真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~砂文字(すなもじ)による御聖訓(ごせんくん)その三

2023-05-02 22:15:35 | 天道推奨

真に有難い限りであります。

人生に課せられた宿命と因縁は避けがたいものですが、それも発心して道を求め、法を授記(永遠理天界に帰って無限楽を得ることができる秘宝のこと)して貰えば、老〇様の御慈悲と弓長祖の御恵愛に依りまして他力的に消滅して頂くことができるのであります。

勿論、条件としては今後の生活を聖なる道に委ねる意志があらねばなりません。

丁度、借財に対する返済と同様、功徳を積んで補うことであります。

無量千万劫(むりょうせんまんごう)の昔から積み重ねた宿業と罪積を、僅かの期間に、何故(道)して贖(あなが)えられるであろうかと疑問に思われるでしょうが「大功は大罪を滅す。」で天の時と地の利と人の和を得れば、一朝にして完成を見ることも可能であります。

天の時、これは今の人類に万遍(まんべん)なく与えられています。

地の利、これも、長い宗教歴史の伝統と、寛容の精神に培われた日本に於きましては最も恵まれています。

問題は人の和だけであります。

一人一人が挙(こぞ)って正しい道に覚め、正しき法を悟り、老〇様の恩沢を素直に受け入れ、力を合わせて斯道(しどう)を普(あま)ねく伝えさえすれば、今生の過(あやま)ちだけではなく歴世に累積(るいせき)した罪悪の数々をもすべて綺麗(きれい)に吹払って下さるのであります。

善事と云えば今迄の観念では物質や金銭を貧困者や不遇者に施して救済することのみに限られてきましたが、法を得た人は、尚この三宝を人々に与(く)みする機会にめぐまれているのであります。

法を施して迷昧者(めいまいしゃ)の霊魂を根底的に輪廻や因業の牽纏(まとい)から救う功徳こそ、永久的であり、実際的であります。

限界を超えた功績はわれわれを不滅の楽境に導き、無量の善徳はわれわれの過去幾千世の罪を償(おぎな)って余りある訳であります。

上は敬虔(けいけん)な信仰によって赦罪(しゃざい)を求め、下は熱意を以て衆生を挽廻(ばんかい)する表裏一体の聖業に尽瘁(じんすい)すれば、求めずして結果は光明であり極楽であります。

実に貴重な天道降生の時期に人間として出生したわれわれはまことに至福といわねばなりません。

御聖訓に「道、伝えるに軽からず、法、受けるに易からず、已に道法を受来れば、豈(あに)、怠情(たいじょう)すべけんや。」とあります。

史記の中にも「天の与うるを取らざれば返ってその咎(とが)を受く。」とあります。

即ち天から与える宝を喜んで取りらなかったら自然的に悪を取ることになるという意味であります。

老〇様の御慈悲と御智能は広大無限であります。

われわれが求めるすべての御愛と御恵みを限りなく与えてくださいます。

どうぞ斯道に邁進なさるよう心からお待ち申し上げてます。

「天下に道有れば道を以て身を殉(じゅん)す。」(孟子)

続く


弥勒真経~十八、各方の城隍(じょうこう)来たりて号を対(あわ)し 報事(ほうじ)の霊童(れいどう)清(あきら)かに察す

2023-05-02 22:13:43 | 弥勒真経 解釈

城隍とは各地域を守護する神仙のことである。

各地守護の神々は天宮から下された諸神仏の仕事を輔佐し、得道した一人一人の証を対照し、縁ある人々の名号を報告する。

この三天の大事を負わされた地方神(ちほうしん)の責任は誠に重大である。

報事の霊童(霊動)とはわれわれ一人一人の行動を毎日毎時刻、監視し、更に理天に転奏(てんそう)される役目を担っている神々である。

われわれの神霊不昧の真性は時々刻々、識神に従って行く恐れがあるので、その行為を監視し、本性を邪(よこ)しまの道に流されないように明らかに観察し、絲毫(しごう)も隠されることなく、明らかに天界に知らされるのである。

続く


性理題釋~五十二、酒色財気は理を傷つける

2023-05-02 22:11:59 | 性理題釋

五十二、酒色財気は理を傷つける

仏門の五戒に、酒色がありますが、酒は性を乱し、色は身を傷つけ、財は徳を損じ、気は肝をを害し、煙草は神を傷つけるのでありまして、これは即ち天地間の五毒であり、いわゆる世界を濁す五つのものであります。

五行が天に宿れば五行の気となり、地に参(まじ)われば五行の質となり、人に於いては五行の内臓となりますが、これを正に用いれば五常(仁義礼智信)となり、邪に用いれば五毒となります。

これら酒・色・財・気・煙は即ち五行が変化する所のもので、金星は財に変化し、木星は色に変化し、水星は酒に変化し、火星は気に変化し、土星は煙に変化するのでありますが、もし志を立ててこれらを斬(き)り除く事が出来なければ、恐らく五行に拘束(拘束)されてしまうのであります。

現今道が普渡されて、その寛大な御恩に浴(よく)されていると雖も、然しながら、道を得て正しくこれを利用する事が出来て、始めて宜しい訳であります。

続く