我らの太陽は針先の大きさにも

満たないようである。

人間の時間感覚と空間認識力では太刀打ちできない

遠い遠いあちこちで、

光を放っている恒星がゴロゴロあるというのか。

しかもなお、

数兆光年の遠くまで観測できる可能性もあるようだ。

空の向こうに空があり、その向こうにも空がある、

それをなんど繰り返しても

未だその向こうがあるなんて、どう想像すればいいのか。

無限とは何を意味する言葉なのか判らなくなってくる。

私の脳は、無重力の暗闇に浮かぶを微細なゴミにもすぎない。

 

「新たに発見された銀河 [WISE J224607.57-052635.0] の明るさは、

太陽の300兆倍を超える・・」のニュース、

我ら太陽系なんて微少なもので、しかも宇宙の僻地にあるらしい。

まて、宇宙に中心はあるのか・・?

宇宙の起源ていったいなんなのだ、

はて、起源の前は空間も時間もなかったのか

なかったとは、あったとは、何のことになるのだろう

小学生が抱くような問いだが、私には今でも理解できない。

 

陽射しは まっすぐまっすぐ進む 地球の隅っこにいても

来てくれる

私のためにここにやってきたと言ってるみたいだ。

生きるものに力を与え、生きるものに過酷さを教える

われらにとって、きみより大切なものなどありはしない

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時の軽さ

2017-07-13 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

時は、冷たい もっとも無情だ

目の前をさっさと去っていく

焦っても、怠惰でも、容赦なく過ぎ去っていく

生命には、無慈悲なこと極まりない天敵だ

なにもかも置いて、時は去っていく

喜びも 無慈悲も 残酷も 賢さも 愚かさも

何もかも置いて去っていく

 

📌

時計は、社会を支配する究極のツールである。

人を追いまくって、曖昧さを許さない。

 

だが、たいていの人は時間に対して、非常に気前がいい。

本当は限りがあるのは資金ではなくて、時間である。

知っていても、誰もが知らない振りをしている。

 

📌

2000年前に生きていたローマ人のセネカが、

なぜ人生は短いのか、すっかり明かしている。

  ****

われわれは人生に不足しているのでなく、濫費しているのである。

財産を守るためにはケチであっても、

人々は時間となると投げ捨ててしまう

何よりも尊い時間は無形なもので、肉眼に映らないから、

人々は最も安価なものと評価してしまう。

 

誰一人として近くに死を見つめる者はいないが、

誰一人として遠くに望みをかけない者はない。

 

ある人が港を出るや激しい嵐に襲われて

同じ海域をぐるぐる引き回されたのであれば、

それをもって長い航海をしたとは考えないだろう。

航海したのではなく、長く翻弄されたのである。

(セネカ「人生の短さについて」茂手木元蔵訳 岩波文庫から抜粋)

 

ひきよせて むすべば柴の庵にて とくればもとの

野原なりけり 慈円

 

📌

時の過ごし方、没頭に勝るもの無し

どう生きるのか、いや、どう時間を費やしていくのか、

人はそれになかなか気付けない。時間をすぐ捨てる。

 

人生は自分の資質を発現すること。

少ない時間であるのに、むしろ焦って、彷徨する。

 

📌

自分が何をしていようが、心のどこかで何かを待ってしまう。

そんなことが人生にはある。何かとはなんだろう。

 

美味いものを喰い続けたいのか

見知らぬ光景を見たいのか

恋をしていたいのか

家族の暖かさに安らぎたいのか

何かしらの解明に没頭したいのか

達成感が欲しいのか

指揮する立場を得たいのか

他者のために尽くしたいのか

豊かな幻想を編んで遊びたいのか

 

あちこち見て歩いたからといって、

うつくしいものを見たからといって、

旨い物を喰らったからといって、

物足りない気持ちが迫ってきて、焦ってしまう。

 

 📌

世界はプレイヤーとオーディアンスでできている、

または発信者と受信者でできている。

観客であるよりプレイヤーでありたいが、

私は祭りの渦中にいたことがない。

いつも群衆のなかで祭りを眺めている。

だから演者や競技者の高揚感を知らない。

 

