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世態迷想・今日の私は昨日より新しい 

あれやこれや書き溜め・・
   徒然の思いは尽きもせず

国の作法

2023-02-19 | 国々の正義・・・

※ 国の作法・・?

中国人は食事をした後、食卓も床も食い散らかし放しで、

平然としているという印象がある。

何事も後始末にこそ、醸成された習慣風土の姿が滲み出る。

普遍的な社会的作法が、中国人にあるように見えない。

第一の欲求や動機が満たされれば、後は知らんという振る舞いだ。

 

その延長線にあるのが、

中国の政治の進め方、外国との取引の実態である。

だが経済的攻勢に始まるやりっぱなし外交、

唯我独尊の共産党の戦略を評する以前に、

その前段に有ると思われるのが、

大半の中国人に染み付いている他者に対する姿勢である。

前面に出ては強弁し、ひたすら反発、攻撃する、それこそが利得に繋がる、

そればかりだ。

声高にヒステリックな攻勢が、彼らの常道もしくは信条らしい。

 

他の国々がそうではないと言うことではなく、

中国のそれは内政外政とも、とても剥き出しで極端である。

中国には、けたたましく反発する他に作法というものがないのだろうか、

あれだけの長い歴史を経ながら、残した社会の知恵がそれだけなのか。

というのが私の印象である。  

 

中国には、国際社会から説得力を持った安定大国として受け入れられる方法がある。

ひとつ、

一党独裁の手軽な強権政治を卒業し、

国内の様々な意見が外からも見えるようになる社会を醸成すること。

 

ひとつ、

台湾の歴史を認め、独立を受け入れる。

80年近く自立してきた台湾の厳然たる事実を、覆す権利が中国にはすでにない。

この歴史的既成事実を変えることはできない。

領土広大な中国を占領している共産党が、

ひたすら貪欲と攻撃的な政体であることを示している。

武力で奪還すると強弁してる。彼らには内にも外にも武力しかないのか。

彼らは共産党以外の政党の存在が怖くて堪らんのだろう。

共産党専制の役目は、既に終わってると思うけど。

 

ひとつ、

個人、集団を問わず中国人の他者に対するマナーを質すこと。

このことは、染み付いた強権主義より、

むしろ根が深く中国社会の根底にあると思うからだ。

現在の中国には洗練された人々が多くいるといっても、

社会全体を見れば、世界中から中国人の不評が寄せられている。

個人も組織も、ただただ唯我独尊で、他者に対する想像力が貧しい。

これが改まっていくには、3世代ぐらいの時間が必要かもしれない。

 

まるで発展途上の社会そのものである。

金と力それだけで社会を制する、それだけを古代から引き継いでいる。

社会の成熟はもっと別なことを求めている。

とても古代より文明を切り開いてきた、アジアで最も長い歴史を持つ国とは思えない。

多様な世界や歴史から、なにが社会の成熟か大事なのか、得ることが少ないらしい。

 

 

 

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反日

2020-05-15 | 国々の正義・・・

※ 1000年恨

日本に対しては1000年恨と宣った韓国大統領がいた。

植民地時代の歴史的屈辱を反芻するからだ。

歴史が変わり、70年弱のその後の外交の経過が積み重なっても、

依然として、韓国の対日外交、舌戦にその事が前面に強調される。

内政でも執拗に反日偏重宣伝が続いているから、

過激な反日行動が肯定される社会が出来上がっている。

反日無罪である。

 

集団催眠状態であって、しかも扇動者は常に為政者である。

まるで鬼畜米英と喧伝した80年前の日本社会みたいである。

朝鮮社会に見られる生来の過剰表現や硬直化が、政権によって乱発されて止まない。

 

何事であっても偏重が生み出す成果は破綻につながる。

今や、謝罪も、賠償も、国際法も、2国間合意もないが如しである。

彼らは時に受け入れて、別の時に蒸し返す。再び合意してもまた蒸し返す。

その経過と内容を彼ら歴代大統領は国民に詳らかにしていないようだ。

両国の国民の感情はその偏重に揺さぶられ、悪い方向に不安定になっていっている。

 

どの歴史に対しても、どの国の植民地支配にも完全な償いなどはないだろう。

国同士の関係は政治的な手法で和らげるしか表立った方策はない。

国民感情に区切りはなくても、外交は区切りを見つけられるはずだ。

いずれの國際関係も、どこかに現実的な結び目を見つけて成り立っている。

 

