四十五、真道を信ずるもの多からず
祖先の余徳がその一つであり、もう一つは自己の根基(こんき)がなければなりません。
縁ある者は、これを聞けば捨てず、縁なきものは、これを強いても行わぬのであります。
もし、仏根の人でなければ、機会があっても仏堂に入り難いのであります。
有徳の家では、すべて始めに修道の弟子として生まれるのであります。
これを一つの鉱山に譬海(たと)えて見ますと、金が大変多く含んでいるので、政府が特に人々に発掘することを勧めますが、無知な愚民は少しもこれに注意せず、岩の中にどうして真の金があるのだろうかと思うのであります。
しかし、智者は我先に鉱山に登り、政府の勧(すす)めを受けて発掘すれば、日に千金を掘り出して、忽(たちま)ちに巨富(きょふ)を致すのであります。
その後に愚民も真の金を確かめて知り、慌(あわ)てて発掘しようと致しますが、しかし時は既に晩(おそ)く、所有する金鉱は智者が開発尽くした後で、この時、愚民は悔(く)いると雖も、既に及ばぬのであります。
故に『縁あれば仏の出世に遇(あ)い縁なければ仏の涅槃(涅槃)に遇う』と申されました。
註:涅槃とは渡す事を止むの意
続く