📌

持て余すような長い孤独の時がやってきたとき、

人はどうするのだろう。

何かを自身に問うて、何を満たしうるのだろか、

それでも迷い続けて、やがて死ぬ。

悔いが無くても多くても、人生の終末を実感する時、とても哀しい。

 

 
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作法

2017-07-13 | 日本人の性分

📌

作法とは、

箸をきれいに使うこと。

口から出す音は言葉だけ。

痰や唾を道に吐かない。

声を張り上げない。

一方的に話さない。

良く聞くけど、聞き出さない。

時間に遅れない。

駆け込まない。

列に並ぶ。 

目の高さの遠くを見て歩くこと。 これだけで十分だ。

 

📌

競技場での光景

日本のスポーツ界で広く浸透している作法に、

競技の場に入るとき、あるいはその場を去るとき、

軽くお辞儀をする振る舞いがある。

この光景を日本以外の人が行うのを見ることはない。

競技直前に祈りの仕草をする外国人競技者がいる。

日本人競技者の場合、その振る舞いは祈りではなく作法としてある。

それは勝敗に関わらず、

自分がその機会を得た事への感謝や観客とかスタッフへの礼を

込めているのだと思われる。

私たちの社会で習慣化していて、

観客も公共の場の作法として違和感なく受け止めている。

 

こうした作法は、学校生活やサービス業でも珍しくない。

職員教育の行き届いたレストランや売り場でも、

その出入りに際して軽く黙礼しているし、

車掌が検札に廻るときなどもそうである。

客側が目に留める留めないに関わらず、職員の心得としているのである。

外国人にはきっと不必要な振る舞いと映っているだろう。

確かにそう見える。

だが、気付かれもしないその地味な行為は、

周囲に対する謙虚さの表現なのである。

 

📌

間合い

「すみません・・」という言葉を日本人ほど多用する国があるだろうか。

反対に「ありがとう・・」と発する頻度が非常に少ない社会と思う。

礼を言うのが相応しい場面でさえ、

迷惑をかけたような意を含んだ姿勢で「すみません・・」と

反射的な反応になっている。

この事は日本人の他人に対する姿勢をよく表している。

もめ事を避けたい一心で、低姿勢をポーズする社会である事も判る。

それはまた、謝られることに重きを置く社会に繋がっている。

非を咎められた者が、どういう態度で謝るかによって、

社会の反応がまるで違ってくるのである。

だから狡い人はすぐ謝る。謝ってから弁解に走る。

一方で、その言葉が事の決着や結論を述べていないことも、

双方の暗黙知となっている。そういう風土を持った社会なのだ。 

 

この作法を、日本以外の社会や人に対して使ってはならない。

自分が一歩下がって・・という発想が、他国の作法にない。

異国の人は「ありがとう・・」を多用する。

およその場面でも、迷惑をかけている・・と印象を表すことは、

滅多にない。

謙虚さや善意の表明が、同じ値で相手に通じると信じ込むのは、

日本人の独りよがりであって、

むしろ折衝の手順を壊しているのである。

あくまでも一貫した主張でクールに臨むことが、発言の明快さである。

彼らは法廷で双方が主張し合うのと同じように、

自己の不利益を減らすために弁舌を駆使し、

あくまでも陳謝を回避するのである。

 

 

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犬の気持ち

2017-07-13 | 犬の気持ち

National geographic channel

[カリスマ ドッグトレーナー、犬の気持ち分かります。] 

Dog specialist シーザー・ミラン

以下は、TV番組を見て、理解した要点を列挙したもの。

 

犬は、今を生きている。

犬は根に持たない。恩義も感じない。自分への哀れみも察知しない。

クレバーな犬は、良い条件反射(規律)を身につけているだけ。

 

 犬が快適でいられる条件

*明快な規律を与えられている。甘やかしと自由は、悪習性の元凶。 

*犬種に沿った運動をすることが、犬の仕事でありプライドである

       (運動不足が、様々な異常行動を誘発する。)