だが、彼の国の為政者たちは休まず、反日プロパガンダを劇場化させてしまう。

煽った国民感情を背にして、外交の積層を容易く反故にしてしまう。

蒙昧とした日本憎しに取り憑かれているとしか見えない。

それが内政上も外交上も得策だと思ってるなら、それは悪手である。

 

日本は、韓国との外交上の取り決めが、何の前進にもならないことに呆れるしかない。

交渉が将来を担保しないという教訓を韓国から得ただけだ。

翻って、それは日本人の韓国観の見直しや嫌韓が遍く日本列島に浸透したかのようだ。

この数年に顕著な反日攻勢は、日本人の韓国観が新時代を迎えたように思う。

皮肉にも、これはパク・ウネ元大統領、文大統領らの功績である。

 

隣国とは友好、平和をと言い続ける人たちはいる。日本政府の反駁を悪手という人もいる。

永遠に謝り続けろと言う人もいる。

歴史から解放されないことは確かだ。だが、高みの見物、きれいな発言で現実は動かない。

どの国であっても、政府が煽るなら国民感情は容易に集団ヒステリーを起こす。

そうなれば、政治、外交のいずれの方策も狭まる。

政治家はアジテーターで終わってはいけない。

事象をアジることは、誰にでもできる。政治家がやることではない。

韓国との外交が不毛であることを日本社会は知るばかりである。

いいだろう、ならば1000年待とうではないか、と言いたくなる。

いやその時になれば、彼の国の政治家は2000年恨だとまた煽るのだろうか。

 

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200余の国々

2017-07-13 | 国々の正義・・・

※ 200余の国々

どこを向いても、いびつな国、狡猾な国、独善的な国、野心的な国々に見える。

向こうから見てもそう見えるのだろう。

遠い未開時代も部族間争いは絶えなかっただろう。諍いの原理はそれと同じだ。

だが、彼らは適合する分限を知っていて、一定の治まりがあったと思う。

それが時代を経て、国家それぞれが文明力を武器に出来る分、ずっとずっと質が悪くなった。

どの国家も、自分は質が悪いと思わないから、なおさらである。

色んな正義が転がっていて、敵対する相手への大義となっている。

国々の混沌と諍いは、球体のなかの永久運動のようである。

どの国の為政も、公正や正義が偏在している。

 

社会の因習や政治の制度とその手法は、その社会の文明の水準そのものである。

 

社会の最も大きな力学は経済であり、社会の動機そのものである。

様々な脚色がなされても、世界史の根底はことごとく経済的利得である。

 

移民、難民の流入を人道的に受け入れる国がある。

だが時間とともに差別的な社会要因として噴出し、社会運営を難しくしていく。

 社会が何か異変を感じると、市民に過剰な反応が起きやすい。

合理的判断より自衛的な感情が真っ先に刺激されるからだ。

興奮が冷めると、状況を観察し始める。

事実確認と事態の予測に移る、感情から合理的判断への移行である。

だが、立場によって合理的な判断の基準は違うから、葛藤が始まる。

 

世間も世界もどんどん忘れていく。

30年も経つと、それはなかったごとくである。

人のそれも社会のそれも。

忘れないと、明日を生きられないと言うのだろう。

 

※ 偏狭な王国

もはや世界中が知っていることだけど、

ある国は、世界の安物工場として名をなし、どんどん売りまくり、

巨大な成金国に成長(?)した。次に世界中からどんどん買った。

俺がいなくては世界の経済発展はないだろうと自信タップリである。

物も知恵も技術も文化も金で買えるぞ・・・、全国民がそう思っている。

そこまではまだ良しとしても、その売りまくり買いまくりは、

この国の評判に合致していないところが恨めしい。

 

内でも外でも、食い散らかした食卓テーブルの様子に似ている。

後のことは知らんぷりである。恥知らずを自己主張とすり替えている。

金にさえなれば、ドブ水からだって食用油に化けさせる。

他国ではめったに見られない不良商品が、次々出現して世界に警戒されている。

トイレの汚さは200年前のようだ。まさに世界のレベルとかけ離れている。

今更ながら、やっぱりトイレはきれいにしようかと気がついたぐらい。

良質な社会になるための大事なことが、遠くに放り投げられてきた。

金銭に換算できないものは、むしろ忌み嫌われきたかのごとくである。

 

