2022年6月1日 参政党の街頭演説!青森市アウガ前【神谷宗幣&中条栄太郎】
札幌大通り公園。参政党。1000の聴衆!!♯札幌♯札幌大通り公園♯参政党♯神谷宗幣♯吉野敏明♯大感謝
情報は変化を知る機会です。大きな変化を目の当たりにしているとき、転変天地も人々の動向も、みな道場における修道の糧ととらえなければなりません。
地球規模を鏡とした錬磨の機会です。時勢に応じて変化することに対して社会の紀律は「思い通り」でいいでしょうか。
仏教では、四弘誓願:衆生無辺誓願度(すべての衆生を悟らせよう),煩悩(ぼんのう)無量誓願断(すべての煩悩を断とう),法門無尽誓願学(仏法のすべてを学ぼう),仏道無上誓願成(無上の悟りに至ろう)という4種の誓いを建てました。
参照:tsurumi3776.sakura.ne.jp/b6-siguseigan.htm
スピリチャルメッセージは、人類が目指す「道徳的世界:弥勒世界」へ準備段階を誘導し、感覚的に未来を鳥瞰してきました。現在、スピリチャル世界でもまだ人類の覚醒状況は十分ではありません。
新コロナパンデミックのように、社会が「どんでん返し」して一旦落ち着きを取り戻すと考えている方もいるかもしれませんが、実際は自分の進む道が明確に明らかになる(確信が持つ)まで、まだまだ様々なハプニングが続きます。
なぜなら、人々の意識は閉じ込められていたため、どこが目標地点なのかまだ理解できないからです。「小さな光明」から始まるのは確かですが、理解していると考えるのは最も障害となる意識形態です。
もうお気づきのように、あなた自身が創造の原点だか、未詳のままでは、どこにいるのかさえ分かりません。今、現実の自分の都合よい奇跡が起こったから覚醒が進んでいると思うのは尚早です。
スピリチャルメッセージで「新しいステージの入り口に着いたばかり」あるいは「最高のものはまだこれから来る」と伝えているのは、聖書などでも伝承されてきた「虹の梯のたもとの黄金の壺」に至る物語を意味しています。
「思い通り」で理想の世界は実現するでしょうか。道場であるこの世界は、マクロ的に世界の状況を知る見識に基づきます。しかし「天命の性の一点の霊明」を具えていても、物欲や外界の牽引を受けやすい状態にあります。
したがって、これからの創造のために規矩が必要であり、それによって邪な偏向や頑空に陥らないようにしなければなりません。
過去の時代、仏教の基礎となっていた「四弘誓願」(新しい時代の四弘誓願は時代にあったものが降ろされています)を例に挙げましたが、そのほかにも重要な規矩が用意されています。
改革をするなら、根源創造主が主宰する仏規や宗旨から離れることはできません。覚醒し、さらに進化をし続けことは自己を切磋琢磨することであり、このことに正しく認識してほしいと思います。
新しい時代を創造するとは、時代の違いや、その場所や人々それぞれに異なった方法で導く必要があり、それであって初めて人々の才能・能力を活かすことを求められるからです。
人々を指導する立場の人は、根源創造主が降ろされた守るべき礼や守るべき規矩を原則通りに守り、決して捻じ曲げてはなりません。今回は人類史上嘗てない結実の時です。
各宗教や哲学・思想などを超越し「悟り・超生了死・解脱」によって地上天国を創造する時代、神々と共に人類が夢見てきた至極の時代が到来しているのです。
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(三)一理の中に無限の真理が蔵され、すべてのものの生命となり変わる
人間の限られた小智識ではどうしても限界・意識界を超越した窮りなき大自然の質量を計算したり、明らかに解剖したりすることはできません。
もちろん、その本体と妙用は如何なる名句妙文をもってしても描写し尽くされるものではありません。
老〇様(ラウム)のお姿を浅薄(せんぱく)な小智や文章で表して説明するのはあたかも一群の盲人が象の身体の一部分を触っているようなもので、ある一部が解明できてもその全体を知ることは不可能です。
