ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

東北関東大地震

2011年03月19日 | ノンジャンル
3月11日(金)、この日は私の62歳の誕生日でした。町内の青年館で、ある催しのためお年寄りの皆さんと食事をしたり、みんなで歌を歌ったりしていました。

午後2時40分すぎ、ゆらゆらと揺れを感じ、地震かなと思っている内に強烈な横揺れが来ました。電気が消え、建物が悲鳴を上げています。築46年、しかも学校の解体材を使って建てた青年館です。

外の公園に逃げた方がよいか迷ったのですが、歩くこともままならない状態だし、動くことはかえって危ないと考えました。揺れが収まるのを待つしかなかったのですが、これほど長く激しい横揺れは初めてでした。ただ建物が耐えてくれるのを祈っていました。

石油ストーブは地震が始まると同時に消して、火の気がないことは確認しました。数分間続いたのでしょうか、激しい揺れが収まり、無事だったことがわかりました。携帯電話も通じなくて、外がどうなっているのかまったくわかりません。

後片付けをして、3時過ぎに家に向かいました。歩いている時に、また強烈な余震が来ました。立っていることができなくて、思わず側のフェンスにしがみつきました。電柱と電線が大きく波打っています。

やっと家にたどり着きましたが、停電のため状況がわかりません。非常用の懐中電灯に付いているラジオで、東北地方で大地震があったことを知りました。

地元消防団の消防車が、津波の危険があるので避難を呼びかけています。車なら5分、歩いても15分ほどあれば高台に避難することができます。どうしようか迷ったのですが、結局避難はしませんでした。

私の住んでいるところは海岸線からは相当離れていますが、利根川からは1キロ程度の距離にあります。しかも少し低くなっているので、利根川が大氾濫したら一気に飲み込まれてしまう可能性はあります。そこまではならないだろうと考え、避難はしませんでした。

翌日、停電が終わり、テレビを見て今回の大地震の状況、特に津波のものすごさに驚きました。やはり避難をすべきでした。運が良かったとしか言いようがありません。

銚子市では幸い亡くなった方はおりませんでしたが、隣の旭市では多くの方が津波で亡くなりました。

亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

銚子市ではまだ余震が続いています。1日に2回ほど震度3~4の余震が起きています。また、気象庁の地震情報にも出ないのですが、日に数回、ドーンと突き上げるような揺れが来ます。ゆらゆらと不気味な揺れも続いています。銚子沖が震源地になることも多いので、まだまだ安心はできません。

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