一党の行方

一党独裁は強い統制力を武器に、70年間脇目もふらず13億人社会を運営してきた。

アル中患者が決して酒を手放さないように、

この70年間、独善的統制を片時も手放さず、ひたすらに正義としてきた。

かつて毛沢東が仕掛けた百家争鳴と文化大革命は、大衆を篩にかけ、苛烈に愚弄した。

国民は、まるで底引き網にかかった大量の魚のように仕分けられた。

あらゆる分野の表現や情報が恣意的に管理され、不服従者は露骨に排除される。

だが、支持者たちはその’正義性’に合点している。

人民は押さえつけるべし、天安門事件でも世界は独裁の暴力性を知ることになる。

 

一党の必然として、官僚の腐敗と収奪の大システムを発生させる。

幹部の巨額な汚職が厚顔に罷り通る社会が、この国の根深い実像に成ってしまった。

国民も、あらゆる層が金銭的な利得以外の美徳を見出せなくなって、拝金者に傾斜した。

腐っていようが人のものであろうが、専ら利を求めてその策謀のために蠢く。

モラルや公正や品性などは、現金化出来ないから見向きもされない。

空気と水と土壌が極限に汚染されている現状も、むしろ積極的に座視されている。

生産行為でも生活作法でも、その行儀の悪さに他国は驚きを隠せない。

商行為は悪辣に劣化し、世界は悪意ある商品を知ることになる。

 

膨らむ経済力を過信している一党政府は、恥辱の100年歴史の反動からか、

世界を相手に性急な強圧外交に酔っている。天安門から世界を睥睨しはじめた。

世界から何を批判されようと、外聞を常に不当であるとしている。

そうした外聞をまるで気にしないように見受ける。

国際裁判が何を言おうが、国際契約をキャンセルしようが、協力事業を放り出そうが、

彼らの行動規範はびくともしないようだ。

世界は中国の利益のためにある、不評がどうした?

一路一帯で市場はますます広がるぞ。宇宙技術も空母も進んでいるぞ。

行け行けどんどん、中国はいつも正しい。

 

国一丸となって、世界中にばらまいた負の評判を、どれほどの時間で消せるだろうか、

消すつもりはないかも知れない。中国流に半歩の謙虚さも必要ないと思ってるだろう。

無節操というブランドなしでは、中国人は精彩をかいてしまうのか。

支配層は、成果と引き換えに発生した負の重さに痛みを覚えないのだろうか。

 

仮に中国サイドに立ってみたとしても、もうこの体制の役割は終わっている。

この社会は、一党支配の弊害の大きさを知るべきである。

建国から70年経つこの国の開発や発展は、歴史大国としてむしろ非情に遅い。

一党独裁で建国の近道を通ろうとして、国土も国民の意識も食い散らかしてきた。

社会の有り様は極端に偏ってしまい、多面的な社会の成熟を目指すなら大変な遠回り

である。

だがなお、強欲な支配層を見ていると、一党を手放しそうには思えない。

13億の巨大な社会に発生する多様な隘路や矛盾を、彼らは変わることなく、

これからも強力な抑圧と制裁で、一党すなわち愛国に封じ込めるのだろう。

 

多様性や融和の拒否

10億を超える民を一党の支配機構で治めうるとするのは、無茶苦茶な話だ。

人間にもその集団にも、もともとそんな公平な経営能力は備わってない。

ただ融和を目指す知恵が備わっているだけだ。

中国の政治史は皇帝制から一度も脱け出した事がないので、

人民革命が実現しても一途に党独裁を選択した。民主化の匂いもない。

文化大革命などという悪政を経てさえ専制を堅持してきた。

やはり彼らは古代以来の皇帝専制の治政しか発想しないようである。

 

共産党一党の理念と手法のみが中国の正義であるとしている。

過去の治世に勝る徹底した統制で異質を細部に至るまで排除し続け、

排他主義に徹したある種の宗教的社会である。党主席はつまり教皇である。

膨大な人口に最大公約数の幸福と安心を一党で実現できると思い描いているというより、

教皇派たる共産党独裁の強固な構築だけに集中している。

全ては党組織と党員のためにある、軍隊も然り。

巨大な軍隊さえ共産党の領導でしか動かないと規定している。

建国に民主化なんぞ何の薬にもならないと、鼻で笑っている図である。

 

その独裁制はすでに80年を数える。成果はどうだ。

3億に幸福が訪れても、残る10数億の民は蔑ろにされているだろう。

基本的な人権や報道の自由は正面切って不正義とされる。

高らかに謳った人民の革命は、長年の独裁で社会のあらゆる層に不道徳を

浸透させてしまった。この国の社会通念はすっかり変容した。

国土の汚濁や党員の汚職、恫喝に塗れた偏重社会の出来あがりだ。

世界中がその悪質さを知っている。

この独裁党は、多党制治政の他の国々が怖れないことを怖れている。

彼らは多党制など夢にも見たくない。一党の正義が崩れるからだ。

染みついた腐敗を追放する強権キャンペーンさえ、本音は政敵潰しである。

 