いかに上手に譬(たと)えて説明しても、相を借りて理を悟らせる以外にその実態を表現することはできません。そこは誠をもって近づくだけです。
感ずれば応ずる真霊の世界をまた数学的に足したり、引いたり、割ったり、掛けたりすることもできません。
不増不滅の理に人間の定めた枠で当て嵌め(は)ようとするのが無理なことです。
この真理には厳格な面と慈愛の面が含まれていますが、そのいずれに通ずるにしても敬虔な求道精神によって深く体得することができます。
老子様は「無明は天地の始まり、有名は万物の母なり。」といわれ、形体はいかに大きくとも無から比較すれば微かなものです。
無限大の無の中から有形体が芽をふき生じてくるもであります。
また、「天下の物は有より生じ、有は無より生ず。」ともいわれ、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生ず。万物は陰を負いて陽を抱く。沖気(柔らかく・やさしい気)をもって和するを為す。」といわれました。
空・虚・無・道・天などの名称は、この真理の別称であります。
形象・物体は気の合体であり、光子・電子なども気から流露された分子であります。
気は理によって造化され、陰陽の二気を有しています。
一が二を生ずるとは、言葉を変えていえば無極の理から太極の気を生じたという意味です。
数字上から言っても、万数の始まりは一に起原しています。
〇(零:れい)は一より先との説もありますが、〇(零)を伸ばしてもやはり一です。
一は縮めて「、:点」と化し、そこに妙が生ずるのです。
道動いて太極を生じ、太極動いて陽儀を生じます。
陽は動性をもち、動の極は静であり、静は陰を生じます。
陰中に陽があり、陽中に陰があります。
これを両儀といい、一動一静、たがいに相和し交感し、次第に木火土金水の五行が生じてまいります。
五行の気か順布し、大地が自転公転して春夏秋冬の四時が秩序を乱すことなく行われるのです。
創造の妙は不可思議な力をもって物象に変化を来たし、万物がそれに応じて発生進化してくるのです。
万物は必ず天地・陰陽に挟まれて生育し、絶えず沖虚(奥深くしてむなしい)の原気が二気を調和しています。
一はすなわち道であり、万物万数の起点なのです。
「〇」も「、」も、一を拡大したり、短縮したりしたもので、これがそもそも大道の大奇蹟的な働きなのです。
伏羲氏は一を画いて開天となし、老子様は「一を説いて天地を生育する」といい、孔子様は「吾れの道は一を以て貫く」といい、孟子様は「夫(そ)れの道は一のみ」といわれていますのも、同じく天人一貫の理を解かれているのであります。
一理をもって万理に通じます。
一理の中には無限の真理が蔵されて、すべての物の生命と成り変わります。
一はかくして変化不可思議ですが、また極めて自然であり、それぞれの存在に応じてやがては万物を収息終結させます。
窮りなき慈愛と智能をもって森羅万象・日月星辰・地水火風を含む万端を変わりなく一定の法則に従って養うことができます。
このように衝突せず、混乱もなく整然として天体宇宙が各自の路を運行しているのは、老〇様(ラウム)が形として顕れられた権化であります。
われわれは、老〇様(ラウム)の無生無死であられることを忘れてはなりません。
理の天は唯一であり独一です。
天地宇宙を散漫なく統一する力といってもただ、霊以外に何もありません。
声もなく、臭いもなく、生ずることもない無尽無窮の大霊といえます。
道徳経に「天は一を得て清くなり、地は一を得て凝(かたま)り、人は一を得て聖人となる。」とあります。
天は清く、地は凝り、人が聖人となる、一の理はきっとすばらしい偉大な力をわれわれに与えるに違いありません。
この一理を得た人は迷いの帷(とばり:かたびら、たれまく)から高く悟りの境地に飛躍できる霊妙力を有しています。
ここでいう天は太極であり、天道では「気天」と称しています。
太極を生ずるとありますが、これは理天が気天を生ずる意味です。
理天は不動天であり、気天は宗動天であります。
続く