真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~(三)天道問答録 1

2023-05-04 19:16:47 | 天道推奨

Ray:文中、漢字につけるフリガナが、日本語の音訓と違うことがありますが、中国語の漢字の意味を日本語に意訳する為です。正式な聖訓は漢字で降ろされますので、西洋文化に慣れ親しんでいるため日本人本来の感性を失っていることは否めません。この機会に漢和辞典などを活用され、文字の持つ自由な世界を取り戻して頂ければと思います。

問:心さえ正しくすれば良いのに、殊更(ことさら)に得道の必要がありますか。

答:本当に心正しい人であるならば、正しい道の判断と認識ができる筈であります。

根が善縁なれば多弁せずとも、正しい生き方に目覚め、勇躍(ゆうやく)して法を求め、力を尽くして斯道(しどう)、興隆(こうりゅう)の為に計るべきであります。

まして天道は、われわれの善悪、是非を明らかに照らす鏡であります。

天道有りてこそ、真なる心性(こころ)の姿が映し出され、悪を矯正できるのであって、道を失っては心を正すことはできません。

道を心の尺度として常に道と一体に溶けあうべきで、道を離れたら忽(たちま)ち目標が狂い、中心がぼやけてしまいます。

自分の眼で何故(どう)して自分を正しいと見(み)、断定できましょうか。

殊(こと)に善良な人であれば、尚更(なおさら)、深く世道人心を懐(こころ)としている筈であります。

今や時勢はすっかり澆漓(おちぶれ)、道徳倫理が頽(すた)れて、毒邪(どくじゃ)の気が満天に冲(ちゅう)し、種々の凶事(きょうじ)や災難を招来しています。当然、道を憂い、世を慨嘆(がいたん)する君子は、朝な夕な方法を構想して浄化挽回に挺身(ていしん)すべき時であります。

今また、天道が世に公やけに伝えられた時期にめぐり逢えたならば、欣然(きんぜん)として心身を委ねるべきであります。

且つ、得道の最終目的は、死を超え古里である理天へ還元するが為であります。地獄の苦痛と輪廻の惨憺(さんたん)さを逃離(とうり)させてくれるのがその大恩典(だいおんてん)であります。

若し、片意地に「心さえ良ければ」と言い張って、折角、天来の機会を逸(いつ)してしまうことなると、まったく惜しい限りであります。

「誰にも拘(かか)わりなく、迷惑をかけずに自分だけ善人であればよい。」と思っている人は真の正しい心の持主ではなく一人よがりの独善的な考え方であります。

意識していないだけで、冷静に考えれば一挙一動から一呼一吸に至るまで深く天恵と人助を蒙(こうむ)って活かせてもらっている筈であります。

この穢(よご)れた世に道なくして自己を潔(いさぎ)よくすることは染液(せんえき)に漬(した)して尚、白い生地を保つことよりも困難であります。

道の中には亦、道徳的なものと神秘的奥義の二種類があります。

前者は初歩的修学に属し、後者は究極的目的に属しています。

一般の人は道徳的のみに終始していますが、これらの功徳は来世に転じて、福の報いを受けるだけであります。

この福碌(ふくろく)には限界があって、受けるべき期間が尽きると、又(また)して苦厄(くやく)、患難(かんなん)に見舞(みわ)われなければなりません。

それに比較して、得道して明師から心眼を開かれ、幽玄(ゆうげん)の理を参悟(さんご)しますと、永(とこし)えに窮(きわ)まりなき福寿と栄光を享受(きょうじゅ)出来るのであります。

道を学ばずして徒に(いたず)らに善良だと自尊している人は反って逆で、孔子の曰(い)う「外面、忠実に見えて、内心、巧詐(いつわり)の人は実に道と徳を害する奸賊(かんぞく)である。」人間に該当することになります。

世の流れに迎合し、人々に媚(こ)びを諛(へつら)い、内に道義なく、外に貪求して已(や)まない類(たぐい)の人は偽善者(ぎぜんしゃ)で、尽くしている事は徳に似て、徳に非ずであります。

