さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

鷺森神社

2010年10月26日 | 都へ上る
15日京都に着いて、まず宮内庁京都事務所に直行!

お昼休みになる10分前にスレスレセーフで修学院離宮と仙洞御所の拝観許可を頂けた。

桂離宮と修学院離宮には、数度参観させて頂いたことがあるが、
仙洞御所はまだだったので、後水尾上皇ゆかりの御所を是非一度
拝観させていただきたかったのだ。

16日、10時の修学院参観のため、少し早めに着いてしまったので
前から一度お参りしたかった鷺森神社によってみた。

紅葉の名所で名高く、もちろんこの時はまだまだであるが、
社は新しくても森閑とした森が歴史ある古社の佇まいを感じさせた。

琳派・若冲と雅の世界

2010年10月25日 | アート 伊藤若冲♪♪♪
今年の春から富山・北海道・神戸と巡回して、来年北九州へとまわる
「京都 細見美術館 琳派・若冲と雅の世界」の図録が細見美術館にあった。

細見美術館も大好きな美術館なので、
掲載されている作品の若冲・琳派は概ね拝見したことがあるものであるが、
「祈りの美」の仏像や仏画が興味深いものがあった。

酒井抱一の「青面金剛像」を拝見したいな!

円山応挙 七難七福図巻

2010年10月24日 | アート♪
相国寺承天閣美術館で公開中の「円山応挙 七難七福図巻」を拝見した。

応挙36歳の時に、大津の円満院の依頼によって描いた全長15メートル全三巻が
一挙に公開されている。

16日の土曜日の昼過ぎにお邪魔したが、展示室は私ともうおひと方のみ、
告知が足りないのか?公開時期が長期間であるからか?
応挙にしてはちょっとさびしい気がしたが、おかげ様でじっくりと拝見することが出来た。

応挙がこんなにも多くの人間を描いているのを拝見したのは初めてであり、
七難七福に際した人間の表情が巧みで臨場感に満ちていて、
いつも冷静に対象を見つめているような応挙とはまた違った応挙に接する感がした。

とくに、風をまきこんで燃え上がる火災のシーンの火が凄い!
以前芦雪の火も凄いなぁ~と思ったことがあるが、
これは師匠の方が圧巻である。

七福は皆楽しそうで幸せが満ち溢れていて応挙も穏やかに筆をとり、
七難は応挙自身が狂気にも満ちたエネルギーで筆をとったのではないかと想像した。


世のなかは空しきものと・・・ 

2010年10月24日 | 日記
世のなかは空しきものとあらむとぞ この照る月は満ち欠けしける

万葉集の中にある歌であるが、詠み人はわからないらしい。

昨晩は、お気楽に旅立ってしまった叔父に、一人残された叔母が心配で
静岡に帰らずに残っている叔母たちと晩ご飯を一緒にした。

世の中は空しきものと…はまさに今の叔母の心境であろう。
そして家に帰る道すがら私も同じ想いで月を仰いだ。

なんだかここ数日はがっかりしてしまってチケットとってあった
十月歌舞伎昼の部も玉三郎丈の牡丹亭も観に行く気にならず
ブログを更新する気力も失せてしまっていた。

こんな想いになるのもやはりばあさんの証拠だろうな。

旅立つ

2010年10月22日 | 日記
こちらの猫の絵は、急逝した叔父が描いたもの。

私とは8歳しか違わなかったので、叔父というより
兄のような存在だったかも。

若い時から絵を描くのが好きだったし、
釣りや旅行や美味しいものを食べに行くのが好きな叔父であった。

親族が想い想いの物を棺にいれたが、私はオルセー美術館展の図録をいれさせてもらった。

「ちょっと行ってくるね」とまるでいつもの気軽な旅行気分で旅立ってしまったようで、
それはそれで叔父らしい最後であった。

20年早い旅立ちであったが、好きなことを思い切りやれたいい人生であったと思う。

今頃は、天国で、亡母や数年前に亡くなった叔母たちに
「ちょっと早く来すぎたんじゃないの!」と怒られているかもしれない(笑)

叔父さん今まで本当にありがとう♪

あちらでも大いに楽しんでくださいね。

やすらかに

2010年10月22日 | ボケ爺さんとのゆかいな暮らし♪
今日は叔父の告別式があったが、
父は未明から起きており、猫好きだった叔父のために
猫の絵を描いてくれた。

「まだ若いのにどこか具合が悪かったの?」と
何度も同じことを繰り返し聞きながら1時間ほどで出来上がった。

「や」はどうかくんだったけ?」なんて言いながら
「どうぞやすらかに」とメッセージをいれた。

フジバカマ

2010年10月20日 | 植物
キク科

「あの日の想い出」という花言葉があるらしい。

実は、昨日叔父が亡くなった。
叔父との想い出は沢山あるが、心に残っているのは、
夏休みに良く昆虫採集に連れて行ってくれたこと。
そういえば、小学生の時、映画「奇跡の人」に連れて行ってもらったこともあった。

平均寿命から言ったらとてもとても早すぎる死である。

八瀬童子 -歴史と文化-

2010年10月19日 | アート♪
「岩兵衛は当年51歳になる。
身の丈六尺、全身鉄片を叩き込んだような筋肉質の頑丈さで、
首など並みの男の腿ほどもある。…」

隆慶一郎著「花と火の帝」の冒頭である。
この小説の主人公岩兵衛は後水尾天皇に仕える八瀬童子で、小説の中でも八瀬の村の情景や、
建武の頃、足利尊氏に追われた後醍醐天皇の輿を担いで、叡山を超えて坂本まで駆けたことにより
天皇より一切の年貢や課役を免除される綸旨をたまわったことなども書かれている。

その「後醍醐天皇綸旨案」「後柏原天皇綸旨」…などをはじめとする
八瀬童子の伝えてこられた資料が重要文化財に指定されたのを記念して、
今京都歴史資料館でそれらを公開されているのを拝見した。

展示は

八瀬童子の特権
天皇と八瀬童子
中世文書の伝来

と三つのテーマに分かれていて、重要文化財に指定された
「文書・記録類650点」「装束類91点」の中から重要なものを厳選した展示とのことだ。

天皇の綸旨以外にも見るべきものが多く、

「板倉勝重下知状」
「織田信長朱印状」
「前田玄似判物」
「八瀬記」…等々。

また、八瀬童子関係資料の中に、日吉社で行われた小五月会に関するものも含まれていて
日吉社神人たる酒屋・土倉衆の係わりや名前や所在地がわかるものまで見つかったようだ。

展示を拝見したのち、秋元神社の八瀬赦免地踊の映像も拝見できた。
とくに感動したのは、村人たちの手によって作られる素晴らしい灯籠!
厚紙を何枚も重ねて下絵を切りぬいてそれを灯籠に貼るのであるが、
その切りぬく絵が実に繊細で伝統工芸の技そのもの。

一度是非、八瀬赦免地踊も拝見させていただきたいとつくづく思った。

酔芙蓉

2010年10月19日 | 植物
アオイ科

相国寺の境内にある「宗旦稲荷」のそばに見事に咲いていた八重咲きの酔芙蓉。

酔芙蓉といえば、私は高橋治著「風の盆恋歌」と石川さゆりさんの歌が浮かぶ。

蚊帳の中から花を見る 咲いてはかない酔芙蓉♪

そしてばあさんの妄想がどんどんと膨らんで(笑)

朝咲いて夕方には酔ったように紅くなるなんて、
まさに植物の不思議に感動する!