真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~(四)各神仏の天道証明 (1)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の証道

2023-05-08 18:57:12 | 天道推奨

(四)各神仏の天道証明

天道はあらゆる人の所有であり、各階層の人の心とすべき存在であります。

殊(こと)に聖者、神仏にとりましては重要欠くべからず生命の糧であります。

茲(ここ)に四大聖人の天道証明を列挙(れっきょ)して御紹介いたしたいと存じます。

天道を得た各聖者もともに斯の時運に応えて道の闡揚(せんよう)に腐心(ふしん)なされておられます。

本訓は砂文字の様式に従って各地の仏堂に於いての御神示であります。

数多い御聖訓の中から特に含みの深い所を抜粋して意訳致しました。

不十分の処は訳者の不勉強に依る所でありますが、只、天界に於いての各聖者の主旨本願を現代の人々にも分かって頂きたいとの一念からであります。

どうぞ心して読まれ、人人にもお知らせ下さいましたら幸甚の至りに存じます。

尚、「釈迦古仏の御聖訓」はその全文を掲載いたしました。

(1)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の証道

仏眼を啓(ひら)いて衆々(もろもろ)の修行者を看(み)るに、多くは未だに仏道の根源をしらないようである。

暁(し)らないようである。

諸因縁を遠離(おんり)し、正覚に帰依し、波羅密多(パラミダ)、即ち彼岸へ至る道は今、眼前の間直に在る。

一人一人に皆、如来の菩提性(ぼだいしょう)が隠されて、一旦、妙智慧を得れば圓覚(えんかく)に照(かがや)いて罣礙(かかわり)や纏(まとい)が無くなるであろう。

十方界の中(内)は真理によって貫かれ、偉大なる老〇(ラウム)が統宰(とうさい)なさっておられる。

四大は皆(すべて)、空と化しても真如(しんにょ)だけは綿々として光輝くであろう。

仏と衆生は元来、異なる所はないが迷いと悟りが大きな分岐点になる。

身相(真相)や諸行は無常である理を知って意を和に帰し、心を発(おこ)して道を修め、玄を悟られたい。

徒(いたず)らに虚幻(まぼろし)や翳(かげ)や生滅(しょうめつ)に執着すると寂静(じゃく場)や阿羅漢果(あらかんか)を得られないだろう。

涅槃(ねはん)に入る門戸には明師の指点が必要で、無字真経(むじしんきょう)を授記(じゅき)されてこそ、始めて参ずることができるであろう。

この陀羅尼心法(だらにしんぽう)の無量無辺の義趣(ぎしゅ)を含み、諸々の悪法を捨離(しゃり)して無量の善法を保持する威神力(いしんりょく)を有している。

今までは独授(どくじゅ)の伝統を守って庶民化されなかったが、末法の世となり、天命降(くだ)って一般に其義(そのぎ)を了悟するのを許された。(中略)

私の天盤統掌(てんばんとうしょう)の時期は既に尽きて、弥勒仏の正法が新しく明らかに復された。

これは大慈大悲の天命に基づくもので群倫(ひとびと)は平等に智慧三昧(ちえざんまい)の妙証(みょうしょう)に潤うことができた。

法は法でも比類なき法でこの密語(みつご)を授かり、一念すれば大霊験が顕れよう。

如何なる禅機(ぜんき)よりも奥蘊(おくふか)く更にまた玄妙(げんみょう)である。

これを得れば極楽浄土を完璧にし、業縁を絶やし、四生と六道を離れ、非憂(ひゆう)と苦悩は滅されることであろう。

諸賢には果たして正しい四諦(したい)、五蘊(ごうん)の縁起がわっているだろうか。

天道は三世の因果を解き、妙智が現れて一切の邪見を失くし、六塵六慾を清浄にする。どうか外門を遠ざけて正道に帰せられたい。(後略)