欲望を抱いては正、不正を計り難く、己(おのれ)の在り方も見極められないものであります。

道を心の糧としてこそ、天性に合致(がっち)し、至善(しぜん)、真善の境地に至って明徳を明らかにすることができるのであります。

続く


弥勒真経~二十、救苦天尊来たりて世を救い 親しく文部掲諦神(もんぶぎゃていじん)を点ず

2023-05-04 19:15:13 | 弥勒真経 解釈

救苦天尊とは弥勒古仏の佛号(ぶつごう)であって、この仏は最上乗天の兜率天(とそつてん)に居しているから天尊と称する。

三期の世に救苦天尊は大きな使命を帯びて紅塵(こうじん)に降り来(きた)って世人を救われる。

天尊は更に諸々の神仏を引き率(つ)れて収圓を務められる。

親しく点ずるとは自ら点呼指導されることである。

文部とは諸般(しょはん)の文事を掌(つかさど)る神であり、文運に応じてそれぞれの部分を果たされる神である。

掲諦神(ぎょていじん)とは玄妙(げんみょう)なる真諦(しんたい)を揚げもって人々を度す諸神である。

これらは皆、救苦天尊の親しく引き率(つ)れる所に従って凡に降り、仁愛の道を助けるのである。

続く


性理題釋~五十四、回光返照

2023-05-04 19:13:35 | 性理題釋

五十四、回光返照

後天に於いて人は、思念が多いのでありますが、思いを外に向けると則ち順(したが)い、思いを内に向けると則ち逆らうのであります。

故に順行すれば鬼となり、逆行すれば道をなすのであります。

言い換えますと、外に放つと鬼をなし、内に収めると聖をなすのであります。

人々に修道をお勧めするのは、即ち心を回すことを申しますが、心を回すとは則ち外に向かっていた思いの向きを内に回す事であり、これを回光返照と申すのであります。

少しでも暇があって、もし敢(あ)えて此の裡(なか:明師指点の場)に心を収めて、人我の両相を忘れ、一念を保つならば、即ちこれ苦を離れ楽を得る方則であります。

仏教の経典に『二十六時中、念々莫離這個(ばくりしゃこ)』と申され、二十六則ち十二時中、一念一念は這個(明師の一点)を離れることなきようにと申されました。

孔子様は『学びて而して時に之を習う』と申し、学びて而してとは即ち明師の指点一穴で、時に之を習うとは、常にこれを守ることを申されました。これはすべて人々に心を収める修行法を行うように説いたのであります。

故に道に志す方は、これに注意しなければなりません。

続く


道と教(宗教)とはどうちがうのか

2023-05-04 19:10:55 | 道すなわち真理

孔子・中庸:天の命ずるこれ性と謂い、性の率いるこれ道と謂い、道を修めるこれ教えと謂う。道は須臾も離れるべからざるなり。離れるべきは道にあらざるなり。

道は性理の本体で真理です。これを人に与えれば性(霊)となります。故に「性理」または「良心」とも言います。

この性理は私たちの先天的(生まれる前からのもの)根本で、生命の大本です。人は誰でも皆これを受けてこの世に生まれ、またそれぞれの因果や性理に応じて死にいたります。

このように生と死は必ず経由する路であり、古来最も神秘的なこの「性理真伝」を文字で書や経典などには書きあらわさず、口頭で授けられ「以心伝心」のうちに伝えられてきました。

そして、唯一絶対の造物主の天命により、この世に降りてこの道を伝えるために来た者は、たとえ仙佛、聖人といえども、この機密をもらすことは決して許されませんでした。

そして、儒教の四書五経、仏教の金剛経、老子五千言の道徳経・清浄経・黄庭経などのところどころにこの証を秘蔵し、それとなく読む者に暗示を与えてきました。
時の実りによって、老子には元始(ゲンシ)、孔子には項屣(コウモ)、釈迦には燃燈佛(ネントウブツ)が法灯を伝授しました。このように天命を受けた明師が降臨して、この道を伝えてきました。

それに対し教は、道の伝授により、道より発生したところの法と行事によって人々を教化する行為です。道が主体で教は功用になります。樹木にたとえればその根元が道、枝葉が教です。いわゆる五教(仏教・儒教・道教・キリスト教・回教)は皆この道から発生したものです。

儒 教 存心養性 執中貫一  (一を貫く)       忠恕    聖(ひじり)

仏 教 明心見性 万法帰一(一に帰す) 慈悲  仏(ほとけ)

道 教 修心煉性 抱元守一  (一を守る)  感応 神仙(せんぶつ)

耶蘇教    洗心移性  黙祷親一  (一に親しむ)博愛 神(かみ)

回 教 堅心定性 清真返一 (一に返す)   清真 僕(しもべ)

※日本伝承の 一厘の仕組み、〇チョンも同じ道の心印です。

このように五教の起源と宗旨は同一です。この「一」は、「道」であり「真理」であり、孔子はこれを「吾が道は一をもって之を貫く」と言われました。

教は善行を奨励し、修養して徳を積み、出世(社会を離れ)して修行を極め、道を得るための準備をする段階です。道は教の真髄で、道を得ることより師の指示・伝導を直接得ることができ真の人として進化に万全の備えをすることができます。

孔子の弟子の子貢が「孔先生の文章や学問は学ぶことができましたが、先生の性と道に関して学ぶことができなかった」と謂っています。前者は教であり、後者は道のことです。

これが道と教の相違点であり、教は何時でも授けられますが、道は非常時(歴史的な節目)でなければ授けられません。

道は時には隠れ、時には顕現するものです。それは、道は時に応じ世にくだり(興り)人を選んで伝授するからです。

教はどんな時代でもあります。道が伝えられない時でも教は存在し、道が盛んに興るときでも教はやはり存在しています。

その理由は、教は人道の基本を強化するものであり、なるがゆえに道は教を離れることはなく、教もまた道を離れることはありません。

なぜなら道がもし教を離れれば、教が道から離脱し、異端邪説に走ってしまうからです。

道を信奉すれば、生死を超越して、輪廻を離脱し、西方極楽に登り、あらゆる災難を避け、恨仇を解消し、罪を消滅し、運命を改善して果報が得られます。

故に古人が「天上天下を通じ唯一道のみ最も尊し」と言われたのも決して虚言ではありません。

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【Ray:古道復興!孔子・孟子の道徳が世界に普伝されます!】令和5年5月時事解説・時局分析|藤原直哉理事長(収録版)202305

2023-05-04 18:12:54 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

世界の大手保険・証券会社、銀行はリーマンショックの時に負債をかぶり、すべて弁護士が入って倒産・清算状況になっています。

その中で、トランプ・プーチン・習近平を表にした世界改革のページェントが行われています。

人類史上はじめて、根源創造主が主宰する「弥勒の世」が始まっています。

その志は「天下に道有れば道を以て身を殉(じゅん)す。」(孟子)です。

令和5年5月時事解説・時局分析|藤原直哉理事長(収録版)202305