世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

信仰とはなんだろう

2021-02-19 | 「鰯の頭も信心から・・」

📌

信仰とはなんだろう、日本社会での信仰の様子は、

それは敬いという一言に尽きるように思う。

自然への畏怖や尊び、祖先が遺したものへの敬いである。

それらを素朴に祀り敬う。身を清めて敬う。

神道にせよ仏教にしろ、信仰者が教典の文言なぞることはないに等しい。

言葉が平易でもない。

噛み砕いた解説が必要なほどである。短い定型句を唱えるばかりである。

絶対的な神を創造しているわけではない。

 

神社では神話の世界ばかりでなく、武勇や偉人を祀って敬っている。

奉る、崇める、あやかる。あんがい、身近な存在である。

山も海も岩も大木も敬いの対象である。

自然を畏怖し、恩恵を得ているからである。

 

かたや、

西欧などの一神教の社会では、神との対話ということに尽きるように思う。

彼らは絶対的な神というものを創造している。

その信仰は、神の使者、神の子の教えとの対話である。

人々は生まれた時から神との契約を負わされているように思う。

一神教に倫理を委ねた生涯こそ、人のあるべき生き方とする。

そこには多くの平易な言葉があり、説得力を持たせるようなレトリックが駆使されている。

 

📌

自然界に畏怖を覚える。

であるが、神への畏怖とか宗教ということへの信仰は心底ない。

どの宗教組織であれ、体のいい催眠洗脳集団に思えるではないか。

一神教に倫理を委ねた生涯こそ、人のあるべき生き方とする西欧などの規範は、

私には空恐ろしい。

異教徒を認めない、信仰心を持たない者を排除する偏狭な世界だからだ。

人間の思考に、あるいは志向にそんなが必要なのだろうか。

 

彼らは信仰のない者を下等な生き物のように差別する。

だが私の眼にはそういう一神教の信奉者が、軛から抜け出せない、抜け出したくない、

狭い思考の城内に囲まれている人たちに見えてしまう。

その指導者は巧みに言葉の誘導力を駆使することに腐心する。

信仰者は一神を、無条件に慕う、そばに居てくれると思ってる、許してくれると思ってる。

夢遊病みたいじゃないか。

しかも滑稽なほど様式に依存している。

教会堂の荘厳な様相というものも、

贅を尽くした王宮などの傲慢さと何が違うというのだろうか。

 

宗教史なんかむしろ壮大な無慈悲と空疎そのものを示している。

異教徒を迫害しまくる暴力史でもある。

倫理の欺瞞が満ちている。他者への寛容ということがない。

宗教の影には不条理が張り付いていて、終わることなく諍いの元になっている。

しかも制御する方策がない。

 

コメント
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