何を手に入れ、何を失っているだろうか。

額面世界一の経済力を誇ることの虚実がはっきり見える。

諸外国を恫喝する悪癖さえ彼らなりの誇りを擽るらしい。

根付いた悪心を中和するには、物心とも倍する歳月が必要だろう。

社会はゆっくりしか変れない。

一党制は多党制よりはるかに人間を貶める。

それでも彼らは正義と言い続ける。

何事にも次の場面が待っている。

この国は一党独裁のあとに、

また新たな皇帝を出現させることしか出来ないのだろうか。

 

※ 撒き散らす

欲望に直結した事柄は、容易に浸透するし露骨に実現されてしまう、

だが、倫理観や作法の具現となると、はるかな時間がかかってしまうものだ。

国家も社会も個人もそれは同じだ。

中国の独裁政府とそれに連なる人びとが、とてもいい例だ。

強欲で、無作法の典型である。

成金は素行の悪さに飽きもせず、その傲慢さを世界中に撒き散らしている。

 

※ 狡猾もたくみのうち?

かの国が古代から文明国であったことを、世界は知っている。

世界が知っていることがもう一つある。

それは長い歴史を経て鍛えられた、狡猾心の根深さである。

それは、漢字の奥深さに劣らない。

そう、彼らの遺産は、漢字の創出と狡猾さに長けたワザである。

この二つの前にかの国のほかの知恵は、霞んでしまっている。

引き継がれるべき長い文化の諸相や道徳観がよく見えてこない。

 

漢字の発想から創出できないものは、

躊躇なく他者から手に入れる。

創出できないものを我が物にするには、

持ち前の狡猾な戦略が縦横に駆使される。

批判には強烈な反発を現す。意気盛んに反批判する。

あの無残な文化革命で鍛えられた手法である。

他者に敬意を払って学ぶという着想にはならない。

彼らの知恵は新しい文化を創出できないでいる。

狡猾な競いで他者から手に入れた方が、早く実現するからだ。

狡猾に手に入れたものを、わがオリジナルとする厚顔さもある。

 

まず覇権者の狡猾さは群を抜く、

だが、下層に至るまで民も決して負けていない。

狡猾のワザを縦横に現し、恥の感覚は狡猾心を弱めるので敬遠される。

道学を説いた曽ての哲学者たちはもうどこにもいない。

成果は全て金銭に数えられる。

安全も安心も清潔もマナーも金銭的利益にならないから価値がない。

金銭の裏付けのない信頼は成立しない。

今や、狡猾を競う稀な社会を実現した国として、世界が知っている

 

 ※ インフラの階段

 世界には発展途上の国が多くある。

 国の経済活動を促す第一歩は、物流のインフラ整備であろう。

道路、橋、鉄道、港湾、空港、電源などが整わなければ

人も物も動けない。

それらが必要最小限度に揃うには、巨額の資金を要し、

建設計画はゆっくりしか進まない。

国作りにはとても時間がかかる。

順調にその計画が成っても、

それらは社会構築のほんの入り口に過ぎない。

世界に国風をアピールするには、何段階もの社会整備が必要だ。

 

かつて途上国を訪ねたおり、

幾つかの国の人々に言われたことがある。

日本は100年で経済大国になった、

大いに勇気づけられるという趣旨だ。

目標にしてもらうのはかまわないが、

内心それは大分に要素が違うよと、思ったものだ。

前提となる条件が抜け落ちているからだ。

 その時点で、私が知り得た途上国、特にアフリカ諸国の一般の人々は、

計画とか効率とか、ものごとの流れ全体を察知する習慣を

学習していないようにみえた。

そうしたことを必要とする環境で過ごして来てないと思う。

 彼らが言う日本の’100年発展’以前の数百年間の日本は、

封建社会であったはいえ、

独自の高度な社会構造をつくりあげている。

計画すること、具体化することの豊富な経験、

必要な技術の習得、経済や流通についての実績、文化力、

さらに教える、教わるという機会がすでに充分整っていたし、

つらなって社会的な一体感も醸成されていた。

過酷な階層の実態も経験している。

社会開発に必要なほとんどの条件を持っていた。

 

