四八、天譴雷誅(てんけんらいちゅう)の誓い
俗言の五雷轟身(ごらいこうしん)という言葉を天譴雷誅といって、天の譴(とが)めを雷で罰する事を申したのでありますが、雷とは陽の鋼(鋼)であり、五雷とは天雷・地雷・陽雷・陰雷・法雷を申すのであります。
天雷が発すれば霾霧(ばいむ:危険性のある気象現象)が頓消し、地雷が発すれば万物が萠動(ぼうどう:草木が芽吹き始める)し、陽雷が発すれば邪気が殄滅(てんめつ:滅び絶えること)し、陰雷が発すれば群類が歛形(かんけい:引き締め集める)し、法雷が発すれば大道が昌明するのであります。
それは僅かに霹靂(へきれき:かみなり。いかずち)の一声を聞いてから、聾(ろう)と盲を開ける事が出来るので、ちょうど雷を受けたと同様に申したのであります。
即ち一身は五雷を具備(ぐび)せぬ事はありません。
羞(はじ)を含み憤(いきどおり)を逞(たくま)しくして耳を赤くし顔を真赤に熱するが如きは、天雷の発動と言わなければなりません。
行為が不正で、前に進もうと思っても進めぬのは、地雷の発動と申さなければならず、礼を越え分を犯して心胆に驚きと恐れを持つ事は、陽雷の発動に触れたと申すべきであります。
陰謀し暗で打算して坐しても臥しても安らかならざるは、陰雷の発動に触れたと申さなければなりません。
その他種々の不法に心思を乱し、夢の中で魂を顛倒(てんとう)して苦しむ事は法雷の激発と言えないでしょうか。
五雷の発動する際は、つまりちょうど理と慾の交戦している状態の時であり、その時にもし心を翻(ひるが)えして悔い改め、天雷を敬い畏(おそ)れるならば我が天門を開き、地雷を驚き恐れるならば我が地の戸を閉じ、陽雷を怕(おそ)れ慎むならば我が元気を保ち、陰雷を戒めるならば我が真精を固め、法雷を拳々(けんけん)とするならば我が神霊を鎮め輔(たす)けるのであるから、三宝(三花)が聚(あつ)まり五気が凝固(凝固)するので、和が本来の面目に還るのも容易であり、永く清静を享(う)けることが出来るのであります。
孔子様は故に風雷の変を作(おこ)し、周公は風雷の感を致したのもこのためであります。
もしそうしなければその精を揺(うご)かし、気を散らし、神を労して、その魄を奪い、その魂を驚かし、容貌はやせ衰えて疾病(疾病)が叢(むらが)り起こり、将(まさ)に死ぬ所も知らない訳であります。
続く