*良い反応をしたとき、リーダーが愛情を示してくれる。 

 

 犬の望み

*飼い主の可愛い子供ではなく、あくまでも犬でいたい。

*興奮や不安の少ない、リラックスした気持ちでいたい。

*明快で穏やかなリーダーの元にいたい。 

*人間の言葉でなく、犬に通じるサインで伝えて欲しい。 

 

 犬の安心

*リーダーの平静さ、毅然とした態度は、

 犬にとって周辺に不安材料がない、リラックス情報である。

*リラックスして散歩する犬は、

 何にも執着してないから、匂いを嗅ぎ回らない、 

 リーダーの前に出ず、よそ見もしないでまっすぐ首を起こして歩く。   

 

犬の習性

*犬は安心を求めて、いつでも周りの気配を読み取っている。

*犬はブロック(縄張り設定)されたところには侵入しない。 

*学習した条件反射だけが、犬の過去であり記憶である。

 訂正されない限り、いつまでもその条件に反応する。 

*規律を学習してない犬は、本能のままに無秩序に行動する。

*恐怖や不安の気配に興奮し易く、変心する。

*行動が異常な犬は、リーダー不在、空腹、運動不足、

 不安などストレスの渦中にある。

犬は、犬社会の作法を学習しなければならない。

犬同士の伝播力は非常に強く、互いに瞬時に反応する。 

興奮している犬の群れに出会うと、興奮がすぐ伝染する。

反対に穏やかな群れの雰囲気も速やかに伝染する。 

穏やかな大勢の犬たちは、悪癖を持つ犬にとって良い教師である。

犬には、犬同士の認知の仕方、本能的な間合いの取り方、

挨拶の仕方がある。

匂いを嗅ぎあうことで穏やかな犬のつきあいが始まる。

犬の社会性は、群れや他の犬との挨拶の仕方を学習して整えられる。

犬同士では、去勢や不妊手術の有る無しが、興奮材料になる。

 

 リーダーが発して良い規律語は二通り

  • 短い命令語 (学習済みの条件)
  • ボディランゲージ(瞬間ブロック=タッチやリード使い)

*飼い主が信じているほど、人間の言葉は犬に有効ではない。

*犬の武器は、周りの気配と匂いを瞬時に感じ取る能力である。

 吠え方の違い、尻尾の位置と動き、顔の向き、頭の上げ下げ、

 耳のたたみ、足の掛け方、おしっこ、地面の匂い嗅ぎなどで、

 敏感に相手の気配を探る。

 周囲の人や他犬の気分(弱気や強気)を瞬時に自動受信し変心する。

 それが犬の自衛本能である。

*犬に通じるサインは、毅然とした気配とブロック接触である。

*タイミングのいいスキンシップやブロックだけが、

 犬に正確に通じる。

 

 犬の悪癖の原因は、100%オーナーにある。

*犬種による習性の違いを知るべし。

 何かを見つけると叫ぶ(吠える)習性の犬もいれば、

 縄張り主張の強い犬や、支配欲が強い犬種など、一様ではない。 

*犬を混乱させないために、終始規律が崩れないことが大切である。

 リーダー自身の緊張や弱気は瞬時に犬に察知され、

 規律が壊れて興奮を誘発する 

*甘やかしや間違った餌やりは、悪癖をつけ、悪ガキ犬に育てる。

*人間の激しく畳み掛ける言葉は、ただただ興奮誘発剤である。

 感情的に叱ったり、罰を与えたり、過剰に言葉を浴びせると、

 犬の信頼を失い、攻撃的興奮を助長するだけである。

*常に犬の観察を緩めず、興奮の兆候あればすぐ修正すること。

*犬社会のルールを学習していない犬は、

 他犬にただ吠えるしか知らない。

 

興奮の兆候、

吠え方の違い、尻尾の位置と動き、顔の向き、頭の上げ下げ、

耳のたたみ、足の掛け方、おしっこ、地面の匂い嗅ぎ、など

犬の心理を見逃さないこと。 

 

