世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

知識量の軽さ

2017-07-14 | 蒙昧にたどり着く

 

📌

人間の弱点は、知識に依存していることである。

私たちはいつも知識の支配下にある

 

大英自然博物館展を見て、ため息をついてしまった。

人間の時間軸はとてもとても短い。

地球が創出した多様な生命体や鉱物植物の不思議については、

傑出した博学者であっても

きっとその数パーセントを知り得ているだけだろう。

まして一般には、教育で得たわずかな知識にとどまっていて、

宇宙や地球事物の変化や仕組みを

その1%も知ってはいないのだろうとおもう。

どのジャンルの創造物であっても、

その生成に要した時間を、人間は数値化できるだけである。

自然の変化を捉えるには人間の時間感覚はまるで役に立たない。

人間が使う時間の長さは、余りにも微少な計測なのである。

一億年前、1万年前といったことを感覚できない。

人の脳はその能力を持っていない。

人間は考える能力を持っているが、

使う時間は人間同士でわかり合える時間感覚にすぎない。

 

生物や植物のそれぞれが持つ異様な形態、色、活動、存在すら、

何一つなぜそうなのか、やはり不思議でならない。

連綿とした遺伝子の強さ、環境を凌ぐ多様な変容は、

未来に何を創出し続けるのか。

鉱物の生成を遡ればそこには何があるのか。

あれもこれも素朴な質問に戻ってしまう。

地球の至る所で様々な化石が発見され、復元され、

仮想映像で蘇るそれらの多くが、

現在とあまりにも違って驚く。恐竜群などはいい例だ。

なぜ出現したのか、なぜ多様な姿態をしているのか、

なぜあれほど大きくなる必要があったのか。

化石から明らかにされている事柄は、

地球上に創出されたもののわずかな一部に過ぎないないだろう。

人々が懸命に探し続けても、

宇宙時間で現れ消滅していった事物は計り知れないのだから。

ましてや、微生物の世界など、

どれほどの連鎖や変容があるのか、理解は遠く及ばない。


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