明治維新時代も、

焼け野原で大半の産業が機能不全状態であった大戦後も、

ゼロから再スタートしたと外国から見えたかも知れない。

だが、目には見えないもの、

社会建設に必要なものは持っていたのである。

根強い社会意識、教育水準、技術向上心などを尊ぶ気質である。

 

橋や道路や港湾など初期インフラの段階を、

一戸建てに例えるなら、どうにか家までの道路を作り、

安普請か堅牢かを問わず家を建てたとして、

それは雨露を凌ぐだけの初期的な条件を用意しただけだ。

 

生活を充実させるには、

その何倍もの工夫と費用と時間が必要である。

玄関と居間の体裁を整えても、

家の内外に成すべきことはたくさんある。

家の外を整備しなければならないし、美しさも求められる。

日常生活の必需品や生活道具を揃え、

上水道、下水道、エネルギーも充足されて、

ゴミ処理や衛生対策など、安心できる環境を進めることが求められる。

住む町には公園や公共施設が充実して欲しい。

 

家の中では家族の穏やかに団らん出来る場所、食事も充実させたい。

生活の質向上を望むには、もっと資金や時間の積み重ねが必要になる。

その過程で日常的な作法が洗練され、ようやく、

家族の穏やかさや精神的な豊かさが満ちてくるのだろう。

そこまで至るには遥かな生活時間の積層が必要となってくる。

ローマは一日にして成らずである。

 

運輸手段やエネルギーなどの物理的、工業的インフラ整備は、

社会構築のほんの端緒でしかない。

その段階では、社会は未熟な赤子に過ぎない。

社会は、目的や使命や利害が絡み合った構造で成り立っている。

各層の軋轢を軽減し、全体として進化するには、

長い発酵期間が必要である。

1枚づつ布を重ねて、重厚な布に仕上げるように、

社会全体の点検や改善をし続けないと進化が鈍る。

そうして、

ようやく経済的、文化的な作法の整った社会の姿が見えてくる。

 

敷衍すれば、社会の成熟度が高まり文化の創出に至るには、

何十段階もの社会的な試行錯誤の歴史が要ることが見えてくる。

社会の成熟は、ハードとソフトの両面の積層で成し遂げられていく。

それはバランス良く積み重ね続けなければならない。

積み重ねを怠ると、

いわば加水分解が起きるようにその積層がみるみる劣化していく。

どの国にあっても社会開発には停滞がない。荒廃か、進化か。

 

文化の形成の一つに異文化の消化力があるだろう。

それを培うには学問の蓄積が要る。

弱者救済の社会的公平と質量のあり様は、

その社会の成熟度と比例する。

ごみ処理能力はその国の先進レベルの物差しになる。

弱者救済のレベルでその社会の成熟度が計れる。

制度の目標と実態の乖離こそ、概ねその社会の実像である。

教育の成果を社会が得るには100年の醸成が必要である。

その成果は容易なことでは剥がれない。

異文化の消化力も文化形成の要素であって、

その消化力を培うには学問力の蓄積が要る。

経済力の獲得と豊かな精神性は必ずしも同居しない。

 
 

※ クセが強い

人には癖がある、国情にも癖がある。

 

中国政府は、須らく唯我独尊で傍若無人に吠える。

韓国政府は、須らく短絡して激情し、錯誤的に自賛。

日本政府は、須らく様子見が定番、歯切れが悪く舌戦に弱い。

 

中国の辞書には、謙虚ということばがない。

朝鮮の辞書には、正視ということばがない。

日本の辞書には、解明ということばがない。

 

中国の主張には、強弁という得意わざがある。

朝鮮の主張には、捏造という得意わざがある。

日本の主張には、忖度という得意わざがある

 

※ 強権の方便

北朝鮮を見ても,中国を見ても,

社会主義的体制は、その前提として一括統制、排除、専横で成立つ政治だよ。

仮に国民は不満でも,窮屈でも黙ってしまうからね。それが狙いさ。

支配者が社会をマウントするために、強烈な統制が威力ある武器なのさ。

内を向かっても,外に向かっても排他一本でゴリ押しする官僚構造なんだよ。

見方を変えれば、統制を強めることでやっと社会を動かしてるだけよ。

強固であればあるほど、一般庶民は発想も行動も箱詰めにされる。

民主社会も弱点が多いが言論や行動の規制が、強権社会よりはるかに

少ないだけでも得点だよ。

世界の実状は、しかし強権政治の国が数多くある。

 

 

 

 

 
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