続く


勒真経~二十四、北方の真武将帥と為し、青臉(せいけん)紅髪(こうはつ)神通を顕す

2023-05-08 18:55:01 | 弥勒真経 解釈

真武とは真武神の神号である。

北方に居して諸々の天兵天将を引き率れる将帥である。

北方の真武神は弥勒白陽の実現を期し、天兵天将を引き率れて善を救い、悪を収め、邪と魔を鎮める。

青臉紅髪とは真武神の威容(いよう)を表わしている。

臉(けん:顔)は青く、髪は赤く、威儀は極めて森厳(しんげん)であり、妖魔はこれを見れば畏怖(いふ)を生じて退散する。

神通とは千里でも見える天眼通(てんげんつう)、遠方の微声でも聞こえる天耳通、水空(すいくう)でも歩ける神足通(じんそくつう)、人の心を見透せる他心通(たしんつう)、自他の前世が解る宿命通、煩悩が滅される漏尽通(ろじんつう)である。

真武神の神通は広大で変化不可思議、一切の悪魔妖精は一見して怖れ退散して影を潜める。

全く真武神の白陽に於ける働きは甚大であり、邪魔障害ならびに道を阻む魍魎(もうりょう)を除く神仏である。

注:真武神・北方の神。元、玄武神(げんぶしん)と称していたが、宋(そう)の祥符(しょうふ)年間、聖祖(せいそ)の諱(いなみ)を避けて真武と改められた。漢代、浄楽国の太子、生まれながらにして神異(しんい)、長じて邪魔を除かんと志し、東海を越え、天神に遇って寳剣を授けられ、武当山(ぶとうざん)に入って修煉し、四十二年にして功成り白日飛翔(はくじつひひょう)し、上帝(ラウム)の命を奉じて北方を鎮す。

続く


性理題釋~五十八、気天象天は破壊す

2023-05-08 18:53:28 | 性理題釋

五十八、気天象天は破壊す

気天は陰陽あり、変化あって即ち生死があります。生死があれば即ち終始があります。

孔子様は『物に本末あり、事に終始あり』と申されました。然るに天地日月、鬼神や人類飛落の動植物は皆物でありますので、一切本末があります。

四季の循環の寒来たりて暑去る事や、風雪雲晴、日月の盈虧(えいき:物事が栄えたり衰えたりすること)、晦弦(かいげん)や朔望(さくぼう)等は一切事でありますので、皆終始がある訳であります。

気天の終始は十二万九千六百年で十二会に定められ、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を以て名づけたのであります。その中の六会は物が閉収してなくなる訳であります。

子会より午会に至るまでは、無から有をなし遂げた境地であり、午会から子会に至るまでは有から無に還るのであります。

天は子会に開き、戌会に没しますが、地は丑会に闢(ひら)き酉会に没します。人は寅会に生まれて、申会に没し、亥会に混沌に入り、子会に至って又天が生ずる訳で、このように循環してやまないのであります。

史記に『天は子に開き、地は丑に闢き、人は寅に生ず』と記されてありますが、このように説いたのは、すべて気天には終始があることを証明したのであります。

気天に終始あれば、象天の終始は当然説く必要がない訳であります。

又気天の変化は、小さいものを以て大きく推(お)して見ても同様であります。

例えば一日には昼夜があり、又十二時間に分けられますが、その昼は陽に属し、夜は陰に属して、一日は一開と一閉があり、日々同様に廻るのであります。

一年には四季があり、ちょうど十二ヶ月に分けられ、春夏は陽をなし、秋冬は陰をなして、一年もまた一開と一閉があって、年々同じようにめぐるのであります。

これを推して一元を見ますと、一元も又十二会に分けられ、子会に陽が生じ、午会に陰が降りますが、午会はちょうど一日の正午に当たる訳であります。又子会はちょうど一日の夜半に当たりますが、子は万物を開く始めとなり、午は万物を閉じる始めとなります。

午会以前は無より有に入り、午会以後は有より無に入る訳で、午会は一元中に極めて大きな関頭に当たる訳であります。

故に午会の気数の変化は、又一つの大きな奇局になるのであります。そこでこの理を推して考えて見ると、今日を以て明日を推すことが出来、今年を以て明年を推測することは勿論、大小は一理でこれを以て推して行けば、必ず一元会を知ることが出来るのであります。前の一元会を推して、後の一元会を同様に知ることが出来るので、これは符節を合わす如く、我々の心にはっきり致す訳であります。

続く

理天・気天・象天の図

元会の図

 

十二元会図