興奮している犬への対処 

毅然として、明確なブロックサインを出すことが大鉄則。

わずかな兆しも許さず、タイミング外さずブロックすること。

ブロックは、事態から気をそらさせ、

NGなことだと反復学習させるのに、非常に有効である。

 ブロックの方法は、首や脇腹やお尻をつつく感じで瞬間タッチ、

または、脚で行く手を塞ぐことなどで

犬の目線や関心を遮断するのが狙いである。

それだけで興奮のスィッチが切り替わって犬の執着心を制御できる。

リーダーは妥協する事なく、我慢強くブロックを続けて

犬の関心を消し去ること。

中途半端で終わると、反って犬は粘り勝ちを学習してしまう

 リードは、いつも短くかつ緩やかに持つこと。

リーダーの緊張がリードの張り具合にそのまま現れ、

犬を不安にさせ興奮を生む。

リードを縦に引くのは間違い。後ろに引くと前進反発を誘ってしまう。

リーダー側に横に引くことでブロックの効果が出る。

首輪は、首上部の方が指示の強さを伝えられる。

 

犬の興奮を誘発するきっかけ

*マイナスエネルギーを発しているリーダーは、犬を混乱させる。

 リーダーのマイナス心理とは、犬に対する同情、弱気、諦め、

 悪いタイミング、興奮、いらつき、間違った餌やり、

 中途半端なブロックなどである。人の後ずさりは、

 犬に最も判りやすい人の弱気信号である。

 犬は序列の混乱を察知すると、リーダーの地位奪取に向かって興奮する。

 

犬の悪行にどう対処するのか

*犬は今を生きているから、新しい条件付けに良く反応する。

 犬が執着している対象への目線、向きから強制的に気をそらすこと。 

 ボールを転がしてもいい。

 執着回路のリセットを確信するまで、繰り返しの安心馴らしを

 我慢強く反復学習させること。

 リーダーの指示からそれたら、瞬時にブロックして正すこと。

*首を掴むような(噛む)仕草は、親犬の言葉だから、最強規律語である。

 或は横に寝かせ押さえて、興奮が消えるまで立たせない。

*悪いリーダーは、愛情表現の方法とタイミングが間違っている。

 犬が落ち着いた態度になってから、次の行動を促すこと。

 犬へのスキンシップ(OKの信号)は、犬がリラックスしている時だけに限る。 

*異常さがヒドい場合は、ショックカラーやラケットブロックなどが

 有効である。

 或は、首を手で噛んで、横に寝かしつける。

 そのまま犬が静かになるまで待つ。

 首を掴む方法は、母犬が首を噛んで制止する習性であり、

 すべての犬種に通じる犬語である。

 これも中途半端に止めないことが大事。

*厳しいブロックに対して、

 犬にはどう反応したらいいのか迷う時間があるので、

 それを踏まえて、繰り返し制止、我慢強く誘導することが必要。

 *犬とは、神経戦である。

 中途半端は犬に意思が伝わらないで終わる。

   母犬になったつもりで、降伏するまで躾を徹底する。

 そのことで犬の反応回路が切り替わる。

 

追記

人は判断するけど、犬は反応するだけ

オーナーの気配や心理がまるで鏡に映したように、共有する。

弱ければ自分がリーダになろうとするし、

強過ぎると警戒して信頼を失い、攻撃的な反応をする。

要は、毅然としていて穏やかなことが一番犬に安心を与える。

 オーナーは、犬にボディランゲージで伝えること。

 自然界では「弱みにつけ込む」ことは、むしろ本能、

なぜならそれがサバイバルの条件だから。

 同情するな、後ろへ下がるな。

同情しなくても犬は傷つかない。甘やかしを愛情とも思わない。

ただ、物事をはっきりさせれば、本能が不安定にならないだけ。

 犬の悪癖をリハビリするには、我慢比べとくりかえして、

犬に諦めさせる=攻撃心をなくす。

 

📌

「犬の気持ち分かります」は、対象が犬でなくても・・・、

動物全部に当てはまりそうだし、

人との間合いに置き換えても、社会の様々な場面に置き換えても、

示唆に富んだ手引きに思えてくる・・。

 

 

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