終活ちょいなか暮らし

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快適な老後を過ごすためにインスピレーション移住

訃報「偽母」

2024-02-03 | 日記

先月、施設でコロナ陽性者が続出し感染対応となってしまって、予定していた偽母の面会を断念。

2月の勤務表の後半がまだ出ていないので予定が立てられずにいた。

今月は確定申告もあり希望休を充ててしまっている。


2月に入ってLINEに訃報が届いた。

面会予定だった日から僅か1週間後か...

スマホに残っている写真を眺めながら、返事に迷う。

ただ単にお悔やみを述べる間柄ではないからだ。

感情を言葉に表せない。思い出がありすぎる。

数年前の旅行計画もコロナが流行り出して私一人で行ってきた。知り合いの宿に予約していたのと手打ち蕎麦屋を営んでいる従兄にも会う事になっていたから。


タイ在住時も毎年遊びに来てくれていた。

目的は私の紹介したNGO(さくらプロジェクト)の子供達にホテルブッフェをご馳走しに。

一時期は100名を超える人数の大盤振る舞い。

それに、手術した時にも二人で来てくださった。両親を亡くしている私には心強い偽両親。

いつも遠くから見守って下さっている。

私が立ち直ってここまでやってこられたのも

お母さんの優しい微笑みがあったからだ。

私は他人に相談をする事が少ない。

口に出す時はほぼ決めているからだ。

でも、離婚の時初めて相談した。

大病を患って手術する事になっている最中に従業員の若い女と会社ごと夜逃げして離婚攻撃された時。

虎の子を出した会社の資金も泡の如く消え去った。

手術代と当座の生活費は友人知人のカンパ。

残ったのは新車5年のローン。

「100万出せるというなら、それを貰ってやり直せ」という偽父のアドバイス、たったの100万返して貰ってもと思ったが正解だった。

二人の精神的な支えもあり、会社を設立して凌いできた。壮絶な時期だった。


元々はタイ専門の商売をしていた時のお客様。切っ掛けは赤坂キャピトル東急ホテル催事。

(偽父は仕事でタイに精通していた)

タイに移住してからはプライベートなお付き合いが深まった。


お母さんにと買っておいたお菓子を送った。

本当は3人でお喋りしながら食べたかったのに...

ありがとう。お母さんが食べられないのが残念です。お母さんにお供えしました」

遺骨に供られた写真と


スマホに残る写真を見ながら弔い酒。

悲しい顔をすると偽母に怒られちゃうからね。


合掌


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